KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
8月21日(水)
Vさんは中間テストの文法の成績が思わしくありませんでした。今朝は7時45分ごろに登校して、文法の確認テストを受けました。金曜日に文法の再テストがありますから、それに備えて間違いをきちんと直しておこうという気持ちです。
確認テストの結果、Vさんが勘違いしていたところ、間違って覚えてしまったところ、理解が不十分だったところが浮き彫りになりました。そこを丁寧に説明してあげると、まさに目からうろこが落ちたという顔をしていました。授業の中で平常テストを返すときもフィードバックをしていますが、何せクラス全体を相手にしていますから、個々の学生の心まで響くような解説はなかなかできません。今朝もクラスで説明したのと同じ説明をした部分もありましたが、20人の中の1人として聞くのと、1対1で聞くのとでは頭にしみこむ度合いに大きな差があるようでした。
クラスでのフィードバックも、もちろん、学生のレベルに合わせてわかりやすく解説しているつもりです。しかし、クラスの一員としてその解説を聞くと、往々にして自分のことのようには聞こえないものです。どんなに大きな声を張り上げても、注意を引くように赤で板書しても、こちらの気持ちを該当する学生にきちんと届けることは難しいです。今朝のように1対1になれば、オーダーメードの解説が受けられるわけで、わからないところがピンポイントで、かつ、系統立てて聞けるのです。それゆえ、目から何枚もうろこが落ちてすっきりします。
すべての学生にこういう対応をしたいのは山々ですが、時間が許しません。だから、Vさんのような熱心な学生だけしか引き上げられません。ここがクラス授業の難しいところです。
8月20日(火)
受験講座が終わって職員室に戻ってくると、今年R大学に進学したSさんが顔を見せに来ていました。髪型も髪の色もめがねのフレームも変わっていて、KCPにいたときとはだいぶ趣が違いました。卒業してもうすぐ半年ですから、R大学のカラーに染まったのだろうと思いきや、Sさんは努めてR大学化しないように、服装などに気を使っているとのことでした。
大学に入ったら遊べるかと思ったら、R大学はとにかく勉強させる大学で、授業に必死に食らい付いていっていると、明るい笑顔で言っていました。Sさんとしては、そういう大学の中の環境が気に入っているようです。やっぱり大学は勉強しなくちゃね。サークル活動や飲み会もいいけど、それが主になっちゃいけませんよ。勉強あってのサークルであり飲み会です。
そうやって鍛えられた先輩が就職戦線で有利に戦っている背中を見て、R大学に入ってよかったと思っているようでした。企業側も、4年間何を勉強したか、いかに成長したかを見て、採用を決めます。密度の高い学生生活を送ってこそ、その後の長い人生に資するものです。
そんなところへ、北海道に大学に行ったCさんが来ました。大学に入ってから始めた弓道の全国大会に参加するために上京したそうです。東京に比べたら北海道は天国だそうです。Cさんは去年の入学ですから、もう2年生。風格を感じました。北海道でおいしいものをたくさん食べて太ったという意味ではありません(そういう面も否めませんが…)。しっかり勉強しているという自信や満足感が内面から湧き上がってきているのでしょう。
そのちょっと前、昼休みにLさんが進学相談に来ました。6月のEJUの点数では入れそうな大学は、あまり難しくなさそうな大学はどこですか、というのが相談の内容でした。なんかちょっと違うなあと感じながら、Lさんの質問に答えていました。Lさんも日本で就職しようと考えているようですが、それだったらそんな安易なことではいけません。そういうことを伝えたかったのですが、どうもうまく伝わらなかったようです。
こういうことがありましたから、SさんやCさんのように自分の手で道を切り開き、自分の足で着実に進んでいる姿を見ると、感激もひとしおというところです。SさんやCさんの話を、直接今の学生に聞かせたかったですね。
8月19日(月)
世間ではお盆休みが終わり、今日から通常営業が再開されましたが、KCPは夏休みを来週に控え、今週はその前のラストスパートといったところです。先週の中間テストの結果が出揃い、それをもとにした面接も行われます。先生たちは夏休みの宿題をどうしたらいいか、頭をひねっています。
今週末から北海道などのホームステイプログラムに参加する学生は、その最終確認と準備などについて呼び出されていました。ホームステイさせていただくお宅に、お土産として、スピーチコンテストのときに作ったうちわを持って行ってもらうことにしました。初対面どうしが打ち解け合うきっかけになれば幸いです。
一時帰国する学生は、一時帰国届けを出し始めました。来週の今頃は、国の家族に日本留学の報告をしたり、友達と語り合ったりしていることでしょう。おいしい国の料理も、たらふく食べているのでしょうか。
それはそれで結構ですが、受験生は片時も勉強を忘れてはいけません。今日の私のクラスでは、夏休みの宿題として、志望校の受験日程一覧表を配りました。それをきっちり埋めてくるのです。もう、夢を語るのではなく、現実に根ざした意志の最終確認です。これからは、大きな変更はできません、というか、ありえません。
同時に、指定校推薦の応募が始まりました。早い大学は9月に出願締め切りがありますから、夏休み明け早々にも校内選考をしなければなりません。私のクラスでは、NさんがT大学に興味を示し、申し込み用紙をもらっていきました。志望理由を書いて、今週中に提出ということになっています。
私も来週はがっちり夏休みを取ります。ここ数年、四国へ行っていたのですが、今年は九州です。思い出に残る夏休みにしたいです。
8月16日(金)
ずっと病気で休んでいたLさんが登校してきました。顔色が青白く、マスクを掛けていたので、まだ本調子には程遠いのでしょう。しかし、指名されれば教科書も読むしきちんと答えるし、また、おとといの中間テストの追試を受けたいと進級への意欲を見せていました。
Lさんは休んでいた間も友人と連絡を取り合って、自分なりに勉強していたようです。その証拠に、今日の漢字復習テストもきっちり合格点を取りました。Lさん自身の人生の計画では来年の4月に大学進学となっているので、それを崩さないようにするためには努力を惜しまないという姿勢です。自分を甘やかさず、やるべきことはきちんとやっているようです。こういう学生は、応援したくなります。
しかし、その一方で、残念なことに、あっさり学校を休む学生も後を絶ちません。Zさん、Jさん、Aさん、Xさんは、異口同音に腹痛で欠席と言っていました。Jさんは昨夜餃子を食べたらおなかが痛くなったと、そのときの状況を説明してくれました。しかし、日本では市販品にあたって学校や会社を休んだりしたら、その会社はいっぺんに信用を失い、倒産の憂き目に遭うでしょう。話を聞けば聞くほど、腹痛という理由が怪しく見えてきました。
Wさん、Nさんは、出席率がほぼ100%で、EJUの成績も基準点を超えているので、T大学の指定校推薦に応募するよう言いました。2人ともよく考えてみると言っていました。この2人もごくまれに欠席しますが、電話をかけると本当に元気のないことが伝わってきます。心の底から申し訳なさそうに応答します。それに比べてZさんたちの電話の軽いこと。
Lさんは学校を休み続けることの苦しさを味わいました。学校に出られることの重みとありがたさも身をもって体験できたことでしょう。腹痛ということで欠席した学生たちにLさんのような体験をさせるわけにはいきませんが、Lさんから何かを学んでほしいものです。
8月15日(木)
受験講座の理科は、日本人の高校生向けの参考書・問題集をメインのテキストとして使っています。日本語力がまだまだの学生も使いますから、要点を捕らえていてなおかつ説明が多すぎないこと、勉強したことを確認できる問題がついていることなどをポイントにテキストを選びました。日本留学試験対策用と銘打った参考書も出ていますが、こういったポイントから見ると日本人向けのほうが使いやすいという結論になっています。
でも、説明があっさりしていることから、このテキストだけやっていればいいのかと不安に思う学生もいます。今日はKさん、Hさんが立て続けに私のところへ来て、もうちょっと詳しい参考書が必要なのではないか、その場合どんなのがいいかという相談をしていきました。
今使っているテキストのまとめの問題を確実にやっていけば、EJUで80点を取る力はつくと思っています。易し過ぎると思っても、自分で手を動かしてやってみると、決してすぐに解ける問題ばかりではありません。まとめのページに立ち返って考えてみないと、正解にはたどり着けないようにできています。つまずきながら苦労して問題を解くことで、その問題が頭に引っ掛かりを作り、そういった引っ掛かりの蓄積が応用力や真の実力になっていくのです。
問題集がほしいKさんには、私が持っているものをいくつか紹介しました。自分が持っている参考書の使い方を聞いてきたHさんには、その参考書に書かれていることをすべて覚える必要はない、詳しいことが知りたくなったときだけ見ればいいとアドバイスしました。手を広げすぎて虻蜂取らずになるのが一番いけませんから、今のテキストを可能な限り活用するよう勧めました。
明日は、そのテキストを使って生物です。
8月14日(水)
今日は中間テストの日ですから、午後の受験講座はありませんでした。しかし、Sさんは学生ラウンジに残って生物の勉強をしていました。問題集をやってわからないところを私に聞きに来ました。
Sさんは去年は第一志望の大学に落ちてしまいました。理系科目を見てきた私に言わせれば、実力不足で当然の結果でした。受験講座の教材や講義の内容が理解できているとは思えませんでした。しかし、今年は違います。明らかに大きく進歩しています。質問してくる事柄が、去年とはぜんぜん違います。去年は基礎的な部分でつまずいていましたが、今年はテキストの内容では飽き足らず、さらに深く理解するための質問をしてきます。今日もそんな質問でした。このまま行けば、今年はうまくすると志望校に手が届きそうです。
なぜSさんがこんなにも伸びたのかと言えば、日本語力がついて理科や数学の教科書が十分に理解できるようになったことと、毎日努力を続けてきたことです。この2つがあいまって、急速な進歩につながったと思っています。Sさんの偉いところは、芽の出ない時期を耐え抜いた点です。いくら勉強してもなかなか練習問題が解けるようにならず、EJUの過去問もぼろぼろの成績だった時期がありましたが、そこで腐らずあきらめず努力を続けてきました。その勉強の蓄積が、ここに来てぱっと花開いたというわけです。
たいていの学生は、これができません。短気を起こして、あるいは楽な道を求めて、勉強をやめてしまうのです。辛抱とか我慢とかは地味で辛いことですから、誰もしたくはありません。しかし、大きな成功はそういったものの彼方にあるのです。Sさんは愚直に努力を続けてきたからこそ、明るさが見えてきたというわけです。
11月のEJUまで3か月を切りました。油断せずに勉強していけば、Sさんにはすばらしい結果がもたらされることでしょう。そういう意味で、Sさんには大きな期待を掛けています。
8月13日(火)
お盆と暑さがあいまって、KCPの近くは人通りが少なくなっています。先生方がお昼を食べているところもお盆休みのところが多く、食事するところを求めてこの暑い中、右往左往する先生も。今日の東京は最高気温が34.7度で、普段なら十二分に暑いのですが、ここんとこの猛暑日に比べるとちょっぴり過ごしやすく感じてしまうところが恐ろしいというか、悲しいというか…。
今日のクラスは、欠席が多いクラスでした。今日は、選択授業の中間テストがあり、また、明日が中間テストで学期前半のまとめがあるということからなのでしょうか、ちょっとややこしい病気にかかっている1名を除いて全員出席でした。予定通り、読解や文法のまとめの授業をしましたが、宿題の答合わせやテストのフィードバックという形で行いましたから、昨日やおととい休んでいた学生には、何のことかわからなかったかもしれません。優しい先生ならそういう学生にも愛の手を差し伸べるのでしょうが、私はそういう学生を切り捨てて、まじめに出席していた学生に焦点を合わせて授業をしました。
本当に不可抗力で欠席したのならフォローもしますが、寝坊とか理由を聞いてもニヤニヤしているかうつむくだけの学生のために何かをしてやろうとは思いません。それをすることでまじめに通っている学生にも得るところがあるのならそうしますが、今日の授業内容はそうではありませんでした。だから、きちんと出席していた学生が理解を深められることを第一に考えました。
学校を休んだせいで成績が悪くなったり、ひいては進級できなかったりしても、それは自業自得です。留学生活は何かと大変だから学校を休むのもやむをえない、病気で休むのは不可抗力だ――確かにそういう面もあります。しかし、立ち直るための努力もしなかったり、病気の原因が乱れた生活にあったりしたら、こちらとしては仏にはなれません。
前半不振だった学生も、今ここで初心に帰れば、後半で挽回することも可能です。それに期待して、明日の中間テストを迎えます。
8月12日(月)
おととい・昨日の体温を上回るような暑さではないにしても、今日も東京は最高気温が35.8度で、猛暑日が続いています。高知県の江川崎は41度まで上がって、3日連続の40度超えであると同時に、日本国内の観測史上最高気温を更新しました。江川崎は四万十川のほとりにあり、川風が吹いて涼しそうな感じがしますが、山の中の盆地のため、熱気がたまって抜けていかないのでしょう。
授業が始まる頃には既に32度くらいになっていましたが、私のクラスの教室では、冷たい空気が流れていました。先週の文法テストがあまりにも悪かったからです。「勉強しなかったから合格点が取れなかったというのなら、受験生にあるまじき態度だ。勉強しても合格点が取れないというのなら、これ以上日本語の力が伸びる見込みはないから、進学など無理だ。即刻帰国しろ」と言ってやりました。
学生は、よく、テストの成績が悪かった言い訳として「勉強しませんでしたから」と言います。しかし、学生が何より優先しなければならないことは、勉強です。まして、日本での進学を考えているのなら、なおのことです。中級にもなって、勉強の仕方がわからないなど、言い訳にすらなりません。
本気で勉強してもどうしてもわからないというのは、能力の問題です。語学力がもう飽和してしまい、これ以上は伸びないということです。日本の大学に進学しよう、それもいわゆるいい大学に入りたいと思っているのなら、中級ごときで飽和していてはいけません。日本語を通して何かの学問を習得するつもりなら、どんな学問であれ、高度な語学力を要します。中級文法でいっぱいいっぱいの人には無理です。そういう人は、無理して日本語の勉強を続けて苦しい思いをするより、国へ帰って、別の面で苦労を重ねたほうが成功につながります。
いずれにしても、進学希望の学生が平気な顔をして不合格点になり、周りのみんなも同じだからと安心しているようでは、お先真っ暗です。私は、中間テストの結果を冷たく判断します。場合によっては引導を渡します。それもまた、進学担当教師の仕事だと思っていますから。
8月9日(金)
Tさんは今日で学校を辞めました。そして国へ帰って結婚するそうです。「日本人と結婚します」なんていうと、怪しいにおいを感じますが、国の人と結婚するそうなので、そういう心配はなく、純粋におめでとうと祝福してあげられます。
国へ帰って国の人と結婚するんだったら、何のための日本留学だったんだということにもなりますが、予定は未定といって、若い頃の将来設計なんかころころ変わるものです。たとえTさんがKCPで習った日本語を生かすことがなくても、それを恨みに思うことはありません。日本語は生かされなくても、日本という異国の地で1年間必死に生活してきたという経験、日本語というTさんにとって全くの謎の言語を身に付けようとしてある程度のところまで理解できるようになったという自信、そういったことは、きっと、これからのTさんの人生を彩っていくことでしょう。
私だって、日本語教師になるために化学工学という学問を修めたわけではありません。エンジニアとして就職したときには、こういう人生は予想だにしませんでした。じゃあ、大学や大学院での勉強や研究が無駄だったのかといえば、断じてNOです。そこで身に付けた科学的なものの考え方や推論のしかたは、進路指導とか理系の受験講座とかいうこと以外にも大いに役立っています。大学・大学院の間に、私の思考回路に自然科学という1本の太い軸が形作られました。この軸が今の私を支えていますし、とても心強くも感じています。
Tさんの日本留学が、Tさんにとってそういうものであってほしいと願っているのです。KCPでの勉強がTさんの人間性をなす軸の1つになっていくのであれば、Tさんにかかわった教師の1人としてこの上もない喜びです。
Tさんは授業の最後に、クラスメートの前で挨拶をしてくれました。今学期勉強した表現もそこに織り込まれていました。こういうことがすらっとできるところが、Tさんの頭のよさであり、柔軟性でもあります。何はともあれ、Tさん、お幸せに。
8月8日(木)
5時少し前、突然職員室中のケータイやスマホがけたたましい警戒音を鳴らし出しました。画面を確認したS先生が「奈良で地震だって」と。奈良の地震なら東京が大きく揺れることはありませんから、軽く背伸びをしてから仕事を続けました。そのうち、パソコンの画面を見ていたA先生が「さっきの、誤報だったって」と気の抜けたような声で知らせてくれました。「こんなのが続いたら、狼少年みたくなっちゃうね」「それでまたかって言ってるところにほんとの地震が起きたらかなわないね」なんていう会話がありました。
その後のニュースによると、新幹線も止まるなど大きな影響が出たようです。地震が発生したはしたんですが、奈良県でもどこでも、震度1にもならない、すなわち人間には感じられないほどの微小な地震でした。誤報の原因は気象庁で調査中ですが、上述の会話のように緊急地震速報の信頼度にかかわる重大事項ですから、きちんと調べて対策を立ててもらいたいです。
昔は地震は何の前触れもなく襲ってくるものでした。しかし、いつのころからか、直前に知らされるものになりました。知らされるのはほんの数秒前ですが、それでも新幹線は緊急停止をするなど、それを前提に被害を減らすシステムができています。また、我々一般庶民もその数秒で身を守る構えを取るよう訓練を受けています。ですから、地震に対して無力ではなくなりつつあるのです。
昔はあきらめるほかなかった災害が、今はわずかながらも(ほんとうにわずかですが)克服できるものになったとも言えます。でも、それゆえに、未練がましくなったところもあるんじゃないでしょうか。緊急地震速報の手違いで地震の被害をもろに受けたら、怒り狂う人が大勢出てくるでしょう。文明の利器とは、人間の心を狭くするものでもあります。
8月7日(水)
このところ、朝、私の家の前の道から見えるスカイツリーは半分ぐらい雲の中でしたが、今朝は最先端まで見えました。そのおかげで、今日は立秋だというのに朝から強い日差しで、暦を裏切る暑さとなりました。湿度が低かった分「秋」なのかもしれませんが、最低気温が26度で、9時の時点で既に30度を超えていたという気温の上がり方は、夏そのものです。
その暑い中、中級の会話授業に参加してくださるために、ボランティアの方々が大勢KCPまで足を運んでくださいました。私のクラスでも30分ほど、新聞記事に基づいて意見を聞いたり話したりしました。ボランティアの皆さんがお帰りになった後、学生たちに聞いてみたところ、自分の日本語が通じたことがうれしかったという意見が出てきました。他の学生もうなずいていましたから、学生たちは確かな手ごたえを感じたのでしょう。
自分の知力を出しつくして何とか自分の考えを伝え、相手の意図を感じ取り、意思疎通が成り立ったときの喜びは、私も感じたことがあります。その危なっかしさと満足感との微妙なバランスは、病み付きになるものがあります。学生時代、初めての海外旅行でハワイへ行ったときにその快感を味わい、それに思いっきり浸りたくて就職直前にヨーロッパ旅行をしました。今思えば、よく一人で半月以上もヨーロッパをほっつき歩いたものだと、われながら感心します。
学生たちは、半月どころか何か月、あるいは年の単位で日本という外国にいるのですから、私が味わった快感とは質の違う何かを感じていることと思います。旅人としてではなく住人として、それだけ私よりも真剣に言葉に向き合っているはずです。
暑さにめげずに鍛えることが、大きな収穫をもたらします。これから当分、日本は全国的に暑いそうですが、それに負けずに力をつけてほしいものです。
8月6日(火)
理系科目を教えていると、学生の才能のあるなしが如実にわかります。Tさんは才能があるほうの代表格で、物理でも化学でも数学でも、喜んで問題を解きます。わからない問題でも、及ばずながら全力を傾けて解いてみようという姿勢が強く感じられます。日本語力はまだまだですが、それを補うカンがあります。こういう学生は面接官に好かれることがよくあり、思わぬ大学に受かってしまう可能性も秘めています。
何年か前のHさんもそういう学生でした。Hさんの日本語力では合格は到底無理と思われていたJ大学に受かってしまいました。面接でどんなやり取りがあったかはわかりませんが、Hさんは理系の問題に対するひらめきみたいなものを持っていましたから、そういう点が評価されたのではないかと考えています。TさんもHさんと同じにおいがしますから、こういううまい話に進んでくれたらいいがなあと思っています。
Kさんは日本語力ではTさんを上回りますが、理系のカンとかひらめきとか、Tさんが持ち合わせているものを持っていません。どこかで引導を渡さなければならないのですが、それをいつどういう形でするのがいいか、頭を悩ませています。Kさんはかなり高いレベルの大学を志望校としていますが、これをそのままほうっておくわけにはいきません。チャレンジさせて、痛い目にあわせて、現実に目を向けさせるっていうのが、順当なところでしょうか。
Tさんにしても、自分のカンを答案などの形にしていくテクニックはまだまだです。カンで得られた手ごたえを、論理的に裏付けていかないと、誰も、すなわち面接官も大学も、認めてくれません。そこを指導して、TさんやTさんのようなカンを持った学生を高みに引き上げることが、私の仕事です。
8月5日(月)
最近、Lさんは毎朝8時ごろ学校へ来て、授業の前に聴解の練習をしています。Lさんは6月のEJUの結果が思わしくありませんでした。クラスメートはもとより、後輩にも負けてしまいました。全受験生の平均は上回りましたが、KCPの平均は大きく下回りました。それ以後、毎日先生方もまだあまり出勤していない時間帯に来て、一人で練習に励んでいるのです。
Aさんは現在中級クラスですが、先学期と同じレベルで勉強しています。つまり、同じ内容の2度目の勉強をしています。先学期も私のクラスでしたが、どのテストも最下位争いを繰り広げ、合格点が取れたテストはほとんどなかったというありさまでした。指名したときの答えも、宿題プリントや例文の内容なども、授業を理解しているとは言えないものでした。期末テスト後に「もう一度」を連絡したときも、覚悟が決まっていたのでしょうか、「はい、わかりました」とあっさり受け入れました。そのAさん、今学期はコーラスの声も大きいし、積極的に発言するし、疑問点はすぐ質問するし、とにかく前向きに取り組んでいます。テストの成績も目に見えてよくなっています。
2人とも、尻に火がついたのでしょう。このままでは、第一志望はおろか、第二志望、第三志望の大学も無理かもしれないという危機感を抱いたのではないかと思います。そう思って自分を変えつつあるLさんとAさんは偉いと思います。危機感を抱くだけで何もしようとしない学生、やたら慌て焦るだけでどう考えてもためになることをしていない学生、危機感すら抱かない学生、そういう学生が多い中、自分の置かれた状況を的確に把握し、何をすべきかを判断し、それを実行しているのです。こういう学生は、私たちも応援したくなります。
スピーチコンテストが終わり、気がつけば来週水曜日は中間テスト。もう10日もありません…。
8月2日(金)
学生の入場が始まる少し前、ロビーにGさんやYさん、Sさんなどの顔がそろいました。今年も卒業生に審査員をお願いしていて、その皆さんが集まり始めたのです。「何してる?」なんて、審査員同士が旧交を温めあう場面も。Aさんは審査だけでなく、所属していた琴クラブの現役学生に混じって、琴の演奏までしてくれることになっています。Sさんはレポート作成で忙しいさなかなので、会場にパソコンを持ち込んで何やら打ち込んでいました。
スピーチコンテストの審査員は、とても名誉な仕事と考えられているようで、皆さん快く引き受けてくれました。卒業してから学校に貢献できる、後輩にいいカッコウができる、フェイスブックなどを通して友人に自慢できる、そんなあたりが魅力なのでしょうか。
休憩時間には、GさんやCさんは仲間がまだ在籍しているので、そんな学生たちと話をしていました。Bさんも国の後輩に声をかけられていました。こんなふうにKCPの同窓生がつながっていくのもいいものです。お昼休みの時間に、午後に発表があるクラスの学生が応援のフォーメーションの確認をしているのを見て、「私たちもあれぐらいやってたら応援賞がもらえましたかねえ」なんて声も上がっていました。
卒業生審査員も他の審査員と全く同じ審査用紙で、同じ審査基準で審査してもらいます。印象に残ったスピーチにはコメントも書いてもらいます。コメントを見ると、お年を召した日本人の審査員とは違った観点だなと思わせられることもあります。でも、大きな傾向は変わりません。内容の濃いスピーチは高く評価されていますし、きれいな発音のスピーカーにはしっかりチェックが入っています。学生のレベルに応じて、そのレベルの学生としてよくできていたかどうかを、きちんと評価していることがわかります。それなり以上の優秀な卒業生を選んでいるということもありますが、卒業生の目も確かなものだと感心させられます。
上級のHさんとFさんが、それぞれ、最優秀賞、理事長賞に輝き、今年のスピーチコンテストは終わりました。来年の卒業生審査員は、誰でしょうか。
8月1日(木)
スピーチコンテストの準備で右往左往していたら、夕方、EJUを実施するJASSOからTさんあてに封書が届きました。出願書類不備という、穏やかではない文字が書かれています。Tさんは、先週も同じような書類が届き再提出していますから、再提出分に不備があったということなのでしょう。
宛名はあくまでもTさんですから、担任といえども私が勝手に開封するわけにはいきません。Tさんに電話をかけて許可を取ってから開封すると、予想通り、再提出分の不備でした。Tさんは受験料を払い込んだものの、その払い込んだことを示す証明書を願書に張るのを忘れて送ってしまい、不備になってしまいました。今度は張るべき証書を間違えたため、不備となりました。正規の証書を捨ててしまっていたら受験できなくなりますから心配しましたが、捨てずに取ってあるそうで、一安心しました。
確かに、2枚ある帳票のうちの1枚を張れというのは、外国人である受験生にとってわかりにくい指示だと思います。しかし、この程度の指示が理解できないようでは、日本で暮らしていけないんじゃないでしょうか。いやしくも日本で大学に進学しようとしている学生なら、出願書類の注意事項を読んで理解してきちんと出願できて当然でしょう。こういう点から考えると、Tさんの進学に危ういものを感じます。
Tさんは、いかにも大事に育てられましたという感じの学生です。おそらく、国ではこんなこまごまとした手続きなど、家族に任せておけばよかったのでしょう。それでも、電話で自体の重要性を悟り、多少あわてた声で、明日のスピーチコンテストのときに封書をもらうと言っていましたから、自分で動いて問題の解決を図ることは身についたようです。
Tさんの次の出願は、志望校に対してです。今度は、手違いが命取りになりかねません…。
7月31日(水)
Sさんが、金曜日のスピーチコンテストを休むと言い出しました。志望校のR大学のオープンキャンパスに行くとのことです。オープンキャンパスは土日開催だから、金曜日を休む理由にはならないと言ってやると、R大学は遠いところにあるから金曜日から行かなければならないと言います。スピーチコンテストが終わってから東京を出発しても十分金曜日中に着くと反論してやると、何も言わなくなりました。しかし、これは単に反論できなくなっただけで、Sさん自身の言い分を引っ込めたわけではありません。要はスピーチコンテストの応援をやりたくないというだけで、志望校のオープンキャンパスにかこつけて、何とかやらずに済まそうという魂胆です。
Sさんは90%以上の確率でスピーチコンテストを休むでしょう。力を合わせて応援を考えてきたクラスメートを捨てて、独自の道を進むでしょう。Sさんは、おそらく、今まで自分の気に染まないことをしたことがないのです。わがままはすべて通るものと思っています。国のご両親や先生方も、Sさんのわがままを個性か何かだということで認めてきたに違いありません。
そういう教育で培われた概念を打ち砕き、私たちが信じる「共生」とか「協力」とかという考え方を植えつけるのは、骨が折れる仕事です。頭に柔軟性のある学生なら、本人も目が見開かれる思いがしてくるのでついてきてくれますが、自分の持っている観念の居心地のよさにどっぷりつかってしまっている学生に対すると、無力感ばかりを感じさせられます。Sさんもその例です。
Sさんの思惑に関係なく、クラスの応援準備は進んでいます。昨日はすばらしい応援グッズができました。Sさんの役割も決められています。それでもSさんは休むのでしょうか。
7月30日(火)
夏場は熱中症予防のため、教室内で水を飲みことを認めているためなのか、最近授業後の飲料水ペットボトルの忘れ物が目立ちます。空かそれに近いボトルなら「机をゴミ箱代わりにしやがって!」と怒りが先に立つものの、まだその心理は理解できないことはありません。しかし、一口かそこらしか飲んでいないのを見つけると、「物を粗末にしやがって!」と別の種類の怒りが湧いてきます。
中には空のペットボトルに水道水を入れてくる学生もいますが、多くはコンビニか自動販売機などで買ってきた水です。ディスカウントストアなら数十円もしないで買うことができるでしょうが、ただではないことは確かです。日ごろお金がないと嘆き続けている学生が、そういう形の無駄遣いをすることが解せません。
同時に、その水を得るためにどれほどの労力がかかっているのか、また、地球上にはきれいな水が飲めない人々が10億の単位でいることに思いが及ばないのでしょうか。そういう貴重な資源を教室の机の中に放置し、その後始末に日直や教師の手を煩わせる――二重三重の意味で無駄遣いそのものです。
資源の浪費を全くしない人はいません。しかし、防げるはずの浪費を止めようとしないのは、地球に対する罪悪ではないでしょうか。「地球に優しい」の反対で「地球につらい」行為は控えるべきです。こういう無駄遣いを、学生たちが日本へ来てから覚えたとしたら、私たちの罪は非常に深くて重いです。
7月29日(月)
今週金曜日にスピーチコンテストが迫り、どこのクラスも応援の準備が花盛りです。私のクラスも、ダンスのフォーメーションを念入りに練習していました。Sさんがリーダーシップを取り、他の学生も意見を出し合ってよりよいものを作り上げようとしています。今日だいぶ練習して動きが固まってきましたから、あとはステージ上で恥ずかしがらずにできるかどうかにかかっています。
ステージの上で何かするのはちょっと恥ずかしいものです。でも、恥ずかしさが先に立って動きが縮こまってしまうと、本当にみっともなくなってしまいます。ここ数年ずっと審査員席に座り続け、すべての応援を見ていると、学生たちの心理状況が手に取るようにわかります。恥ずかしい止まりのクラスと、それを乗り越えられたクラスとでは、雲泥の差があります。演技の大きさが違いますから、こちらに訴えてくるものが、心の響き方が、ぜんぜん違います。恥ずかしさを乗り越えたクラスの応援は、見るものの心を捕らえ、自分たちのほうにひきつけます。
ですから、私のクラスでも、一人では恥ずかしいかもしれないけど一人だけじゃないから、大きな演技をするように、と伝えています。今日のところは、動きはよくなりましたが、このままじゃステージには立てませんね。もう一皮むける必要があります。Sさんがもっと強く引っ張れば、絶対にもう一段高いところに上れると思います。それができたら、このクラスは団結心が増し、これから迎える受験シーズンにもお互いを支え合っていい結果を生むのではないかと思います。残された火、水、木曜で、大きく羽ばたいてもらいたいです。
7月26日(金)
今学期の理科系の受験講座は、授業の最初に前の週の内容のテストをし、授業の最後にその日の内容の宿題プリントを配っています。学生に勉強させる、記述問題に強い学生を育てるという趣旨で始めました。
テストや宿題の問題は、市販の日本の高校生向け問題集からとってくればいいのですが、どの問題を選ぶかが大問題です。学生にとってはまずEJUですから、やたら難しい記述問題は意味がありません。しかし、EJUのように選択問題ばかりだと、考える力がなかなか伸びないような気がするのです。考える力をつけ、考えて出した結論を表現する術も身に付けさせたい、そういう欲張りなことを考えていますから、選ぶのが大変になってしまうのです。このような目で問題集を見ると、使える問題が意外と少ないのです。
そして、テストや宿題は問題を作ったらそれで終わりではありません。学生が出してきた答案を採点し、記述式なら答えを添削し、フィードバックしなければなりません。これもまた大仕事です。今学期の私は、テスト・宿題作成とその後処理にかなりの労力を費やしています。
でも、こうした方式にしたおかげで、EJUの過去問をやっているだけでは見えてこなかった学生の特徴がわかってきました。たとえばKさんはEJUの過去問ではひどい成績でしたが、記述式は結構答えられます。私の選んだ記述式の問題が素直な問題でしたから、Kさんの持っている基礎知識が表に出てきやすかったのかもしれません。つまり、Kさんに必要なのは、基礎知識ではなく、ひねった問題を基礎知識のレベルにまで還元する力なのです。
今日は11月のEJUの出願締切日でした。6月の結果が出たばかりですが、次の到達地点に向かって歩き始めなければなりません。
7月25日(木)
利根川水系で取水制限が始まりました。利根が上流のダムの貯水率が50%ほどまで落ち込み、神奈川を除く関東地方1都5県で10%の取水制限を始めたというわけです。
このニュースを、中級の選択授業・聴解で取り上げました。聴解そのものと時事問題を兼ねて、授業で扱いました。断水ではないので学生たちはピンと来ていないみたいでしたが、水道の出が悪くなるかもしれないとか、そうなると一度トイレの水を流したらたまるまで時間がかかるとか、そんな話にまで噛み砕くと、ちょっとまずいことになってるかも…と思ったようです。「どうなれば取水制限がなくなりますか」という質問が出てきました。「普通の強さの台風が1個来れば元に戻りますよ」と答えると、「でも台風は来たら困りますよね」と、彼らの疑問がはじけました。
「梅雨前線は空の水道」なんて言われていますが、今年はその水道管がちょっと細かったようです。それを補うには、台風に賭けるしかありません。確かに台風は災害をもたらしますが、同時に貴重な水を運んできてくれる自然のシステムを構成してもいるのです。局地的な夕立ではなく、ダムの周りの山々に満遍なくまとまった雨が降ると、降った雨がダムに集まり、貯水率が上がるのです。
虫のいいことを言えば、台風が利根川の上流だけを襲えば、東京の水不足は解消します。逆に、つい先日のように東京都内に100ミリからの雨が降っても、都民の使える水は全く増えません。この辺が実感が伴わなくてわかりにくいところですが、厳然たる事実です。また、一人一人が節水を心がけることが、水に対する意識レベルを上げることが、水不足に強い町づくりにつながるのです。
KCPの聴解授業は、耳を鍛えるにとどまらず、社会を見る目も鍛えるのです。