KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
7月29日(火)
今学期の私のクラスにはそれぞれ問題児がいます。Sさん、Jさん、Kさんです。
Sさんは初級クラスで、多少は日本語が書けたり話せたりしますが、日本語の勉強を“楽しむ”だけで、“苦しみ”の元となりそうなものには近寄りません。テストはできる問題だけやり、その結果合格点に達しなくても再試などは受けようとしません。発音を直しても全く気に留めません。国で覚えてきた自己流の文法も、改めるつもりはなさそうです。でも、学校はおもしろいみたいで、休まず来ています。それはいいのですが、ひたむきさに欠ける態度が周りに悪影響を与えはしまいかと、ひやひやしています。
Jさんは日本で進学といっているくせにさっぱり学校へ来ません。電話をかけても留守電にすらならず、メールも手ごたえなしです。たまに思い出したかのように登校しますが、クラスでも浮いた存在です。スピーチコンテストの応援でも、Jさんは員数外です。
Kさんも気が向いたときにしか学校へ来ないという点ではJさんと同じだし、テストをまともに受けようとしない点はSさんと変わりません。先週の金曜日は偶然テストの日に学校へ来てしまい、しまったという顔をしていました。「先生、月曜日に受けます」と言ってテスト用紙を返してきましたが、それ以後姿を現しません。
初級のSさんはもうすぐ留学期間が終わって帰国します。ですから、このまま楽しい思い出だけを抱えてお別れしてくれればそれでいいです。しかし、JさんとKさんはもうちょっと日本にいたがるでしょうね。特にJさんが本気で日本での進学を考えているとしたら、ひと悶着起こりかねません。そういえば、同じ進学希望のGさんも、学期が始まってから沖縄へ遊びに行っていたと、悪びれずに言っていましたっけ。
こういう人たちは、何のために日本に、KCPにいるのでしょう。決して安くはない授業料を、どういうつもりで払って(親に払わせて)いるのでしょう。親が授業料を払っているのだとしたら、自分の娘・息子のこういう実態をどこまで知っているのでしょう。私が親だったら絶対に許さないでしょうし、私がこんなことをしていたら私の親は強制帰国させるでしょうね。
7月28日(月)
スポーツ新聞の1面を飾っていたのは、高校野球の石川県予選決勝で、星稜高校が9回裏に8対0から9対8に逆転した試合でした。5回を終わって8対0でしたから、この試合が決勝戦でなかったら、7回終了時に星稜高校はコールド負けでした。勝つ芽を、芽生える前に摘まれていたかもしれません。
確かに、7回を終わって8対0で負けてたら、勝ち目がないよっていうことでゲームセットにされても文句は言えないように思えます。それだけの実力差があるのだから、これ以上続けてもむしろ傷口が広がる一方だという判断には合理性があります。しかし、それは同時に、0.1%か0.01%かわかりませんが、0ではない逆転の可能性を頭から否定することでもあります。試合をひっくり返すパワーの存在を完全に無視しています。
私たちも同じようなことをしているんだろうなと思いました。学生の意見や訴えを粉々に打ち砕いてきたことなど、一度や二度ではありません。やるだけ無駄だからとか信用できないからとかいう理由で学生の考えを変えさせたことは、おそらく妥当な判断だったでしょう。でも、同時に、ダメもとのつもりがぜんぜんダメじゃなかった例も経験しています。学生の挑戦をどこまで認めるかは、毎度難しいものです。
0.01%の可能性を追求して、なんていったらカッコいいですが、単なる無謀な挑戦でしかない場合がほとんどです。星稜高校のニュースが1面を飾ったのも、それが奇跡だからにほかなりません。ただ、星稜高校野球部とKCPの多くの学生の違うところは、前者には実力の裏づけがあり、後者は何もわかっていないという点であり…。
7月25日(金)
お昼の時間に午前クラスの欠席者に連絡をしていたら、Xさんが来ました。受験講座の総合科目をやめたいと言います。6月のEJUの総合科目が悪く、総合科目の内容に興味が持てないので、これからも勉強を続けるのは苦痛だというのが理由です。
「やめたいという気持ちはわかりましたが、進学はどうするんですか。総合科目がない大学となると、出願できる大学の幅がぐっと狭くなりますよ」「総合科目は悪いまま出します」「それでは総合科目を見る大学には、絶対に合格できませんよ。そもそもXさんは大学で何を勉強したいんですか」「勉強したいことがありません。何を勉強したらいいかわかりません」「それじゃあ成績がよくても大学に入るのは無理ですね」「先生、私は何を勉強するのが一番いいと思いますか」「Xさんは将来何になりたいんですか。何がしたいんですか」「私は怠け者ですから、家でごろごろしているのが一番好きです」「家でごろごろなら国でしてください」「いいえ、国へは帰りたくないです。私は人にこれをしろと言われたらそのことをします。でも自分で決めるのは好きじゃありません」
無目標の若者が増えているとは聞いていましたが、こんなに身近にその典型例がいるとは思いませんでした。Xさんの辞書には「苦労」という言葉はありません。大して努力しなくてもできる範囲のことしかしようとしません。おそらく、国の大学に入るのは大変だから、アニメかなんかで興味を持った日本へ行ってみよう、というのがXさんの留学の理由でしょう。そして1年ちょっと日本で過ごし、日本語学校に在籍できる期限がだんだん迫ってきたので、とりあえず進学しなきゃと思い始めたってとこなんじゃないかと思います。
1時間近くXさんと話しましたが、事態は全く進捗しませんでした。午後の受験講座の時間が来てしまいましたので、Xさんには10年後の自分の姿を思い描いてみるという宿題を出して、今日のところは終わりにしました。でも、たぶん、なんにも思いつかないんじゃないかな。こちらも重い宿題を負わせられました。
7月24日(木)
去年J大学に進学し、現在2年生のYさんが書類申請がてら顔を見せに来てくれました。KCP在学中から会話はかなりのものでしたが、進学して日本人に囲まれてもまれ続け、そのうまさに磨きがかかったように感じました。それでもまだ、日本語では日本人の学生にはハンデを感じると言っていました。YさんはJ大学の看板学部の看板学科に進学しましたから、周りの日本人も精鋭ぞろいです。比べる相手の水準が高すぎるから、引け目を感じてしまうのかもしれません。
そのJ大学看板学部看板学科、勉強がかなり厳しいと言っていました。4年で卒業できる学生の割合は69%とか。1年生の一般教養はそうでもありませんでしたが、2年生になって始まった専門科目が特に大変なのだそうです。9000字のレポートに加えて試験まであるなんて、私には無理だな。私の学生時代とは違って、レポート用紙に手書きじゃありませんからどうにかなっちゃうのかもしれませんが、そういう科目が1つ2つじゃないとなると、30%以上もの学生が留年を経験するのも当然だと思いました。
また、Yさんの学部学科は成績評価も厳しく、GPAがなかなか上がらないそうです。GPAが芳しくないから奨学金がもらえない…そんな流れにはまりそうだとも。だから、後輩にはJ大学はお勧めしないと言いつつ、W大学よりずっといいよとPRもしていました。
大学時代にそれだけがっちり鍛えられれば、自分に自信が持てるはずです。そういう厳しさは外部に対しては信用にもつながります。名だたる企業からインターンシップの申し出があるそうです。J大学の名声の恩恵だけをこうむろうといったって、そうは問屋が卸しません。今の苦しみは、明日への投資です。
Yさんは、J大学看板学部看板学科を第一志望にしているLさんに話をしてくれました。私は受験講座に行かなければなりませんでしたから2人の話は聞けませんでしたが、Lさんに希望を与えてくれたと信じています。
7月23日(水)
各クラスともスピーチコンテストの代表が決まり、応援をどうするかに注目が移っています。中級の私のクラスも、授業時間を割いて応援の話し合いをしました。
昨日の時点で、PさんとGさんがリーダー役を買って出てくれました。その精神は見上げたものですが、他の学生がなっちゃいません。PさんとGさんに任せっきりで、応援のアイデアすら出そうとしません。そういう学生に限って、何かの仕事を割り振ると、いやだとかやりたくないとかいって逃げようとします。今日は話し合いのときに漢字かなんかの勉強を始めようとした学生が出てきたので、全員を立たせました。
こういう学生は、力を合わせるとか団体行動とかいうことに関して、どう考えているのでしょう。国でそういう経験を積んでこなかったのかもしれません。あるいは自分の要求が何でも通る家庭環境に育ったのかもしれません。どういう氏素性育ちでもかまいませんが、自分がわがままに振舞うせいで、他人のやる気の芽を摘んでしまうことだけはやめてもらいたいです。
PさんとGさんはクラスのために一肌脱ごうとしてくれています。これは純粋な善意です。その善意を感じ取るセンサーを持ち合わせていない学生がいることがとても悲しいです。見聞を広げるために留学しているのに、外部からの影響を自ら遮断しようとしている姿勢がたまらなく歯がゆいです。
今年のスピーチコンテストのコンセプトは「新しいわたしを求めて」です。PさんとGさんはこのクラスの応援をまとめた暁には、自分自身の新しい一面を見出すことになるでしょう。その新しい一面は必ずやPさんやGさんの人生に豊かな彩をもたらします。しかし、そのPさんやGさんの心意気に気づかない人たちは、変わり映えのしない自分にさえ気がつかずに貴重な青春時代を無駄遣いしていくのでしょう。
7月22日(火)
おとといが四国、昨日が九州北部から東海地方にかけて、そして今日は関東甲信地方が梅雨明けしました。日曜日の5時過ぎの夕立が、今年の梅雨を締めくくる雨となりました。
今、気安く「5時過ぎ」なんて書きましたが、これはあくまで私のマンションの窓から見ての話です。5時ごろベランダから外を眺めていたら、西と南の宙が白っぽくなり、かなり激しい雨が降っていることがわかりました。北方面は薄日が射していました。その雨がどんどんこちらに近づき、午前中買い物に行ったスーパーが白くなり、最寄り駅が雨に包まれ、そして私のマンションに襲い掛かってきました。ですから、東京でも5時前に雨の峠を迎えたところもあれば、6時過ぎになって降り始めたところもあったかもしれません。
雨の区域が動いてくるのが手に取るようにわかるというのは、高層階の特典です。しょっちゅう見られるわけではありませんが、馬の背を分けるような雨を追いかけるのは、私のひそかな趣味です。今年の梅雨の最後を飾る雨で、雨の実況中継が楽しめました。
梅雨の期間中の降水量は東京で400ミリ余りと、平年の1.4倍ほどになりました。そういわれれば、特に6月は、よく降りましたよね。西日本では大雨による災害が発生しましたが、東京はそれほどの雨にもなりませんでした。幾分多めではありましたが、「程よい」という範疇だったと言えましょう。私のようなお天気マニアを楽しませる程度でした。日曜の夕方のように雨が迫ってくるのを面白半分に見ていたり、雨が降り出す時間や雨量を予測したりなんていうことができるのは、平和な証拠です。
さて、今年に夏はどうなるのでしょう。猛暑日連発もかないませんが、あっさりしすぎているのもさびしいです。
7月18日(金)
休憩時間に職員室に戻ると、先学期私のクラスだったPさんがM先生の前でうなだれていました。Pさんはずっと一時帰国していて、学期が始まって1週間以上経った今日、ようやく今学期初めて登校したのです。
先学期の末にPさんが今学期の授業料を払おうとしたとき、出席率があまりよくなかったPさんは私のところに回されてきました。「よくない」といっても、こちらの基準を少し下回る程度だったので、説教した上でPさんの「次の学期は頑張ります」という言葉を信じて、7月期の登録を認めました。
それが期末テストの少し前。Pさんは期末テストの文法が不合格だったので、私はPさんに宿題を与え、Pさんがそれをやって学校へ持ってきたのがJLPTの直前。期日までに宿題をきちんとやって持ってきたので、上のレベルへの進級を認めました。そのときに、JLPTが終わったら一時帰国するとチラッと言っていたので、私はすぐに新学期が始まるからダメだと言いました。授業料を受け取ったときのいきさつもありましたから。しかし、Pさんは始業日に姿を現さず、今日に至ったのです。
そんなわけで、私もPさんに怒りの言葉をぶつけました。しかし、Pさんはうつむくばかりで私の言葉を正面から受け止めようとはしませんでした。明らかに、M先生と私の言葉が頭の上を通り過ぎるのを待っている姿勢でした。そういう態度も非常に腹立たしかったです。授業料を受け取ってしまった以上、学校にはPさんにそれなりのサービスをする責任が生じますが、Pさんに対しては必要最低限以上のことをしてやろうとは思いません。
Pさんは確信犯で一時帰国をしたのです。突き詰めて言ってしまえば、私はPさんにだまされたのです。Pさんの「頑張ります」という決意を信じた私が甘かったということです。この点を大いに反省し、Pさんの言葉は二度と信じないことにします。次の学期は、基準を0.1%でも下回っていたら、絶対に登録を認めません。
Pさんはここまで私を怒らせたことに気づいているでしょうか。おそらく気づいていないでしょう。信頼を裏切るとはどういうことなのか知らしめることも、若者への教育の一環だと思っています。
7月17日(木)
先日ここに取り上げた東大を目指すHさんにEJUの物理の過去問をやらせたところ、どうしてもわからない問題が2問あると、その問題を聞きにやってきました。
そのうち1問はある条件下での定性的な傾向を問う問題で、これは時間をかけずに確実に物にしてもらわなきゃ困る問題です。この問題を解くのに必要な基礎知識を国では教えてもらっていないと言います。もしそうだとしたら、Hさんの国は科学技術の根幹を若い人に伝えていないことになり、今後の科学技術の発展は望めません。Hさんが覚えていないだけなんじゃないかな。
もう1問はある公式を使えばたちどころに解けるので、その公式を導き出すヒントをHさんに与えました。しかしHさんは考え込んでしまい、根負けした私は公式を教えてしまいました。問題が解けたHさんはにっこり笑っていましたが、私は笑ってる場合じゃないんだけどなあと思わずにはいられませんでした。公式が導き出せなかったということは、数学力または物理学的思考力の不足を意味します。東大合格に暗雲が漂い始めました。
Hさんは公式や基礎知識は暗記すればいいと言います。短時間に多くの問題を解く訓練は国でたっぷりやってきているので、EJUのような試験方式は最も得意とするところだとも言います。Hさんなら教科書1冊を丸ごと暗記してしまうことも不可能ではないでしょう。でも、基礎的な性質から公式を導き出せなかったという点がどうしても引っかかります。知識をため込むことはできても、それを組み合わせて何かを創造するという力が乏しいのではないかと心配なのです。
東大の場合、EJUの物理で2問間違えたら致命的です。他の科目がよほどできていない限り、合格の目はないでしょう。間違って入っちゃったとしても、入ってからが苦しいでしょう。これから、Hさんの実力を正確に見極め、場合によっては方向転換をさせなければなりません。重い仕事を背負い込むことになるかもしれません。
7月16日(水)
スピーチコンテストのクラス内予選をしました。スピーチの原稿は先週書きました。クラスの教師が誤字脱字、文法や語彙選択の間違いに手を入れて学生に返します。学生は、直された原稿に目を通すころにはスピーチとは何ぞやというものがつかめてきて、話を膨らませたり、発表のし方を考えたりできるようになります。
20人もの学生が次々と発表するのですから、話の内容もさることながら、訴え方に工夫が足りないと、クラス代表の座は勝ち取れません。私のクラスの担当教師たちは、少数派の国であるG国から来たLさんに期待を寄せていました。しかし、人前で発表することが苦手なようで、原稿を読み上げるのが精一杯。いいことを言っているんだけど、それが学生に伝わりませんでした。
これに対しCさんは発音がきれいだということもありますが、聞き手の学生を引き付ける話し方ができました。そして、学生による採点では最高点を獲得しました。中級ともなると、教師の感覚と学生の感じ方にはそんなに差がなくなってきます。学生も耳が肥えてくるのです。
代表が決まったら、誤字脱字のようなちまちましたレベルではなく、制限時間をフルに使って訴えられるように、原稿の構成にまで踏み込んで指導していきます。そして、発音も含めた話し方の練習をしていきます。指導や練習に食らいついて来る学生は、力が大きく伸びるんですね。中級あたりだと、その力の伸びが自信にもつながります。
今学期は2クラスの担任をしていますから、8月5日の本番まで、受験講座の合間を縫ってクラス代表の面倒を見ていく日が続きそうです。
7月15日(火)
今学期の選択授業が始まりました。火曜日は作文関係です。私のクラスは受験に関係ない中級の学生たちなので、EJUとか小論文とかから離れて、文を書くことを楽しむことを第一に考えています。今日のお題は「夏」でした。
書いてもらう前に、各人の夏の思い出や今年の夏の計画などについて少々話してもらいました。ウォームアップをした後、本番に。ウォームアップの段階ではかなり話が盛り上がっていましたから、どんな作文が出てくるだろうかと期待していたところ、「夏が嫌いだ」というのが半分ぐらいありました。どうやら、学生たちは暑いのが苦手なようです。
確かに、毎年夏になる、暑いからと言ってとエアコンをかけすぎて体を壊す学生が後を絶ちません。でも、子供は風の子なら、若者は太陽の子ではないでしょうか。暑さに負けず、海へ山へと出かけ、夏の強い日差しを浴びながら自分を鍛えたり友情を深めたりするのが、若者の特権だと思っていました。学生たちの作文を読んでみると、最近は若干違うようです。暑くてしんどいから夏は嫌いだという論調が目立ちました。
私の頭が古いせいかもしれませんが、これでいいのだろうかと思ってしまいました。線の細い、いざというときに腰砕けを起こしてしまいそうな大人ばかりが生まれてくるような気がしてなりません。暑くても目的地に向かって歩き続けてこそ、土壇場でがんばりの利く心身が養われるのです。
そうはいっても、夏には楽しい思い出がたくさんあるようです。また、蒸し暑くて大変だと聞かされてきたけれども、日本で過ごす初めての夏に期待を寄せている学生も少なからずいました。いずれにしてもこの夏は日本語に浸って、今までの人生にもこれからの人生にもない夏を経験してもらいたいです。
7月14日(月)
ワールドカップはドイツの優勝で幕を閉じました。優勝候補にも挙げられていたチームでしたから、順当な結果でしょう。最優秀選手のメッシも異論のないところです。
一方で意外な結果の筆頭は、ブラジルの最後の2試合での10失点以外にはないでしょう。ネイマールが怪我のために出られなくなったとたん、これだったら日本でも勝てたんじゃないかというくらいのチームになってしまいました。決勝戦に合わせて暴動が起こるなどという不穏な噂も飛び交いましたが、現実のものとならず幸いでした。
確かにネイマールはブラジルチームの中で光る存在でした。しかし、ブラジルが、彼がいないだけでチームがここまで崩れてしまうようなネイマールだけチームだったことに、サッカー解説者はもとより、ブラジルチームの各メンバー自身も気づいていなかったように思えます。
どこのチームにも頼りになる存在はいます。いや、そういう選手がいないとチームがまとまりません。大黒柱は選手の精神的支柱になります。でも、大黒柱が折れたらつぶれてしまうようなチームは、大黒柱のワンマンチームに過ぎないのです。そういうチームは、自分がチームを動かしているという意識が、チームの他のメンバーに欠けているのだと思います。古い話で恐縮ですが、ネイマールのブラジルは、江川の作新学院と同じだったのではないでしょうか。江川という投打の柱が封じられたとき、作新学院はなすすべもなく敗れ去りました。
チームを束ねる大黒柱がいて、でも、その大黒柱に頼りっきりになっていないチームというのが理想ですが、ドイツって案外そういうチームだったんじゃないでしょうか。ベテランのクローゼが精神的支柱で、でもクローゼに頼り切ることはなく、各選手が力を発揮して優勝をつかみ取ったように見えます。現に、決勝点を挙げたのはクローゼに代わって入ったゲッツェでした。
決勝戦が終わった瞬間から、4年後に向けての戦いが始まります。日本チームもそういう理想的なチームで次の大会に出場してもらいたいと思っています。
7月11日(金)
新学期3日目、8月5日のスピーチコンテストの原稿を書いたクラスが多かったようです。中級入り口の私のクラスは、どんなことを書くか考えてくるというのが宿題になっていました。もう中級なのだから「ディズニーランドへいきました。楽しかったです」とか「母はすごい人です。尊敬しています」とかという、単なる感想やあまりにも個人的過ぎる話ではなく、社会性を持った話題について書くことになっていました。
数人ずつのグループになって自分の考えてきたテーマについて話させようとしたら、何も考えてこなかったという学生が数人。それでも、考えてきた学生の話を聞いているうちに何か手がかりをつかむだろうと思って、ディスカッションをさせました。初めて入るクラスなので学生の特徴がわからず、機械的にグループ分けしたところ、不幸なことに1つのグループに何も考えてこなかった学生ばかりが集まってしまいました。Cさんは、うちにテレビがないからニュースも見ないので社会のことがわからないと言います。すると、Mさんは、インターネットでもニュースは見られるから、それは理由にならないと切り捨てます。厳しいことを言うなあと感心させられました。
本来は各グループを均等に見て回らなければなりませんが、そのグループをほうっておくことはできません。私が言わんとした社会性とは、聴衆の心をとらえ動かすメッセージです。スピーチから普遍的な真理が感じられれば、聞き手は感心し、そういうスピーチが聞けてよかったと思うことでしょう。初級なら日本語で何かを表現できたというだけで満足してもかまいません。しかし中級はそれだけでは困ります。何がしかのメッセージを伝え、聞き手を共鳴させてほしいのです。だから個人的な話題では不足なのです。
つきっきりであれこれヒントを与え続けたことが効いたのか、Cさんも含めてみんな数百字の原稿を提出しました。これからそれを読んで目の出そうなスピーチの元を探します。磨けば光る原石に出会えるといいのですが…。
7月8日(火)
明日が始業日ですが、今日になっても入学予定の学生がポツリポツリと来ます。Hさんもそんな1人で、レベルテストの結果、中級以上と判定されたので、私が面接することになりました。
Hさんは国で大学に入ったものの、そこでは自分の本当にしたい勉強ができないので、日本で大学に入りなおそうと考えて来日しました。Hさんが目指す大学は、ズバリ東大。
自分は高校のときクラスで1番だったから、頭のよさには自信があるといいます。EJUは受けたことはないけれども、短い期間で多くの問題を解くテストは得意だと胸をたたきます。確かにそうでしょう。話した感じ、頭の回転はよさそうだし、語彙もわりと豊富です。でも、それだけじゃ東大に入れないんだよね。Hさんが入りたがっている東大の理系だと、数学も物理も化学も、EJUでほぼ全問正解を要求されます。これは並大抵のことではありません。
それから、Hさんの話し方です。こちらが丁寧体で問いかけても、返ってくる答えは普通体。本人は会話の勉強もしたと言っていますが、くだけた話し方が染み付いてしまっています。東大の面接の時期までに鍛え直す必要があります。一抹の不安を感じずにはいられませんでした。
何より問題なのは、点数さえ稼げば入れると思っていることです。Hさんが東大を狙うのは、突き詰めて言えば、日本で一番レベルが高い大学だからです。志望理由がそういうことでは、たとえTOEFLもEJUも満点だったとしても、合格できないでしょうね。東大で勉強してその後どうするのっていうビジョンも感じられません。
まあ、良くも悪くも鍛え甲斐のある学生が入学してくれました。まずは、Hさんのいう頭の良さが本物かどうか、お手並み拝見ってところでしょうか。
皆さん、本日はご入学おめでとうございます。世界中からこのように多くの学生がこのKCPに集まってきてくださったことを、とてもうれしく思います。
毎年この7月の学期は、アメリカの大学から多くの学生が短期プログラムでこのKCPにやってきます。もちろん、日本での進学を目指して再来年の3月まで勉強しようと考えている学生も大勢入学します。7月期はKCPが1年で最も国際色豊かに華やぐ学期です。
世界のいろいろなところから来たいろいろな目的を持った学生が一堂に会して勉強するということは、自分とは異質な人たちと数多く接するということでもあります。こういう機会は今までの皆さんの人生でもそうはなかったでしょうし、これからも望んでも簡単に得られるものではありません。皆さんの国にも自分とは考え方や感じ方が違う人もいるでしょう。しかし、世界は皆さんの国よりも桁違いに広く、信じられないくらいのバラエティーがあるところです。そういうところで生まれ育った人たちとともにお互いを刺激しあい高めていくことが、KCPでの留学の最大の意義だと私は思います。最初はそういう多様性が不快に感じられることもあるでしょう。でも、その不快感を乗り越えた先に、皆さんのフロンティアが広がっているのです。
日本には「井の中の蛙大海を知らず」という言葉があります。狭い世界しか知らないと、とかく何でも自分が一番だと思いがちです。自分に自信を持つことは大切ですが、過信はいけません。広い世界を知り、良い意味で自分の鼻を折ってもらうことが、皆さんのような若い人たちには必要です。そして、折られた鼻を自分の手で修復し、夜郎自大ではない真の意味での自信を勝ち得たときに、皆さんは国際性を身につけ、地球市民となるのです。国際性は相互理解に基づきます。相互理解はお互いを認め合うところから始まります。
KCPは日本語を教える学校ですが、皆さんがKCPでの生活を通して学ぶことは日本語だけではありません。日本語しか学べなかったとしたら、それはとても悲しいことです。留学の意義の半分以上を捨て去ったも同然です。これから数十年にわたって活躍するであろう皆さんの人生の骨格を形作る経験をしてもらいたいのです。私たち教職員は、皆さんが密度の濃い留学生活が送れるよう最大限の援助をします。舞台装置は整っています。あとは、皆さん自身の心がけ次第です。
本日は、ご入学本当におめでとうございました。
7月4日(金)
新入生のオリエンテーションがありました。昨日のレベルテストの結果を伝えると、何名かの学生がもっと上のレベルに入りたいと言ってきました。私はGさんのクレームに対応しました。
Gさんは一番下のレベルに判定されました。テストの結果を見る限り、妥当な線です。Gさんは高校卒業後数年間エンジニアとして船に乗っていました。大学に進学して船舶工学を専門的に学ぼうと思って来日しました。日本へ来る直前に3か月ほど日本語を勉強しましたが、今回のテストでは一番下のレベルとなってしまいました。
話してみると、一番下という感じではありませんでした。私が今担当している、アメリカの大学から来た日本語が本当にゼロの人たちと机を並べて勉強するのは気の毒なような気がしました。そこで、1つ上のレベルに入れるかどうかを見るために、テストを受けてもらいました。
採点してみると、ダメでした。話すときには使えていた文法も、書かせてみると間違ってしまうのです。難しい問題が解ける代わりに、こんなの誰も間違えっこないよという問題に引っかかってしまいます。国で日本語を勉強したといっていましたが、系統立てて勉強したのではないように思えました。
積み上げ方の勉強でなくても、会話でのコミュニケーションは取れてしまうものです。サバイバルならそれで十分ですし、Gさんも生活するだけなら今のままでも何とかなるでしょう。しかし、Gさんの目標が大学進学にある以上、日本語で論理的に考え、その結論を表現することができなければなりません。そのためには、最初は退屈でも、日本語の基礎部分の穴をきちんと埋めておく必要があります。
この結果を来週月曜日の入学式のときに伝えなければなりません。素直に受け入れてくれるといいんですが…。
7月3日(木)
新入生のレベルテストがありました。初めて学校へ来る人たちばかりですから、近くの交差点に案内に立ちました。「KCP」と大書したカードを持って立っていると、横目でチラッとカードを見て学校のほうへと向かっていく人が何人かいました。ほとんどの人がスマホの地図を見ながら来ていましたから、私が立っていなくても学校には着いたでしょう。でも、「KCP」というカードを持った生身の人間が手で行き先を示せば、最後の確認ができて安心できるんじゃないでしょうか。
いかにも学生っていう人たちが通り過ぎていく中、自転車に乗ったオジサンが、「KCPさん、また戻って来たのかい」なんて声をかけてきました。近所にお住まいの方でしょうが、私は初めて見る顔です。「はい。4月から元の場所で授業をしてるんですよ」「工事してるからまだどっか行ってんのかって思ってたよ」「はあ、ちょっと手直しの工事をしておりまして…」「そうすると、この辺のガイジンさん、みんなKCPさんの学生さんだね」「いやあ、全員がっていうわけじゃありませんが、またお世話になります」なんていう会話を交わしました。
町の人からは、この町を歩いている日本人っぽくない人たちはみんなKCPの学生だって思われているようです。もちろんそこまでじゃありません。現に、今しがた私の目の前を通り過ぎていった人たちの中にも、明らかにKCPの学生は使わない国の言葉をしゃべっている人もいました。また、先日発表された平成26年1月1日現在の住民基本台帳人口によると、新宿区には34,121人もの日本国籍以外の方々が住んでいます。これは新宿区の全人口(324,082)の1割以上に当たります。ですから、外国人を見たらKCPの学生と思えっていう図式は正しくありません。でも、外国人⇒KCPと思われることは名誉なことだと思います。
今朝ほどのオジサンも、友好的な口調で話しかけてくれました。温かい目で見てもらえることは、とてもありがたいです。それに応えるべく、外国人との付き合い方はKCPに聞けといわれるくらいに、また国籍の壁をやすやすと乗り越えて国家間レベルとは違った形のつながりができるように、地元との共生を図っていきたいです。
7月2日(水)
アメリカの大学の短期プログラムで来日した学生の授業が先週から始まっています。例年のごとく、日本語ほとんどゼロの学生たちを担当しています。先週ひらがなとカタカナを練習したのですがまだ完全ではなく、日本語でコミュニケーションなんてはるか遠い夢の世界です。
そんな学生たちですが、今日は書道に挑戦しました。ひらがなもあやしいのですが、全員漢字を書きたいといいます。どんな漢字があるかもわからないでしょうから、こちらからいくつか例示したり学生が書きたいという言葉を漢字に直したりして、どの字にするか決めてもらいました。
古新聞に練習しているころは気楽だったようですが、清書の半紙を渡すとかなり緊張したようです。呼吸を整えて筆を構えるあたり、教えなくても書道の極意は伝わるようです。書道の道具や墨汁の香りには、それを前にする人の気を引き締めさせる何物かがあるのでしょうか。また、筆順をきちんと教えて書かせると、字の形も整ってきます。ひらがなディクテーションも満足にできない学生の手とは思えない作品ができあがりました。
初めて漢字を教わったからでしょうか、全員が漢字に興味津々でした。みんな私が板書した漢字を丁寧に写し取り、Cさんなんかノートに何回も書いて覚えようとしていました。しかし、毎日漢字を勉強するようになると、多くの学生にとって漢字は苦痛にしかならなくなるんですよね。どうすれば初めて触れたときの興味津々をいつまでも持たせ続けられるのか、いつも考えさせられます。そして、いつもその答えが得られず、興味を失った学生の興味を復活させることに腐心しています。
このクラスの学生は短期コースでレベル1に入ることになっていますから、漢字を本格的に学ぶ前にコースが終わってしまいます。漢字が憧れのままKCPを離れるのは、幸せなのかな。
7月1日(火)
先週末、電車のドアのところに出てくるニュースを見ていたら、株安の記事で「…円高進行を嫌気」という文を見つけました。私の常識では「(名詞)に嫌気(がさす)」であり、「(名詞)を嫌気」などという文を学校で見つけたら、容赦なく赤を入れます。「を嫌気」の部分が正しいとすると、「を」は目的格の助詞ですから動詞が必要です。しかし、「嫌気」は「する」をつけても動詞にはなりません。何か別の動詞を想定しなければなりませんが、思いつきません。「円高進行を嫌って」だったら全く問題ありませんが、画面は明らかに「嫌気」でした。でも電車という公器において、しかも名の通った報道機関が発信しているニュースです。頭ごなしに助詞が違うとか誤文だとか決め付けるのは危険なような気がしました。
帰宅して、まず種々の辞書で調べてみると、どの辞書も「~を嫌気」という用法は載せていませんでした。「嫌気が差す」の対象を表す名詞は「に」で受けることになっています。私の常識は辞書の上では正しかったです。しかし、国立国語研究所と文科省が収集した書き言葉サンプルが検索できる「少納言」にあたると、「~を嫌気」が25件引っかかってきました。そのうち5件は「嫌気(けんき)呼吸」という生物学のお話でしたが残りの20件は株関係の文章中の用法でした。しかも、「嫌気する」という動詞で使っているのが16件ありました。
googleで検索すると、ある証券会社のサイトに解説が出ていました。嫌気とは株や相場の先行きに悲観的になることで、投資家に嫌気される(悲観的に思われる)と株が売られるのだそうです。反対語は「好感」だということもわかりました。株の世界では初心者でも知っている用語のようです。
「嫌気する」は株取引における業界用語です。この方面では普通に使われている言葉ですが、広辞苑にすら収録されていません。同じようにある業界ではごく一般的な用法なのに辞書には全く載っていない言葉を1つ知っています。「安定な」です。「安定な物質」「安定な状態」など、科学(特に化学)の論文や議論では英語のstableに対応する語として頻繁に見聞きします。「不安定な」は一般に使われていますが、その反対は「安定した/している」とか「安定的な」なのです。日本語教師の勉強を初めてこれを知ったとき、私は天地がひっくり返るほど驚きました。
日本語って奥が深いものだと思わされました。
6月27日(金)
今朝、韓国も負けて、ワールドカップのアジア勢は1勝もできずに終わりました。全チーム各グループの最下位となり、次の大会から代表枠が減らされるのではという観測も出ています。でも、FIFAのランキングを見ると、各チームともそれぞれの予選グループで一番下ですから、総当たり戦で最下位になったのは番付どおりの結果だったとも言えます。ランキング1位のスペインが予選落ちというのは番狂わせでしたが、逆の意味での番狂わせはあんまり起こらなかったようです。
先学期の期末テストでも大きな番狂わせは起きず、だめだろうなと思った学生が不合格になりました。Lさんはそんな1人で、午前中「私、だめでしたよね」と確認の電話をかけてきました。その声が妙に明るかったのが気がかりですが、次の学期は本気で勉強しないと、行きたいと言っている専門学校の入学試験に落ちかねません。どこがわからなかったが、何が足りなかったかをしっかり見つめて、新学期に備えてもらいたいです。
Pさんもあやしいと思っていた1人で、期待に違わず(?)文法を落としてくれました。PさんはLさんよりはできますが、正確さに欠けています。平常テストのときからずっと注意し続けてきたのですが、本人には響いていなかったみたいです。勢いでコミュニケーションが取れてしまうので、Pさん自身はできるつもりだったのでしょう。電話をかけたら、ちょっと落胆したようでした。他の科目は合格しているので、宿題をやってきたら進級させることにしました。
LさんもPさんも、そしてアジアの各チームも、次回は順当に勝ちあがってほしいですね。
6月26日(木)
新校舎に移って1学期を過ごし、いろいろな不具合が見つかり、現在それを修理しています。それ以外にも、3か月もたてば汚れが目立ってきます。職員室の机といすは白を基調としたものなので、よけいに黒ずみが気になります。夕方、みんなでいすの脚の汚れ落としをしました。
雑巾をぬらしてハンドソープをつけて拭くと汚れがよく落ちるとのことで、その手でキュッキュと磨きました。意外と落ちるなと思いましたが、脚の樹脂の目地に入り込んだ汚れたこすり付けたような黒さは落ちません。でも、60%か70%は白さが復活したように思います。
それと同時に、各職員のいすの汚れ具合にかなりの差があることもわかりました。一番汚いとされたのがSさんのいすでした。出張でいないのをいいことに、みんなから足癖が悪いとか机の上に缶コーヒーを置くのが行けないとか、散々に言われてしまいました。出張先でくしゃみの連発だったのではないでしょうか。
施設の保守管理維持整備は、地味な仕事ですが怠るととたんに老朽化が進行します。老朽化って言うと大げさかもしれませんが、小じわが増えていくようなイメージです。工場に勤めていたころはTPMの時間というのがわりと頻繁にあり、定期的かつ計画的に生産設備を外見も中身も良好な状態に保っていました。設備の老朽化は安全操業に直接響きますから、それは真剣なものでした。
7月の新学期までには修理も終わり、新たに校門も完成します。今は工事中のため、学生たちには地下の自転車置き場から出入りしてもらってますが、9日の始業日には高尚かつアカデミックなムードが漂う校門をくぐって校舎に入ってもらうことになります。お楽しみに。