KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
4月1日(火)
桜の花が本当にきれいです。東京は日曜日に満開宣言が出されましたが、今日あたりが最盛期なんじゃないでしょうか。今度の週末は、散り行く桜を見送る花見となるでしょう。
丸の内線四谷駅の桜、そこから見下ろす上智大学のグラウンドの桜、そしてKCPの近くの花園小学校の桜、どの桜も一輪余さず咲き誇り、まさに春爛漫といった風情です。今日は、それに加えて、外堀沿いの桜も見てきました。口の中にできたポリープを取り除く手術をし、その抜糸のために飯田橋にある病院へ行きました。その道すがら、お堀の土手に植えられた桜の花見としゃれこんだわけです。
平日のお昼過ぎとあって、人ではさほどではありませんでしたが、夕方からの宴会に備えての場所取りの人たちが、ブルーシートの上に寝転がっていました。風がなければ日向は暖かく、昼寝には絶好のコンディションだったかもしれません。新歓花見と称して、お堀端のH大学かR大学と思われるグループが宴会を開いていました。そういえば、お昼ごろ、R大学に進学したNさんがスーツ姿でKCPに顔を見せました。今日から新年度、入学式なんですね。
宴会組は例外で、花より団子とばかりに遅いお昼を食べている人をいくらか見かけた程度でした。本物の団子を食べている人も2、3人。M先生も花園小学校の校庭のベンチで、桜を見ながらお弁当を食べたって言ってましたっけ。
桜の花は人の顔を上向きにさせます。桜の美しさを存分に味わおうとすると、上目使いで見るだけでは足りず、首から上全体を桜のほうに向けなければなりません。そうすると、自然に姿勢がよくなるのです。寒風を避けようと首を縮めて前こごみになっていた冬の歩き方とは大違いです。上を向いて歩くと、なんだか希望が湧いてきます。こういう前向きな気持ちにさせてくれることも、桜が日本人に愛される隠れた理由の一つなのでしょう。
引越しが終わったらすぐ新学期です。姿勢がよくなり気持ちが上向いた勢いで、いいスタートを切りましょう。
3月31日(月)
午前中、企業から派遣されているYさんにプライベートレッスンをしました。理科系の仕事をしている人なので、専門的な話がきちんとできるかを見ました。
Yさんは中級クラスに入っていますが、仕事関連の専門的な場面では、かなり高度で微妙は話もしなければなりません。専門用語は覚えればいいだけですが、その専門用語と一緒に使われる日本語は、ごく一般的なものもあります。例えば「酸化」とか「還元」とかは専門用語ですが、これらを動詞として使う場合、「する」のか「される」のかという概念は、一般的な動詞の能動態か受動態かと全く変わるところがありません。
Yさんにもそういう意味でいくらか頭でっかちになっているところがありました。さすが企業人らしく、相手の気持ちを害するような失礼な言い回しはしませんでした。でも、「減る」というごくやさしい単語がすぐには出てこなかったり、長音の伸ばし具合が不十分で話の流れが止まってしまったりすることはありました。これはやっぱり話し慣れていかないと、解決しません。
Yさんはとても謙虚な方で、レッスンの後、自分の話し方に不自然なところや失礼は表現がなかったか聞いてきました。上級の学生にありがちな、妙な形で自分の日本語に自信を持ってしまっているところがありません。逆に不必要に自分を卑下するところもなく、気持ちよく話せました。私の知らない話も、聞き手の気持ちをそらすことなく語ってくれました。今週末にもう一回Yさんのプライベートがありますが、今度はどんな話をしようか、今から楽しみです。
3月28日(金)
不要となった机、いす、ロッカーなど大物を廃品回収業者に持って行ってもらいました。校舎が5センチぐらい浮き上がったんじゃないかというくらい、大量の物を吐き出しました。前の校舎の時代から使っていたものも、校舎を新しくするのに伴って最新型に置き換えるということで、思い切って捨てました。
感心させられたのは担当の方の空間認識力です。本館中の教室に乱雑に置かれていた品物を、実に要領よく運搬車の荷台に積み込むのです。大きく重い荷物を持ち上げるパワーもさることながら、何をどこにおけばこうっり強く積み込めるかを瞬時に計算する頭脳に舌を巻きました。以前の校舎にあった荷物を一時保管していた場所から新校舎に運び込むときも、お手伝いをお願いしたLさんが大活躍したと聞いています。Lさんは引越しのアルバイトをしたことがあり、そこでがっちり鍛えられたとのことです。
目で見て直感的に何をどう配置すればいいかがわかるというのは、天賦の才+訓練の賜物ではないかと思います。寸法を測ってそこに入るとか入らないとかの議論はコンピューターでもできます。コンピューターは寸法データがないと議論できないでしょう。視覚情報だけでそういう判断ができるというのは、人間だけの特性でしょう。コンピューターがこのレベルに到達するのは、もう少し先のような気がします。
大物を運び出した後は、小物の箱詰めです。段ボール箱に何をどう詰めたら効率よく荷造りができそうかっていうくらいなら、私でも多少は対処できます。種々の資料をスーパーなどから調達してきた箱に入れ、職員室に積み重ねてあります。商売道具がみんな箱に入ってしまったのですから、しばらくは体を張って勝負するほかありません。
3月27日(木)
Eさんは卒業式に来ませんでした。卒業式に来なかった学生には卒業証書を渡さないというのがKCPの考え方です。しかし、EさんはどうしてもKCPの卒業証書がほしいと申し出てきました。当日はどうしても起き上がれず、学校への連絡すらできなかったといいます。そして、病院で受けた血液検査の結果と医師の診断書を持って来ました。
Eさんの言っていることにうそはないでしょうから、証書を渡すことには問題ありません。せいぜい、当日連絡できなくても多少なりとも快復し次第すぐに連絡するのが筋だと、卒業のはなむけとして説教するくらいでしょう。それよりも問題なのは、Eさんの健康状態です。血液検査のデータや診断書を見ると、Eさんの体の不健康さは尋常ではありません。進学などせずにゆっくり養生すべきだと言ってやりたいくらいです。Eさんは美術系の大学に進学しますが、美術系は座学だけでは終わらず、作品製作に文字通り体を張って臨まなければ卒業できません。それができる体なのかと思うのです。
Eさんがこうなってしまった原因の一つに、食生活があると思います。私はEさんの食事の内容を詳しくは知りませんが、ご飯やパンや麺類などの炭水化物を大量に摂っていることは想像に難くありません。Eさんも含めて、大半の留学生は異口同音に「日本のパンやケーキやお菓子はおいしい」と言います。日本の産物をほめてもらえるのは日本人としてうれしいのですが、そういいながら炭水化物ばっかり食べていると、確実に体は蝕まれます。KCPの学生が来日後3か月かそこらでぶよぶよに太ってしまうのは、安くておいしいパンやお菓子でおなかを満たそうとするからであり、意外に糖質が多く含まれているジュース類をたくさん飲むからにほかなりません。
Eさんに証書を渡してから「あなたは今日からご飯とパンと麺類を食べてはいけません。高いけれども肉類と野菜を食べなさい」と言ってやりました。Eさんは決して貧しい家の子どもではありません。食事にお金をかけることだってできるのです。
ここまで強く言い切れるのは、実は、「炭水化物が人類を滅ぼす」という本を読んでいるからです。諸悪の根源はすべてご飯を始めとする炭水化物にあるといわんばかりの内容です。それは極論としても、科学的に考えてなるほどと納得できる論旨です。Eさんも私の倍とは言いませんが、四捨五入したら2倍になることは疑いない体重がありそうです。固太りではなくむくんでいる感じなのが気がかりなのです。そこをどうにかしなければ、本当に大学生活をまっとうできません。人類は炭水化物=糖質の中毒に陥っていると本の著者は述べています。Eさんに限らず、甘い誘惑に打ち勝って有意義な留学生活を送ってもらいたいです。
3月26日(水)
期末テストの採点をしました。私の担当は3月で卒業しなかった超級の学生だけですから、すぐに終わってしまいました。卒業式後の授業内容からの出題で、ひねった問題は出しませんでしたから、どの学生も余裕を持っての合格点でした。
学校の中のテストは、学校の授業をきちんと聞いていたかどうか、授業に参加していたかどうかが問われます。ですから、JLPTなどで高得点を挙げた学生でも不合格になることがありますし、そういう学生より日本語力は落ちる学生が好成績を取ることもしばしばです。
例えば今回の読解は、授業全体を通して、読解のテキストをもとに、あるテーマについて考えるという授業をしてきました。ですから、その考えた結果を問う出題をしました。そうすると、真面目一筋の学生が考え抜いてたどり着いた結論を述べてくれるのに対し、頭がいいはずの学生がそこまで深く考えていないことがわかったりします。
今回はどの学生も授業の議論に参加していましたから、成績がよくて当然です。この学生のうち何名かは就職や帰国のため3月いっぱいでやめてしまいますが、多くは4月以降の最上級クラスのメンバーになります。真面目に授業に参加する学生が残ってくれるので、4月からが楽しみですし、それが受験・進学につながってくれればと思っています。
新校舎への荷物の搬入もしました。この校舎で、彼らが存分に力を伸ばしてくれることを期待しながら…。
3月25日(火)
朝、新宿御苑前駅に降りると、改札口のところに桜の花をあしらった紙で新宿御苑大木戸口の案内が出ていました。まだ桜が咲くまでには間がありそうだと思いましたが、御苑にはたくさんの種類の桜がありますから、もう見ごろになっているのもあるのだろうと勝手に納得しました。
学校まで歩いて行く途中、花園小学校の脇を通り、ふと桜の枝に目をやると、何と、1輪だけですが、花が開いているではありませんか。地下鉄駅の案内の掲示は、グッドタイミングだったのかもしれません。
期末テストが終われば、学生たちは明日からしばらくお休み。しかし、我々教師は、引越しをしなければなりません。今日も、期末テストと同時並行で新校舎に教室用のいすと机が運び込まれました。明日からはもっぱら荷物の移動で、だから、スーツではなく作業着で出勤です。4月14日の来学期の始業日までには、新しい校舎のいろんな設備の使い方もマスターしておかなければなりませんから、結構タイトなスケジュールです。
前の校舎から今の仮校舎に移るときは、とにかく狭くなる、窮屈になるということで、断捨離しまくりました。しかし、1年半過ごして新校舎に移るとなると、旧式のものを捨てるという以上に種々雑多なものを捨てています。いったいどうしてこんなに物が増えたのかと不思議に思うばかりです。
気象庁は、東京の桜の開花宣言を出しました。花園小学校の桜は以上でもなんでもなく、まさに春を告げる一輪だったのです。
3月24日(月)
昨日、Jリーグの浦和対清水の試合が無観客で行われました。今月8日に行われた試合の際に、サポーターが“Japanese Only”という横断幕を掲示したことに対する制裁措置です。これが差別的ニュアンスを有する表現であることは動かしがたい事実です。しかし、この横断幕を掲示したサポーターは、そんなに深く考えていたとは思えません。だって、浦和レッズって監督が外国人でしょ。差別の意味で使ってたらチームを率いる監督を否定することになるじゃありませんか。要するに、差別に対する感覚が鈍いのです。
私たちも、浦和レッズのサポーターを笑えたもんじゃないと思います。街のいたるところに“Japanese Only”があふれています。外国人観光客が日本で一番残念に思うことは、掲示や案内などが日本語だけだという点だそうです。日本人はそれが当然だと思っていますが、日本語がわからない人たちにとっては、日本語でだけのやり取りは、日本人だけで盛り上がっていることと同じなのです。
私の若い頃と比べれば日本も国際化がだいぶ進んできましたが、日本人の心の中には“Japanese Only”がまだまだたくさんあります。外国人お断りのアパートは言うに及ばず、留学生を受け入れようとしている大学からして、日本人向けの入学手続き書類をそのまんま留学生に送ってきます。在日の方々が日本名を持つことだって、日本人側に“Japanese Only”の気持ちがあることを感じ取っているからにほかなりません。
日本独自のものすべてを世界に開けと言っているのではありません。におわないくさやの干物を作ったって、外国人を受け入れたことにはなりません。しかし、日本の一翼を担おうという志を持っている人々に、その気持ちをなえさせるような仕打ちをしてはいけません。日本で就職できず、傷心の帰国をした留学生の話は枚挙に暇がありません。
浦和レッズは差別撲滅の宣言をしました。しかし、それを他人事のごとく見ている日本人が多いことが気がかりです。
3月21日(金)
世間一般には春分の日で休日ですが、KCPは通常授業でした。新校舎への引越し、そして校舎内の整備のための時間を捻出するためです。内装工事は続いていますが、外観はほぼ整いましたから、校舎の位置の確認がてら、新校舎を見に行ったレベルもありました。
そんな中、E大学からGさんに合格通知が届きました。卒業式を過ぎても進学先の決まっていなかったGさんですが、やっと行き先が決まりました。おそらくGさんが最後の合格者で、今年度シーズンの受験がようやく終わりました。いい方向にも悪い方向にも番狂わせはありましたが、おおむねしかるべき学生がしかるべきところに受かったと言えるでしょう。
Gさんはもっと早いうちに合格が決まっていてもおかしくなかったのですが、危機感を抱かずに漫然と受験を続け、今に至ってしまったのではないかと思っています。Gさんの進路指導をしているのに他人事みたいに聞いているという嘆きの声を、何人かの先生から聞きました。自分にとって大切な時期なのに、友達の誘いを断れなかったり友達の世話ばかりしていたりして、歯がゆく感じさせられることもしばしばでした。決して悪いやつじゃないんですけど、はたで見ていていらいらさせられることがよくありました。
受験は自分に厳しく他人に非情でなければ勝利を手にできない面があります。Gさんはそこのところが弱かったのです。友達のために自分を犠牲にするなんて、人間的にはすばらしいのですが、生き馬の目を抜くような世の中では通用しません。そういう面を矯めていかないと、少なくとも、思いのまま動いていると自分自身に不幸をもたらしかねないと自覚しないと、人生で取り返しのつかないくらいの痛い目にあうおそれもあります。E大学合格は吉報ですが、入学後のGさんがちょっぴり心配です。
Gさんの周りの学生たちが、進学先に向かって全国各地に散っていきつつあります。Gさんも含めて、新天地での活躍を祈るばかりです。
3月20日(木)
STAP細胞の小保方さんが大変なことになっています。今秋発売の週刊誌のこき下ろしようは、半端じゃありません。実際に記事を読んだわけではありませんが、地下鉄の中吊り広告を見る限り、芸能人でもこれほどのものはなかなか見られないというほどです。
STAP細胞の論文がネイチャーに掲載されて小保方さんが拍手喝采を受けたのが1月下旬。私は選択授業の「身近な科学」のネタを探しているときでした。ちょうどいいテーマが見つかったと思って取り上げようと思ったのですが、どうもよくわかりませんでした。内容の詳報が出てくるだろうと待っていましたが、出てきたのは割烹着ばかりでした。いつまでたってもわからないことが多すぎて、学生から質問されても答える自信が湧いてきませんでした。iPS細胞やES細胞と一緒に取り上げるという手もありましたが、それにしても比較する上で「?」の項目が多く、結局あきらめました。来年まで待って、いろんな情報が手に入ったらテーマとして取り上げることにしました。
そんな決断をして間もなく、写真が変だとかデータがおかしいとか、各方面から疑問が寄せられました。小保方さんたちがその疑問に答えることで、私のよくわからなかったことも明らかになっていくのではないかと期待していました。しかし、事態はそれとは逆方向に進み、現在に至っています。
STAP細胞が科学的にどうなのかは、まだ確定的なことは言えません。「捏造リーチ」なんて書いている週刊誌もありますが、現時点でそこまで否定していいものか、私には判断できません。ただ、そう書いている週刊誌も、当初は“偉業”をたたえていたのではないでしょうか。その時点で正しいと思われることを大衆に知らせることがマスコミの役割ではありますが、あまりにも揺れが激しいと思います。
割烹着姿をもてはやしたことも、研究者としての倫理観の欠如を攻撃することも、どこか浮ついたところがあるような気がしてなりません。STAP細胞の第三者による検証には数か月かかるそうです。それまでの間、騒ぎ立てることなく落ち着いて結論を待ちたいです。できれば、来年の「身近な科学」で堂々と取り上げられる結論を…。
3月19日(水)
Kさんは、期末タスクのリーダーです。今日は最後の仕上げとまとめの練習があるのに、欠席しました。このクラスの今日の欠席はKさんだけだったので、余計に目立ってしまいました。
Kさんのグループの学生は、昨日Kさんがシナリオを持って帰ってしまったので、とても困っていました。明日は選択授業があるため期末タスクの練習時間はあまり取れず、あさってが本番です。グループのメンバーは不安そうな顔をして帰っていきました。
確かに、Kさんのグループのメンバーは日替わりでよく休みました。ですから、他のグループよりも作業が遅れていました。Kさんはリーダーとして何とかしなければならないと感じて、シナリオを立て直そうと持ち帰ったのかもしれません。好意的に考えればそうなります。しかし、休んでしまっては元も子もありません。
グループ活動は誰か1人でもメンバーが欠けると、仕事が進まなくなります。誰か1人だけが頑張ればどうにかなるというものでもありません。力を出し合って1人では成し遂げられない大きな仕事をするところに意義があるのです。その活動の際に違う国の学生どうしが日本語を共通語として意思疎通を図ることを通して、“教えられる”という受身ではなく、自ら進んで使うという能動的な勉強ができるのです。
どこのレベルでも、期末タスクは上のレベルに進級するために越えなければならない山です。この山を越えることで、そのレベルで勉強したことが血肉となるのです。期末タスクは、頭でっかちな学生を“排出”しないようにする装置でもあります。
Kさんが休んだことでこのグループの期末タスクがうまくいかなくなると、グループのメンバー全員が不完全燃焼なものを抱えたままこの学期を終わることになります。影響は休んだKさん自身だけにとどまりません。このグループ、明日は選択授業の後居残りで仕上げないと、苦い思い出が残ってしまいかねません。
3月18日(火)
天気予報で暖かくなると言っていたので、コートを着ないで出勤しました。家を出たときはちょっと寒さを感じましたが、私はこの春先のピリッとした寒さが好きです。人より早く薄着をして、人より早く春を迎えるような気持ちになれるからです。
私の期待に違わず、東京地方に春一番が吹き、今年初めて気温が20度を超えました。午前中ちょっと外に出る機会があったので、通り道の桜の木を観察すると、まだつぼみは固そうでしたが、確かに新しい命が芽吹いていました。高知では桜の開花宣言が出ました。
私がどこに出かけたかというと、病院です。口の中におできができてずっと気になっていたのですが、授業に穴を開けるわけにはいかず、卒業式が終わって授業がなくなってからになってしまいました。診てもらったところ、悪性のものではないそうなので一安心です。来週切ってもらうことにしました。
いつの間にか、私のカードケースにいろんなところの診察券がたまってしまいました。幸いにも授業を休まなければならないようなことには至っていませんが、授業がないときを見計らっては病院に通っています。今学期後は新校舎への引越しがありますから、早いうちに行っておかなければなりません。
今年は寒さが厳しかったので、去年よりは開花が遅れるようです。うまくすると、新校舎での入学式の頃、ちょうど満開かもしれません。先週卒業していった学生たちも、桜の花に迎えられて新しい生活を始めることになるのでしょう。大雪に耐えて咲く桜は、さぞかしきれいなことでしょう。
3月17日(月)
横浜の中華街を訪れた観光客が、ちょうど1年前に始まった副都心線と東横線の直通運転のおかげで、大きく増えているそうです。中華街だけで、この1年で65億円の経済効果があったという調査もあります。埼玉県から気軽に来られるようになったことが大きな要因です。世界中の中華街が中国人のためにあるのに対し、横浜中華街は日本人客のためにあります。その中華街に吸い寄せられる観光客が、MM21など付近にも広がっています。
新宿もまた、この直通運転開始により大きな恩恵に浴しています。それまで新宿に出るには何回か乗換えを強いられていた23区南部からのお客さんが増えているそうです。特に、副都心線の新宿三丁目駅直結の伊勢丹が“大勝利”だそうです。私がよく行くマッサージ屋さんも伊勢丹の中にありますが、気のせいか予約が取りにくくなったような感じがします。
横浜と新宿を訪れるお客さんが増えたということは、現在は高度成長期のように首都圏の人口が激増しているわけではありませんから、どこかがお客さんを減らしているはずです。アベノミクスで景気がいくぶん上向き、一般庶民が自由に使えるお金が多少は増えたのかもしれませんが、横浜や新宿の好調さを支えるほどではないでしょう。日本社会、基本的にはゼロサムゲームですから。
大阪でも、今月日本一高いビルのあべのハルカスが開業し、お客の取り合いが激しくなっています。3年前に開業した大阪ステーションシティが商業戦争に火をつけ、去年はグランフロント大阪が参戦し、そしてあべのハルカスです。商業施設が過剰となり、早くも三越伊勢丹が方向転換しました。同じことが東京でも起こらないとも限りません。というか、きっと起こるでしょう。東横線の駅が地下深く沈んでしまった渋谷が危ないとも言われていますが、果たしてどうなのでしょう。個人的には、学生時代大変お世話になった渋谷が寂れてしまうのはとても辛いものがありますから、ここで踏ん張ってもらいたいです。
来年の今頃は、この勝負の結果が出ているでしょうか。共存共栄とはなかなかいかないでしょうから、厳しいですね。
3月14日(金)
夕方、マレーシアの学生たちがマレーシア料理を作ってくれました。場所はKCPの隠れキッチンといわれている四谷区民センターの調理室。在校生、おととい卒業したばかりの学生に加え、卒業生も何名か顔を出してくれました。マレーシア学生の同窓会も兼ねたお食事会ってところでしょうか。
ちょっぴりスパイシーなカレーをはじめ、肉料理中心に料理が何種類も並び、ビュッフェ形式でそれぞれを少しずついただきました。カレーは辛いといっていた先生もいましたが、私にはさわやかな辛さでした。Lさんによると、このカレーは家庭料理というよりは、何かの節目に食べる料理のようです。関西の大学に進学するLさんにとっては、今がまさしく大きな節目です。カレーの味も格別だったことでしょう。
マレーシアの同窓会を率いてきてくれたWさんは、日本での就職が決まったそうです。KCPに入学したときはわがままな小娘っていう感じでしたが、すっかり大人になっていました。Cさんは就活中。Wさんと同じ業界を狙っているとのことでした。「コネ就職を狙え」なんていう野次を飛ばしたのはHさん。自分はニートになるのが目標だなんて言ってましたが、自然な日本語が話せるようになっていましたから、帳尻は合わせてくれるでしょう。Aさんはいかにも真面目にしっかりと勉強していますという近況報告をみんなの前でしてくれました。Yさんは今日の企画のリーダー。自分から体を動かそうとするところはKCPにいた頃と変わりません。
時間はあっという間に過ぎてしまいました。マレーシアの学生のいいところは、卒業生と在校生の絆がしっかりしているところです。そして、どんなことにも協力的で、明るく物事が進められる点です。また、人懐こくって、コミュニケーション能力も高いです。この美点を生かしていけば、Wさんのように日本での就職に成功することも夢ではないでしょう。
以上、まだ少しカレーくさいげっぷをしながら。
3月13日(木)
いなくなったはずの卒業生が何名か姿を見せました。卒業直前に合格が決まった学生が、入学手続き書類などを持ち込んでくるのです。Gさんもその一人。さすがにこの時期になると教師に丸投げではありませんが、Gさんが書いた部分にはいくつか抜け落ちがありました。でも、手続き書類を見ただけではどう書いたらいいのかわからない部分もいくつかありました。説明書を見ないと記入方法がわからない書類は、つくりが悪いか不必要な情報まで集めようとしているかのどちらかではないかと思います。
Gさんのような形で学校へやって来る卒業生もいましたが、今まで学校の主役だった学生たちが消えた午前の教室は、色の臭いもがらっと変わっていました。今日からの最上級クラスの学生たちは、これから1年間KCPを背負っていてもらわねばならない学生たちです。昨日までの際上級クラスに比べれば小粒になった感は否めませんが、伸びる要素を持っている学生たちですから、鍛え甲斐もあります。
受験講座は既に1月から新しい学生を対象にした授業を始めています。バス旅行の日も卒業式の日も授業があったほうがいいと言ったWさんを始め、私の頭の中ではもう彼らが主役です。理科はEJUの出題方法を踏まえて授業をしています。学期休みや連休なんかがありますから、6月の本番まで受験講座は10回あるかどうかです。カウントダウンしながら授業を進めなければなりません。
Gさんは無事書類を書き上げて、郵便局へ持って行きました。その一方で、行き先が決まらずに進学相談に来る学生もいます。そういう学生をきちんと送り込むところまでが私たちの仕事です。
3月12日(水)
会場の四谷区民センター9階のホールに着くと、TさんがGさんのネクタイを締めてあげているところでした。その横に手持ち無沙汰そうにLさんが立っていました。「早く行っても待っててもらうだけだよ」と強く言ったのが効いたのか、いつもの年より学生の出足は遅めでした。
ステージ上から卒業生・修了生の入場を見ていると、いつもより幾分緊張したこわばった顔や、いかにもうれしそうなにこやかな顔が並んでいました。スーツ姿が続々と入ってくるのは、なかなかもって壮観ですね。
証書の授与のときには各学生をじっくり観察できます。馬子にも衣装なんて言ったら失礼ですが、普段のこ汚いジャケットやジーンズではなく、女性の場合お化粧のし方も違うので、演台の前に立った学生を見て驚くこともしばしばでした。いかにも着慣れていない一張羅も、初々しい感じがしました。逆に、普段着で来ている学生はみすぼらしく見えました。私はカメラ柄のネクタイで、あなたのことをいつまでも記憶に残しておきたいですっていう気持ちを表しました。学生は証書に目が行っていて、そんなことに気づいてはいなかったでしょうが。
8割ぐらいの学生は、クラスや選択授業や受験講座で教えたり、面接練習をしたりしたことがありました。そういう接触がなくても、なんとなく顔を知っている学生ばかりでした。笑ったり怒ったり、感心させたりさせられたり、私自身のこの1年を振り返るようでした。
式の後は場所を移して卒業パーティー。今年は会場で映像が使えるというので、O先生が力こぶを入れて企画を編み出しました。機器の調子が悪く一時はどうなることかと思いましたが、映像を見た学生たちは大いに盛り上がりました。また、ダンスクラブの演技初披露は練習を積んだことがよくわかる出来栄えで、歓声と拍手の渦が湧き上がりました。
終了時刻を過ぎても教師や友人と写真を撮る学生が、名残惜しそうにいつまでも残っていました。卒業生・修了生たちは明日からのんびりできますが、私たちは明日からまたいつものように授業です。
3月11日(火)
Cさんが特訓を受けています。明日の卒業式で卒業生代表としての挨拶の練習です。イントネーション、長音、促音、濁音など、今までの授業の総復習をしているようでもあります。
CさんはG大学への進学が決まっています。決してできない学生ではないというか、日本語の実力は相当なものがあります。しかし、周りの友人とは違って、今まで晴れやかな舞台に立ったことがありませんでした。クラスメートを前に発表するのが関の山でした。このまま卒業させるのはいかがなものと思って、卒業生代表を打診しました。Cさんはあっさり引き受けました。自分もそういう大役を果たしたいという気持ちもあるのでしょう。
正式なスピーチとなると、いい加減な話し方は許されません。今年から卒業式をユーストリームで中継するようになりましたから、Cさんのスピーチは全世界に流れるのです。内容は言うに及ばず、発音もきれいでなければ世界を相手にはできません。聞き手を引き付けられません。Cさんは発音の面で苦労しています。今までのクラスの中での発表などは勢いでなんとなく伝わればそれでOKでしたが、今回は正確かつ美しくかつ格調高いことが求められているのです。
これがCさんにとって本当の意味の卒業試験です。去年のスピーチコンテストで最優秀賞を取った同級生のHさんもCさんにアドバイスしています。この仕事をしっかり成し遂げたとき、Cさんの日本語は一皮むけるのだと思います。明日の本番、適度に緊張して、卒業式を引き締めるスピーチをしてくれることを期待しています。
3月10日(月)
国立大学を受けたLさんが、合否発表のあった土曜日に落ちたと言っていたという噂を耳にして、今朝、私は出勤するやこれから受けられる大学や専門学校を探しました。今日はLさんのクラスなので、授業後にでも捕まえて話をつけなければ。その材料です。あさってが卒業式という意味も含めて、時間との勝負です。とにかく急がなければなりません。
教室に入ると、肝心のLさんは欠席。家で泣き続けているのだろうかと、Lさんのことを気にしつつも淡々と授業を続け、前半が終わりました。休憩時間に、友人と一緒に登校してきたLさんにばったり会いました。思ったほど暗そうな顔をしていなかったので、もう落ちたショックは吹っ切れたのだろうかと思いました。
後半の授業の出席を取り終わると、Lさんは「K大学に合格しました」と言うではありませんか。土曜日に見たのは日本人受験生の合否発表で、それを見て落ち込んでいたら入学手続き書類が届いたそうです。クラス全員が拍手しました。私の今朝の仕事は無駄骨になってしまいましたが、こういう無駄骨なら大歓迎です。
このクラスは大半が卒業なので、それからは証書の受け取り方など、卒業式の予行演習をしました。その後は寄せ書きをしました。各学生が他の学生の紙にひとことずつはなむけの言葉を書きます。Lさんのには早速「K大学合格おめでとう」と書かれていました。みんな、お互いに突っ込みを入れながら楽しそうに書いていました。
授業後、ラウンジは、Lさんを含めて入学手続き書類を書く学生でにぎわっていました。これから発表の学生がまだ数名いるのが気になりますが、にっこり笑って卒業生を送ることができそうです。
3月7日(金)
朝、教師の打ち合わせを終えて私のバスに乗ると、早くも学生が1人いました。家でじっとしていられずに来てしまったようです。出発予定時刻の8時までにはほぼすべての学生がそろい、駅から走ってきたPさんを乗せて、日光江戸村に向けて出発しました。前回・2年前は、曇り空の東京を出発して江戸村に着く少し前から冷たい雨に見舞われました。今回は、途中遠くに富士山も拝めるほどの空模様で、寒いながらも日も射すお天気に恵まれました。
江戸村に着くやいなや、侍やら町人やらの衣装に身を包んだスタッフがお出迎え。学生たちは早速カメラを向けていました。私のところへは町年寄風のいでたちの支配人さんがあいさつに来てくれました。前回は周りの山肌に沿って雲が立ち上っていてうっそうとした雰囲気でしたが、今回は青空ものぞいて伸びやかな感じがしました。
私と一緒に村内を回った学生が一番驚いていたのは、江戸時代の刑罰でした。磔は想像の範囲内だったようですが、火あぶりの刑を説明すると学生たちは顔をゆがめていました。また、石抱きの三角形の木と直方体の石はどうやって使うのか全くわからなかったようでした。説明すると何名かの学生が実際に挑戦してみました。三角形の木の上に正座するだけで苦痛だと言っていました。こういう拷問を考え出した江戸時代の人たちを、学生たちは半分感心しながらも、半分恐れてもいるように見えました。
前回同様、花魁ショーに出演しました。この前は大石内蔵助という設定でしたが、今回はそういう特定の人ではなく単に「お大尽」でした。花魁から杯にお酒を注がれてそれを飲み干すというシーンがありました。本物のお酒だったので飲むわけにはいかず、飲んだふりだけしました。その後、しゃっくりが出たふりをしたら、会場がかなりウケていました。後で聞くと、本当にお酒を飲んだと思った学生もいたようで、われながら結構な演技だったと自画自賛しました。ショーが終わり、出演者が舞台でお礼をする段になると、おひねりの嵐でした。私の頭にも数発命中しました。
帰りは、例によって、学生も教師もぐっすり。私も、行程の半分ぐらいは寝ていたでしょうか。以前は学生が寝てしまっても寝ずに景色を眺めたり、往きはバスレクで十分観察できなかった風物を観察したりしていましたが、最近はできなくなりましたね。
さて、来週は卒業式が控えています。学校の1年がもうすぐ終わります。
3月6日(木)
今日は啓蟄、虫たちが冬ごもりから目覚める頃です。しかし、今日目覚めた虫たちは、寒さに首をすくめてしまうことでしょう。東京の最高気温は9度でした。明日のバス旅行で行くことになっている日光江戸村は、日中かろうじてプラスの気温になる程度のようです。たとえ寒くても、今日ぐらいきれいに晴れてくれれば、学生たちの印象がぐっとよくなるんですがね。
それから今日は、上級の選択授業の最終日でした。私が担当した「身近な科学」の最終回は「光」を取り上げました。光を感じる器官として目も取り上げました。この授業を取っている学生には近視が多く、近視の仕組みにも関心を示していました。それ以上に学生の気を引いたのは、老眼についてでした。私の経験談を交えて解説し、「君たちもあと20年でこっちのグループだよ。20年なんてすぐだぞ」なんて言ってやりました。すると、「先生、近視の人は老眼にならないって聞いたんですが…」「いいえ、近視の人も老眼になります。近くも遠くも見にくくなります」「老眼にならない人もいますか」「老眼になるのが遅い人はいますが、ならない人はいません」といったやり取りがありました。私が脅しすぎたのがいけないのでしょうか、学生たちは老眼におびえていました。
授業の最後は「光の春」。もう3月ですから「光の春」というには遅すぎますが、冷たい風の中にも日差しに春の力強さを感じる今日みたいな日には、思わず使いたくなります。明日もまぶしいくらいの光に恵まれたら、今年度の最後を飾るイベントになるでしょう。
3月5日(水)
昨日と今日で、来学期から受験講座を受ける学生のためのオリエンテーションをしました。昨日は初級の進学コースの学生向け、今日は進学コースではない学生向けでした。
進学コースの学生は、毎日「進学日本語」の授業を受けています。その授業で受験についての基礎知識を入れているだけあって、こちらからの問いかけにもどんどん答えてくれました。私立大学の受験のピークは? 私立大学の受験料はいくらぐらい? TOEFLの受験料は? などと聞けば、すぐ正解が返ってきました。
一方、今日の学生たちは、意欲はありますが基礎知識が全くない状態でした。意欲が空回りという気がしないでもありません。入学するのが来年の4月ですから、まだまだ時間的に余裕があると感じていた学生もいたようですが、大学によっては6月ぐらいにTOEFLの申し込みをしないと間に合わないと話すと、顔つきが険しくなりました。
その後、クラスの学生の面接をしました。中級のLさんはS大学が第一志望。S大学についてはすっかり調べ上げていて、入試のシステムについても私より詳しいくらいでした。その最終目標に向かって、いつ何をすればよいかも見えているようで、あとはその未日を着実に進むことだけです。Sさんも進学コースの学生で、諸先生方からがっちり鍛えられています。
こうしてみると、進学コースの学生は出来が悪いとか何とかいいながらも、結構意識が高いことがわかります。訓練の賜物なんて言っちゃうと自画自賛になってしまいますが、毎日の授業は学生たちの脳に積み重ねられています。
さらにその後、受験講座の授業をしました。今学期から新たに始まりましたが、受講生の頭の中には、もう、知識体系ができつつあります。4月から加わる学生にも、早く追いついてもらわねばなりません。