KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
7月24日(水)
EJUの成績が来たので、進路の相談に来る学生が多いです。私のところに来たGさんは、成績が思わしくなく、弱気になっています。6月の成績で何とかなりそうな大学を探してほしいということでした。こういう学生を励ますことも大事ですが、この時期になったら現実に向き合うことも忘れてはいけません。もう、夢ばかりを追いかけていては、最後に痛い目を見ることになりかねません。Gさんの成績でも勝負できる大学をいくつか紹介しました。
Gさんは自分に見切りをつけようとしています。Gさん自身とても悔しい思いをしているに違いありません。妥協を迫られているとも言えます。それでも、自分の将来を考えた場合、この現実を受け入れなければならないと考え、相談に来たのでしょう。来日のときの夢はあきらめざるを得ないかもしれません。でも、新たな目標に新たな夢を見つけてほしいです。それに向かって歩んでいってもらいたいです。
M先生のところへ来たSさんは、関西の大学に進みたいといいます。どうして関西なのか、今ひとつはっきりしませんが、関西の私立大学についてあれこれ聞いていました。そして、理系の受験講座を取っているけれども、実は文系に進みたいとも。重大な進路変更を顔色も変えずに告げます。でも、理系の勉強にも興味があるので、文系がだめなら理系でもいいという、煮え切らない態度です。
Sさんは頭のいい学生ですから、興味の幅が広いのでしょう。世の中のいろいろなことに関心が向かい、自分の可能性を絞りきれないのでしょう。でも、大学は「広く浅く」の学問の場ではありません。“玄人はだし”を育てるのではなく、“玄人”そのものを育てる場です。ですから、その多くの興味・関心の中から何かを選び出さなければなりません。これからの世の中を占って、専門を決めていくのです。
これからしばらくの間、迷える子羊が続々と訪れることでしょう。こちらも臨戦態勢を整えねばなりません。
7月23日(火)
夕方、F大学の先生がお見えになりました。KCPの卒業生で現在P大学3年のKさんも一緒でした。KさんはR大学に落ちて、私に勧められてF大学を受けました。ですから、F大学は第一志望ではなく、心のどこかに引っかかりを持ってF大学に入学したのだと思います。
でも、今日のKさんは、心の底からF大学に満足していることが、表情からも言葉の端々からも感じられました。学内ではオープンキャンパスや新入生オリエンテーションを企画し、学外では政府が主催する国際交流の集いに参加して、たくさん発言してきたそうです。無遅刻無欠席で成績もよく、学内外の奨学金をもらっています。大学の勉強も面白く、何回も何回もF大学に進学してよかったと言っていました。
F大学の先生の目の前ですから、多少は色をつけていたかもしれませんが、Kさんの活動の様子を見ればほとんど本心と言ってもいいでしょう。何より、Kさんの話す日本語がKCP時代より格段に進歩していることが、大学で真剣に勉強しもろもろの活動にいそしんでいることを物語っています。発音・イントネーションはもとより、単語のレベル、論理性など、どれをとっても私の知っているKさんに比べて著しい進歩です。進学してから日本語が上達する学生は少なからずいますが、Kさんほどアカデミックな方向に伸びた学生は珍しいです。
日本語もただ漫然と勉強しているだけでは身につきません。JLPTなど試験目的だけでは、Kさんのようにはなりません。勉強した日本語を使って何かをするのだという強い意志がないと、これほどにはなれません。Kさんをそういう気持ちにさせてそれを維持させているF大学の教育力は、高く評価できます。こういう大学にこそ、学生を送り出したいと思いました。
そして、何より、KさんはF大学で学問を身に付け、大人になりました。もうまもなく就活が始まります。留学生が日本で就職するのは厳しいものがあるでしょうが、これだけ大きく成長したKさんなら、やってくれるんじゃないかと期待しています。
7月22日(月)
6月のEJUの成績が届き、学生たちに渡しました。よかった学生もいれば、悪かった学生もいました。
Lさんは思ったよりもよかったようで、「先生、この点数ならA大学に出しても大丈夫ですか」と聞いてきました。「もちろん、絶対大丈夫だとは言えないけど、十分勝負できるんじゃない」と答えたら、今日行われたA大学の進学説明会に出て、そのあと担任の先生にさらに相談していました。先週までとは顔つきが違ってきました。どこか自信が感じられました。
Yさんは残念なグループ。ライバルのKさんやWさんに差をつけられてしまいました。出願計画を変更しなければならないかもしれません。これではいけないと思い、担任の先生に特訓を申し出たそうです。
HさんとCさんは、日本語がパーフェクトでした。理科系のHさんは、早速私のところへ国立大学をどこにするかの相談に来ました。理科の2科目や数学の成績も加味して、過去のデータからいくつかの大学を紹介しました。英語もできるHさん、TOEFLの準備を本格化しました。
Cさんはクラスで大はしゃぎだったそうです。はしゃぎ過ぎって感じもしたとか。国にいたときからお父様に期待され、厳しく教育されてきたので、お父様に知らせればきっとお喜びになるでしょう。
でも、EJUは大学入試の第一関門に過ぎません。この点数だけで合否を決定する大学なら「勝負あった」かもしれませんが、大半の大学は、面接など、何らかの形で独自試験を課します。Yさんだって逆転可能ですし、Cさんだって油断大敵です。LさんやHさんだって、挑戦者の気持ちを忘れてはなりません。
これから6月のEJUを使う大学の出願が始まります。W大学など、もう始まっているところもあります。進学担当として腕をふるわなければならない季節がやってきました。
7月19日(金)
スピーチコンテストのスピーカーが決まり、各クラスでどんな応援をするかの話し合いが行われています。今日の私のクラスでも…と言いたいところですが、あんまり盛り上がりませんでした。それは、欠席者がいたからです。昨日までに応援はダンスをすることに決まったのですが、そのダンスの指導をすることになっていたYさんが休んでしまったので、前に進めませんでした。今日、ダンスの振り付けができれば、週末に各自で練習して、来週月曜からは本格的にクラスで動きを合わせていけるはずでした。Yさんが休んでしまったがために、その計画が狂ってしまいました。
休むには休むなりの理由があるでしょうが、連絡もせずに休むというのは、いくら学生とはいえ無責任です。司令官の無断欠席は、敵前逃亡に等しいです。それ以前に、Yさんはクラスメートからの信頼を失ってしまったかもしれません。人間関係を保つ上で、這ってでも顔を出さなければならないときがありますが、Yさんにとって今日がその日だったのです。責任を取るということには、こういうことも含まれます。
Yさんは月曜日にどんな顔をして学校へ来るのでしょうか。まだ学期が始まったばかりですから、これからいくらでも信頼を回復するチャンスはあるはずです。まずは、すばらしい振り付けで応援賞を取ることから始めましょう。
7月18日(木)
この4月にU大学に進学したLさんからメールが来ました。Lさんは早くもU大学で名を成したようです。Lさんの所属する学部の学生全員の前で、スピーチをし、ギターを演奏するのだそうです。U大学のある町は東京よりも田舎で、悲惨な生活を送っているなんて言っていましたが、大勢の前で何かすること自体、また、そういうことをする学生として選ばれたことにはまんざらではないようです。
そりゃ、東京に比べたら、日本中の、いや、世界中のどんな町でも田舎になっちゃいますよ。23区の人口は900万人で、これを上回る都市はたくさんあります。しかし、そういう都市の人口は、日本で言えば首都圏の人口にあたるもので、それだったら東京は4000万人ぐらいにはなり、これは疑いなく世界一です。U大学の町だって、こんなとんでもない町と比較するから田舎に見えちゃうのであって、常識的な線で考えれば、程よく自然に恵まれたお手ごろサイズの町だと思います。
日本には、たとえば金沢、熊本、松江など、1本筋の通った、歴史の香りが色濃く残っている町がたくさんあります。そこで生まれ育った人にはえもいわれぬ風格が備わり、その町出身であることに誇りを持っています。私は、学生たちにそういう町で勉強してもらいたいと思っています。なぜなら、金沢における前田家、熊本における加藤清正、松江における松平不昧のように、これらの町の人々は、人を尊敬するということを知っており、人から尊敬される人とはどんな人かを知っているからです。そういう人たちに囲まれて暮らし、町に漂う歴史の香りを深呼吸し続ければ、頭でっかちの大学生にはならないでしょう。
U大学の町も、そんな町の一つだと思います。Lさんにも、町全体から薫陶を受けながら、U大学で東京では学べない、目には見えないけれどもとても貴重なものを身に付けていってもらいたいです。
7月17日(水)
各クラスでスピーチコンテストのスピーカーが発表され、スピーカーは原稿に磨きをかけて発表の練習をし、他の学生はスピーカーの応援を考えます。今日の私のクラスでも、授業の最後の10分ちょっとはどんな応援をするかの話し合いをしました。応援のアイデアを考えてくることが宿題になっていましたが、Pさんは自分のアイデアが最高だと思ったのでしょう、自分から進んでアイデアを披露し、リーダーになってみんなを引っ張ろうとしていました。
自分の考えを大勢の人に伝えること、他人の意見を聞き理解すること、その意見に対して自分の意見を言い議論を進展させること、これをすべて学生にとっては外国語である日本語でします。自分の思いを完全には伝えきれないもどかしさも感じながら日本語で話し合うことは、学生の日本語力を大きく伸ばします。スピーチコンテストは、スピーカーだけではなく、他のメンバーのレベルも引き上げるのです。ことに、Pさんのようにリーダーになると、意見をまとめて方向性を持たせる、教師と交渉する、そういう高度な日本語も自然に磨かれます。
このクラスに入るのは今日が2回目でしたが、Pさんはリーダーを買って出るようなタイプには見えませんでした。だから、Pさんが自分のアイデアでクラスをまとめていこうとした姿に驚きを感じました。自分のアイデアをクラスのみんなに紹介するときの日本語が、中級の域を超えた日本語だったことにも驚かされました。論理的にきちっとまとめられていました。そして、アイデア自体も、クラス代表に選ばれたRさんのスピーチ内容にマッチした優れものでした。Rさんも満足そうにうなずいていました。
Rさんにすばらしいスピーチをしてもらうことはもちろんですが、Pさんのリーダーシップのもと、クラスのみんなが、このスピーチコンテストを通して、日本語力的にも人間的にも成長していくことを願ってやみません。
7月16日(火)
昨日までの熱帯夜+猛暑日とは打って変わって、今日は最低気温が21.6度、最高気温も30度を割って29.1度止まりでした。朝からねっとりと肌にこびりつくような熱気は感じられず、むしろ肌が引き締まるような冷気が漂っていました。日中は確かに暑かったですが、どうしようもない暑さではなく、我慢の範囲内でした。
そういう気温の上下があるからでしょうか、体調を崩している学生も見かけます。今日の私のクラスのLさんは、昨日から風邪を引いて熱があると、メールで伝えてきました。教室に入り、授業を進めると、Hさんがつらそうにしています。教室の柱にもたれかかって生あくびを連発していました。指名すればそれなりに答えていたものの、明らかに不調です。前半の授業を終えて職員室に戻り、再び教室に入ると、Hの姿が見えませんでした。調子が悪いから早退したんだなとわかりましたが、こちらに一言断ってから帰るのが学校のルールであり、それ以前に教師への礼儀です。
そういうあたりがよくわかっている学生とぜんぜんわかっていない学生との差が激しいです。授業料さえ払えば、授業に出る出ないは学生の自由だと思っているのでしょうか。それは違います。「授業に出ない」という状況に陥らないように極力努力すべきですし、万一授業に出られなくなったら、その旨を教師に伝える義務があります。学校は、学生のご両親から大切なお子様を預かっているのですから、学生の状況を把握しておく必要がありますし、むやみに行方不明になられては困ります。
Hさんには明日きちんと指導をしなければなりません。クラス全体にも、体調管理とともに、そういう意味の生活指導をしていきます。
7月12日(金)
今日から今学期の受験講座が始まりました。私も理科の授業をしました。メンバーが何人か入れ替わり、11月のEJUや各大学の独自試験や口頭試問などに向けて、新たなスタートを切りました。
今年は授業時間が延びましたから、その日の授業で取り上げたことに関する演習問題をする余裕があります。演習問題を単なる選択式とせず、文章で答えさせたり口頭でまとめさせたりして、学生が自分の持っている知識を論理的に伝える力を伸ばせるようにしていきたいと考えています。
今日は手始めに、「植物細胞と動物細胞の違いは何ですか」と聞いてみました。中級のXさんやGさんは単語で答えてしまいます。しかも、「さいぼうかべ」というふうに漢字の読み方を間違えて。口頭試問だったら一発でアウトでしょうね。植物細胞には細胞壁がありますが、動物細胞にはありません――最低このくらいは答えてもらいたいところです。そういうレベルにまで、知識的にも日本語力的にも押し上げていくのが、この学校の受験講座の役割だと思っています。
先学期のXさんは、「わからない、わからない」と言い続け、理科系の進学をあきらめようとすらしました。それに比べれば、たとえ「さいぼうかべ」であったとしても、自ら口を開いて答えようとしたのは大きな進歩です。Gさんも先学期のEJUの過去問シリーズは毎回ぼろぼろでした。それにもめげずに挑戦を続けようという心意気にぜひとも応えていきたいです。
7月11日(木)
先学期といい今学期といい、始業日の教科書販売のときに教科書を買わず、授業が始まってから買いに来る学生がけっこういます。始業日に全員が買うものと想定して教科書を発注しますが、それが少なからず余るのです。しかし、授業が始まってからだらだらと買いに来て、事務所に置いてある分がなくなり、倉庫から運び出すというパターンになっています。スペース的な問題で事務所に置いておける冊数には限りがありますから、売り切れるたびに運び込むということになります。
昨日も今日も、何種類かの教科書を倉庫から事務所へ持ってきました。来年、新校舎ができればそういう手間は省けますから、ちょっとの間の我慢です。でも、授業で教科書を使い始めてからおもむろに買いに来るという考え方はいかがなものかと思います。教科書を買う前の授業では、友達に教科書を見せてもらっていたのでしょう。お互いに不自由な思いをします。
新しい教科書には、心躍るものがありました。内容が難しければ、向かっていく楽しみを感じたものです。新しい本独特のインクのにおいにも、学問する意欲をかき立てられました。今の学生たちも、買ったばかりの教科書を開いてはしげしげと眺めていますから、そういう気持ちがないわけではないでしょう。また、アルバイトの給料をもらうまでは教科書が買えない学生もいるでしょう。しかし、中には友達からもらった教科書で済ませようという学生もいます。問題の答えが書いてありますから、お手軽に授業に出られます。宿題に時間を取られることもありません。でも、それじゃあ力はつきません。テストのときに泣きを見るのは、自分自身です。そして、そういう学生に限って、「次の学期はがんばりますから進級させてください」って言うんですよね。
いずれにしても、教科書販売は今週いっぱいぐらいで落ち着くでしょう。暑い夏に鍛えれば、めきめき実力が伸びます。
7月10日(水)
今学期は8月2日にスピーチコンテストが控えているため、今日は始業2日目ですが、スピーチコンテストの原稿を書いたクラスが多かったです。昨日の始業日にスピーチコンテストの意義を説明し、原稿の内容を考えてくるという宿題を出し、今日書いて、今週末にクラス内予選を行い、クラス代表を決める段取りです。
私のクラスも、授業の後半は原稿書きでした。原稿を考えてくるのが宿題でしたが、なぜか原稿を書いてきた学生が2名。他の学生よりも先に進んでいるのですから文句をつける必要がありませんが、「昨日の先生の話がわかってなかったんじゃないの」といらぬ突込みをしたくなるのも教師の性です。
他の学生が書いている間にその2人の原稿を読みました。Lさんは、原稿用紙2枚にわたる長い長い1つの段落の文章でした。あるテーマについて思いついたことをだらだらと書き綴ったことが手に取るようにわかります。内容そのものはいいとしても、この原稿を読み上げる形でスピーチをしたら、だれもついてこないでしょうね。文字を追うからなんとなく焦点がつかめますが、原稿を読み上げる音声だけだったら、聞き手に主張がどれだけ伝わるやら。そして、こういう原稿を書く人は、えてして盛り上がりのない原稿の読みかたをするものです。それがなおいっそう、意見をわかりにくくします。
もう1人のHさんの原稿は、文法の間違いや誤字脱字だらけでした。注意がそっちに向かってしまい、内容を吟味するには至りません。話はできるし通じるし、Hさんは音声によるコミュニケーションには問題がありません。そういう学生でも、文章を書かせるとここまでレベルが落ちてしまうのかと、、妙なところに感心させられました。最初のうちは「これは『みんなの日本語』の8課」「これはレベル2の文法項目」と突っ込みを入れていましたが、いちいち指摘していったら、それこそ日が落ちてしまうと思い、途中から黙って読みました。
授業後は学生たちが書いた原稿のチェックです。スピーチコンテストの原稿は、通常の作文とは違って、こちらから与えられたテーマで書くものではありません、ですから、原稿を読むと学生の普段は表さない考えや立ち位置が見えます。今日のお2人並みに原稿を読むと時間ばかりかかってしまいますから、人生のポリシーをざっくり捕まえるつもりぐらいが、ちょうどいいのです。今晩が、楽しみです。
7月9日(火)
今日の私の教室は本館の最上階・6階です。ちょっと時間がありましたから、エレベーターを使わず、あえて階段を上っていきました。いつもなら階段の途中にある喫煙所で何名かの学生がタバコを吸っているのですが、今日は始業日という緊張に包まれる日だからでしょうか、単に朝から暑かったからでしょうか、一人の学生にも会いませんでした。
でも、教室にはちゃんと学生がいました。受験講座などで顔をあわせたことのある学生が三分の一ぐらい、あとはほぼ初対面(校内のどこかでは会っているのでしょうが、覚えていないか顔と名前が一致しないかです)。こちらも少々緊張します。
始業日に気をつけていることは、学生たちの知的好奇心を刺激することです。もちろん、日々の授業でもそういうことを心がけていますが、初日は、がんばればわかる、でも、がんばらなければわからない、というラインを攻めることに特に頭を使います。これがうまくいけば、学生たちは、これからの3か月、この先生について行こうという気になってくれます。ついていけば自分の日本語力が伸びるんじゃないかという期待を抱かせるわけです。
じゃあ、そうするにはどうしたらいいかというと、今まで勉強してきたことの組み合わせで何かを表現する楽しみを与えることです。たとえば、今日のクラスは中級の入り口のレベルでしたが、初級で勉強した文法を組み合わせることで表現の幅が広がること、初級の文法を違う角度から見ると使用範囲がぐっと広がることを見せてやりました。そこにほんのちょっぴり新しい表現を付け加えると、ぐっと上手な日本語に聞こえる、ということを実演すると、みんなノートを取り始めました。
今日のところは、クラスの学生たちとの間に信頼関係が築けたようです。授業のたびにこの信頼関係を育てて、太く大きな幹にしていければ、充実した1学期になることでしょう。
7月8日(月)
土曜日に関東甲信地方の梅雨が明け、今日は西日本各地の梅雨明けとなりました。梅雨が明けるや、昨日も今日も最高気温が35度を超える猛暑日になりました。そして、昨日も今日も、夕立がざっと来ました。空の色といい、雲の形といい、肌にまとわりつく熱風といい、完全に夏です。梅雨明け10日といって、梅雨明け直後は安定したお天気の日が続きますから、今週いっぱいか来週の始めごろまでは、この勢いが続くのでしょう。今のところ、気象庁が出した猛暑の予想が当たっています。
こんなに早く夏が来てしまうと、学生の体力がもつかなと心配になってきます。弱っちい学生が多いですから、夜寝られないとか、だからエアコンをつけて寝たら風邪を引いたとか、食欲がなくて体に力が入らないとか、冷たい物を食べておなかを壊したとか、学校へ来るまでに体力を使い果たしたとか、どんな体調不良の言い訳が出てくるのか、今から不安です。
生まれたときから冷房の中で育てられると、体表面の汗腺が十分に発達せず、熱くても汗をかくことができなくなるそうです。だから、体温の調節が十分にできず、体調をすぐ崩すのだとか。今の学生は、きっとそうなのでしょうね。エアコン完備の家庭環境で育ち、勉強一筋で外にもあまり出ず、アイスクリームなんかをたくさん食べながら大きくなったんじゃないのかな。
明日から新学期です。そんな学生が大挙して押し寄せます。学生の体力に合わせながら、でも、少しでも学生を強くたくましくしていきたいと思っています。
7月5日(金)
昨日から参議院選挙が始まっていますが、インターネットによる選挙運動が解禁されたからでしょうか、選挙カーがあまり来ません。新宿駅まで行けば党首クラスが演説しているのかもしれませんが、私がうろつく範囲内では選挙運動らしきものを見かけません。先月の都議選は、選挙区が狭かったせいもあり、ひっきりなしに候補者の名前を聞かされたような気がします。
選挙カーは候補者の名前を広めるために使われていますが、私はそんなの邪魔くさいと感じるだけです。名前のほかに、「景気をよくします」「住みよい社会を作ります」なんていう、誰でも言えるような政策とはとても言えないような文句を垂れ流すだけでは、何の価値もありません。かと言って、選挙公報は読みたくなる代物ではなく、ですからインターネットによる選挙運動に期待をかけています。でも、今のところは評価したくなるような候補者や政党のページはありませんね。
この参議院選挙が初めての経験ですから、誰もが手探りなのでしょう。様子見をしながら改良を重ねている最中だと思います。選挙戦の後半になれば、どこの政党あるいは候補者のページやツイッターがいいなんていう噂が出回るんじゃないでしょうか。次の選挙では定番のやり方がある程度決まってくるのですかね…。
インターネットの選挙は、悪意を持って利用すれば国を傾けることにつながります。丁寧に育てていけば、みんながアクセスできるメディアで政策が語られ、選挙そのものが変わり、日本の国に新しい風が吹き始めるかもしれません。
7月4日(木)
このところ、空き時間に受験講座の教材を作っています。学期が始まったらそういう時間がなかなか取れませんから、今のうちに作っておこうというわけです。新学期はEJU対策だけでなく、各大学が実施する数学や理科の試験への対策も行うことにしています。学生たちにきっちりした答案が作れるような指導をしていこうと思っていますから、準備もそれなり以上に必要です。
私自身は受験講座に最大限の力を注ごうと思っていますが、学期が始まると周りの先生方からは日本語の教師として見られるので、数学や理科になかなか時間が割けなくなります。だから、授業が始まる前に教材や資料を作りだめしておかなければなりません。今年はメインの教科書を変えたので、なおさらやりかえが多くなっているという事情があります。
そんなわけで、数学の問題を考えていたら、Gさんが「JLPTの受験票をなくしてしまいました。家の中のどっかにあるはずなんだけど、見つからないんです」と言ってきました。今までだったら、JLPTの事務局に連絡を取って…というところでしたが、今回は学校で団体としてインターネットで申し込んだので、パソコン上で受験票の再発行ができました。クリック数回で職員室のプリンターから受験票が出てきたときには、便利になったものだなあと感心してしまいました。
これで作業の中断が10分ほど。学期が始まったら、こういう学生が次から次へとやってきますから、数学や理科がどんどん後回しになってしまいます。今学期は出願が本格化していきますから、それに関する相談にも乗らなければなりません。だから、今この時期が非常に貴重な時間なのです。数学・理科の教師は、遠い道のりです。
7月3日(水)
Hさんは先学期私がいちばん下のレベルで教えた学生です。期末テストの点数がちょっとだけ悪くて、担任のM先生に呼び出されていました。今日はM先生から出された宿題をやって持って来ました。たまたまM先生が不在でしたから、私が対応しました。
宿題はほとんどすべてできていましたが、順接の「から」と逆接の「が」のところだけが全くできていませんでした。単なる勘違いかなと思って説明しましたが、線がつながった様子が全然見られません。こりゃだめだと思い、「から」と「が」の導入から始めました。例文をたくさん出して、やっとわかってもらいました。
Hさんは時々遅刻したり欠席したりする学生でした。理解力はあるのですが、その点が気がかりでした。むしろ、自分の理解力を過信して気安く遅刻・欠席を重ねた節も感じられました。だから、たまたまHさんが休んだ日が、「から」と「が」を取り上げた日だったのでしょう。
授業を休んでも、宿題や平常テストでわかっているかどうかのチェックはできるのですが、Hさんはなんとなくわかったつもりで答えを書き、それがそんなに大きな破綻をきたした答えではなかったので、私たちの目にも留まらなかったのかもしれません。しかし、「から」と「が」はHさんの頭の中にきちんと定着していたわけではなかったので、最後の関門は乗り越えられなかったのでしょう。
初級は、日を追うごとに日本語力がついてくる段階です。授業前はできなかったことが、授業後はできるようになっているということの連続です。だから、1日休むと勉強内容が大きく進んでしまい、自分の力だけではそのギャップを埋められないこともまれではありません。Hさんにとっては、それが「から」と「が」だったのです。
明日は新入生のレベルテストです。いちばん下のレベルにもたくさんの新入生が入るでしょう。Hさんのように休んだ日の授業が致命傷になってしまった、なんてことがないようにしてもらいたいです。
7月2日(火)
先日、電車の中の広告に中学入試の問題が出ていました。羽田空港と佐賀、出雲、釧路の各空港との間の航空便のダイヤから、釧路空港のものを選ぶという問題です。そんなの、羽田~釧路のダイヤを知らない限り解けないじゃないかと言っているあなた、G中学には入れませんよ。ダイヤを知っていても、選んだ理由も答えなければなりませんから、それだけじゃまだG中学は無理です。
この問題にはポイントが2つあります。まず、羽田と佐賀、出雲、釧路の位置関係です。佐賀と出雲は西で、釧路は北東です。そして、日本上空には偏西風が吹いているということです。この偏西風により、出発地から東に向かう便は、同じ区間の逆向きの便より所要時間が短くなります。この2つの知識を組み合わせて、羽田から現地へ向かう便が、現地から羽田へ来る便よりも短い所要時間であるダイヤを選びます。選んだ理由は上述のことをもう少し要領よくまとめればいいはずです。
偏西風は理科で習うでしょうし、そのときにジェット機の所要時間に影響を与えるなんていう豆知識を披露する先生も多いでしょうから、そういうことを思い出せばなんとかなったかもしれません。しかし、小学生は、佐賀はともかくとして、出雲や釧路が日本のどこにあるのかを知っていて当然なのでしょうか。私が小学生のころは、釧路といえば遠洋漁業の基地として教科書にも載っていましたが、今はそうでもありません。ラムサール条約登録の釧路湿原の玄関口ということで名が売れているのでしょうか。
確かに、小学生なら誰でも知っているはずの札幌(新千歳)だと、東京から真北に近過ぎて所要時間の差が出ないのかもしれません。それだったらこの問題はあきらめるべきだったと思います。私は地理ファンですからこういう問題は大好きです。答えるには単一の知識ではなく、いくつかの知識を複合しなければならないという点では優れた問題だと思います。しかし、釧路や出雲という小学生が知っていなければならないとは思えない地名を使っている、その一点においてこの問題を全面的に肯定するわけにはいきません。
入試に限らず、試験問題を作るのは難しいです。受験生の勉強度合いに応じて差がつくようにしなければならないのと同時に、勉強していれば答えられる設問にしなければなりません。また、試験対策を練る側としては、どこまでが受験生として常識だとみなされるのかの見極めができないと、まっとうな指導ができません。もうすぐ新学期です。中学入試に感心したり怒ったりしている暇はありません。
6月27日(木)
今日は久しぶりにいいお天気になりました。青空がパーッと広がったのは、先々週の日曜日以来です。その梅雨の晴れ間にハイキングでもできたらよかったのですが、私は健康診断でした。学期中は授業やら受験講座やら学生対応やらで時間が取れないので、学期休みの期間中に済ませてしまうのがKCPの流儀です。
今日はいつもの年寄り受診者が多く、検査項目ごとに待たされて、思ったよりもだいぶ時間を食ってしまいました。それでも1年に1回はこういう検査を受けておかないと、ある日突然、体の不具合が許容値を超えて、仕事や生活に支障をきたす事態に陥りかねません。3年ほど前に初期の緑内障が見つかったのもこの検査でした。
自動車でも何でも、壊れてから直すのでは手間も暇もかかり、影響が広範囲に及びます。直せればいいですが、直せなかったら買い直しとか部品の総とっかえとか、お金もかかります。だから、自動車には6か月点検や車検があるし、工場の生産設備には定期修理があります。人間は買い直しも総とっかえもできません(iPS細胞による治療が実用化すれば部品の総とっかえは可能かもしれませんが、まだまだずっと先のことでしょうね)から、そうなる前に手を打っておかなければなりません。年に1度の健康診断は、転ばぬ先の杖だと思っています。
検査結果は何週間か後でないとわかりませんが、私の場合は緑内障と白血球が少なめだというのがここのところ毎年の指摘事項です。それ以外に何かが引っかかったら、危険領域ですから精密検査を受けなければなりません。もうどう考えても若くはないのですから、無理は禁物です。
6月26日(水)
今日もまた雨でした。梅雨入りしたばかりのころは空梅雨が心配されましたが、東京は既に平年の6月の9割の雨量に達し、明日以降のお天気いかんでは平年を上回る目も出てきました。取水制限も検討されていた四国の早明浦ダムは、貯水率が100%近くまで回復しました。九州では大雨の被害も出ていると報じられています。気がついてみれば、いつもの梅雨です。
昨日発表された7~9月の長期予報によると、今年もまた猛暑になるとのことです。去年までは同じビルの上下移動ですんでいましたが、今年は本館と別館の間を頻繁に行ったり来たりしなければなりません。わずか200メートルほどとはいえ、熱せられたアスファルトの上を歩くのはぞっとしません。暑がりのK先生は泣くかもしれません。
猛暑日の連続というのも困りますが、お天道様が輝いている分だけどこか明るさがあるように思います。しかし、冷夏は曇り空で陰気くさくなります。1993年の冷夏のときは、気分がふさぎました。7月なのに屋外からの中継のアナウンサーの白い息がテレビの画面に映ったり、気に飛び上がることができないセミが舗装道路をよたよたと歩いていたり、そういう発見をするたびに元気がなくなっていったのを覚えています。その挙句の果てが、コメの輸入に踏み切らざるを得なかった大凶作でした。
日本語教師は農林水産業のように天候の影響をもろには受けませんが、猛暑だったら学生の健康を心配しなければなりませんし、冷夏だったら学生や自分自身を盛り上げることに気を使うことになるでしょう。今年はどうやら熱中症に注意しろと言いながら次の学期を送ることになりそうです。
個人的には、梅雨にゴーンと雨が降り、夏はカーッと暑くなり、冬はキーンと冷え込むというメリハリのある気候がいいです。いろんなものの「らしさ」が失われつつあるとき、お天気ぐらいは典型的なパターンを守ってほしいです。
6月25日(火)
今朝まで都議選のポスターが張ってあったところが、午後には参議院選挙のポスター掲示板に変わっていました。私の住んでいる区は都議選のときは6人分の枠が、大きな掲示板のまん中へんに申し訳なさそうに印刷されていました。それはこういう事情だったんですね。
さて、今日はアメリカの大学のプログラムで来日した学生たちの入学式がありました。先週の金曜日に今学期までの学生を送り出したばかりですが、その倍ぐらいの学生が新しく入ってきました。私も、ゆうべ必死になって考えた英語のスピーチをしました。どうやら学生たちには思いが通じたようで、笑いも取れました。
今日入った学生たちは短期プログラムのため、入学早々授業が始まりました。初日は新宿ツアーを予定していたのですが、入学式の直前からかなり激しい雨が降り出し、また雷も聞こえ、一時はどうなることかと思いました。しかし、ツアーに出かけるころには薄日も射してきて、ちょっと蒸したかもしれませんが、歩くには程よいお天気になりました。
この雨、どのぐらい降ったのか気象庁のページで確かめてみたところ、大手町では雨量が観測されていませんでした。しかし、練馬や所沢のアメダスでは10ミリ以上の雨が降ったことが記録されており、西武新宿線沿いの帯状のごく狭い範囲で強い雨が降ったことがわかりました。小型のゲリラ豪雨と言ってもいいでしょう。梅雨末期から夏にかけて、ゲリラ豪雨の被害を心配しなければならない季節になりました。
今日の学生たちは、結局雨に降られることなく、だから傘も買うことなく帰っていきました。でも、日本の夏はにわか雨の最盛期ですから、傘の1本ぐらい用意して、それを持ち歩くくらいの用心はしてもいいんですけどね。雨に降られて身動きがとれず、雨宿りするのも日本の文化ですから、それもまたいい経験になると思います。雨の中、傘をさしながら熱弁を振るう候補者っていうのも、彼らの目に焼きつく光景になるかもしれません。いろんな生の日本を見ていってもらいたいものです。
6月24日(月)
東京都議会選挙が終わり、静かな日常が戻ってきました。期末テストが終わって、学校はつかの間の平穏に浸っています。今日は期末テストの追試が行われましたが、受験者はもとより多くはありません。そんな中、OさんとSさんが朝からラウンジで勉強していました。もちろん、この2人はきちんと期末を受けましたから、今日は学校へ来る必要はありません。でも、うちにいるより学校のほうが勉強できるから、学校にある教材を使って勉強したいからということで、わざわざ登校してきたのです。
OさんもSさんも、簡単には入れてくれない大学を狙っていますから、学期休みだからといって勉強を休むわけにはいきません。周りがどんなに浮かれていようとも自分の道を歩んでいくという気構えが必要です。また、自分で設けた課題に向かって進んでいくことぐらいできなければ、2人の志望校には手が届きません。
それにひきかえ、期末テストの読解が不合格だった進学コースのWさんとGさんには、あんまり危機感が感じられませんでした。校内のテストで引っかかっているようじゃ入試で結果が出せるはずがないのに、結果を知らせる電話をかけたらだらけきった声が聞こえてきました。勉強しなおしてあさっての朝来るように伝えましたが、どんな顔を見せてくれるのでしょうか。
さらにひどいのがJさん。期末テスト当日にも今日の追試にも姿を現さず、担任のK先生が電話をかけても出ませんでした。しばらく経ってから折り返しの電話が来ましたが、「さっき学校から電話が来たみたいなんですけど…」という間抜けたセリフが出てきました。受けずにすませたいという気持ちがありありとうかがえ、でも次のレベルには進みたいという虫のいい考えを持っていることが手に取るようにわかりました。頭も悪くなく、性格も明るいのですが、こなんじゃどうしようもないでしょうね。
人間誰しも楽なほうに進みたいものですが、踏ん張るべきところで踏ん張らなければ、ばら色の人生など望むべくもありません。不幸にして、学生たちが迎えようとしている未来はグローバル化時代で、私たちが送ってきた過去の何倍も競争が激しいのですから。