KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
10月29日(火)
先週の土曜日、めがねを作り変えました。最近、今のめがねでは本や新聞を読むのがしんどくなってきたからです。予想通り、老眼の度が進んでいて、遠近両用の「近」のほうの度を強くしました。結論を言ってしまえばこういうことですが、そこに至るまでにちょっと面白いことがありました。
めがね屋での検眼の際、見え方が微妙に違うレンズを何枚も試されて、どっちが見やすいかをくどいほど聞かれました。いい加減答えるのが面倒になってきましたが、これから数年間お世話になるレンズですから、誠意をもって最後まで答えました。
検眼の結果がわかり、レンズを決める段になってめがね屋が言うには、微妙な見え方の違いはレンズ会社の違いだったとのことでした。私がよく見えると答えたのは、すべてN社のレンズだったそうです。H社とかS社とか、レンズメーカーは何社かあるものの、私が「いい」と言ったのはことごとくN社製でした。現在のめがねレンズも、その前もN社製だったので、私の目がN社のレンズの癖に慣れてしまったのだろうと、めがね屋は説明してくれました。
私自身も驚きました。目に合ったレンズを選んでいたつもりが、いつのまにかレンズに合った目になっていたのです。自分の意志で体をコントロールしているつもりが、レンズという人工物によってコントロールされていたと言ってもいいでしょう。いずれにしても、知らぬ間に自分の体が何者かに操られていたようで、ちょっと気味が悪かったです。
洗脳もこんなふうに行われるのかなと思いながら、めがね屋からの帰り道を歩きました。密かに忍び寄る魔手なんていうオカルトっぽいことを連想しました。
めがねは、10日ほどあとにできます。
10月28日(月)
Gさんは今学期になってからほとんど登校していません。いろいろと手を尽くして登校を促してはいますが、効果が現れていませんでした。ところが、今日、昼食を取りに外出した先生から、Gさんが学校の近くの喫茶店でタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいるという情報が来ました。スクランブル出動し、その喫茶店にいたGさんを捕まえ、話を聞きました。
「どうしてずっと休んでいたんですか」「すみません」「謝らなくてもいいです。理由を説明してください」「…」という調子で、さっぱり要領を得ません。ようやく「朝寝坊しました」と一言。「朝寝坊したということは、夜遅くまで起きていたということですよね」「はい」「じゃあ、夜遅くまで何をして起きていたんですか」「…」またすぐ言葉に詰まってしまいます。
そりゃそうでしょうね。ただなんとなく学校を休んでいるだけですから。本当に時間の無駄遣いです。KCPに在籍する意味がありません。したがって、日本にいる意義もありません。帰国してもすることがないと思っているのなら、冷たい言い方ですが、Gさんにはこの世に居場所はありません。申し訳ありませんが、KCPは漫然と日々を送る学生に差し伸べる愛の手は持ち合わせていません。そんな学生を助ける暇があったら、目標に向かって真剣に歩み続けている学生の力になってあげたいです。
Gさんにもそれぐらい厳しいことを30分ほど言い続けました。Gさんの心にどれだけ響いたかはわかりませんが、明日学校へ来ることを期待して、今日のところは別れました。
10月25日(金)
上級の入り口クラスは、形は似ているけれども意味は全然違う2つの文法を勉強しました。その形と意味の落差を強調しようと、2つの文型をホワイトボードに並べて書き、対比させながら説明していきました。説明が終わって、教科書の例文を読み合わせて、さあ例文を作ろうという段になって、教壇のそばに座っていたOさんが悲しそうな顔をしていることに気がつきました。私と目が合うなり、「先生、全然わかりません」と言ってきました。
Oさんのノートを見ると、私の説明も例文も几帳面に書かれているのですが、こちらの意図したこととはまるっきり違った形で書かれているのです。これはまずいと思い、他の学生が例文を作っている最中にOさんにもう一度説明しました。しかし、Oさんから発せられる質問は的外れなものばかり。この人、まるっきり理解できていないんだなとと思わせられました。案の定、Oさんの例文は意味不明でした。他の学生たちは動詞の活用や助詞を間違えた程度の傷ですんでいるのに、Oさんのは致命傷です。
Oさんが悲しそうな顔をしていたのは、自分の限界に気づかされてしまったからなのかもしれません。入学以来努力を重ねて上級クラスまでたどり着きましたが、もうこれ以上頭に入らないという限界に達してしまったのかもしれません。周りの友人たちは理解できたのに、自分だけ取り残されてしまった孤独感と寂寥感を味わっていたのかもしれません。
人間誰しも何事に対しても限界があります。限界に達する前の若者は「無限の可能性を秘めている」なんていわれますが、年齢を重ね限界を感じたその時、自分の前から無限の可能性が消え去り、彼は真の意味で大人になるのです。今日のOさんの悲しみは、無限の可能性が幻だと全身に電撃が走ったが故なのでしょう。もしそうだとしたら、Oさんに引導を渡したのは、私だということになります。
でも、文法の次の読解の時間は、Oさんは元気に発言していました。限界のほうが幻だったのかな。そう願いたいところです。
10月24日(木)
運動会までちょうど1週間です。今年は最上級クラスが競技役員として、審判の補助や選手の集合・整理に働いてくれることになっています。運動会はやっぱり競技に出てなんぼだから、競技役員なんていう裏方はやりたがらないんじゃないかと心配していましたが、頼んでみたら喜んで引き受けてくれました。
最上級クラスですから日本語での意思疎通は全く問題なく(どころか屁理屈をこねてくるくらいですが…)、彼らの母語との間では通訳もでき、私たちより若いですから体が動きそうなので、こういう宝の山を使わない手はないということになったのです。学生たちも、教師側に立って働けること、審判員などとして他の学生に指示が出せることに魅力を感じているようです。
これまで、スピーチコンテストの審査員、レベル1のクラスで学校生活や日本語の勉強の仕方を教えること、種々の場面での通訳などの役はスペシャル感があって学生のポイントが高かったのですが、運動会の競技役員もこれらに負けず劣らず人気を集めていくような気がします。
人間誰しも、自分が誰かの役に立っている、何かに貢献しているという意識があると、やりがいを感じるものです。それが仕事の質を高めようという向上心につながります。向上心を持って仕事に取り組むことが成功への近道であり、成功を手にすることができれば、その体験が自信になります。
来週は運動会準備の追い込みがかかりそうです。最上級クラスもフル回転することでしょう。この得がたい経験をステップに、これからの留学生活をより充実させていってもらいたいです。
10月24日(水)
Fさんは今週末にE大学の受験が控えています。今日、面接練習をしました。久々に見るひどさでした。志望動機も将来の計画も、ガタガタでした。パンフレットかどっかから引っ張ってきた文でしか答えられません。Fさんの想定外の質問をすると、考え込んでしまい、3分でも5分でも黙ったままでした。文法や語彙の間違いもありましたが、そんなことよりも中身のなさが露になり、進学について何も考えてこなかったんだなということがよくわかりました。
Fさんと同じ学期に入った学生でも、SさんやYさんのように自分の足で歩いている学生もいます。Qさんなんかはほとんど手を加える必要がないくらい完璧な志望理由書を書いてきました。Fさんにもできないはずがありません。それなのにできないということは、いかに何もしてこなかったかということを雄弁に語っています。
面接練習の質疑応答でわかったことですが、Fさんは来日以来アルバイトをしていません。でも、こんなにもひどい受け答えしかできないのです。入学から1年余り、毎日学校を出たら日本語で考えることすらせずに国の友達と遊んでたんでしょうね。Fさんを取り巻く友人たちから自分にとって耳触りのいい話ばかり聞き、それを信じた挙句の今日の面接練習です。
練習後、Fさんは夜遅くまで残って志望理由を考えていました。でも、先生頼りの姿勢が見え見えだったので、クラスの先生方に想いっきり叱られていました。それでも書き上げられずに帰っていきました。週末までに間に合わせてほしいという思いの反面、一度は痛い目にあったほうがいいんじゃないかとも思っています。
10月22日(火)
フジテレビの長寿番組、「笑っていいとも!」が来年3月で終了するそうです。1人の司会者による生番組の長寿記録としてギネスブックに載っているそうですが、32年も続いたのですから当然ですね。
司会のタモリさんは、年末年始以外は休みを取らずにウィークデーはアルタに通い続けています。他の出演者は日替わりですが、タモリさんだけは毎日です。海外旅行は仕事で行った台湾日帰りぐらいだとか。「フジテレビに育ててもらった」と感想を述べたそうですが、これだけ献身的に尽くしたタレントも珍しいんじゃないでしょうか。他局の番組も持っていましたが、「タモリ」といえば「笑っていいとも!」です。
今でこそ芸能界の大御所・タモリさんですが、この番組が始まった頃は怪しいタレント、危ないタレントとされていました。深夜のマイナーな番組で一部の人たちだけに受ける芸をしているイメージが強く、お天道様と一緒に仕事するようなタレントだとは思われていませんでした。それがいつの間にか日本のお昼には欠かせない人になり、番組を通して幾多の芸能人を育ててきました。
「笑っていいとも!」終了のニュースは、NHKニュースでも取り上げられたようです。朝日新聞や読売新聞、日経新聞などでも大きく取り上げられていますが、肝心のフジテレビのニュースには見当たりませんでした。系列の産経新聞のサイトも、他社よりもあっさりしているような気がします。手前味噌みたいな感じで気恥ずかしいんでしょうか。そうであったとしても、これだけ他局や系列外の紙面をにぎわす事件なのですから、年末の今年の重大ニュースの候補になることでしょう。
10月21日(月)
今学期の最上級クラスは、文法の時間に指示詞を勉強しています。最上級クラスになって指示詞? と思われるかもしれませんが、学生たちは実によく間違えるのです。確かに、最上級クラスの学生はいろんな単語を知っているし、N1の文法ぐらい難なくこなすし、漢字の読み書きもできます。発音・イントネーションもがっちり訓練していますから、日本人に近い音やリズムで話せます。その辺を歩いているアホな高校生や大学生より、よっぽど日本語力があると思います。しかし、会話でも作文でも指示詞をよく間違えるんですねえ。学生たちは痛いところを突かれたという顔をしています。
私たちは毎日留学生の日本語を聞いていますから、「その」と言うべきところで「あの」と言われても、頭の中で自動的に変換して理解してしまいます。しかし、入試の面接官を始め、一般の日本人はそうはいきません。今日も問題によっては正答率50%ぐらいでした。今日練習したからといって、明日から正しく使えるようになるわけではありません。しかし、正しい使い方を知り、正しく使うきっかけは与えてあげないといけません。同時に、必要以上に「自分は話せる」と思わせず、常に学ぼうとする謙虚な姿勢を保たせたいです。
その最上級クラスのCさんが授業後面接練習をしました。Cさんもしゃべりには自信を持ち過ぎている口で、先週の面接練習ではこてんぱんにやっつけました。今日は前回よりは多少よくなりましたが、まだ余計なことをしゃべり、またもや血まみれになりました。しゃべりで目立とうと思うあまり、内容が軽いのです。妙なところを気にするので、話が上滑りばかりしています。技巧に走り、実がありません。そういう点を厳しく指摘すると、だいぶ落ち込んでいました。Cさんは、EJUの成績なら受かってもおかしくない大学を失敗していますが、その理由が見えてきました。
大学院の合格が決まったSさんや第一志望のG大学に受かったZさんは余裕で構えていますが、CさんやHさん、Wさん、Yさんなどこれから面接を控えている学生もまだまだいます。そういう学生たちが本当に痛い目にあわないように、痛い授業をしていきます。
10月18日(金)
Eさんは6月のEJUで思うように点を伸ばせず、その後捲土重来を期して、ここ数ヶ月毎朝7時台から自習室で勉強しています。11月のEJUが近づき、最後の仕上げとして、数学の勉強を始めました。EJUの過去問を渡すと解いてきて、私にチェックを求めます。採点してみると、結構いい線行けそうなマルの多さです。寄せてくる質問も内容が高度で、頭の中に数学の体系がしっかりと築かれていることがよくわかります。
そういうEさんが何で6月は振るわなかったかといえば、油断の一言に尽きます。同国人と母国語で話しながらの勉強では、できるようになったつもりでいても、さほど力は伸ばせません。いざ日本語で何かをしようと思ったとき、身に付けたつもりの勉強内容が全く役に立たなかったというところでしょう。高得点を挙げたルームメートに引き比べ、自分のふがいなさを痛感したのです。痛い目にあって、やっと目覚めました。
Eさんの一番偉いところは、三日坊主にならなかったところです。継続は力なりとよく言いますが、本当によく続けてきました。焦り過ぎて自滅することなく、自分のペースをしっかりと守りながら課題を確実にこなしてきました。どんな語学でも、あるクリティカルな勉強量を超えないと、真の実力はつきません。数学ができるというのも、Eさん自信が持っている数学の体系を日本語という環境下で発揮できるようになったからです。
同じようなことがHさんにも言えます。Hさんは昨シーズンは国立大学の理系学部を受験し、花と散りました。Hさんの日本語力が熟していなかったし、理系科目に関しても基礎的な体系ができあがっていませんでした。しかし、最近は知識が系統立てて堆積してきた感じで、急激に伸びてきました。やはり、クリティカルラインを超えたのだと思います。国立大学も再挑戦すれば勝てる目が出てきたんじゃないかな。
EさんもHさんも、最終決戦に向けてこの調子で進んで行ってもらいたいですね。
10月17日(木)
台風が去ったかと思ったら、今日は冬型の気圧配置で、北海道を中心に朝は氷点下まで冷え込んだところがありました。確かに今朝は空気の冷たさに体中の毛穴が緊張しました。もっとも遅い真夏日の記録を更新したのはつい5日前だったのに、晩秋を感じさせる風でした。
今日は授業が終わってから大忙しでした。まず、Kさんの面接練習。今週末に迫ったR大学向けですが、完成度はかなり低く、半べそ状態になるまで厳しく指摘しました。パンフレットやネットの言葉でしか志望理由が語れないようでは、R大学クラスの有名大学は無理でしょうね。少人数教育が受けられるからR大学? いまどき、どこの大学でもそれぐらいのこと、言いますよ。
次にJ大学向けのSさんの志望理由書の添削。こちらは珍しくまともな文章になっていると思ったら、字数制限を大幅にオーバー。語句レベルでせこく字数を節約した程度では追いつきません。状況説明の文やら余計な修飾語やらに鉈をふるい、段落を組み替えて重複を省き、何とか規定の字数に収めました。学生が要約文を書くのに呻吟している気持ちがよくわかりました。
それから、Eさんの勉強相談。Eさんは今学期の新入生で、進学は2015年ですが、ほぼゼロから理系に挑戦しようというところが大きな問題です。受験講座では挫折ばかりを味わっています。しかし、日本語がよくできる上にやる気も満々なので、この点を利用して理系の勉強をどうにかしたいと思っています。こともなさげに、日本人の高校生向けの参考書を読み通してしまおうとするあたりに、自分の頭脳への自信と、どんな苦労もいとわない積極性を感じさせられました。
秋たけなわとなり、学校の自習室もエアコンなしでちょうどいい状態です。みんなにバリバリ勉強してもらおうじゃありませんか。
10月16日(水)
台風26号は午後3時ごろに温帯低気圧になりましたが、各方面に大きな影響を与えました。
KCPは午前中の授業がありませんでした。休校ではなく、自宅学習ということで、各クラス・レベルでいろいろな課題が出ています。学生たちは、明日までにちゃんとやってくるでしょうか。
授業をしろと言われても、午前中の交通機関の乱れ具合では学生も教師もそろわず、どうにもなりませんでした。風が強かったため、電車は多摩川、荒川、江戸川などの鉄橋を渡ることができず、JRも私鉄も地下鉄も大混乱でした。S先生は5時間以上もかかって、11時半ごろやっと学校にたどり着きました。どの先生も電車内に缶詰されたり、長時間駅で待たされたりという修羅場を潜り抜けてきたため、半分疲れきったような表情でした。それでも午後授業の先生方は授業をこなしたのですから、大したものです。
K先生はご自宅が床下浸水で、水をくみ出してからの出勤。雑巾に水をしみこませて、それを絞ってという作業を繰り返し、腕がだるいとのことでしたが、そりゃそうでしょうね。
午前の学生も、まるっきり授業がなかったわけではありません。午後からの受験講座がありました。午前中の授業がないから、学生が来るだろうかと心配していましたが、新入生を中心にそこそこの人数が来ました。理系のRさんは、「理科2科目で80分だと全問解けないんですが…」と、ちょっと深刻な質問。勉強方法のコツを教えてあげたら、少し安心したような顔をして帰りました。
Zさんは午後からの面接練習のために間引き運転の電車を乗り継いでやってきました。途中のW駅で足止めを食らい、約束の時間に遅れるかもしれないと電話をかけてきましたが、ぎりぎり間に合いました。かなり厳しい指摘をしましたが、大変な思いをして学校へ来ての面接練習でしたから、何がしか印象に残ったことでしょう。
受験講座が終わる頃はきれいな青空が広がっていました。明日は台風一過の快晴、学問の秋にぴったりの陽気になりそうです。
10月15日(火)
首都圏では台風26号接近のニュースで持ちきりですが、台風の影響があまりない西日本では、JR九州の超豪華寝台列車「ななつ星」の出発が大きなニュースとして取り上げられています。台風さえ来なかったら、東京でも大きく取り上げられていたでしょうに、「ななつ星」としてはちょっと残念なスタートです。ちなみに、JR九州は、九州新幹線開業の前日に東日本大震災が発生し、そのニュースは大きく扱われることはありませんでした。
この「ななつ星」、客車7両の定員がわずかに28名。山手線や中央線などの電車の長いすが7人掛けですから、それ4列分のお客さんしか乗せないのです。その代わり、料金は3泊4日で2人で76万円~110万円です。売れまくっているからさらに値上げも考えていると報じられています。
山手線や中央線は、ラッシュ時は1編成にざっと3,000人のお客さんが乗っています。定期券の乗客が大半ですから、乗客1人あたりの運賃収入は低めに見積もって200円とします。そうすると、1編成で200円/人×3,000人=60万円。乗客の入れ替わりや往復運転などを考慮しても、1列車あたりの実入りはせいぜい200万円ぐらいと見ても、大きな誤差はないでしょう。
一方、「ななつ星」は、2人で76万円の部屋が12部屋、110万円の部屋が2部屋として、4日間で1,132万円、1日当たり283万円の稼ぎになります。こちらは食堂車で提供される食事代や最高級のおもてなしをする要因の人件費など、山手線や中央線などにはない費用もありますから、283万円と200万円を直接比較はできないでしょうが、結構いい商売だといえるのではないでしょうか。
でも、鉄道本来の姿は、大量輸送です。鉄道は省エネだといわれますが、それは大勢の乗客を一定の方向に運ぶときの話です。山手線や中央線や、あるいは東海道新幹線などが鉄道らしい鉄道なのです。その点、「ななつ星」は鉄道を降りてしまった列車と言えなくもありません。
「ななつ星」が走る路線はローカル線が多いです。かつてはにぎわったのでしょうが、今は鉄道輸送が最善とは言えない閑散路線も含まれています。それらの路線がなぜ閑散路線になったのかといえば、人々の暮らしが贅沢になったからです。鉄道のような大量輸送機関ではなくオーダーメードの移動ができる自家用車に乗るようになり、さらには都会での便利な生活を求めて田舎を捨て去った結果、空気を運ぶようなローカル線が増えました。
しかし、今、めぐりめぐって贅沢のきわみといえる「ななつ星」が、贅沢のために捨てたはずのローカル線を駆け巡ろうとしています。「ななつ星」の乗客には山手線や中央線に乗って通勤していたような世代の方々が多いそうです。この人たちに、沿線の景色はどう映るのでしょうか。
10月11日(金)
10月にしては気温の高い日がつづいていましたが、今日の最高気温は30.2度で、今までで一番遅い真夏日になりました。確かに、受験講座の教室へ移動するとき、暑いなと思いました。でも、まさか真夏日になるとはね。台風が赤道付近の熱気を運んできたためで、関西地方は33度近くまで上がったようです。
10月から衣更えで、スーツにネクタイという服装になりましたが、このところ上着は脱ぎっぱなしです。夏物のぺらぺらの生地ですが、それでもうっとうしく感じられます。真夏と同じ格好で登校している学生がちょっぴりうらやましいです。
制服が決められているならそれを着用しなければなりませんが、スーツは制服でも何でもありません。だから、先月までのように半袖ノーネクタイで出勤してもいいはずです。しかし、一度スーツを着始めちゃうと、元に戻すのも面倒くさいんですよね。惰性で着ているのかと言われれば、そのとおりです。
「10月からはスーツにネクタイ」という規則に縛られて、あるいは縛られているふりをして、服装に関しては思考停止になっているとも言えます。スーツを着てきて暑くても、10月からはスーツ着用というルールのせいにできます。しかし、服装コードがなく自分で選んで着てきたものが失敗だったら、誰のせいでもなく自分が悪いのです。自分で責任を取るのが嫌で、自分を責めたくないから、惰性でスーツを着ているっていう面も否定できません。自由には責任を伴うっていうのの裏返しですね。
長期予報で10月は高温傾向だっていってましたから、その予報どおりになっているわけです。12月になったら平年より寒くなるそうですから、今から覚悟しておかなければなりません。
10月10日(木)
先学期の期末テストが9月26日の木曜日でしたから、ちょうど2週間で新学期を迎えました。7月期と10月期の間の休みは、7月期中に夏休みがあるため、他より短めです。それでも、久しぶりに顔を合わせた学生たちがあちこちで談笑していました。
しかし、その中にGさんの姿が見えません。Gさんは期末テストを受けるとそのまま空港へ直行し、一時帰国しました。それはよくある話ですが、おととい国からメールが来て、国で熱を出して始業日までに戻れなくなったと伝えてきました。帰国したら気が緩んでしまったのでしょうか。
普通の学生ならちょっと渋面を作りながら「しょうがねえやつだ」とつぶやいて終わりにできます。でも、Gさんは学校推薦でT大学を受験する学生です。普通の学生じゃありません。発熱は不可抗力かもしれませんが、私の目には学校推薦をしてもらって緊張感がまるでなくなったしまったと映っています。
さらに、先学期の成績も、推薦を受ける学生としては物足りないものでした。期末テストは、本人にもよくない手ごたえがあったはずです。一時帰国の機内では、浮かれる気持ちだけではなかったでしょう。一日でも早く日本に戻って勉強しようという気概がほしかったですね。来週学校に出てきたら、少々油を絞らねばなりません。なにせ、KCPがT大学に推薦しただけであって、T大学がその推薦状を受け取るかどうかは全くの別問題です。Gさんにとっては、日本語力を伸ばしていかなければならない時期であることは、疑いようもありません。
今日のクラスは最上級クラスでした。打てば響くようなやり取りを楽しみました。来週早々のGさんへの説教は、重苦しい雰囲気になるんだろうな…。
10月9日(水)
明日が始業日なので、教師一同非常にばたばたしています。その「ばたばた」の一つに、始業日に学生に渡す成績通知書の作成があります。これは、前の学期の中間・期末テストの成績、平常点などを記入し、最後の教師からのコメントを書き加えます。その学期におけるその学生についての総評といってもいいでしょう。
この学生へのコメントが、なかなか手ごわいのです。「よくがんばりました」とか「残念な成績です」とかという通り一遍の言葉では学生に響きませんし、担任としてそんな誰でも言えるような一言で片付けたくはありません。学生が読めて理解できて、その上で学生に希望を持たせたり奮起を促したり心機一転させたりできる言葉で書きたいのです。しかも欄には広さがありますから、書ける長さは決まっています。こういった制約を乗り越えて、学生の心を打つコメントを書こうとするのですから、呻吟するのも無理からぬところです。
コメントは、もちろん、学生に読んでもらうために書きます。しかし、同時に、新学期の担当教師が読むことも念頭において書きます。この学生はこういうすばらしい学生なんだ、いいものは持っているけれども先学期はそれを出し切れなかったんだ、こういう意外な側面も持っているんだ、こういうことを気にかけておいてほしい、そういったメッセージをこめて書いています。
とはいえ、学生によっては成績通知書の数字や評価のABCFだけ見て、コメントなどろくに読まずに丸めて捨ててしまうことだってあります。それでも、去年のHさんのように「先生のコメントに勇気付けられました」といってくれる学生がいる限り、コメントに心血を注ぎたいです。コメントを読んだ学生が少しでも上を向いてくれるようにと願って、ペンを握り続けます。
みなさん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの国からたくさんの若い方々がKCPに入学してくださったことをうれしく思います。
日本には、「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。「若いときにする苦労は、貴重な体験となって将来必ず役に立つから、進んで苦労しなさい」という意味です。若い人には柔軟性がありますから、精神的にも肉体的にも苦労に耐えられます。それゆえ苦労を成長の糧とすることができるのです。
皆さんは日本留学という形で、文字通り、苦労を買いました。しかし、苦労を買っただけで安心してはいけません。その苦労を貴重な体験にまで昇華させて初めて、この言葉が生きてくるのです。
楽しいだけの留学なら、3年ぐらいはそれをネタに自慢話ができるでしょうが、それだけです。いずれは留学したことも忘れてしまうかもしれません。苦しいことを承知の上で茨の道を選ぶ勇気が、苦労を買うことなのです。辛いことを避けてはいけません。目をそらせていたら、苦労から逃げ続けたという後ろめたい記憶しか残りません。失敗することもありますが、それにめげずに挑戦し続けること、こういう苦労がやがて貴重な体験になり、皆さんの人生を支えるのです。より辛い道を選んでより大きなものを手に入れる、より険しい道を進みより高いところに至る、こういう気持ちで事に当たれば、そのときは直接的な成功を手にすることはできなくても、そういう挑戦をしたという経験が、10年後、20年後の成功の下地となるのです。
実は、先学期、「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉をどう思いますかという題で、中級の選択授業で作文を書いてもらいました。ほとんどの学生がこの言葉を肯定的に捕らえ、長期的な観点から自分の人生を豊かにしていきたいと考えていることがわかりました。
さあ、皆さんはどんな苦労を買いますか。苦労の先に見える明るい未来へ向かって、歩み続けていってください。
本日は、ご入学、本当におめでとうございました。
10月7日(月)
アメリカが大変なことになっています。国家予算が議会で承認されていないため、国の仕組みが機能不全に陥りつつあります。国の機関が動かず、80万人もの公務員が自宅待機になっています。今日のニュースによると、自宅待機中の給料も支払われるそうですが、根本の解決には程遠いようです。
以前の会社に勤めているとき、国立大学にある品物を納品に行ったら、品物を受け取った教授が「品物を受け取っておいてからこんなことを申し上げるのは何ですが、支払いはいつになるかわかりません」と言われたことがあります。国の予算が参議院を通っていないため、国立大学の予算も執行できないというわけです。理屈の上ではそうですが、本当に支払いが遅れるなんてことがあるんだろうかと思いました。同時に、融通が利かないものだとも思い、野党が予算を立てに国会戦術を組み立てる意義も肌でわかりました。
このときは、4月中には予算が通り、経理から何も連絡がなかったということは、支払いもきちんと行われたのでしょう。しかし、今回のアメリカはどうなのでしょう。政治的には、オバマさんは満足に外遊もできないようです。アメリカの影響力が落ちるの落ちないのと騒がれています。また、スミソニアン博物館など、国が管理するいろんな施設が閉鎖になり、観光客にまで影響が出ているそうです。ツアーの日程を変更する旅行会社も出てきているとも報じられていました。
自分の主張を通すことは確かに大事なことですが、それによってアメリカ自体が国際的に弱体化してしまったら、いったい誰が喜ぶのでしょう。中国が喜ぶなんて言っている人もいますが、少なくともそうしている人自身にも、めぐりめぐって不利益が降りかかるのではないかと、余計な心配をしています。大局的に物事を見るってことをしないのでしょうか。
こんな批判がましいことを述べても、自分自身が大局的に、あるいは長期的視野に立って仕事やら人生やらを見てるかって言われたら、やっぱり目の前のことで精一杯になっている姿しか思い浮かびません。しかし、少しでも遠くを、木だけではなく森を見ようとする努力はしているつもりです。
10月4日(金)
再試験、進学相談、面接練習、目的はいろいろですが、学期休みだというのに学生が続々とやってきます。私のところには、昨日はUさんが再試験、今日はCさんが面接練習、Eさんが進学相談に来ました。
Uさんは約束の時間に遅刻してきました。一緒に受けることになっていた他の学生が問題に取り組んでいる最中に入室して来ました。最後の情けで、ちょっとだけ試験時間を延ばしてあげました。しかし、その甲斐もむなしく、不合格になってしまいました。まともに勉強した学生なら絶対に犯さないような間違い方をしていました。本人は勉強したと言っていましたが、「勉強してこんな成績なら、レベルを下がってもらわなきゃね」と言ってやったら、黙り込んでしまいました。
Cさんは明日G大学の面接があるので、面接練習の追い込みです。今日は明日着ていくスーツを着て来ました。「内定式ですか」なんて先生方にからかわれていましたが、いつものぜんぜん構わない服装からは想像もできないほどのバリッとした姿でした。外見だけではなく、面接の受け答えの内容も立派なものでした。かなり意地悪い質問もしましたが、いくらか顔を引きつらせながらも面接官役として納得のできる答えをしていました。プレッシャーをうまく受け流してくれれば、望みが出てきそうです。
EさんはA大学に提出する志望理由書を書いてきました。出願にはまだ間がありますが、入学したときからずっとA大学と言い続けてきたので、万全の準備をしておきたいのでしょう。でも、その気持ちが気負いになってしまって、文章が空回りしていました。原稿用紙2枚びっちり書いてきましたが、私が手を入れたら1枚半ぐらいになってしまいました。もう何回か書き直して持って来るそうですから、継続審査ってところでしょうか。
明日は土曜日ですが、何人かの学生が来ることになっています。どんな話が出てくるのか、楽しみでもあり、怖いところもあります。
10月3日(木)
英語の教科書を出版しているO社の人の話を聞きました。
まず驚かされたのは、教科書の種類の多さです。目的別、レベル別に細かく分かれていて、何を目指して勉強するのかによって、どのくらいの実力かによって、たちどころに最適の教科書を選ぶことができます。日常的な話題を集めた教科書からアカデミックな話題の教科書まで、学習者の興味・関心によっても選べます。もちろん、CEFRのレベル表示が付いています。
そして、その教科書の構成にも感心させられました。各課の最初は身近な誰にでも答えられる質問、とっつきやすい話題が置かれています。その課の目標が明示され、次のページからそれに向かってぐんぐん進んでいきます。自分で考え、答えていくうちに最後のページに至ると、いつの間にか目標に到達している、という仕組みです。
さらに、インターネットを使った支援教材もあります。教師が教室で使う教材も豊富です。老眼で細かいアルファベットは読めないなんて言っていた私まで、この教科書を使って勉強してみたくなりました。フルカラーの教科書は、絵や写真を見ているだけでも楽しくもあり、興味も引かれます。
翻って、日本語の教科書はどうでしょう。教科書を出している会社はいろいろありますが、O社のようにラインナップが充実しているところはありません。どの教科書も、O社の教科書ほど引き付けられません。教師の立場としても、O社の教科書のほうが教えやすそうです。日本語は漢字があるので英語に比べてハンデがありますが、それを考慮しても現在の日本語の教科書には魅力が乏しいです。
こういう差が生まれるのは、1つには学習者数の違いがあるでしょう。日本語の学習者は全世界で300万人強と言われています。英語学習者は、英語話者の数から母語話者の数を引いた10億人ぐらい、どんなに少なく見積もっても日本語学習者の100倍はいるでしょう。だから、教科書の市場規模がぜんぜん違います。それゆえ、学習者のタイプを細分化してもそれなりの需要があり、O社のようにそのタイプごとに教科書を作っても商売として成り立つのでしょう。
O社の教科書に目を奪われたのと同時に、学生たちは偉いなと思いました。国で独学なんていうと、さぞかし教科書には苦労したんでしょうね…。
10月2日(水)
今日は推薦入学の学内面接、期末テスト成績不振者への指導、進学相談などで、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいました。
M大学への推薦入学を希望しているCさんは、ちょっと朴訥なところがあり、まじめな学生だということは面接をしていてよくわかります。しかし、発音がよくないですね。「日本で“政府を脅した”友人がいます」と聞いたときは、こいつ、いったいどんなやつと付き合ってるんだと思いましたが、“財布を落とした”んだっていうことがわかり、胸をなでおろしました。また、パンフレットの言葉を丸暗記してきたことが見え見えの答えもありました。そこを突っ込むと、とたんにしどろもどろになります。そこに書かれている大学の理念なんていう抽象的な議論になると、思考回路が追いつかないのかもしれません。
I大学を目指すUさんは、言葉足らずな面もありましたが、Cさんよりは手ごたえのある話ができました。ただ、推薦入学の学生は特別な学生なんだという自覚がちょっと足りないような気がしました。
YさんもLさんも、期末テストの読解の点数が足りませんでした。2人に共通しているのは、1つ1つの文のレベルでは理解できているものの、3つ4つの文の関係性をつかみ出すということができていません。つまり、段落のレベルでの理解が不足しているためにテストで点が取れないのです。もう一度3か月分の読解の授業をしなおしているような感じでした。クラス授業だと、どんなに個々の学生に目をかけているつもりでも、各学生にするとわからないまま通り過ぎてしまうことがあるものなのです。
Qさんは学期中の志望校調査では「F大学」とだけ答えていました。F大学はレベルも高く、留学生の人気も高く、容易には入れません。もう少し入りやすい大学をということで、J大学やK大学を考えました。11月のEJUの結果を見て、場合によってはT大学も視野に入れることにしました。強気だったQさんも、周りの学生や先生方からもいろいろ言われたんでしょうね、だいぶ角が取れてきました。K大学あたりが落としどころかな…なんて考えています。
9月30日(月)
期末テストの点数が出てきました。進級が難しい学生もだいたい固まってきました。私が危ぶんでいた学生たちのうち、半分ぐらいは追い込まれて勉強したようで、何とか合格点にたどり着きました。残りの半分は、勉強の遅れを挽回できず、沈んでしまいました。AさんやSさんは前者の例で、CさんやEさんは後者の例です。
追い込んできた学生は、勢いが違いました。学期が始まった頃は、Sさんは授業についていくことも大変そうで、“もう一度”候補の最右翼でした。しかし、中間テストの後ぐらいから、授業中に書いてくる例文の質が上がり、授業後の質問が鋭くなってきました。作文担当の先生も、長足の進歩を遂げているとおっしゃっていました。それを裏付けるような期末テストの成績で、めでたく進級となりました。
Eさんはどこかつかみ所のない学生で、今ひとつピリッとしません。また、授業中はよく同じ国のKさんとおしゃべりしていました。わからないところを教え合っていたというのは明らかに言い訳で、楽しんではいけない形で授業を楽しんでいました。それが成績にそのまま現れ、箸にも棒にもというほどひどくはないものの、進級はできない成績でした。
まあ、いずれにせよ、進級できる学生は、学期中、どこかで必死になったということは言えます。必死になることで、力がつくのです。何の苦しみもなく果実だけは得ようとは、虫が良すぎます。Aさんは期末直前に目の色が変わり、ちょっとやつれたんじゃないかっていうくらい勉強しました。同じクラスのCさんは、不合格のテストの再試も受けず、緊張感のかけらも感じられませんでした。中間テストの成績はほぼ同じでしたが、期末テストは厳然とした差がつきました。
“もう一度”の学生には、今までのんびりしていた分の涙を流してもらいます。年貢の納め時がちょっと遅かったようですね。