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KCP校長ブログ

  KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。

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図書室にて

4月29日(火)
 全国的には昭和の日でお休みですが、KCPは通常通り授業がありました。昭和に反対しているからではなく、校舎移転関連で始業日がいつもより遅かったからです。
 この原稿は、図書室で打っています。図書室担当の方はカレンダー通りお休みのため、私が代わりに受付に座っているのです。現在、6割ぐらいの座席が埋まっています。4人用のテーブルを2~3人で使っている勘定になり、ざっと見渡して結構込んでいるなっていう感じがします。私がこの図書室に新たに入ってきたら、どこに席を取ろうかちょっと迷うくらいの入りです。昼休みで、午前クラスの学生も午後クラスの学生も使える時間だからかもしれません。
 しかし、テーブルが広いので、勉強している学生はさほど窮屈そうな顔をしていません。教科書やノートは存分に広げているし、居眠りをこいている不届き者もいません。話し声はまったく聞こえず、教科書やノートのページを繰る音や、えんぴつでノートにものを書く音が時折響くだけです。
 ここまで静かになると、学生たちはいすを動かすにも気を使っています。いすを持ち上げ、脚を浮かせて動かしています。教室では他人の迷惑を顧みず大きな音を立ててばかりいるのに、やればできるじゃないですか。いや、そういうがさつな学生は図書室を利用しないのかな。何はともあれ、みんな図書室の利用規則を守り、勉強に集中しています。私自身、昼休みの時間にこんなにしげしげと図書室を眺めたのは初めてなので、その利用状況に良い意味で驚いています。
 器ばかりが立派で、肝心の学生の質が伴わないんじゃしょうがないと思っていましたが、決してそんなことはないようです。逆に言うと、仮校舎の時はこれだけの学生の需要に応えていなかったのです。学校は勉強するところという意識が、しっかり根付いているように感じられました。

  • 2014年04月29日(火)13時34分

大丈夫だよね

4月28日(月)
 中級の学生ともなると、日本にいる期間がだいぶ長くなり、耳から覚えた日本語を使おうとします。それは一向に構わないし、そういうことを通して日本語力は伸びていくものです。しかし、使い方を間違えると、日本語が下手だと思われる以前に相手に対して失礼な口の利き方をしてしまうことになりかねません。
 今日は終助詞の「よ」と「ね」を取り上げました。私たち日本語教師ですら、ときに学生の使う終助詞にムカッと来ることがあります。悪気がないことはわかっていますからそのまま聞き流してあげますが、一般の日本人はそうもいかないかもしれません。私たちとの間と同様に確かな人間関係ができてしまえば、これはこの人の話し方の特徴だからと思ってもらえるでしょう。しかし、それではいつまで経っても「外国人」というレッテルがはがれません。
 学生たちは、教科書のモデル会話や例題はそつなくこなしました。つまり、誰かが使っている「よ」とか「ね」の意味は理解できるのです。しかし、私が悪い例を出すと、教室がシーンとなってしまいました。みんな、思い当たるところがあるのでしょう。「これを聞いた日本人はどう思いますか」「かなり失礼なやつだと思うでしょうね。気が短い人ならブチ切れてもおかしくないですよ」「何も言われないんですけど…」「その人はガイジンだからしかたないって思ってるんですよ」。多少脅しも含めてそんなことを言ってやると、さらに静まり返ってしまいました。
 日本人がそれほど狭量だとは思いませんが、終助詞のように話し手の微妙な気持ちが表れる言葉を誤用すると、何か引っかかるものを感じることは確かです。それが学生たちと日本人との間の壁になってしまったら、そこに交流は生まれません。学生が日本の社会に溶け込み、何かを成し遂げる上での障害は、芽のうちに摘み取っておかなければなりません。
 私に必死になって質問してきたOさん、あなたの日本語はもしかすると悪の芽をはらんでいるのかもしれませんよ。

  • 2014年04月28日(月)16時32分

元素名テスト

4月25日(金)
 受験講座の化学の時間に、元素の日本語名のテストをしました。「C」に対して「炭素」と答えるパターンです。今学期から化学を受け始めた学生には、先週、周期表とこれだけは日本語で元素名が言えるようにというリストを渡しています。そこで、先学期も受講していた学生も含めて、どれだけ覚えているかを確かめてみたのです。
 満点が3人いたのに対し、Kさんは24点でした。Kさんと同じレベルのWさんが、3名の満点のうちの1名ですから、私の日本語が難しすぎたわけではありません。KさんがWさんに比べて著しく能力が劣るとも思えません。とすると、単にテストがあることがすっぽりと抜けてしまっていたというのが真実に一番近いかもしれません。
 ただ、どうも気になるのが、Kさんは難しいことをやりたがる点です。理数系科目さえできれば理科系大学への進学はたやすいと思っている節があります。また、Kさんの話す日本語は、残念ながら初級の域を出ていません。授業中も教科書の問題ばかりやっていますが、問題文の意味をきちんと読み取ってちゃんと答えにたどり着いているか不安です。教科書の問題には答えがついていませんから、自分が導き出した答えが正解かどうかは私のところに来なければわかりません。Bさんなんかはよく聞きに来るんですが、Kさんは一度も。
 4月にR大学に進学したSさんもKさんに似たようなところがありました。日本語の勉強をほったらかしにして理科や数学の勉強ばかりしていました。それも解き散らかすという感じで、きちんと系統的にやっているようには見えませんでした。本当は国立大学に入りたかったのですが、国立大学入試で要求される正確さまで身に付けることはできず、ついに手が届きませんでした。
 国立上位校で求められる確実性を身に付けるには、あえて自分が不得意な分野にも取り組んで、全方面の力を底上げしなければなりません。日本語の元素名なんか覚える必要がないなんて思っているようじゃ、「ある程度」の実力までで頭打ちになるでしょう。基礎知識や最後の詰めをといった、勉強する側にとってはあまり面白くない部分まで手を回して始めて、大きな仕事が成し遂げられるのです。
 来週24点のテストを受け取ったKさんは、何を思うでしょうか。それが、これからの1年の、もしかするとKさんの一生の運命を分けるでしょう。

  • 2014年04月25日(金)21時49分

信仰者

4月24日(木)
 最近、このブログで「新校舎」という言葉を多用していますが、原稿を打つときは要注意の単語です。実は、毎日ストレスを感じながら「新校舎」と打ち出しているのです。
 新校舎移転とともにパソコンも新しくなり、もう3週間ほど使っているのですが、なかなか単語を覚えてくれません。「しんこうしゃ+変換」で最初に出てくるのは「信仰者」なのです。「しんこうしゃ」と聞いたら、学校関係者じゃなくても「新校舎」のほうを最初に思い浮かべるんじゃないでしょうか。「信仰者」なんて、キリスト教関係者ぐらいしか使わないと思うんですが、どうでしょう。仏教=お寺だったら「檀家」でしょうから。いや、キリスト教でも「信徒」ですよ、きっと。いずれにしても「信仰者」なんていうあんまり使うチャンスのない言葉がしょっぱなに出てきちゃうパソコンは、困り者です。
新しいパソコンは、まだ私が作成する文章の癖を読みきっていません。理工学系の単語を呼び出すのに、何回も変換キーをたたかなければなりません。和語などをひらがなで書くか漢字で書くかの境目も、私のとはちょっと違っています。重箱の隅をつつくようなことですが、「見た事がない」なんて画面に現れると、イラッとします。
 「信仰者」以上に困っているのが、前のパソコンに登録した単語がぜんぜん引き継がれなかったことです。漢字の中国語読み、韓国語読みを地道に気長に登録してきましたが、またふりだしです。「ちぇ+変換」で「崔」が出てきたりしていたのです。これまた「ちょん+変換」で「著ん」を出してはイラつきながら、また登録し直しています。
 ワープロの辞書は、各人の財産です。「信仰者」などがわがもの顔で画面を闊歩しているようじゃ、まだまだ鍛え方が足りません。「新校舎」がようやく普通に出てくるようになったころには新校舎が新校舎でなくなっていた――そんなことになってしまわないように、がんばります。

  • 2014年04月24日(木)19時38分

誰にも会わない道

4月23日(水)
 今日から日の出が4時台になりました。1か月前は日の出を拝みながら学校に着く感じでしたが、今は学校に着いたらもうすっかり朝になっています。仮校舎は、目の前の外苑西通りに出ると、思ったより空が広く見えたものですが、新校舎は筋向いのビルが迫っていて、前の道に出ても空が狭いです。朝日が差し込んでまぶし過ぎるということはないのですが、その分朝を感じにくくなりました。以前の土地に戻ってきただけなのですから別に騒ぐほどのこともないはずなのですが、1年半にわたって広い空を仰ぎ続けると、少し寂しいものがあります。
 そんなことがあったからではないのですが、昼食のついでに銀行に寄ってお金を下ろした帰り道に、先月まで使っていた仮校舎・本館と別館まで足を伸ばしました。本館も別館も、内装工事をしていました。本館の1階は窓を内側から隅々まで磨いていました。化学雑巾と思しき布で、ちょうどタイムレコーダーが置いてあって1年半の間何もしなかったあたりをふいていました。気のせいか、作業員が眉を寄せたようにも見えました。あの部屋で煙草を吸ったり料理をしたりしたわけではありませんが、きっと汚れていたんでしょうね。
 本館と別館を結ぶ道を歩いたら、2時ごろなら何人もの学生から「こんにちは」と声をかけられましたが、今日は交差点を横切る車に道を譲りはしましたが、歩いている人にはついぞ出会いませんでした。学生たちがご迷惑をおかけしたマンションやビルやガソリンスタンドなどが、妙に暖かな日差しに手持ち無沙汰そうでした。
 新校舎は、今日も卒業生が何名か来ていて、受け持ちだった先生がちょっぴり自慢げに案内なさっていました。すっかり自分の城っていう顔になっていました。

  • 2014年04月23日(水)21時13分

特別な宿題

4月22日(火)
 文系数学のT先生が入院なさってしまったため、私がピンチヒッターに立つことになりました。文系大学への進学の場合、数学が不要な場合が結構あり、必要でもさほど高い点数を求められないことも多いです。数学を受けたという事実だけがほしいのではないかという大学もあります。そういう大学を志望校としているのなら、苦手の数学の点数を上げることに血眼になるよりも、日本語で立派な成績を収めることに力を注いだほうがいい――ということを、まず学生たちに言いました。途中でついていけなくなって脱落すると、敗北感を抱いて必要以上に自信を失いかねないので、そんなことになるなら最初から受けないほうがいいと考えるからです。
 実際に因数分解の練習問題をやらせてみると、すらすらと解いていく学生がいる一方で、一歩も進めず固まってしまっている学生も見受けられました。勘のいい学生には数学で点を稼ぐことを考えさせ、数学的センスのない学生には早々に引導を渡すことが、結果的に本人のためになります。授業はある程度できない学生に合わせ、できる学生には特別な宿題を渡して、どんどん進んでもらうことにしました。
 私は理系人間なので、文系であっても1人でも多くの学生に数学を勉強してもらいたいです。数学よりも日本語を優先したほうがいいなんて書きましたが、本当は数学は、社会科学、人文科学においても、およそ学問というものの基礎をなすものだと信じています。その基礎をおろそかにしては、得るところの薄い学問になってしまいかねません。留学の意義を高めるにも、ぜひ数学に力を入れていただきたいものです。
 特別な宿題をもらっていった学生は5名。理系の学生と共通の問題もありますから、少々ハードです。どこまで食いついていけるでしょうか。

  • 2014年04月22日(火)19時23分

漱石に再挑戦

4月21日(月)
 昨日から朝日新聞に夏目漱石の「こころ」が連載され始めました。初めて連載されてからちょうど100年になるのだそうです。
 「こころ」は20年ほど昔、病気で入院したときにベッドの上で読みました。それまで漱石は国語の教科書に出ている部分しか読んだことがなく、また、熱に浮かされるような病気ではなかったので、暇に任せて読んでやろうと思ったのです。
 しかし、全く面白いとは思いませんでした。多くの人々の感動を呼んだ作品だと言われていますが、なぜそのような評判が立つのか不思議でなりませんでした。「それから」「門」「三四郎」など、漱石の代表作を次々と手に取りましたが、私の目にはこれらが文学史を彩る名作だとは思えませんでした。
 司馬遼太郎の小説ならどれも時の経つのを忘れるほど集中できたのですが、漱石の小説はどれもこれも退屈でした。漱石だけではありません。志賀直哉にも挑戦しましたが、あっさり沈没しました。私の頭には普通の人とは違った感情線が走っているのではないかと思い、それ以来、こういった作家の作品は手にとっていません。また、本を読むのは好きだけど国語の点数がさっぱり上がらなかったのは、問題を作る人と読むポイントが違っていたからだったからだと、はっきり認識しました。
 だから、私は自分が読んで面白いと思った本でも、強く人に勧めることはしません。聞かれたら最近読んで面白かった本や好きな作家の名前を挙げますが、普通は何も言いません。逆に、新聞などの書評だけで本を買うようなこともしません。その代わり、一度好きになった作家は、その名前だけで新作をどんどん買い込みます。
 そして、今回、朝日新聞に「こころ」が載ったのを機に、再度挑んでみようと思い立ちました。あのころと比べて人生経験も積みましたから、少しは感じるものがあるのではないかと期待もしています。今日でまだ2日目ですが、今のところ読んでいられます。「こころ」に感じるものがあれば、かつて打ちのめされた小説群を通勤のお供にしたいと思っています。

  • 2014年04月21日(月)21時30分

遠距離通学

4月18日(金)
 卒業生のLJさんが新校舎を見にきてくれました。JさんはKCP卒業後G大学に進み、在学中に1年間アメリカ留学も体験し、今月から4年生です。KCP在学中はまだあどけなさが残り、Jちゃんなんて呼ばれていましたが、今日はもうどこから見ても大人でした。同じ年にKCPを卒業して関西の大学に進学したAさんが東京で就職したのはすごいなんていう話題で盛り上がりました。
「4年生ってことは、もう就活始めたの?」
「国で就職するつもりですから、夏になったら帰国するんです」
「えっ、G大学卒業しないで国へ帰っちゃうの?」
「いいえ、ちゃんと卒業しますよ。夏から授業が週に1回になるんです。そうすると東京に住み続けるよりも授業の日だけ国から来るほうが安いんです」
「だって飛行機で往復でしょ、それも毎週。けっこうするんじゃないの?」
「ううん、早く取れば往復で1万円しないんです。そうすると1か月で4万円以下でしょ。家賃と生活費を考えたら、こっちのほうが安いですよ」
 驚きました。日帰りで外国を往復するという発想は、私にはありませんでした。究極の遠距離通学ですが、Jさんの情報が本当なら、経済的には妥当な話です。成田か羽田において、留学ビザでの入国にどのくらい時間が必要なのかわかりませんが、時間的には大変なような気もします。
 飛行機でも電車でも、私は乗り物に乗るのは好きなほうですが、私がJさんの立場だったら国から通うかなあ。親元がいいっていうのは、Jさんはまだ子供なのかなあ。いろんなことを考えましたが、JさんはKCPにいたころからどんなに苦しく厳しい状況でもニコニコ笑って最後には乗り越えてきましたから、国と日本との往復にも楽しみを見つけていい思い出にしちゃうんじゃないかっていう気がします。マイルを溜め込んで、ファーストクラスでの通学とかってしゃれ込むんじゃないでしょうか。
 これもある種のグローバル化なのだろうなと思いました。東京のアパートの大家さんに入るべきお金が、どこかの航空会社に入っちゃうんですからね。大変な時代になったものです。

  • 2014年04月18日(金)20時26分

韓国の船の事故

4月17日(木)
 昨日、韓国の旅客船が沈没し、9名が亡くなり、多くの乗客が船内に閉じ込められています。悪条件が重なり、捜索や救助ははかどっていません。
 Hさんは、いつになく硬い表情で、ラウンジでこのニュースの続報に見入っていました。「大変なことになったなあ」と声をかけると、かすかにうなずいていました。Hさんの故郷の近くで起きたのでしょうか。つながりのある人が行方不明になっているのでしょうか。
 今学期の新入生・Cさんは、今日は学校を休んでしまいました。ゆうべ一晩中このニュースを見ていたと電話で言っていました。外国での一人暮らしが始まったとたんにこんな大きく重く悲しいニュースが伝わってきて、心配と不安がない交ぜになった気持ちだったのでしょう。
数年前の四川大震災のとき、KCPを卒業してK大学生だったLさんは、故郷への義捐金を集める募金活動を始めました。居ても立ってもいられなかったのでしょう。
時代ははるかにさかのぼり、幕末・文久3年(1863年)、長州藩は5名の若者を幕府には秘密で渡英留学させました。彼らがイギリスに着いてまもなく、長州藩は攘夷活動の一環として関門海峡で外国船を砲撃しました。留学先でこの事件の報に接した彼らの心配な気持ちと相通じるものが、HさんやCさんやLさんの心の中にもあったと思います。
私は留学の経験はありませんが、なじみのある土地で大きな事故や事件が起きると、とても気になります。福島の原発事故は、私がかつて住んでいたところの近くで発生しました。仕事のときにはそんなことはおくびにも出しませんでしたが、新聞に載っていた被災者の消息はずっと追いかけていました。
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と、室生犀星は歌いました。遠く離れればこそ、郷土愛が芽生えてくるものでもあります。「郷土愛」は、多くの留学生が身に付けたいとする「国際感覚」とは対極にあるように映ります。しかし、自分の郷土を愛する気持ちを基礎として、それぞれの人がそれぞれの故郷を愛する気持ちを理解するようにすれば、それこそが真の国際感覚であり、国際理解です。HさんもCさんも、今の不安で心配な気持ちを大切にして、一回り大きな人物になってもらいたいです。

  • 2014年04月17日(木)20時28分

陽気がいいと

4月16日(水)
 最高気温が23.3度に達し、外は初夏の雰囲気。この陽気に誘われたわけでもありませんが、多くのクラスが新宿御苑まで花見に出かけました。Eさんなどは日焼け防止の完全防備をしていました。御苑ではどのクラスもレベルも盛り上がって、クラスのメンバーも打ち解けあったようです。新入生も、借りてきた猫を脱してKCPの一員という連帯感みたいなものが芽生えてきたことでしょう。
 私にとっては御苑の花見の日ではなく、今学期受験講座の初日です。しかし、新校舎への移転に伴う滑った転んだまだあちこちでがあるため、じっくり授業の準備ができませんでした。今までに作ってきた教材をモニターに映し出して、視覚に訴える授業をしようと思っていたのですが、教材をきちんと整理しておけず、教室で教材を探し出す始末でした。初回ですから物珍しさも手伝って、適切な資料がすっと出てこなくても間違った画面が映ってしまっても、学生たちは喜んで見ていましたが、来週はこんなことでは許してもらえないでしょうね。心してかからねばなりません。
 私が受験講座をしている間に、卒業生が大挙して訪れたようです。会えずじまいだったのが少し残念ですが、やつらがうらやましがる顔を想像するだけでも楽しいものです。もっとも、彼らが進学した学校のほうがお金持ちですから、驚いてみせただけで内心はやっと当たり前に追いついたねってとこかもしれません。そうだとしても、新校舎の周りに卒業生が集まってくれることは、大いに歓迎したいです。

  • 2014年04月16日(水)22時08分

予行演習?

4月15日(火)
 今日は、本当に1日中仕事をし続けました。授業が始まる前は、今日から新校舎のお掃除の方が新しくいらっしゃったので、その方に指示を出したり聞かれたことに答えたり。明日から始まる受験講座・理科の資料準備もしました。明日は生物なので、教室のモニターに観察写真や図表を映して、学生たちの理解の助けにしようと計画しています。
 午前中は通常の授業。発音練習、漢字、文法、読解と、黄金のフルコース。昨日は新校舎の案内などで授業がほとんどできていないので、勉強のコツなんかも教えながら進めました。このクラスは、来週から後半は選択授業になるので、ゆっくり授業ができるのは今日が最初で最後です。
 授業が終わったら、昨日学校を休んだ午前クラスの学生たちを集めて、気安く学校を休むなという説教と、新校舎のルールの説明と、校内ツアーをしました。機能は誰もいない校舎を上から下まで見て回れましたが、今日はラウンジなんかはうるさいのなんの。ごみの捨て方や手洗い場についての説明など、聞いてもらいたいことはたくさんあったのですが、私の言葉が100%学生に伝わったかは自信がありません。
 それが終わって職員室に戻ると、急な代講が待ち構えていました。日本語ほぼゼロのクラスでしたが、授業に穴を開けるわけにはいかないので、出席簿のほかに教科書と授業で配る予定のプリントだけを持って、何はともあれ、教室へ急ぎました。内心は大いに焦りながら、でも、外面は何ともないようなふりをして、ぐいぐいと練習させました。学生にペアで練習させてる間に次の活動を考えるっていう綱渡りの連続でした。
 聴解のCDを聞かせようと思ったのですが、教室の機器のご機嫌が斜めで、学期直前にリハーサルしたとおりに機械どもが働いてくれません。シャツが湿るくらいたっぷり冷や汗をかいて、どうにかこうにかなだめすかしてピンチを切り抜けました。学生たちが帰った後でもう一度トライしてみると、ごく当たり前に動くじゃありませんか。ムカッときましたが、明日以降受験講座で使う際の留意点が把握できたと思い返し、腹立ちを抑えました。
 お昼抜きなのでさすがに疲れてきて、昨日から動き始めたラウンジの自動販売機で軽い食事を手に入れ、それをかじりながら授業の後始末をしました。

  • 2014年04月15日(火)19時34分

新校舎第1日

4月14日(月)
 先学期私のクラスだったHさんは7:40頃学校へ来ました。ラウンジの自動販売機に商品を入れる人よりも早く来ちゃったんですからね。それを皮切りに、在校生も新入生も、いつもの学期よりかなり速いペースで登校してきました。登校した学生は校舎内のあっちこっちいろんなところに行きたがります。勝手に入ってもらっちゃ困るところにもどんどん入っていきます。各国語で立ち入り禁止の表示がしてあるところにまで、その表示をまたいだりくぐったりして入っちゃうのは、少々はしゃぎすぎなんじゃないでしょうか。
 授業の中でも校内ツアーをしました。講堂に驚き、ラウンジに歓声を上げ、図書室に感心しという調子で、新校舎で勉強できることを心から喜んでいる様子が手にとるようにわかりました。私のクラスの学生が一番盛り上がったのは、地下駐輪場の人感センサーです。真っ暗な駐輪場にBさんが入るや否や、パッと照明がつき、それを見た学生たちは感嘆の声を上げました。
 午後の授業が終わった後、早くも卒業生が校舎を見に来ました。新校舎を見がてら久々に顔を見せてくれるなんていう卒業生が結構出てくるんじゃないかと、今から期待しています。これをきっかけに学校との絆が復活してくれれば、言うことはありません。
 嵐のような1日が終わり、校内はだいぶ落ち着きを取り戻しました。明日からは受験講座が始まります。別の意味での嵐がやってきます。

  • 2014年04月14日(月)18時33分

入学式挨拶

 皆さん、ご入学おめでとうございます。このように多くの国から多くの有為の若者がこのKCPに入学してくださったことをとてもうれしく思います。
 今年の1月、理化学研究所のグループが、STAP細胞という万能細胞に関する論文を発表しました。体の細胞を弱酸性の溶液に浸すだけで、どんな細胞にもなることができる万能細胞に変化させられるという内容です。
 この論文は、その後疑義があることがわかりましたが、たとえ一時的であっても世の中に反響を呼んだのは、常識を覆すその内容に対する喝采と驚きの表れではないでしょうか。この論文が示す弱酸性は、生体内ではそんなに極端な環境ではありません。その程度の条件で万能細胞という将来の医学・生化学を切り拓く素材が得られるなんて、普通の研究者は考えません。この論文を最初は拒絶した科学専門誌の判断は実に常識的で理にかなっています。
しかし、この研究者たちはそういう常識に敢えて挑戦しようとしました。この挑戦は現時点では成功とは言い難いですが、この分野の研究に一石を投じたことは間違いありません。これを契機として、万能細胞の研究が新たな方向に踏み出すことも考えられます。
 私が皆さんに留学を通してしてもらいたいのは、STAP細胞の例のように常識から離れることです。「常識」を皆さんが生まれ育ってきた「環境」とか「習慣」とかという言葉に置き換えてもいいでしょう。「日本の常識は世界の非常識」とよく言われます。世界が広がるとは、自分が持っていた常識が覆されることであり、自分とは異質な何かに触れることで、新しい発見をすることです。自分自身や自分の生まれ育った国を客観的に見て、そして、何か行動を起こしてください。
 成長するとは何かを変えることです。自分が持っている常識を捨てて、新しい世界を謙虚に受け入れる――そこから皆さんの青年期の人生が始まると思ってください。
 さて、KCPは2012年10月から校舎の建て替えに取り掛かり、1年半をかけてこのたび完成しました。皆さんは、この新校舎の輝ける第1期生です。私たち教職員自体、この新校舎に慣れていないところもありますが、皆さんと一緒にこの学び舎で歩んでいきたいと思っています。
新校舎の設備としては、このように大勢の学生が収容できる講堂があります。また、各教室にはICTを活用した授業に対応できる機器があります。図書室やラウンジも拡張しました。しかし、私たちは器を改良しただけではありません。ハード面に加えてカリキュラムなどソフト面においても、皆さんが勉強に集中できる環境を整えました。ですから、皆さんは自信を持って堂々と自分の目標に向かって突き進んでください。
 ソフト面で特筆すべきことは、英会話の授業が始まることです。新校舎完成とともに、KCPは日本語だけを教える学校から脱皮しました。皆さんがこれから長い人生を生きていく上において武器になる知識や技能を提供していける学校になろうと考えています。目先にとらわれることなく、長いスパンで自分の人生をとらえ、そこに必要なものをKCPで学び取っていってください。
 この校舎には、まだいかにも新しいという空気が漂っています。今までの伝統は皆さんの先輩方が作り上げてくださいました。皆さんは、この校舎とともに新しい歴史を刻み始めるのです。皆さんの足跡を多くの後輩がたどることで、KCPに新たな伝統が生まれます。
 冒頭に、私は皆さんのことを「有為な若者」と呼びました。それは、皆さんはKCPにすばらしい伝統の種をまいてくれる学生だと期待しているからです。新しいカンバスに、思い切り夢を描いてみようではありませんか。極彩色の夢を育てていこうではありませんか。
 本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

  • 2014年04月11日(金)19時04分

偵察?

4月10日(木)
 明日が入学式ですから、新校舎内の整備を急ピッチでしました。今朝まではどう見ても工事現場でしかなかった玄関も、今は落ち着いた雰囲気をかもし出しています。一時はどうなることかと思った棚も、収まるべきところに収まるべきものが収まり、部屋がだんだん広くなってきました。
 入学式会場の講堂にいすを並べたら、思ったよりもずっと多く並び、改めて新校舎の広さを感じさせられました。リハーサルをしてみると、マイクの澄んだ音がよく響き、大画面には鮮やかな映像が浮かび上がりました。我々教師も初めて使うので不安な面もありますが、新入生の期待を裏切らず、希望を抱かせるような入学式にしたいと思っています。
 気のせいかもしれませんが、この学期休みは本当に卒業生がよくやってきます。今日も週末にKCPの近くから大学の近くに引っ越すYさんがお別れの挨拶と称してやってきました。Yさんは旧校舎を知っている最後の世代で、「卒業式には間に合わなかったんですね」と少し恨めしそうに言っていました。「今度は校舎の中を見せてもらいます」と言いながら手を振って行きました。
 在校生も、新校舎の偵察に来ています。Pさんは学費を払いがてらに見に来たようです。私の服があまりに汚れていたからでしょうか、「先生、来週の月曜日に本当に学校が始まるんですよね」と聞いてきました。
 すばらしい器はできました。あとは、この器にふさわしい教育をしていくだけです。気負い過ぎない程度に新機軸を打ち出していきます。

  • 2014年04月10日(木)23時14分

今日から新校舎

4月9日(水)
 今日から新校舎で業務を始めました。パソコンが新しくなりましたから、まず、古いパソコンからのデータの移動とメールの設定です。ソフトがバージョンアップされているため微妙に使い方が違い、それに慣れるのも仕事のうちでした。
 以前の校舎では職員室が5階で事務室は1階でした。仮校舎では本館と別館に分かれて仕事をしました。今日からは職員室と事務室が合併し、効率よく仕事ができるようになりました。出席率の悪い学生が事務室に授業料を払いに来たら、今まではいちいち担任教師が呼び出されてその学生を説教していましたが、これからはたちどころにじっくり話ができます。
 私自身、事務の方々と同じ部屋で仕事をするのは初めてですから、聞きなれない声が聞こえてきて、新鮮さがあります。また、座席配置も大幅変更になり、隣や向かいに新しい顔が座っています。今日は荷物運びや新校舎内の整理などで顔を合わせる暇もあまりありませんでしたが、これからだんだんいろんな味が出てくるのでしょう。
 新校舎は1階の道路側に大きな窓がありますから、道行く人の様子がよく見えます。まだ工事の車が止まっているからでしょうかね、半分ぐらいの人がこちらのビルを見上げて通り過ぎていきます。部外者の目も引き付けるのですから、新入生を始めKCP関係者にとっては、1日も早く中に入りたいと思っていることでしょう。
 仮校舎はパソコンも机も運び出され、すっかり殺風景なたたずまいになりました。1年半の間、本当にありがとうございました。

  • 2014年04月09日(水)16時24分

卒業生たち

4月8日(火)
 引越しも大詰めで、新校舎に種々雑多な荷物を運び込んでいます。新校舎は収納スペースがたっぷり取ってあるはずだったのですが、持ち運んだものを入れてみると、結構埋まってしまいました。いったいどこから湧いてきたのでしょう。不思議です。
 教職員全員がてんやわんやしている中、大学に進学した学生たちがビザをやりかえるための書類申請をしに学校へ来ました。KさんとUさんは新校舎を羨ましげに見上げていました。中に入れてあげたいのはやまやまですが、まだとてもお見せできるような状況じゃありませんから、来週ぐらいまた来てねと言って、今日のところは帰ってもらいました。
 Oさんは引越し作業真っ最中の事務局に来ていました。授業は16日からで、今はオリエンテーションやらガイダンスやらを受けているとか。進学先は理系の学科ですが、Oさんの学科はその学部の他の学科に比べていくらか女子学生が多いそうです。「でも、Oさんには関係ないでしょ。どうせもてないんだから」と言ってやったら、「そこまで言わなくてもいいじゃないですか」と言いながらも、進学した喜びは隠せないようでした。
 Iさんも理系の大学に進学しましたが、こちらはもう授業が始まっているそうです。早速サークルに入り、同じ学科の先輩から授業や試験の情報が入るような体制を整えたみたいです。授業が始まったばかりですから、まだお手並み拝見みたいなもんでしょうが、連休前には実験レポートを本格的に書かなければならないでしょう。Iさんもそれはわかっていて、こっちが落ち着いたらまた来てと誘ったのですが、忙しいですからと言いたげな顔をしていました。
 進学した皆さん、それなりに活動を始めているようです。でも、これからですからね、大学生活の厳しさを味わうのは。

  • 2014年04月08日(火)20時10分

貧乏揺すり

4月7日(月)
 新入生のレベルテストがありました。試験監督をしていると、毎回気になるんですが、必ず貧乏揺すりをしている学生がいるのです。本人は脚を揺らし続けているという意識はないでしょうが、はたで見ていると落ち着きがなさそうでどうしても第一印象がマイナスになってしまいます。
 「貧乏」揺すりというくらいですから、この動作が日本人には好感を与えないことは疑いありません。普通の日本人は私のように感じるでしょう。国籍を問わず貧乏揺すりをする学生がいますから、日本が貧乏ゆすりに対して特別に厳しいのかもしれません。貧乏揺すりをしている学生たちの国では、この動作はどのように評価されているのでしょう。
 上級の学生は、だいぶ日本人化されていますからあまり当てにはなりませんが、貧乏揺すりにはあまりいい顔をしません。授業中に貧乏揺すりしたら皮肉たっぷりにからかわれるし、面接練習なんかだったら厳しく注意されますから、嫌悪感が植えつけられているのでしょう。しかし、それでも、貧乏揺すりは完全にはなくなりません。卒業したOさんやSさんは、体が大きいくせに授業中いつも細かく脚を揺り動かしていました。Kさんも緊張すると貧乏揺すりが始まりましたから、Kさんの心理状況は手に取るようにわかりました。
 今日貧乏揺すりをしていた学生は、名前もどんな性格かも日本で何をしたいのかも全然わかりません。この学生が1年後、2年後にどう成長しているのでしょうか。

  • 2014年04月07日(月)19時36分

教材探し、教材作り

4月4日(金)
 新校舎の整備が急ピッチで進んでいます。各教室でパソコンが使えるようになり、パソコンを経由して映像や音声を授業に取り込めるようになります。既存の教材はもちろん、自分で作った教材もどんどん活用できるようになります。また、インターネットの環境も整いますから、それもまた授業に生かしていけます。日本語の授業の教材は他の先生に任せるとして、私は受験講座の理科の教材を何とかしようと思い、教材を探したり作ったりしています。
 カラーの資料を学生に見せて印象付けられるところが一番大きいですね、理科の場合は。生物は動植物や組織、器官などのカラー写真が見せられますし、複雑な生体内反応系を色付けしてわかりやすく解説できるようになります。化学は反応によってもたらされた変化を鮮明に見せられますし、原子や電子の移動を可視化して学生の理解の助けとすることもできるでしょう。物理は取り扱う現象を動画で見せられないかと考えています。
 アイデアはいろいろとあるのですが、アイデア倒れに終わっては学生たちに申し訳が立ちません。文明の利器は積極的に活用すべきですが、それに踊らされいては本末転倒です。インターネットに出ている教材がみんな質の高いものとは限りません。紙の教科書に載っている図表がわかりやすかったら、それで十分です。不必要な画像を見せて学生を混乱させるようなことがあってはいけません。
 物珍しさで学生を引き付けるのではなく、教材の中身で学生の心をつかみ、力を伸ばしていける授業をしてこそ、新校舎を建てた意義が出てくるというものです。そういう厳しい目で新校舎の設備や施設を吟味し、活用していきたいです。

  • 2014年04月04日(金)19時31分

チリからの津波

4月3日(木)
 昨日の朝チリで発生した地震の津波が、今日のお昼ごろ日本に到達しました。幸い、津波は一番高いところで60センチほどで、被害はありませんでした。
 この津波、1万7000キロを28時間ほどかけてやって来たことになります。時速約600キロ、飛行機には及びませんが、新幹線の2倍の速さです。飛行機だって、チリと日本の間は直通便がありませんからどこかで乗り継ぎになるため、28時間よりも長時間を要するかもしれません。情報は光と同じスピードで進みますからあっという間に届いてしまいますから、28時間もかかるなんてずいぶん悠長に感じられますが、津波という具体的な“物”を地球の反対側から航空便並みの時間で届けちゃうなんて、地震のパワーはとんでもないと思います。同時に、地球って案外狭いなとも感じました。文明の利器を使わずに、1日ちょっとで地球半周近くを走破できるんですからね。
 そして、日本が世界につながっていることを実感させられます。太平洋は世界に向けての日本の窓なのです。偶然の産物かもしれませんが、日本の首都が東京であることは理にかなっていると思います。廃藩置県後、府県の整理が進んでほぼ今のような形になったとき、最も人口が多かったのは新潟県だったそうです。越後の国は江戸時代に北前船で栄えた土地でしたから。文明開化が進み、欧米からの文物が海を通って入ってくるようになると、太平洋側の府県がその受け入れ口となり、繁栄していきました。東京とその外港である横浜が、その最たる例です。
 今回の地震による死者は6人で、深刻な被害は免れたそうです(もちろん、なくなった方やその後家族にとっては「深刻な被害」ですが)。チリも日本同様これまでに何度も大きな地震に見舞われ、多数の犠牲者と大きな被害を出してきました。それを教訓として地震に強い国を作り上げてきました。それが生きてきたのでしょう。余震も発生しているようですが、早く収束することを祈ってやみません。

  • 2014年04月03日(木)17時15分

成績の問い合わせ

4月2日(水)
 期末テストから1週間が過ぎ、学生たちから結果についての問い合わせが来始めました。合格点が取れて次のレベルに進級できると聞いて安心する学生もいれば、残念な結果を聞かされる学生もいます。以前は進級できないと聞いてキレてしまう学生が結構いましたが、今日の学生はそうでもなさそうです。
 自分の成績を心配して問い合わせてくる学生はまだいいです。ひどい成績にもかかわらず何の連絡もよこさず、こちらから電話をかけると絶対進級したいと言い張ったり、果ては無断で一時帰国していたりなどという学生には、ほとほと手を焼いてしまいます。
 少ない労力で大きな成果をというのは誰もが考えることですが、勉強は会社の仕事の合理化とは違います。効率のいい勉強法とそうでない勉強法の区別はありますが、学問には苦労はつき物です。自分の力で乗り越えねばならない山がたくさんあります。どうしても乗り越えられない高い山もあるでしょう。それは、悲しいですが、その人の能力の限界です。それぐらい厳しいものです、学問って。
 その厳しいはずの学問を、お手軽に済まそうとしたきらいがあるのが、今回のSTAP細胞の騒動ではないかと思います。論文の一部をコピペでやっつけちゃったり、研究の中核をなすデータを間違えて載せてしまうなど、たとえ悪意はなくても首を傾げたくなるような行為が目立ちます。何より、3年間で実験ノートが2冊だけ、それも研究の跡を追いかけられないような内容だというのが、私にとっては最大の驚きです。
 実験ノートは自分の苦労の足跡を記した世界で唯一の記録です。それを残さないというのは、奥ゆかしいのではなく、自分の苦労、自分の学問研究を否定することだと思います。実験ノートがしっかりしてさえいれば、実験が真正なものであることは簡単に証明できたはずですし、そうであればこんな大騒動にはならなかったに違いありません。
 4月の学期は、どの学生もきちんと苦労して、きちんと実力を伸ばし、新校舎のスタートを明るいものにしてもらいたいです。

  • 2014年04月02日(水)18時29分
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