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KCP校長ブログ

  KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。

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暖かい豆まき

2月3日(月)
 今日は節分。午前のクラスは例によって、赤坂の日枝神社へ豆まきを見に行きました。去年・おととしは土日でしたから、例によってといったものの3年ぶりで、赤坂見附の駅の様子も少々変わっていました。でも、もちろん、日枝神社は変わるはずもなく、朱色の鳥居が続く稲荷参道を上って境内へ。
 豆まきには、毎年何名かの有名人が呼ばれますが、今年はその中にミスソフィアがいました。「先生、あそこにすげーきれいな人がいますよ」と目敏く見つけたHさんが指差す方向を見ると、和服姿の女性が光っていました。きれいな人というよりも先に、数年前に卒業したAさんに似ているなと思いました。上智大学に進学することになっているLさんは、「来年は私が来ますよ」と自身ありげに一言。「ミスソフィアじゃなくてブスソフィアじゃないの?」なんていうツッコミにも耐えていました。
 舞台の上から力士や年男・年女の方々などが豆の入った袋をまき始めると、毎度おなじみの修羅場が繰り広げられました。私の目の前に立っていたSさんは、見事にダイレクトキャッチ。豆と一緒に幸運もつかんだのでしょうか。私は闘争心が薄いのか、毎年全然つかめません。他人を押しのけて前に出る積極性というかずうずうしさというか自分の運命を切り開こうとする意欲というか、豆をつかむにはそういうものが必要です。
 豆まきが終わって学生がばらばら集まってくると、CさんやHさんなどは何袋もの豆をかばんに詰め込んでいました。普段の行いを見る限り、この人たちがたくさん取るのは当然ですね。しかし、控えめでどことなく弱々しい感じのするJさんが2つもゲットしていたのには驚きました。最近元気がなかったので、これを気に調子を上向かせてくれればと思っています。
 冬の乾いた空気ではなく、湿り気を感じ、空には霞がかかっていかにも春らしい1日でした。豆まきの最中ボーっと突っ立っていた私ですら、コートなしでもうっすら汗をかいたくらい暖かでした。「もうすぐ春」といきたいところですが、今晩から寒波が襲ってきて、週末にかけて真冬に戻るそうです。まだまだ、春は名のみのようです。

  • 2014年02月03日(月)17時09分

国を忘れない

1月31日(金)
 朝、教室に入ると、学生は半分も来ていませんでした。その後ばらばらと遅刻の学生が入ってきて、最終的には、まあ何とか見られるくらいの出席率になりました。他のクラスも多かれ少なかれ、こんな傾向だったようです。遅刻・欠席の原因は、春節です。昨日は旧暦の大晦日で、大いに飲んだくれた学生が多かったのです。
 翌日に影響が出るほど飲んではいけないというのは、酒飲みが守るべき最低限のエチケットです。それすら守れないのなら、酒を飲む資格はありません。社会的に糾弾されると同時に、自分の体を壊しかねません。
 それから、留学した先でまで国の習慣を引きずるのは、留学生にあるまじき態度です。国を捨てろとまでは言いませんが、国の習慣で学校を休むほど飲みすぎるようでは、留学の意義も半減します。国とは違う生活にどっぷりつかり、国を客観的に見る目を養うのが留学の本来の姿だと思います。日本に何十年も住んでいる人たちが国を懐かしんで国の伝統行事を行うのとはわけが違います。
 今日、春節関連で休んだ学生たちは、二流か三流の留学生だと思います。このままでは得るものの少ない留学に終わることでしょう。青春の思い出としての留学なら、それでもいいでしょう。しかし、人生をかけての留学なら、それは許されることではありません。
 私は留学の経験はありませんが、留学したとしたら、日本のお正月に日本人どうしで群れて、「明けましておめでとう」なんて、絶対にやりません。周囲に対しては日本人の代表として振る舞いつつも、自分自身に対しては日本的なものを忘れてその国の中に進んで身を置くでしょう。
 今日休んだ学生以上に許せないのが、昨年末に一時帰国したきりいまだに戻ってこないCさんです。一時帰国ではなく、永久帰国でいいとさえ思っています。Cさんは日本の大学に受かっていますが、こんな調子じゃそこでろくな勉強はできないでしょう。国の大学に進学したほうが、本人にとって幸せだと思っています。のこのこ戻ってきたって、簡単には存在を認めてやるつもりはありません。

  • 2014年01月31日(金)20時15分

いい大学に行きたい

1月30日(木)
 Bさんは今学期から受験講座に本格的に参加し、来年の大学進学を狙っている学生です。大学で化学を勉強したいと言っていますが、その先があまりにも漠然としています。
 「先生、化学を勉強したいんですが、いい大学はどこですか」なんて聞かれても、Bさんにとっていい大学とはどんな大学なのか、化学といっても幅が広いけれどもどの分野を勉強したいのかなど、突っ込みどころ満載です。質問していったら、国の高校では化学が得意だったから大学でも化学を勉強しようと思っているということがわかりました。現在、化学で就職に有利な分野を、できるだけ有名な大学で勉強したいのです。そして、要するに、東大以外の偏差値の高い大学が知りたかったようです。
 それぐらい簡単に答えられますが、今のBさんの考え方は、あまりにも安直です。自分というものがなく、将来のビジョンも全くありません。こんな状態では、勉強のための勉強になってしまいます。得意な化学はそれでも何とか勉強していけるかもしれませんが、他の科目は早晩やる気が失せてくるでしょう。化学は点が取れるけれどもその他は成績が伸ばせず、その結果を見てスランプに陥り、化学まで振るわなくなって、不本意な進学を余儀なくされるパターンが見えてきます。
 今のBさんは日本語力がまだまだです。今日だって、話が通じずに聞き返す場面がありました。得意だと言っている化学だって、ちょっとひねった問題に手もなく引っかかってしまいます。下手な対応をしていくと、本番のEJUで思ったように点が伸ばせず、自信を失ってしまいかねません。そもそも、大学での学問は何たるものかがわかっていませんから、そこから鍛えていかなければなりません。
 でも、意欲だけはあります。この時期から進路について正しく悩み続ければ、十分に納得できる形で進学できるでしょう。

  • 2014年01月30日(木)20時31分

もう1年?

1月29日(水)
 EさんはS大学に合格し、この3月に卒業することになっている学生です。あとは入学手続きを済ませ、卒業式を待つばかり…のはずでした。そのSさんが、突然、もう1年勉強したいと言い出しました。
 自分は、確かにS大学という名のある大学に合格した。しかし、高校までに身に付けた力だけで受かってしまった。このままS大学で勉強を始めても、きっと後悔するだろう。今のままでは不完全燃焼だから、もう1年、今度は必死に受験勉強に取り組み、悔いを残さないようにしたい。
 これがEさんの言い分です。大して勉強してこなかったというのは真実だと思います。それでもEJUでは友人たちがうらやむような点を取り、受験すればS大学に受かってしまうぐらいの力があるのです。本気で勉強していたら、W大学やK大学にも受かったでしょうし、今頃国立受験でピリピリしていたことでしょう。このままでいいのだろうかというのは、Eさん自身の良心のうめき声だと思います。
 じゃあEさんに再挑戦を認めるかというと、私はS大学への進学を勧めました。最大の理由は、今の気持ちを1年間持続できるかかというと、多分無理だろうという点です。今は心が熱いですから、後悔とも自分自身に対する不満ともつかない衝動をエネルギー源にして前進できます。しかし、そのエネルギーをいつまで補給できるか、そのエネルギーが涸れたときに新しいエネルギー源を見つけられるかという点において不安を禁じえません。逆に、何で素直にS大学に進学しなかったのだろうという別の後悔が生じて、それが負のエネルギーに化してしまいかねません。
 今まで多くの学生が“もう1年”と言いながら上のレベルに挑戦しました。しかし、その挑戦に成功したのは、ほんの数えるほどです。壮図、雄図のはずが、いつの間にか目の前の漢字テストをこなし続ける自転車操業に陥ってしまうのです。だからこそ、EさんにもS大学への入学を勧めたわけです。勉強してこなかったという気持ちがあるのなら、大学に入ってから講義のすべてを吸収しようという方向にむけたほうが、Eさんの将来につながります。大学院に進学する気持ちがあるのなら、そのときにこそ、この悔しさをぶつけるべきです。
 惜しむらくは、1年早くこういう気持ちにならなかったことです。後悔先に立たずとは、げに名言です。
 受験講座をしなければなりませんでしたから、Eさんの結論は聞いていません。明日、Eさんからどんな話が聞けるのでしょうか。

  • 2014年01月29日(水)20時14分

大変身

1月28日(火)
 卒業式に向かって、時が着実に流れています。卒業文集は既に締め切り、卒業生中心のクラスは卒業制作をどうするかにクラスの話題が移ってきています。今日、私が入ったクラスは、ものまねをすることになっています。先生、同級生のものまねをして模擬授業をするといって、学生たちは盛り上がっています。私もものまねの餌食になるみたいで、ちょっと恐ろしいような…。
 演劇部、ダンスクラブなど新しいクラブは、卒業式で演技を披露するべく練習を積み重ねています。O先生などの尽力により、卒業式も数年前と比べて著しくドラマチックになってきましましたが、今年はまた新たな流れが生まれそうです。どんな卒業式になるのでしょうか。
 そんなことを考えながら別館の事務所に入ろうとしたら、見知らぬお客さんが事務局のTさんやPさんたちと話していました。表口から入るのがためらわれたので裏に回ろうとしたら、「金原先生」と呼びかけられました。怪訝な顔をしつつそのお客さんのいる表口から入ると、「F先生ですよ、ブラジルに行ってる」と紹介されてしまいました。それでもまだ要領を得ない私に、F先生は声をかけてくれました。その声を聞いて、ようやくF先生だとわかりました。顔の輪郭がブラジルへ行く前とは全然違っていて、本気でわかりませんでした。でも、笑った顔は、目の辺りがF先生でした。話していくうちに、しぐさは変わってないなとか、髪形が違ってるから印象が変わったのかなとか、いろいろ観察してしまいました。
 その後、F先生は本館の職員室へも来ましたが、私と同じようにF先生とは気が付かない先生も何名か。やっぱり、ブラジルみたいな環境の大きく違うところまで行くと、日本にい続けている私なんか想像もつかない方向に成長していくのでしょう。
 KCPで勉強した学生たちを親御さんが久しぶりにご覧になったら、F先生と同じくらい変身したように見えるんでしょうね。毎年、卒業式には何名かの親御さんがお見えになります。今年もご自分のお子さんが立派になった姿をご覧になってもらいたいと思っています。

  • 2014年01月28日(火)17時09分

勝負はこれからだ

1月27日(月)
 先週末にもいくつかの大学の合格発表があり、喜んだ学生もいれば悔し涙にくれた学生もいました。受かった学生の中にはこれで5校目なんていうのもいますが、“健闘むなしく”が続いている学生もいます。後者が怠け者ならいざ知らず、人一倍努力する学生だったりしますから、つくづく世の中不公平なものだと思います。
 “健闘むなしく”組のLさんは早速相談に来ました。この時期になると、選択肢は国立大学かあまりレベルの高くない大学の両極端です。LさんのEJUの成績を考えると、国立大学に手が届かないこともありません。英語ができるので、英語で勝負できるところを狙ったほうが有利な戦いができます。もちろん本人のやりたい学問も考慮の上、数校の大学を紹介しました。
 Sさんは去年のうちからもしだめだったらという場合を想定して、二の矢三の矢を用意していました。その想定に従って粛々と行動したようで、今朝学校に次に出願すべき大学の願書が届いていました。授業の直前にそれを渡すと、前向きにその大学を受けようという決意を伝えてくれました。この気持ちが受験当日まで続けば、今度こそはいい知らせが聞けそうだと思いました。
 LさんもSさんも土俵際です。十分勝ち目のある勝負に挑むわけですが、油断したら奈落の底に落ちかねません。日本人の高校生なら1年ぐらい浪人してもどうにでもなります。しかし、異国の地で浪人となれば話は違います。帰国して人生設計を根本方立て直すなんていうことだってあり得ます。いくら毎年受験生を見続けてきているとはいえ、そのプレッシャーたるや、私の想像をはるかに超えるものでしょう。
 2人とも、来月早々に出願で、半ばから下旬にかけて受験です。にっこり笑って卒業式が迎えられることを祈るばかりです。

  • 2014年01月27日(月)18時08分

将来像を作り上げる

1月24日(金)
 このところ連日、国立大学を狙うPさんの面接練習をしています。PさんはEJUの成績もよく、日本語力も高く、能力的には申し分ないのですが、その能力を生かす道をまだ見つけられずにいる状態です。志望理由とか将来の計画とかが弱いのです。
 Pさんは頭がいいですから、そういう自分の弱点にも気づいています。だから、面接練習を繰り返しているとも言えます。したがって、私の役割はPさん自身に将来像を描かせることです。私はPさんが選んだ学部でどんな勉強ができ、それがどんな仕事につながりということや、その学問の現状や将来展望を語ります。Pさんがそこから何かを感じ取り、自分の将来像をより鮮明にしていく手助けをしているのです。
 私の話をヒントに、Pさんも自分でインターネットなどで調べ、自分が進もうとしている道の先や周りに何があるかが、だんだん見えてきたようです。練習を始めた頃に比べれば、格段の進歩です。しかし、Pさんが目指している大学のレベルに到達しているかどうかはわかりません。
 本当は、こういう話はもっと早い時期にやっておかなければなりません。しかし、日本人の高校生の受験生はここまで深く考えてはいないでしょう。さすがにこのごろは偏差値だけで行き先を決める受験生は減ってきているでしょうが、将来構想をきちんと描ききって受験に望む受験生が大半だとも思えません。だから留学生よりも優遇されているというのではなく、大学は留学生に対して期待しているのだと思います。
 来週もPさんの戦いは続きます。一歩ずつ、大学の期待に答えられる学生に近づいていってほしいと思っています。

  • 2014年01月24日(金)17時16分

始まりましたが…

1月23日(木)
 東京都知事選が始まりました。今日は初日ですからどの候補もきっと繁華街を中心に運動したのでしょう、KCPの近くは平穏な一日でした。まあ、そのうち授業中に選挙カーが通って、教室の中に連呼の声がこだまするようになるんでしょうけど。
 16名が立候補しましたが、その全員が男性というのもいまどきの知事選ではかえって珍しいんじゃないでしょうか。80代が3名、70代も3名と、高齢者が多いのも特徴といえましょう。私が立候補しても若い方から2番目になります。実質元国会議員2人の一騎打ちと思って、若手の政治家は敬遠しちゃったのでしょうか。
 東京は日本の首都であり、日本の人口の10分の1が暮らす最大の都市です。地方の時代とは言いますが、東京が変わることが日本の国が変わることにつながることも事実です。石原さんが始めたディーゼル車の排ガス規制もそうだし、美濃部さんは国に先駆けて福祉政策を推し進めました。今回は原発を廃止するかどうかが争点の1つになっていますが、大いに議論してもらいたいです。
 東京オリンピックをいかにして成功に導くかも、今回の選挙で問われることになるでしょう。日ごろ外国人に接している日本語教師としては、そこにぜひ外国人が暮らしやすい街づくりという視点を加えてもらいたいです。現在は、残念ながら、東京に住む外国人は弱者の地位に甘んじています。何かにつけて窮屈を強いられています。単に外国語の看板を増やせばいいという問題ではありません。制度や都民の意識のレベルから、根本的に新時代の日本人と外国人との付き合い方のあるべき姿を追求する姿勢が必要です。この点においてリーダーシップが取れる人に、国に対してものが言える人に、東京都のトップに就いてもらいたいと思っています。
 こういう考えに立つと、私ですら下から2番目という候補者の高齢化が気になります。原発ゼロもオリンピック成功も、20世紀の発想です。21世紀中葉を迎えようというこれからの時期には、それにふさわしい着眼点を持つ人の出現が望まれます。今回の16名は、果たしてどうなのでしょうか。

  • 2014年01月23日(木)21時56分

追試の意味

1月22日(水)
 授業後、NさんとJさんが追試を受けました。今学期、私のクラスは毎日のようにテストをしていますから、欠席したり遅刻したりすると、すぐに未受験のテストがたまってしまいます。NさんとJさんも、昨日までの遅刻・欠席日のテストを受けたのです。
 テストは授業をきちんと受けていれば確実に解けるものにしています。ですから、そんなにひねったものにはしていません。現にテストを受けた学生の平均点は結構高いです。授業の復習のよすがにしてもらえればという発想です。授業を受けずにテストだけ受けるということはあまり考えていませんでした。
 NさんとJさんが追試を受けたのは偉いのですが、一週間分のテストをまとめて受けるようなことはしてほしくありません。試験範囲をひたすら丸暗記すれば点が取れますが、それは私の意図したことと違いますし、それで後に残る力が付くとも思えません。中間テストが迫ってきたら、2人のように借金を一気に返そうとするような学生が続出するのではないかと気をもんでいます。
 テストは学生をいじめるためにしているのではありません。学生の勉強のペースを整えたり、学生自身が弱点を把握してその補強ができるようにしたり、という目的があります。教師側には、学生の理解度を把握し、それを今後の授業計画に反映するという意味合いもあります。学生たちがみんな一夜漬け的な勉強でテストに臨んだとしたら、こういったことは全く実現できなくなります。単なる消化試合に堕してしまいます。
 2人とも頭はいいですから今日受けたテストはすべて合格点でした。それはそれで評価しますが、何か割り切れないものが残りました。

  • 2014年01月22日(水)21時59分

どちらを選ぶ?

1月21日(火)
 朝7時半にJさんがやってきました。今年の4月に進学すべきか来年にすべきかという相談です。Jさんは昨年秋の入学ですから、来年の3月までKCPで勉強する権利があります。11月のEJUの成績や最新のTOEFLの成績だと、Jさんが考えていた大学には手が届きそうもないので、悩んでいるのです。
 Jさんの場合、大学の「名前」がほしければ、東京の名の通った大学の学生というステータスがほしければ、有名大学の卒業証書がほしければ、もう1年頑張るしかないでしょう。しかし、地方の国立大学だったら十分に戦える点数です。今年の4月からの1年をKCPで過ごすのか、大学生として専門の勉強を進めるのか、どちらがJさんの人生にとってプラスになるでしょうか。
 「もう1年頑張る」と口で言うのはたやすいですが、本当に1年頑張り続けるのは容易なことではありません。それは、Jさんの先輩たちが証明しています。仲のいい友達が卒業し、孤独な戦いが強いられると、心が折れやすくなるものです。よきライバルが見つかれば大いに力を伸ばすこともあるでしょう。この3月に卒業する学生たちはそういう関係が築けた学生が多かったですが、そのおかげで3月にJさんの周りの学生がごっそり抜けてしまいます。Jさんが初志貫徹できるか、いささか心配です。
 また、地方の国立大学の学生は、その土地では疑いなく尊敬されます。しかも海を越えてきた学生となれば、尊敬の度合いもより一層高まります。東京における東大生よりも、ずっとステータスは高いでしょう。だから、気持ちよくかつのびのびと学生生活が送れるはずです。東京以外の土地を知ることで、日本に対する目も変わってきます。世界が大きく広がります。より大きな世界を目にすることも、留学の大きな意義の1つです。
 そうは言っても、最終的に決めるのはJさんです。大学出願締切日の関係でじっくり考えている時間はありませんが、来年の今頃悔いているようなことのないようにしてもらいたいです。

  • 2014年01月21日(火)19時37分

Hさんの欲

1月20日(月)
 HさんはS大学に合格しました。Hさんの実力なら十分合格できると思っていました。そのHさん、急に国立大学を受けると言い出しました。国立に挑戦すること自体は大いに結構なのですが、いかんせんスタートが遅すぎます。願書を取り寄せる時間などを考えると、出願締切日が来週以降でないと出願はできません。となると、出願できる大学が非常に限られてきます。
 Hさんは優秀な学生です。語学のセンスがよく、どんなテストでもそれなり以上の高得点を取ってきます。だから、きちんと勉強し計画的に勉強を進めていれば、幅広い選択肢の中から志望校を選べたはずです。しかし、Hさんは春から夏にかけて遊んでしまいました。本人からすると、遊んでいたという意識は薄いかもしれませんが、周りの教師の目からは、遊んでいる以外の何物でもありませんでした。Hさんが本来目指していた大学の入試の頃は全くエンジンがかからず、目の色が変わり始めたのは年末近く。
  もちろん、私たちも手をこまぬいていたわけではありません。進路指導していかねければならない学生が大勢いるので、なかなか言うことを聞かない学生はどうしても後回しになってしまいます。自分で必死に進学先を探し、相談に来て、議論を戦わす学生が優先されることは致し方ありません。というよりは、それが当然ではないでしょうか。
 そうはいっても、Hさんへの指導が不十分だったうらみはあります。もっと強力に強引に強権的にHさんの顔をこちらに向けさせるような指導をしてきたら、あるいは違った結果になったかもしれません。Hさんの持てる力を十分に発揮させるには、誰かが徹底的に嫌われ役になる必要がありました。眠っている才能をたたき起こしてこそ教師なのですから。
 でも、何はともあれ、進学についてようやく欲を出してきてくれたHさんを、今度こそうまく引っ張り上げて、笑顔で卒業させてあげたいです。

  • 2014年01月20日(月)19時59分

もうすぐ選挙

1月17日(金)
 いつの間にか、街角には東京都知事選挙用のポスター掲示板が立てられています。来週の木曜日、23日が告示で、2月9日が投票日ですから、もうそういう時期なんですね。
 昨日のクラスで、ひょんなことから選挙カーのスピーカーからの声がうるさいという意見が学生から出ました。このところわりと頻繁に選挙がありましたが、選挙カーが来るたびに候補者名の連呼が教室に侵入し、学生の集中をとぎらせました。学生の神経が窓の外へ行ってしまうと、それを引き戻すのはけっこう骨です。傾聴に値するような話をしてくれるなら上級の耳の訓練にもなりますが、単に自分の名前を叫び続けているだけでは、学生の失笑を買うことにしかなりません。また、週末の選挙カーは、のんびり休んでいる学生たちの心をざらつかせるのでしょう。候補者の皆さんは、世界中の若者の笑いもの、鼻つまみ者になっているのをご存じないんでしょうね。そして、今回の選挙もおんなじことが繰り返されるに違いありません。
 インターネットを使った選挙運動が少しずつ進んできてはいますが、従来のアナログ(アナクロ?)的な活動が主流です。私は世界の選挙運動に通じているわけではありませんが、日本のやり方はどうも好きになれません。私も学生同様、選挙カーは騒音源としか思えません。じゃあ立会演説会かなんかに行ったことがあるのかというと、それもありません。無党派層の浮動票として、その都度どっかから情報を集めて投票しています。
 今回の選挙は、細川さんが出馬表明したあたりから原発の是非が争点になりつつあります。高度な問題が問われるのですから、それにふさわしい選挙運動をしてもらいたいところです。

  • 2014年01月17日(金)20時00分

新メンバーで

1月16日(木)
 昨日から受験講座が始まっています。私が担当する理科は、水木金の午後です。今学期は、週の後半に一仕事しないと週末が迎えられない仕組みになっています。
 1月の受験講座は、新しいメンバーで始めます。これからは、2015年春の大学進学を狙う学生たちの面倒を見ていくことになります。今日の化学も、元素記号と日本語名を対応させるところからスタートです。
 今年は受験講座で使う教科書を替えました。日本の高校の教育課程が変わったのに伴い、EJUの理科も来年から少し出題範囲が変わります。それを先取りして、教科書を新しくしたのです。項目の配列や練習問題の置き方など、もちろん練習問題そのものも以前の教科書とは違う点が多いので、今学期は学生とともに勉強していかなければなりません。
 今日は初回ですから、また、内容的にもさほど難しくなかったので、学生たちは目を輝かせていました。これから週を追うごとに内容が高度になります。この目の輝きをどうにか6月のEJU本番まで維持させられるかどうかは、私の腕1本にかかっているわけです。今年こそ、理科で挫折する学生が出ないようにと、誓いを新たにしました。受験勉強のための理科ではなく、理科の面白さ、可能性を語れる授業をしていきたいです。
 受験講座に限らず、いろんなことが動き出しています。今日はクラブ活動の勧誘会がありました。演劇部のNさんは、私を見つけるなり「先生、入りませんか。毎週お菓子が食べられますよ」と誘ってくるではありませんか。名簿には既に何名かの名前が。この勢いで頑張れば、卒業式に何かしてくれるところまでになるのかな…。

  • 2014年01月16日(木)18時50分

鍛え甲斐

1月15日(水)
 今日のクラスは中級クラス。上級や超級を教えている目からすると、甘さばかりが目立ってしまいます。漢字の授業は必ず予習してくることになっていますが、教科書が取り上げている単語しか調べてきません。だから、そこから一歩でも外れたことを質問すると、まるっきり答えられません。教科書に書かれている日本語の文を読むのが精一杯で、それ以上のことは荷が重過ぎるのでしょう。あるいは、国の言葉では説明できても、日本語で同じことは説明できないのかもしれません。
 抽象概念を表す言葉がたくさん出てくるのが中級です。その意味を正確につかみ、使い分けができるようになることが、中級から上級にかけての語彙面での山です。この山が越えられないと、読解力が頭打ちになってしまいます。アニメを見て笑うのがせいぜいの日本語話者になってしまいます。
  アニメでも深いところで理解するには、日本で高等教育を受けたり就職しようとしたりするには、より高度なレベルの単語が必要です。「助ける」には、「救助」「救援」「救済」「援助」「支援」など、多くの単語の意味が含まれています。これを単に「助ける」としてしまうのは、初級レベルの日本語です。「優しい」という言葉を使わずにある人が優しい心根の持ち主であることを示せるっていうのが、中級以上の日本語です。
 中級は、語彙を増やし表現の幅を広げることでネイティブの日本人に迫っていくレベルです。上級クラスの学生と中級クラスの学生とが一番違うのが、知っていることばの数、使えることばの数です。今日のクラスの学生たちは、そういう意味では鍛え甲斐があります。3月まで、みっちりいじめていきたいです。

  • 2014年01月15日(水)19時56分

食生活を考え直す

1月14日(火)
 始業日の教科書販売の最中に、Sさんが倒れてしまいました。ソファーに横になっても具合が良くならないので、病院に運ばれました。
 Sさんは、昨夜はおなかがすいていなかったから何も食べなかったとのこと。今朝も何も食べずに学校へ来たため、倒れてしまったようです。要するに、食生活がいい加減だったというのが倒れた原因でした。
 Sさんに限らず、食生活が乱れている学生が少なくありません。OさんやKさんなど、毎朝目覚ましにたたき起こされる学生は朝食抜きの常連ですし、授業の合間の休憩時間にコンビニに駆け込む学生が健全な食生活を送っているとは思えません。朝昼晩と食べている学生にしても、野菜や果物など、ビタミンやミネラルといった健康維持に不可欠な栄養素を含む食物をきちんと摂っているかどうかは怪しいものです。
  学生たちは、国籍を問わず、日本のパンはおいしいといってよく食べます。そのため、炭水化物太りに陥る学生が後を絶ちません。筋肉で体を作ったのではありませんから、これまた不健康極まりありません。朝食を安くする大学というのが最近よく話題になりますが、KCPもそんな心配をしなければならないかもしれません。
  こんなことを言うと、私自身はきちんとした食生活を送っているかのようですが、私も食事については不規則ですし、質や量にも疑問符が付きます。ただ、私は、毎朝必ず野菜炒めとバナナを食べ、牛乳を1カップ飲みます。夜は主に柑橘類とヨーグルトを食べます。ご飯類は食べなくても、果物とヨーグルトは欠かしません。こういった食物が、私の体をかろうじて支えているのだと思います。昼食は時間の関係で取れないこともありますし、その辺の物を軽くつまんで終わりにすることも少なくありません。それでも倒れないのは、野菜炒めの果物と乳製品のおかげだと思います。
 Sさんはどうやら復活したようです。これから国立大学の入試が待っていますから、おちおち倒れている暇なんかありません。身体はすべての土台ですから、大事にしてもらいたいです。

  • 2014年01月14日(火)19時58分

教材作り

1月10日(金)
 寒い1日でした。最高気温は7度に届かず、朝から晩までずっと北西の季節風が吹き続けました。そんな中、新学期の準備が進んでいます。昨日のプレースメントテストを受けてのクラス編成や、始業日に行われる教科書販売の準備などが進められています。
 私は超級クラスの教材準備を進めました。このクラスは、市販の留学生向け教材では易し過ぎて間に合いません。JLPTのN1の問題集ぐらいじゃ満足してくれません。そういうのをネタに、難しい方向にひねった教材を作り出さなければなりません。ただひねるだけではなく、このクラスの学生たちの弱点に塩をすり込むような問題を作り、弱点を補強するとともに学生たちの天狗の鼻を折ることも忘れてはいけません。
  さらに、学生たちにぜひ身に付けてもらいたい口語表現を入れたり、日本人なら子供でも知っているけど留学生は知らない単語を使ったりっていうふうに、オーダーメードで結構てんこ盛りの教材にします。登場人物も、田中さんや山田さんばかりではなく、関口さんや長谷川さん、武藤さんや坂上さんなど、留学生には読みにくい名前にします。日本で暮らしていくなら、“カンコウさん”とか“ナガヤカワさん”なんて言っててはいけません。こういうことも、日本語学校を卒業したら勉強できませんからね。
 超級ともなれば、あらゆる科目のあらゆる教材を通して、日本語だけではなく日本そのものを知っていきます。外国人として日本を知るのではなく、日本の住民として当然知っているべきことを、使える知識として身に付けていくことが必要です。そういうことを教えていくには、市販の教材では非力なのです。

  • 2014年01月10日(金)20時39分

記録的寒波

1月9日(木)
 今週末は記録的な寒波が襲ってくるそうです。既に北米や韓国などではとんでもない寒さになっていて、生活に支障が出ているということです。今日面接練習した学生も、最近の気になるニュースとして、この寒波襲来を挙げていました。今朝の天気予報によると、今晩には日本列島全体が強力な寒気団に覆われると言っていました。正月に体調を崩した身としては、こたえる寒さになるかもしれません。
 この強力寒気団の南下が、地球温暖化によってもたらされているというのですから、話はややこしくなります。通常、寒気団はジェット気流の内側にとどめられています。このジェット気流は北極地方と中緯度地方の温度差が大きいと強まり、寒気団は容易に南下しません。しかし、最近北極の気温が上昇して中緯度地方との温度差が縮まり、ジェット気流が弱まり、寒気団が南下してきて、北米などで猛威を振るっているという次第です。温暖化によって寒くなるなんてしっくり来ませんが、これが地球の生の姿なのです。
 新聞によると、浜離宮では早咲きの梅がぽつぽつ咲き始めたとのことです。これは、やはり、温暖化の影響だと言えます。今年の桜がどうなるかはまだ全然わかりませんが、やっぱり3月中に満開を迎えて、入学式の頃には葉桜になっているのでしょう。
 じわじわとですが、目に見える形で温暖化が身近に迫ってきていることを感じないわけにはいきません。

  • 2014年01月09日(木)18時59分

朝の電話

1月8日(水)
 今朝、一人で仕事をしていると、職員室の電話が鳴りました。またどなたか先生がお休みなのかなと思いつつ受話器を取ると、上級のKさんからでした。「すみませんが、学校は今日からですか」。今日は新入生のプレースメントテストの日で、新学期は14日の火曜日からです。何と気の早い電話でしょう。でも、始業日に休んで電話をかけると「学校は明日からだと思っていました」なんてうすら寝ぼけた世迷言をほざく学生が毎学期いる中、Kさんはもうエンジン全開のようです。来週の火曜日まで失速することのないようにしてもらいたいですね。
 その後、今日は面接練習を4人。今週末から来週にかけて面接がある学生ばかりです。みんな、約束の時間よりも前に学校へ来て、熱心に最終チェックをしていました。息つく間もなく面接練習4連発というのはきついといえばきついですが、効率的といえば実に効率的でした。切羽詰ってくると、時間をきっちり守るようになるものです。今朝のKさんも、実は受験の真っ最中で、“遅れる”ということに過敏になっていたのでしょう。
 その一方で、昨日の夕方出願書類を調えに来ていたJさんは、数時間遅れでした。理由をいろいろと並べていましたが、要するに本人の怠慢です。そろそろ行き先が決まってほしいのですが、こんな気の抜けたことをやってるようでは、もう一波乱あるかもしれません。
 KCPに入ってきたばかりの学生は、日本人の時間に対する細かさに驚きの声を上げます。驚きというよりも細かすぎるという不満かもしれません。しかし、時間で遅刻をカウントされ、時間で約束させられ、学校外でも時間でアルバイトの給料が管理され…、というぐあいに時間の感覚を磨かれ鍛えられ、時間を守ることの大切さを教え込まれるのです。
 今日プレースメントテストを受けた学生たちも、1年後にはこのくらいにはなっているんでしょうね。

  • 2014年01月08日(水)17時58分

K先生との食事

1月7日(火)
 K先生が退任にご挨拶にお見えになり、食事をご一緒しました。K先生は、11月のEJUの直前まで6年にわたり受験講座の総合科目を担当してくださいました。その思い出話やら現代文明論やら世界各国の諸情勢やら、食事をしながら話が四方八方に広がりました。
 話をしていて、改めてK先生は奥の深い方だと感じました。K先生は社会経験も豊富で学識も豊かで、この両者が相まって奥深い人格を形成しているのだと思います。社会経験と学識を有していても、それを有機的に結合し、人をそらさぬ話となって表出できる人はめったにいません。KCPの学生はK先生の教養をどこまでくみ取れたのだろうか、K先生の謦咳に接する機会をどれだけ有効に活用してきたのだろうかと思いました。私自身も、忙しさにかまけてK先生とこんなにゆっくりと広範な話題にわたって話し込むことがなかったことを、とても残念に思いました。
 そんなK先生を感心させることができました。食事の後で昨日医者にもらった薬を飲み、正月早々のノロウイルスの話をすると、「ノロウイルスってニュースでは聞いてたけど、かかった人をこの目で見るのは初めてだなあ」と一言。こんなことで誰かを感心させてもしょうがないですよね。
 「これからは悠々自適の生活ですか」と別れ際にお聞きしたら、「いや、汲々ですよ」と笑いながらおっしゃっていました。各方面から頼られて、結構お忙しい日々を過ごされるそうです。私より20歳以上も年上のK先生がこれからもご活躍なさるという姿に接して、私もKCPの中では年長だからといってまだまだ老け込んではいられないなと元気付けられました。

  • 2014年01月07日(火)17時16分

七里御浜(しちりみはま)とノロ

1月6日(月)
 年末年始は、恒例(?)の名古屋で過ごしました。名古屋を足場に日本海側にも足を伸ばそうと思っていましたが、年末の大雪にビビって足を西に向けました。でも、これには気象観測の意味があります。名古屋は雪がごくわずかちらついた程度で、もちろん積雪ゼロ。岐阜、大垣(おおがき)と東海道線を下っていくと、垂井(たるい)駅と関ヶ原(せきがはら)駅の間で、ちょっと目を離していた隙に車窓が真っ白に。ほんの10秒ぐらいの出来事でした。それからしばらくは30cmぐらいの雪がホームに積もっていました。日本海側からの季節風をさえぎる屏風のように立ちはだかる伊吹山ですが、標高1,377mの屏風1枚では、寒気団の勢いを完全に封じ込めるには力不足のようです。
 米原(まいばら)からさらに大阪方面へ向かうと、彦根(ひこね)の町も雪化粧で、ひこにゃんもさぞ寒かろうと思いました。彦根から4つ目の能登川(のとがわ)駅までは雪の中。能登川駅を過ぎ、安土(あづち)駅との間のトンネルを抜けると、雪はほとんど消えていました。このトンネルは、安土城が築かれた安土山に連なる山を貫くものです。信長は豪雪地帯をきわどく避けて、山上から雪景色が楽しめるところに居城を築いたのです。城下町は、もちろん、雪のないほうに開けていました。兵馬は雪に悩まされることなく集められたのです。信長は琵琶湖の水運を活用する拠点として好適だから築城の地として安土を選んだとされていますが、梅雨時の集中豪雨を利用して今川義元を襲ったほどですから、安土山の南北のこの微妙な気候の違いも計算に入れていたに違いありません。
 名古屋では、南極観測船として活躍した「ふじ」を見学したり、コクのあるカレーうどんを食べたり、マッサージと整体で生き返らせてもらったりしました。大晦日は、初詣の準備を整えつつある豊川稲荷(とよかわいなり)へ。名古屋で年末年始を過ごすようになってから、新年の準備がほぼ整った熱田神宮(あつたじんぐう)、外宮・内宮(げくう・ないくう;ともにいわゆる「伊勢神宮」)などの有名な神社仏閣を訪れるのが趣味になりました。真っ白な布に覆われた賽銭箱にお賽銭を納め、1年無事に送れたお礼と来る年の幸福を祈ります。今年は豊川稲荷の後、蒲郡(がまごおり)付近を歩いて、小高い山の上(ここにもお寺がありました)から三河湾を見下ろしました。穏やかな風景でした。
  元日は、熊野へ行きました。鬼が城を見て、熊野古道の一部の松本峠を越えて、新年からいい汗を流しました。松本峠のてっぺんから見えた七里御浜(しちりみはま)は、まさに絶景でした。お天気にも恵まれ、いい新年のスタートが切れたと思いました。
 しかし、2日の夜から突如として体調がおかしくなり、下痢と嘔吐が止まらなくなり、熱も出ました。翌日医者に診てもらったところ、急性胃腸炎とのこと。それから昨日までは、図らずして寝正月となってしまいました。今日もまだ調子が悪いので、学校の近くの医者に行ったところ、「今聞いた症状からすると、ノロウイルスですね。もう峠は越しましたから人に移ることはありませんが…」とのこと。ノロウイルスってこんなにしんどいのかって、新年早々思い知らされました。
 いいこと、悪いこと、今年もいろいろなことがありそうな予感をさせられた年末年始でした。

  • 2014年01月06日(月)18時59分
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