KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
6月21日(金)
早いもので、今学期も期末テストの日を迎えました。テスト終了後、アメリカの大学のプログラムできていた学生たちの修了式が行われました。修了式では、証書をもらった後、修了生がスピーチをするのが慣わしになっています。中級のMさんは、証書をもらうとおもむろにポケットからメモを取り出しました。「あ、やっちゃった」と思いました。メモを見ながらのスピーチにろくなものがないというのが今までの経験からわかっていたからです。
メモを見ながらのスピーチがなぜよくないのかというと、辞書を見ながら文章を作るため、自分の言葉になっていないスピーチ原稿になってしまうからです。日本人の友達か誰かに手伝ってもらったことがはっきりわかるげんこうもよくありました。スピーチする人自身が理解できていない単語や文を読み上げるのですから、心のこもったスピーチにはなりません。話している学生も、聞いている学生や教師も、お経を読んだり聞いたりしているようなものです。そんなスピーチを聞かされるのかと、ぞっとしたわけです。
しかし、Mさんのスピーチは違いました。今学期勉強した文法をふんだんに取り入れ、修了式というフォーマルな場に合わせた言葉遣いにし、今までKCPで勉強してきた思いを発表してくれました。多少棒読みのところはありましたが、明らかにMさん自身がその文案を練り、原稿を認めたことがわかりました。これだけの内容なら、メモを見ながらでも許されるというか、むしろその方がフォーマルな雰囲気が醸し出されて好ましくさえありました。スピーチを終えたときのMさんの誇らしげな表情が印象的でした。
Mさんのスピーチを聞いて、思いを込めるということについて改めて考えさせられました。辞書を参考にしながら、あるいは日本人に手伝ってもらいながら原稿を作った学生たちが、KCPでの留学に何の感慨も持っていなかったとは思えません。それをスピーチという形にする手段を持ち合わせていなかったのです。これは気の毒なことでもあります。KCPは会話には力を入れていますが、すべてのレベルにおいてスピーチに焦点をあわせた授業をしているかといえば、必ずしもそうでもありません。学生のスピーチに満足できないということは、私たち自身の教え方にも問題があったと考えなければなりません。Mさんのような優秀な学生はその穴を埋めてくれますが、普通のがくせいはそうはいきません。
私も、来週、Mさんたちの代わりに入ってくる新入生に対して英語でスピーチすることになっています。自分の思いをどのような形でスピーチに込めるか、今から頭が痛いです。
6月20日(木)
朝、教室に入ると、Lさんが「先生、教科書の忘れ物、届いていませんでしたか」と聞いてきました。Lさんは昨日漢字の教科書を教室に置いてきてしまったと言います。職員室には届いていなかったと答えると、今日の漢字の授業は友達に教科書を見せてもらっていました。
私は、学生が教科書を教室に忘れて帰るという神経が理解できません。財布よりも大切にしなきゃならないんじゃないでしょうか、学生にとって教科書は。このクラスの学生も、教科書を置いて帰ったのはLさんだけではありません。授業後机の中を点検すると、鼻をかんだティッシュペーパーにまみれて教科書が出てくることもあります。そういうのを見ると、その学生の人格を疑いたくすらなります。教科書を粗末に扱うことに罪悪感が全くないのでしょう。また、朝、「昨日の午後クラスの学生の忘れ物です」と、学生から教科書を渡されたことも何回かありました。午後クラスの初級の学生には復習だけは毎日しろと常々言っていますから、忘れていった学生は前の日の晩は何をしていたのでしょう。
Lさんの場合、期末テストを明日に控えて教科書をなくすとは、いったいどうするつもりなんでしょう。ところが、昼休みにLさんを見かけたら、けろっとした顔をしていました。教科書のことを尋ねてみると、「先生、大丈夫です。友達のを写真に撮りましたから」と、スマホを片手に答えてきました。うーん、確かにスマホに取り込んでしまえば、期末テストむけの勉強ぐらいはできるでしょう。だから、教科書も気軽に忘れられるんですね。文明の利器とは恐ろしいものです。
6月19日(水)
今日のクラスでは「ほめる」会話をしました。相手の外見に始まって、性格や行動様式まで、いろんな角度からクラスメートをほめあいました。ほめるほうもほめられるほうも、最初はどことなく気恥ずかしそうでしたが、いつの間にかいつもより大きな声で話していました。やっぱりほめられると気分がいいんでしょうね。
私たちも「ほめて育てる」ということはよく言われているのですが、ついついほめるよりしかるほうに走ってしまいがちです。各学生のいいところに気づいていながら、それを口に出すことはあまりありません。ある学生に感心させられても、それをすぐにその学生に伝えることなどトンとしていないような気がします。でも、今日の学生の様子を見ていると、考えを改めなきゃなと思いを新たにしました。
私たちがなぜ学生をほめないかというと、学生が慢心したり有頂天になったりするのを恐れているからです。これで十分だと思ってもらっては困りますし、さらに上を目指してもらいたいから、きつい物言いになってしまいます。ただ、そういうやり方が真に学生を引き上げることにつながっているのかといわれると、絶対の自信は持てません。もしかすると、ただ単にほめた学生がいい結果を出さなくなるのが怖いからかもしれません。
今日のクラスでも、学生たちがお互いにほめあった後に、私は「追試再試は今日中に受けてください。期末の点が悪かったら有無を言わせず進級させませんよ」と冷や水を浴びせるようなことを言ってしまいました。手綱を引き締めることも教師の重要な仕事だと思いましょう。
6月18日(火)
東京は2時少し前に気温が30.2℃まで上がり、今シーズン初めての真夏日となりました。夕方5時ごろぱらぱらと雨が降りました。新宿は地面がわずかに湿る程度でしたが、府中では1時間に16ミリの雨量を記録しています。府中も最高気温が30℃を超えており、まさに夕立です。ということは、季節はもう夏なのでしょうか。
東京が最高気温を記録したころ、M先生と私はWさんとGさん相手にヒートアップしていました。
Wさんは昨シーズン中堅のT大学を受けましたが失敗して、KCPで勉強を続けています。中級での受験でしたから、受かればもうけものという感じでした。そのWさん、今シーズンもT大学を受けるといいます。1年長く勉強して同じ大学か、とM先生が激怒。T大学は悪い大学だとは思いませんが、中級のときに受けたのと同じ大学を、上級で何学期も勉強した後で受けるんですか、というのがM先生の主張です。WさんがT大学に非常にあこがれているのなら話は別ですが、そんなことは全く感じませんでした。
もう一方のGさんは、突然、P大学を受けると言い出しました。それまでのGさんの志望校とは全く違うので、P大学で何を勉強するのか聞いてみたものの、さっぱり要領を得ません。追及すると、国のお母さんがP大学と言ったから受けると言います。だから、P大学がどんな大学で何が勉強できるのかなど、全くわかっていません。いわんや、P大学卒業後にどうするかなど、ほんのかけらも考えていません。
2人とも、来学期の受験講座で楽をしようとしていることは見え見えです。日本語力だけなら、WさんはT大学に落ちることはないでしょう。しかし、勉強しようという意欲が面接で感じられなかったら、EJUの点数がどうでも落とされるでしょう。T大学はそこまで甘くはありません。GさんのP大学も同じです。とりあえず入ることはできるでしょう。しかし、学問する目的がなかったら、4年間ただ学費を浪費するだけになることは火を見るより明らかです。Wさんは、ぽろっと「勉強はあまり好きじゃありません」と言いました。勉強が嫌いな人が大学に4年間通うのは、苦痛以外の何物でもありません。「Wさん、悪いことは言わない。すぐに帰国しな」と言ってやりました。
2人とも、早々と行き先を決めて、卒業までボーっと過ごそうとしているように思えてなりません。大学に入ってもボーっとしたまんま、青春の無駄遣いをしていくんでしょうね、ここで合格しちゃったら。今日は肉体的にも精神的にも暑苦しい1日でした。
6月17日(月)
昨日は今年1回目の日本留学試験がありました。今日の私のクラスの学生たちは、いつもと変わらぬ顔をしていました。「日本語はできたと思うけど、他の科目は自信がない」というのが共通した感想でした。
試験前日の土曜日に学校へ来て化学の特訓をしたTさんは、特訓した問題と同じ問題が3問出たとか。その分ちょっとにこやかでした。でも、特訓した側から言わせてもらうと、Tさんに100%合わせてわかるまで解説したのですから、3問できたくらいで喜んでもらっては困ります。そもそも、試験前日に及んで一からやり直そうというのがどうかしています。切羽詰っていたのはわかりますが、もっと早い時点で手を打たなきゃ。
Sさんは今回の成績を使ってW大学とM大学に出願すると言っています。両大学とも11月のでは間に合わないから、11月は受けないと言い出しました。W大学かM大学のどちらかに受かってくれたらいいのですが、どちらもそう簡単には入れてくれませんから、Sさんはちょっと早まりすぎています。そこそこの手ごたえは感じたみたいですが、受験戦争はそんなに甘くはありません。背水の陣を敷くといえばかっこいいですが、私には保険を掛けずに無謀な勝負に出ようとしているように見えます。
クラスによっては気が抜けてしまったような顔をしていた学生もいたようです。しかし、ここで気が抜けては困ります。最低でもSさんのように次の目標に照準を合わせて気を引き締めてもらいたいです。教師にとっても、6月のEJUは通過点に過ぎません。次に向かって気分も新たに踏み出していかなければなりません。
6月14日(金)
来週の金曜日が期末テストなので、今日が授業日としては今学期最終の金曜日です。私が入っていたいちばん下のレベルのクラスも、今日でお別れでした。最後の授業は、普通形の導入と練習でした。
今学期、金曜日は行事や休日でつぶれることが多くて、授業回数は多くありませんでした。そのため、たまに会ったときの学生たちの成長には毎回目を見張るものがありました。最初の授業では「これ」とか「あれ」とかやっていましたが、次のときは「~しませんか」という誘いの練習、その次は「います」「あります」と位置詞でした。そして、て形、辞書形、普通形と発展してきました。
新学期2週目のお出かけタスクの時には、動詞が使えなくて学生とコミュニケーションを取るのがなかなか難しかったのですが、普通形が入った今日あたりは、かなり気楽に話せるようになりました。漢字の授業でも、その漢字を使った、教科書には載っていない単語を紹介しても、学生たちはそれを理解してくれるようになりました。この段階まで来ると、加速度的に日本語力がついてきます。
今日のクラスの学生たちを次に教えるのはいつのことでしょうか。私は中級以上が通常のポジションですから、早くて今度の冬ぐらいになるでしょう。初級で教えた学生に、中級や上級の教室で再び会うことほど感激的なことはありません。幼い時を知っている親戚の子が高校生ぐらいになったときにまた会って、「大きくなったなあ」なんて言いながら肩をたたくような感じでしょうか。
いずれにしても、今学期もあと1週間です。
6月13日(木)
朝、出勤してパソコンの電源を入れましたが、立ち上がりません。2、3回繰り返しましたが、だめでした。こうなると、システム担当者が出勤してくるまで待つほかありません。生兵法はけがの元です。知ったかぶりをしていじくり回して傷口を広げたんじゃ、すぐに直るものも直らなくなってしまいかねません。
今日の授業で使う最低限の資料はゆうべのうちに用意しておいたので、パソコンが使えなくても致命的なダメージにはなりません。腰を据えてパソコンを使わない仕事をすることにしました。受験講座で使う資料を読み直して文字通り加筆したり、今日返却することになっている学生の例文や答案用紙に改めて目を通したり、いつもとはかなり違った朝のひと時を送りました。
毎朝、習慣とも惰性ともつかない調子でパソコンを立ち上げ、メールを読んでいくつかのサイトをチェックして、何か資料みたいなものを作り、という時間の使い方をしていますが、これが本当に有効な使い方なのでしょうか。パソコンを使うこと=仕事をすることではありません。パソコンの外にこそ、教える者本来の仕事があるはずです。もっと学習者に向き合わなければなりません。
そんな気持ちで進学クラスの教室に入ると、3名が欠席。授業後、欠席者に電話をかけたら、Wさんは「おなかが痛かったから休みました」と、妙に張りのある声で答えてきました。EJUを3日後に控え、学校に出るよりもうちで勉強していたほうが効果的と思っているのでしょうが、そういう発想が好成績につながることってないんですよね。問題集や参考書を開くこと=実力アップ=EJUで好成績って等式は成り立たないんですね。Wさんは最後の追い込みって思っているのでしょうが、実際には悪あがきであり付け焼刃であり敵前逃亡にすぎません。今日の授業ではとっても大事なアドバイスをしたのに…。
授業から戻ってきたら、パソコンは直っていました。でも、今朝の新鮮な気持ち、ゆとりを感じた朝を忘れたくないなと思っています。
6月12日(水)
私の入った中級クラスは、期末タスクの模擬討論会の準備の真っ最中でした。模擬討論会とは、安楽死とか死刑制度とか同性の結婚とか、今社会で話題になっているテーマについて、政治家とか医者とか宗教家とか役割を決めて台本を作り、討論会の形にまとめて発表するタスクです。発表があさってなので、今日あたりで台本をしっかりしておかないと苦しくなります。
もちろん、台本を棒読みするだけでは意味がありません。熱く語らねばならない場面もあれば、冷静に相手を説こうという役目の人もいます。セリフをきちんと作り込むことも大事ですが、それを実際に言う人の話し方ひとつで、そのセリフが生きも死にもします。毎日の発話練習が、こういうところでものを言ってきます。イントネーションを巧みに操ってセリフを自分のものにしている学生がいる一方で、明らかに単語を拾い読みしている学生もいます。
台本も、今まで勉強してきた話し言葉や縮約形も、最近勉強したばかりの硬い表現も取り入れて、生き生きしたものにしています。最初に作った台本は不自然な表現や流ればかりでしたが、今日あたりはほぼ完成形になってきています。だからこそ、感情を込めてセリフを言う意味があるのです。
今日は各グループで台本の読み合わせをして、微調整をしました。私は辞書代わりで、単語や文法の用法を聞かれたり、イントネーションのつけ方を指導したりしました。こういうときに、教科書を使った授業では教えられないことが教えられるのです。それはまた、教師にとっても楽しい授業でもあります。
タスクをやり遂げると、学生たちは一段成長します。もうすぐ、一皮むけた私のクラスの学生たちの姿が見られそうです。
6月11日(火)
朝7時ごろ、教室の鍵を開けようと職員室から出たら、Bさんが立っていました。夜眠れず、これから寝ると欠席してしまうから徹夜状態で学校へ来たそうです。学生ラウンジに案内して、一息ついてもらいました。
Bさんも受験生ですから、5日後に迫ったEJUから大きなプレッシャーを感じていることでしょう。焦っていると言ってもいいかもしれません。そういう気持ちはわかりますが、寝ないで学校へ来てしまうというのはかなり重症です。本番まで1週間をきったこの時点で生活のリズムを崩してしまうのは、ちょっといただけません。
EJUは午前中から行われます。朝10時の時点で頭の中がベストの状態でないと、好成績は望めません。Bさんのように寝ないで試験会場に赴いたら、緊張でいくらかは目が冴えるでしょうが、最高のコンディションには程遠いことは想像に難くありません。
Bさんが抱える根本的な問題を解決しないことには、Bさんの睡眠状況を好転させることは難しいでしょう。思い通りの成績が出せるかどうかというのは、受験生誰もにのしかかってくる精神的圧迫です。その圧迫に耐え切れずに眠れぬ夜を過ごし、本番でベストが尽くせなかったとしても、残念ながら現状の制度ではそれがその受験生の実力だという判定にしかなりません。
先週のニュースによると、日本人の高校生が受けるセンター試験が、近い将来「達成度テスト」という形で、年に数回受けられるようになるかもしれないとのことです。EJUは受験生の数がセンター試験とは比べものにならないくらい少ないですから、同様の措置を講じてもらうことは難しいでしょう。でも、一発勝負のプレッシャーにつぶされて有為の人材を失っては本末転倒です。去年の10月に来日したBさんにとって、第一志望校進学のためには今回のEJUが最初で最後のチャンスなのです。
天気予報は、週末の台風の接近を告げています。でも、992ヘクトパスカルとかっていう勢力じゃEJUが中止になる確率はゼロでしょう。雨で電車が遅れて試験開始に間に合わなくなることを本気で心配したほうがいいです。Bさん、生活を立て直して志望校に届きそうな成績を残してくださいね。
6月10日(月)
今日は時の記念日。時間の大切さを改めて見つめなおす日です。しかし、今日の私のクラスは遅刻が4名。誰もが大した理由はなく、要するに生活がだらしなくて朝きちんと起きられず、定時に学校に着かなかったというわけです。
KCPは心が広いですから、そういう学生が遅れて姿を現しても教室に入れてあげます。しかし、世の中そうではない場合も多々あります。今度の日曜日に迫ったEJUもそうです。遅刻したら今までの努力が水泡に帰しかねません。しかし、学生たちにどうもそのような切迫感がないように思えてなりません。大学の校門から試験会場の教室まで、へたをすると10分以上かかることもあると言うと、目を丸くしていました。
人生には、いかなる言い訳も通用しない場面があります。絶対にミスが許されない状況があります。学生たちにとってのEJUもそのひとつです。初めてそういう場面に遭遇するという学生も少なくないでしょう。前夜、必死で追い込みの勉強をしていたので朝起きられませんでした、風邪を引いて熱があって薬を飲んだらぐっすり寝てしまってなんていうのも、言い訳にすらなりません。
「はってでも行け」と言ってやりたいです。精神論だけで問題は解決しませんが、学校を平気な顔で遅刻するようなやつらには、まず精神論です。目覚ましを無意識に止めてしまうから朝起きられないと言ったSさん、君は明らかに甘ったれてます。9時3分ぐらいに入室することの多いJさん、何でもう1本早い電車に乗ろうとしないんですか。しょっちゅう遅延証明書を持ってくるWさん、遅延証明書は黄門様の印籠ではありませんよ。
今日はわざわざ授業時間を少々つぶしてお説教をしました。日曜日、クラス全員が時間に送れずに試験会場に入っていることを祈るのみです。
6月7日(金)
今週に入って、受験講座に登録したもののさっぱり出席していない学生何名かに話を聞きました。多くの学生は、「自分で勉強していますから大丈夫です」と言っています。勉強していることは確かでしょうが、大丈夫かどうかは怪しいです。
国のサイトを利用して勉強しているという学生もいました。初級のうちはそれでもいいでしょう。しかし、EJUで高得点を狙おうという学生が、国の言葉を介して勉強しているというのはいかがなものかと思います。日本語で考える癖をつけておかないと、EJUを含めた入学試験や大学に進学してから困ってしまうのではないかと、心配になってきます。
受験講座を使わなくてもきちんと結果を残してくれれば文句は言いませんが、そうはならないパターンが今までに多々あったので、気が気でないのです。人それぞれ勉強のスタイルが違うことは認めますが、多くの場合、1人の戦いはいい結果に結びつきません。それだったら、わざわざ日本にまで来る必要などありません。国の親元で生活をがっちり管理してもらって勉強に集中したほうがいい結果が得られるのではないでしょうか。
今日話を聞いたSさんもTさんも、私にはちゃらんぽらんに見えてなりません。顔つきにしまりがありません。真剣みが足りません。戦闘モードになっているとは思えません。C大学に入りたいとかD大学が第一志望だとか言ってはいますが、憧れから抜け出しているようには見えませんでした。6月のEJUは練習ですと言ったTさん、私の中であなたはもう終わっています。
6月6日(木)
今年U大学に進学したLさんからメールが来ました。主たる用件はビザ変更のための書類を作ってほしいということでしたが、近況報告もしてきてくれました。
LさんはU大学のスピーチコンテストに出場して、たいそう自信をつけたようです。出場した留学生の中で、自分が一番日本語が上手だと感じたそうです。Lさんは去年のKCPのスピーチコンテストに出場して賞をもらっていますから、スピーチのコツのようなものを会得しています。それに、なんだかんだ言いながらもKCPは発話や発音の練習が結構ありますから、他の日本語学校出身者や国から直接大学に入った学生よりは上手に話せるはずです。だから、Lさんがそう感じたのも当然といえば当然です。
今学期私が入っているクラスでも、毎日のように発話練習があります。自然なイントネーションを身に付ける練習を繰り返しています。文法や漢字の例文を読むときでも、長音・促音・濁音の有無はもちろんのこと、イントネーションが違っていても直します。
Lさんは、入学したときはそういうのが苦手な学生でした。カリカリと問題を解いたり、長い文章を読んだりするのが語学の勉強だと思っていた節もありました。しかし、Lさんはまもなく話すことの面白さに気づき、話が通じることの喜びを味わい、スピーチコンテストで賞を取るまでになったのです。
U大学のスピーチコンテストで、Lさんはギターの演奏もしたそうです。Lさんのギターは、KCP在学中にクリスマスパーティーで披露されています。かなりの腕前でしたから、U大学でも自信を持って演奏したのでしょう。そういう活躍を、Lさんは自己実現とメールに書いていました。自己実現というとちょっと違うかと思いますが、自己表現は十二分にできています。それがLさんの満足につながっていれば、私たちの苦労も報われたということでしょう。
6月5日(水)
富士山が世界遺産に登録される見通しです。それと同時に、富士山に登る人たちから入山料を取ろうという動きがあります。入山料によって、登山客を抑えようと考えたからです。しかし、今日の新聞によると、地元が計画している500円とか1000円とかの入山料では、登山客は減らないそうです。逆に、世界遺産に登録されたこの機会に登ってみようという人が大勢いそうなので、その程度のよう金では増えてしまうという予想が出されました。
私も、500円や1000円だったら気にせずに払います。テーマパークや博物館などの料金に比べたらぜんぜん高くないです。現状の登山客数よりも少なくするには、入山料を7000円に、半減するには2万円にしなければならないと報じられています。
昨年は32万人が富士山に登ったそうです。登山可能な時期は実質的に7月と8月の2か月ですから、単純計算で毎日5000人の登山客があったことになります。1時間当たり200人強、1分当たり3~4人と考えると、登山道が渋滞するのもわかりますし、富士山の自然環境にもかなりの負荷がかかっていることは想像に難くありません。だから、登山客を減らそうという発想が出てくることも、当然のことです。しかし、登山客を減らすには1万円からの入山料を取る必要があるといわれると、もっと違う方法はないものかと思ってしまいます。1万円も払ったんだからと、登山客が今よりわがままなことをしそうな気がします。観光ではなく信仰のために登ってきた人たちがどうなるのかと考えてしまいます。
屋久杉も見に行きたいし、白神山地も歩き回りたいです。だけど、これら世界自然遺産の自然破壊のお先棒は担ぎたくはありませんから、ぐっとこらえています。貴重な自然を守るための世界自然遺産登録が、大量の観光客による自然破壊につながっていないとは言い切れません。
今年の夏も、何人かのKCPの学生が富士登山に挑戦するでしょう。すばらしい思い出を手にしてもらいたいという思いとともに、単に頂上で万歳を叫ぶだけの観光客にはなってもらいたくないとも思っています。
6月4日(火)
京浜東北線の上中里駅付近で発見された不発弾を処理するため、日中の京浜東北線や湘南新宿ライン、新幹線が運休になりました。この不発弾は旧日本陸軍のもので、陸上自衛隊が爆発させて処理しました。
毎年何回か、全国のどこかで、こういう不発弾処理があります。もちろん、電車が走っている最中に爆発されたり民家の近くでドカンとやられたりしたらたまったものではありませんから、今日のようにきちんと処理して安全を確保してもらわなければなりません。でも、昭和が終わって平成の世になってから四半世紀になろうとしているのにまだ不発弾が見つかっているということに驚きを感じます。
戦争については、私は親から聞いただけで、実体験はありません。70年近くも前の爆弾がいまだに生きていたということから、かの戦争がどれほど激しく厳しいものなのかということを感じ取っているに過ぎません。日本人は平和ボケしていると言われて久しいですが、私なんかその典型でしょう。自分の家や職場から数キロのところに戦時中の名残があったにもかかわらず、そしてそれが爆発して白煙を上げたにもかかわらず、どこか他人事のように思ってしまっている自分がいます。
学生の出身国の中には、戦争が日常と直結しているところもあります。日本で学校で行う訓練といえば避難訓練や防災訓練ですが、まさに私が親から聞かされてきたような訓練をしてきた学生もいるのです。不発弾にしたって、はるかに生々しいものがはるかに身近にあるのです。そういう学生の感覚を、私はきちんと理解してきたのでしょうか。そういう学生に日本留学を通して何を感じてもらえばいいのでしょうか。不発弾処理のニュースをネットで見ながら、そんなことを思いました。
6月3日(月)
バーベキューのあった金曜日だけが特別にいいお天気だったのかと思ったら、その後もまあまあ以上のお天気が続いています。今週も雨マークは見当たらず、梅雨入りしてから1週間も経たないのに、早くも梅雨の中休みなのでしょうか。今日も風がなんだかさわやかで、とても梅雨の最中とは思えません。
空は青く澄み渡っていて気持ちがいいのですが、このところ株価が思わしくありません。今日も500円以上下がりました。アベノミクスがつまずいて、円安不況などということにならなければいいのですが。私は株式投資はしていませんから、株価が上がっても下がっても直接的な影響はありませんが、日本全体に暗雲が漂うのはよくありません。それによって日本という国の価値が下がってしまったら、日本語学校は甚大な影響をこうむります。
誰でも、何かメリットがなければ外国語を勉強しようとは思いません。日本語を勉強するメリットは、一昔前までは、経済力や科学技術力だったでしょう。今はその両方が失われつつあるという状況です。いや、失われたと言ってもいいかもしれません。自慢できるものがマンガ、アニメ、ゲーム、AKBだけでは、多くの若者の学習意欲を引き出せるとは思えません。日本語を勉強した後の将来像が描けないでしょう。
だから、私は去年の総選挙の前から「安倍さんは危ない」と言いつつも、私の想像を大きく上回る何かをしてくれるかもしれないと、ほのかな期待もしてきました。それが、ここで息切れなのでしょうか。今月23日に東京都議選があり、参院選は7月21日という声が高いです。そこまでに何とかしないと、また政治的混迷を深める選挙結果をもたらしかねません。
私は支持政党なしの無党派層です。でも必ず投票にいくという典型的浮動票です。安倍さん、私の心をつかめますか。
5月31日(金)
バーベキュー会場の昭和記念公園は、朝から、雨どころか熱中症の心配をしなければならないほどの青空に恵まれました。今年は写真撮影担当として、卒業生のLさんを呼びました。Lさんは大学で写真の勉強をしていますから、セミプロです。そのLさんもサングラスをかけています。
バーベキューガーデンに入るや、各クラスで料理の準備に取り掛かりました。かいがいしく動き回る学生がいる一方で、何にもせずにシートの上に座っている学生も。「何してんだよ。働け、働け」とけしかけると、「私、後片付け係ですから」と。クラス全員20人で鉄板を取り囲んでも身動き取れなくなっちゃいますからね。ま、とりあえず、その言葉を信じてあげましょう。
私は料理コンテストの審査員でしたから、本部席でエントリーしたクラスが料理を持ってくるのを待っていました。今回のお題は「恋人に食べさせたい料理」です。クラスの代表者が料理を持ってくると、まずLさんに写真を撮ってもらい、それから試食です。同じお題に対して実にいろいろな考え方があるものだと感心させられました。スパイスの効いた料理、あっさり味の料理、肉料理、野菜中心の料理、ご飯もパンも麺もありました。色鮮やかなものも、盛り付けに手が込んでいるものも、ひたすら味で勝負っていう感じのものも、千差万別とはまさにこのことです。すべてに共通していることは、作った人の熱意とプロはだしのおいしさです。おかげで栄養のバランスよくおなかがいっぱいになりました。
宴の最後はごみの始末です。昭和記念公園はごみの分別が徹底していて、適当にスーパーの袋に突っ込んで捨てちゃおうとしても、ゴミ捨て場の前で袋の中身を全部空けさせられます。私もゴミ捨て場に立って、ごみのチェックのお手伝いをしました。ほとんどのクラスが何らかの形で分別のやり直しになりましたが、最も気になったのは調理せずに捨てられる食材の多さです。焼きそばの麺やレタスやたまねぎやキムチや、そういったものが大きなビニール袋一袋分以上にはなりました。学生の出身地との文化の違いもあるのでしょうが、もったいないという気持ちはぬぐえませんでした。
食後の運動として企画されたPKフェスタはごみ処理をしていたので見にいけませんでしたが、歓声だけは聞こえてきました。サッカークラブのJさんがキーパーとして活躍したそうです。また、気温も結構上がったので、水遊びに興ずる学生や先生もいました。梅雨の晴れ間の楽しい1日になったのではないでしょうか。
5月30日(木)
この1週間、ずっと天気予報を追いかけてきました。5月31日の天気がどうなるかを占うためです。気象庁の発表のみならず、他の気象予報会社の出す予報にも目を通してきました。おかげで、いろんなことがわかりました。
まず、予報はかなり動くということです。気象庁は、一貫して、31日は曇りないし雨という予報でしたが、民間気象予報会社の予報は、曇りの予報が晴れにまで動きました。それは予想天気図が動いたからです。最初は関東南岸に前線が横たわっている図でしたが、その前線が関東に近づき、そこに屈曲点ができて低気圧の一歩手前のような感じになり、再び関東から離れ、いつの間にか消えて弱い低圧帯が予想されるだけに至りました。
関東の近くで前線上に低気圧ができたら雨は避けられないところでしたが、弱い低圧帯程度だったらせいぜいぱらっと来るか来ないかでしょう。うまくすると、お日様も望めます。民間気象予報会社はそちらの目が強いと踏んだのでしょう。気象庁も、夕方の予報では「晴れ」と言い始めました。むしろ、日焼けの心配をしなければならないかもしれません。
それから、その天気図が予報会社によって違うということです。おおもとは気象庁の観測データと数値予報の結果なのですが、その解釈に違いがあったということです。今週になってから、会社によっては関東付近に高気圧を予想したところもありました。
さらに、気象予報会社が出すいろんな指数に感心させられました。洗濯指数は知っていましたが、お出かけ指数とか、レジャー指数とか、いや、あるもんですね。理系人間としてはそれぞれの指数がどのように定義付けられているのかが気になりますが、そんなこと考えずに雰囲気を味わえばいいんでしょうね。でも、この指数もずいぶん動きました。屋外活動はあきらめたほうがいいという感じの数字だったのが、乱高下して、結局スポーツでも何でもバリバリOKとなりました。
直前の予報はいいお天気となっていますから、明日はバーベキューを楽しんできましょう。
5月29日(水)
「Sさん、中間テスト、文法と漢字はまあまあですが、読解はちょっと悪いですね」
「はい。国にいたときから読解は苦手でしたから…」
「期末テストはかなりがんばらないとねえ。ところで、SさんはKCPを卒業したらどうしますか」
「大学に行きます」
「大学で何を勉強しようと思っていますか」
「まだ決めてません」
「じゃ、行きたい大学は?」
「特にありません」
「う~ん、それじゃあ、何のために大学に入るんですか」
「…知識を増やしたいから…」
「知識を増やして、将来、どうするんですか」
「よくわかりません」
「大学を卒業してから、どんな仕事がしたいんですか」
「したい仕事って、特にありません」
「そうすると、Sさんは趣味で勉強するんですか」
「はい。言葉の勉強が好きです」
「じゃあ、KCPで日本語のが終わったらフランスへ行ってフランス語を勉強して、その後スペインへ行ってスペイン語を勉強して…ってやっていくんですか」
「それもいいですね」
「Sさんがあと20年、40歳で死ぬっていうんなら、そういう人生もありだと思うよ、お金が続けばね。でもSさんはあと60年ぐらい生きるよ、きっと。60年ずっとそんな暮らしはできないよ」
「大学に入ってから自分の人生を考えるのはだめですか。日本の高校生はそんな人が多いって聞きました」
「日本人が日本の大学に入るんならそれでもOKかもしれないよ。でも、外国人がそれじゃ、日本の大学は入れてくれないよ。目的意識を持った留学生に来てもらいたいって思ってるんだから」
「日本人の高校生と留学生と、どうしてそんなに違うんですか」
「何の目的もなく4年間大学に通うってつらいよ。大学はね、途中でやめないで4年間ちゃんと通いそうな学生を入学させるんだ。やりたいことがあるなら、将来の目標を持っているなら苦しくてもがんばれるだろうけど、それが何にもないと楽な道のほうへすぐそれていっちゃうんだよな。何年か前に、あなたと同じように目標のない学生がいました。あなたよりはるかに日本語ができました。でも、どこの大学にも入れずに帰国しました。入試の面接が全くだめだったんだなあ」
「じゃあ、面接のために目標を作ります。それを言えば大丈夫でしょ」
「あのなあ、面接官は何百人も留学生を見てるんだから、そんなのすぐばれちゃうよ。Sさん、あんたの宿題は大学で何のために何を勉強するか、それを見つけること。いいですね」
5月28日(火)
昨日は九州、四国、中国地方が、今日は近畿地方と東海地方が梅雨入りしました。関東地方も梅雨入りは時間の問題でしょう。金曜日にバーベキューを控えているだけに、気になる動きです。今日は気温もあまり上がらず、風もそこそこ吹いて、まあまあ過ごしやすい日だったんじゃないかと思います。金曜日もこれぐらいのお天気なら、日焼けや熱中症の心配もなく、雨にも降られず、バーベキューに専念できるんですがね。
気象庁によると、金曜日は雨のち曇り、降水確率50%、予報の信頼度Cです。3日前なのに予報の信頼度がCというのは、本当に予報が難しいのだと思います。梅雨前線は位置がちょっとずれるだけで降ったり降らなかったりします。晴れが曇りになっても大きな損害をこうむることは少ないですが、曇りと雨の間には大きな断層があります。曇りなら楽しいバーベキューでも、ちょっとでも降られたら印象が大きく崩れてしまいます。でも誰のせいでもありません。天を恨むとは、まさに言い得て妙です。
その「降るか降らないか」が判断しにくいからこそ、そしてまた、そこに一般庶民の関心が集まっているからこそ、気象庁も信頼度をCとしているのでしょう。また、気象庁以外の民間気象予報会社がそこでしのぎを削っているのも、降る・降らないの情報に需要があるからです。小雨でも、降ると、私も活動範囲を狭めますからね。そういうのが積み重なると大きな経済の動きになることは想像に難くありません。
バーベキュー担当のS先生は、明日配付予定のバーベキューのしおりを印刷したものかどうか考えています。私の読みは“GO”です。こういうのは、誰かが背中を押さないと動き出しませんから、今回は私がその役を買って出ることにします。
5月27日(月)
上級のOさんは、先週末、志望校のA大学の見学に行ってきました。A大学は東京から飛行機で行かなければならないほど遠いところですが、どうしてもA大学に入りたいOさんは、わざわざ足を運んだのです。
今朝、登校してきたOさんは、お土産のお菓子と一緒に、見に行った結果を報告してくれました。A大学の先生方は非常に親切で、Oさんの話をよく聞いてくれ、アドバイスもしてくれました。英語に自信がないというOさんに、インターネットなどでは得られない入試情報まで教えてくれたそうです。OさんはますますA大学に行きたくなって帰ってきました。
私たちは、志望校を決めるに当たって、候補になりそうな大学を見に行くように指導しています。オープンキャンパスや大学見学会、進学相談会などの日程も知らせています。しかし、実際に行く学生は少ないですね。まだ早いから、今はもうすぐEJUだから、などと言い訳していますが、Oさんのように今、この時期に動くと、早い時点で自分の意志を決めて、他の受験生より一歩も二歩も先んずることができます。先んずれば人を制す、まさにそのとおりです。Oさんも、「大学の先生は私の名前を覚えてくれました」と言っています。これが本番の入試で有利に働かないわけがありません。5月の時点で東京から飛行機に乗ってきてくれたというだけで、かなり評価は高いと思います。
そういうことを、今日の進学コースの授業で言いました。学生たちの目の色が少し変わったように見えましたが、自分のこととして捕らえてもらえたでしょうか。これを機にオープンキャンパスなどに足を運ぶようになってもらえるといいのですがね。