KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
4月23日(火)
今学期は金曜日以外、数学か理科の受験講座が入っています。大学で理科系の学問を専攻しようという学生たちですから、理科や数学に普通の学生以上に興味を持っています。しかし、そういう学生でも話が抽象的になってくると、つまらなそうな顔をします。私たちの身の回りの次元に引き寄せて話を進めると、興味も長続きするようです。理科系の教育を受けて、それを応用する場面に立会い、世の中全般をそんな方向から見てきましたから、学生の興味を引きそうな話のネタには困りません。
しかし、だからといって、その手の話ばかりでは脱線しまくりで、系統立った学問にはなりません。先学期の選択授業でやっていた「身近な化学」なら私の与太話でも許されるかもしれませんが、受験講座は問題が解けるようにならなければなりませんから、それなりの話をする必要があります。
先学期までは理科は45分授業でしたから、教科書に沿って教師が一方的にしゃべるだけで終わってしまいました。与太話どころではありませんでした。しかし、今学期からは倍の90分に延びましたから、多少はそういうゆとりもできました。ゆとりができるとあらぬ方向に話を持っていきたくなるのですが、それをこらえて授業をしています。
たとえば今日も、タンパク質なんていうお堅い感じがする単語が授業の主役でしたが、卵の白身の話になると、自分たちのすぐそばにあるものだなと感じてもらえます。しかし、卵の殻の内側の膜を傷口に張るとけがが早く治る、なんていうのは授業を遅らせるだけの無駄話です。
教師は10を知らないと1を教えられないといいます。10のネタのうち、学生の心に残る絶品の1を選び出す目を持っているのが、プロの教師なのでしょう。
4月22日(月)
Gさんは受験講座の理系の数学を受講しています。数学が好きでよく勉強していることはわかりますが、簡単な問題でつまずきます。私への質問の内容からすると、日本人の理系の高校生なら誰でも身に付けているテクニックを知らないようです。それを教えてあげたら非常に感心していました。Gさんの国ではそういうことを教えていないのかと思ったら、同じ国のYさんは知っているようだったので、Gさんの勉強か練習が足りなかったのかもしれません。
Lさんは、今日の授業内容ぐらいはわかっているよという顔をしていました。確かにそんなに難しいことを取り扱ったわけではありませんが、練習問題にはちゃんと落とし穴があります。Lさんはそれに気づいていたかどうか…。今日の宿題にも同じような引っ掛けがありますから、それができたかどうかを見れば、Lさんが本当にできる学生かどうかがわかるでしょう。
その反対に、Wさんは授業についていくのが精一杯という様子でした。練習問題も、プリントの式を見ながら自分なりに理解しながらやっていましたから、他の学生の倍ぐらい時間がかかります。涙目でこちらを見られると、何とかしてあげなきゃという気にさせられます。
受験講座に参加している学生は、国で同じようなことを勉強してきているはずです。その内容をすっかり忘れてしまっている学生、習ったことがあるからといって軽く見ている学生、妙に自信を持っている学生など、いろいろいます。自信がない学生には勇気付けて、天狗になっている学生はその鼻を折り、という相反することをしていかねばなりません。そこが難しいところです。
4月19日(金)
午後、B大学のファッションショーを見に行きました。今学期入学した一番下のレベルのクラスの引率です。新宿駅集合でしたが、集合時刻の5分前になってもクラスの半分しか来ておらず、道に迷っているのではないかととても心配しました。でも、その後の5分で一気に集まって、胸をなでおろしました。
新宿駅からB大学までは普通に歩けば10分ほどですが、日本語がほとんどわからない新入生を1人たりとも落っことすわけには行かないので、20分近くかけてゆっくり歩きました。上級のクラスなら歩きながらいろいろと話をするのですが、なにせ「みんなの日本語」4課程度の実力では会話も弾みません。学生たちも会話を楽しむ余裕などなく、必死に各クラスの講師の後についていくばかりでした。だから、もくもくとB大学まで行進するといった趣でした。
大学内の講堂に本格的なステージが設えられ、音響やライティングも工夫されていました。私はファッションを見る目がないので、作品が世間的に高く評価されるレベルのものなのかどうかはわかりませんでした。でも、モデル役から縁の下で支えるスタッフまで、自分の役割をきちんと果たしていたことは確かです。B大学生がすべてを取り仕切るファッションショーで、自分たちの成果を見てもらいたいという気持ちがびんびん伝わってきました。
ファッションショーの後、大学内の博物館を見学し、都庁の展望室まで足を伸ばしました。曇り空で遠見が利かなかったのが残念でしたが、スカイツリーや東京タワーははっきり見えて、学生たちは盛んに写真を撮っていました。しかし、ここでもどうもうまくコミュニケーションが図れませんでした。言葉がしゃべれるというのが、コミュニケーションの上でいかに重要なことかを痛感させられました。「目は口ほどにものを言う」とは言いますが、見つめ合っているだけでは足りません。
上級を教えていると、言葉が通じるという甘えが出てきてしまいます。だから、動詞も満足に教わっていない新入生に対して何もできなくなってしまうのです。日本語教師の原点を見直せと言われたような気がします。
4月18日(木)
Xさんは今学期の新入生で、中級クラスです。今週から始まった受験講座では、理科系の科目を取っています。ところが、始まって1週間も経っていないのに、文科系に変わりたいと言い出しました。「理科系の科目は覚えなければならない言葉が多すぎますから」と言います。「文科系だって、総合科目は覚えなければならない言葉ばっかりだよ」と言い返してやると、「もう少し考えてみます」と、結論を先延ばしに。
いろいろ聞いてみると、要するにやりたいことが見えていないのです。これといった理由もなく理科系を選び、経済を選んでいる友達が多いから文科系に変わったら経済でもしようか、というレベルです。日本の大学に入るという以外、将来の計画がないのです。これじゃあ、理系の勉強をしても文系を選んでも、成功は望めません。大きな目標や夢があれば苦しくても耐えられるものですが、何にもなしじゃ続きませんよ。
何年か前に上級にいたGさんもそんな学生でした。EJUの点数はすばらしかったのですが、大学に入る理由がありませんでした。だから、面接で落とされ続けました。GさんよりもEJUの点数が低く、Gさんほど話せない学生が受かった大学に落ちたのですから、どうしてもその大学に入りたい、どうしてもその学問をしたいという意欲を示せなかったこと以外に理由はありません。
Xさんは2015年に進学したいと言っていますから、まだ時間があります。だから、なおさら、授業をたった1回聞いただけで、見慣れぬ聞き慣れぬカタカナ語が多いからといって、あきらめてほしくはありません。「石の上にも3か月」と思って、今学期は理科を聞いてみようじゃありませんか。ね、Xさん。
4月17日(水)
受験講座の英語は、昨日レベルテストを行い、今日から授業でした。テストの結果や各学生の進路、教室の広さなど、もろもろの条件を考慮して作り上げたクラス編成ですが、学生たちは、いとも簡単に、「やっぱりやめます」とか「このレベルじゃないレベルに入りたいです」とか言ってきます。
Gさんは、先学期よりも上のレベルに入りたいと言ってきました。上のレベルに入りたかったら昨日のテストを受けなければならなかったのですが、昼ごはんを食べていたら時間に遅れてしまったと言います。自分の都合でテストも受けずに進級したいなんて、問題外じゃありませんか。こんな学生に貴重な時間を使いたくはありません。
Gさんとしては、確かに食事のためにテストに遅れたのは自分が悪いけど、何とか柔軟に対応してもらえないだろうかという気持ちだったのでしょう。受験講座を受けるために他の学生よりも高い授業料を払っているのだから、それぐらいのサービスはあって当然だという考えかもしれません。しかし、これは柔軟な対応とか授業料がどうたらという問題ではなく、社会の一員として、根底からおかしな考えではないかと思います。少なくとも、日本の社会では、こんなことを言う人を高くは評価しません。ゴリ押しとかわがままとか、ろくなレッテルは貼られないでしょう。
別の見方をすれば、まだ子供なのだと思います。わがままを認められなくても泣きわめかなかっただけ、本物の子供より幾分大人だと言えます。子供相手なら、高みに立っての発言が重要です。同じ目線で水掛け論か鶏が先か卵が先かのような議論するのではなく、相手とは全く違った観点から相手を導くといった発想が必要です。今日はその役をA先生がなさってくださいました。最後には、多少の不満も残っていたかもしれませんが、こちらの設定したクラスで授業を受けました。
今週から始まった受験講座は、出足は好調のようです。これからは、学生のやる気を持続させていかなければなりません。
4月16日(火)
朝、テレビをつけると、いきなりボストンマラソンのゴール付近で起きた爆発事件のニュースをやっていました。朝の時点では何とも言っていませんでしたが、夜の時点ではどうやらテロのようだということです。
日本でテロというと、私なんかは95年に起きた地下鉄サリン事件を真っ先に思い浮かべます。13人の方の命が失われ、数千人もの方々が被害にあいました。PTSDで長らく苦しんでいる被害者もいるとのことです。
程なくオウム真理教が摘発され、山梨県にあった施設に強制捜査が入りました。私が注目したのは、サリン製造施設でした。パイプが外れ、いかにも動いていないという工場でしたが、設備そのものは老朽化しているとは見えませんでした。要するに、サリン製造設備を作ったものの、大して稼動しないうちに不具合が起きて放置されていたのです。私がオウム真理教に加わっていたら、こんなみっともない設備にはしなかっただろうなと思いました。
オウムは、科学者ばかりを集め、真の技術者がいなかったのです。ビーカーかフラスコでサリンを1グラムかそこら作ることはできても、その反応をもとに何トンものサリンを製造するスケールアップ技術は持ち合わせていませんでした。私の専門は、そういう種になる原理を大きく育てる技術開発でした。だから、スケールアップに失敗した無残な装置に目が行ったのです。
オウムに私のような技術者がいなかったことは、「幸いにも」と言ってもいいでしょう。マインドコントロールされたエンジニアが釈迦力になってスケールアップに取り組んでいたら、日本国民は21世紀を迎えられなかったかもしれません。
ボストンの事件の背後に何があるのか全くわかりませんが、一刻も早い解決を願ってやみません。地下鉄サリン事件直後の、阪神淡路大震災の余韻ともあいまった重苦しい雰囲気を思い出しました。
4月15日(月)
ちょうど30年前の今日、東京ディズニーランドが開園しました。30年間でシーと合わせて5億6千万人もの入園者を集めました。ディズニーランドは、もう、日本人の人生の中に溶け込んだと言ってもいいでしょう。
5億6千万人というと、日本人は1人あたり4~5回ディズニーランドに足を運んだ計算になります。しかし、もちろん、老若男女満遍なく4、5回行っているわけではなく、ハードなリピーターもいれば私のようにKCPの学校行事で2回行ったきりなんていうのもいます。ハードなほうは、親子3代にわたって通い詰めている人もいるそうで、こういう人が少なからずいるということは、ディズニーランドはもはや日本人の人生に溶け込んだと言えます。なんたって、東京からちょっと離れたところではディズニーランドは修学旅行の定番ですからね。
私のようにディズニーランドにほとんど足を向けない層も、ディズニーランドに全く興味も関心もないかといえば、そうではありません。学生を引率してディズニーランドをほんの少し垣間見ただけでも、「夢の国」の居心地のよさを感じます。1日ぐらい遊びまくってみたいなとは思いますが、それを実行するにはいたりません。なぜかというと、私は夢の国の外に出たとたん、夢から覚めてしまうからです。
私はまとまった休みがあると、旅行に出ます。これが私にとってのディズニーランドのような気がします。5月の連休には関西へ行きます。そこで何をするか、何を見るか、今からあれこれ計画を立てています。わくわくしながら関西に足を踏み入れ、一部は計画とだいぶ違った行動をとりながらも、充実感をたっぷり味わい、東京への道すがら、現実に戻ります。ディズニーランドのリピーターはそのアトラクションを堪能し、私は関西の文物や自然を味わいつくそうとします。この両者は平行関係にあり、1対1に対応するように思います。
ディズニーランドの初期の観客は、もう50代か60代です。それと日本の少子高齢化も踏まえて、お年よりも楽しめる場所へと新たな道も模索しているとか。私も関西やら四国やら、遠くへ行くのが億劫になったら、お年より向けのディズニーランドのお世話になるかもしれません。開園40周年のころには、ディズニーシルバーなんていうのができているんでしょうか…。
4月12日(金)
日本人向けの大学入試において、AO入試を取り入れる大学・学部数が頭打ちないし微減だそうです。一時もてはやされたAO入試ですが、限界が見えてきたという説もあります。
留学生の入試は面接が重視され、AO入試の性質を帯びています。勉強する意志が固い学生、それぞれの大学のカラーに合った学生、コミュニケーション能力の高い学生、もちろん、しかるべき学力・日本語力を備えた学生を選び出すために面接を行っています。留学生の場合、ビザがかかわっていますから、いい加減な選抜はできません。異国の地で中途退学を余儀なくされたら学生の人生そのものが狂ってしまうので、単にペーパーテストの点数だけで選ぶよりずっと合理的です。
夕方、今学期レベル2に判定された新入生Pさんが、自分は国で勉強してきたから、受験講座の受けられるレベルにしてくれと訴えてきました。来年の春に大学に入るためには、レベル2で悠長に初級文法の復習などしている暇がない、というのがPさんの訴えの主旨です。しかし、Pさんが話す言葉は到底入試の面接に堪えるものではなく、日本語教師だからこそ理解できるレベルでした。また、レベル3に上がるために受けたテストの成績は散々で、それを示したらレベル2で勉強することを承知しました。
Pさんは去年の11月のEJUで、すばらしいとは言えないまでもまあまあ以上の日本語の点数を出しています。面接がない大学なら、どこかに受かったとしても全くおかしくない数字です。Pさんは、試験直前は読解の勉強ばかりしていたと言っています。逆に言うと、読解の勉強だけで、話すほうの文法はぼろぼろでも、大学入試に通りそうな成績になってしまうのです。
留学生入試の面接は、こういう付け焼刃的な実力しかない学生をはじき出すのと同時に、万里の波濤を越えて来日した真の向学心に満ちた学生を選び出すのに有効だと思います。日本人の高校生は数が多いので、留学生ほど手厚く面接などしていられないのかもしれませんが、ペーパーテスト時代に逆戻りしては留学生が魅力を感じる大学にはなれないでしょう。
4月11日(木)
今日の私の担当クラスは、中級の大学進学クラス。このクラスの学生たちは、今ががんばり時です。今学期にどこまで勉強に集中できるかで、どんなレベルの大学にまで手が届くか決まるといっても過言ではありません。今はみんな国立大学とかW大学とかM大学とか景気のいいことを言っていますが、2か月と5日後に迫った6月のEJUの後でも同じことが言っていられるかどうかは、これからの踏ん張りにかかっています。
そんなことを言いつつ、このクラスは、明日、同じレベルの他のクラスと一緒にお花見に行きます。「明日、他のクラスはお花見に行くんですが、このクラスは進学クラスですから勉強しますか」と聞いたところ、全員一致でお花見に決しました。町の中のソメイヨシノはもうすっかり普通の木に戻ってしまいましたが、新宿御苑にはいろんな種類の桜がありますから、今が盛りの桜もあります。桜の木の下でクラス一致団結して受験に立ち向かう気持ちになってくれれば、2か月を一気に駆け抜けられるかもしれません。
明日はお天気みたいですから、学生たちにとっては嵐の前の静けさみたいなほんの一瞬の平和なひと時になるでしょう。来年の花見を志望校のキャンパスでするためにも、明日の花見で英気を養ってもらいたいです。
4月10日(水)
今日は瀬戸大橋が開通してからちょうど25年の日でした。当時、私は山口県に住んでいて、中国地方のニュースなんていうと、連日この話題が取り上げられていました。この年の連休は瀬戸大橋が大人気で、終日渋滞していました。半年ほど経って、開通直後のフィーバーが一段落してから車で渡り初めをしました。
瀬戸大橋のおかげで、中国四国地方の人の流れは変わりました。岡山に買い物や通勤する人が増え、四国の人の生活にとって岡山が大きな存在となりました。瀬戸大橋そのものが観光地となり、四国を訪れる観光客が増えました。高速道路と一緒に瀬戸大橋から瀬戸内海を見下ろす鉄道も、宇高連絡船時代の倍ぐらいの乗客を集めました。
その後25年間、瀬戸大橋は人々の暮らしにすっかり根付いた存在となりました。しかし、瀬戸大橋を事業として見ると、慈善事業の域を出ないそうです。建設費があまりにも高くて、それを回収することがままならないのです。高い通行料がネックになって予想したほど利用されていないとも言われたので、通行料を半値以下に下げたりもしました。それで車の通行量は増えましたが、建設費を返すという面にはあまりご利益がなかったようです。
こういうように人々の生活を大きく変える可能性のある事業も、コスト面を考えると踏み出せないというのが日本のおかれた現状です。環七の地下に地下鉄をつくったら、日々数十万人の利用者が見込まれても、建設費が膨大なためそれだけの乗客を運んでも黒字にはならないのだそうです。だから、私企業はもちろんのこと、東京都をはじめとする自治体も尻込みしてしまいます。
日本の経済・社会構造は、いつから何をしても赤字になるような体質になってしまったのでしょう。"地下鉄環七線"なんてあったら東京に新しい人の流れが生まれ、新しい文化や消費が生まれると思います。東京都民に利便性をもたらすことは疑いありません。でも、事業的にはペイせず、誰も手を出しません。だから、アンシャンレジームの中でこちょこちょと動くしかなく、画期的なブレークスルーが生まれないのです。
瀬戸大橋も事業的には無理があるといわれていましたが、完成しました。25年前の日本は、そういうことをするだけの余力があったのかなと思い返しています。
4月9日(火)
昨日、英国のサッチャー元首相が亡くなりました。サッチャーさんの論評は新聞などに任せるとして、今朝、職員室で話題になったのは、サッチャーさんが首相だったとき何をしていたかでした。M先生や私は社会人で、A先生は小学生かそこら、S先生は生まれて間もないころでした。ということは、S先生は大阪の万博や札幌オリンピックは知らないんだねっていう話になりました。
私が社会人になりたてのころに直接いろいろと教えていただいた先輩方は、ベビーブーム世代でした。部長とか研究所長とかになると、かろうじて戦争を知っている世代でした。そういう方たちの昔話は、自分たちとは世代の違いを感じさせられるものばかりでした。それは決して悪い意味ばかりではなく、うらやましい気持ちもありました。
思い出話をするようになったら年を取った証拠だと言います。私は職員室の中では圧倒的に平均年齢を引き上げる側ですし、それをいまさら隠そうとも思いません。堂々と思い出話をし、時にはノスタルジーに浸り、時代遅れを伝統にのっとると言い繕い、かつての上司や先輩たちのような存在になることが若い人たちへの教育だと思っています。まあ、反面教師の部分も多分にありますがね。
新入生の名簿を見ていたら、95年生まれなんていうのがいました。うかうかしていたら、私がKCPに入った後に生まれた学生を教えるようになるのもあっという間のことでしょう。月日が経つのは早いものです。今年だって、寒いとかその割に桜が早いとか言っている間にもう4分の1が過ぎ去っているんですから。
入学式挨拶(2013年4月8日)
みなさん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの国からたくさんの若い方々がKCPに入学してくださったことをうれしく思います。
現代社会は急速な変化を続けています。日本には十年一昔という言葉がありますが、十年前と今とを比べてみますと、その変化には驚きを禁じえません。例えば、十年前にはスマートフォンなど、影も形もありませんでした。また、ヨーロッパに経済危機に瀕する国が生じることも、中国の経済が日本を追い抜くことも、予測されていなかったか、予測されていても実感を伴っていなかったかのどちらかでした。
だから、十年後のことを、今ここで、あれこれ言ってみたところで無駄だろうとも言えます。しかし、一人の人生が自分の国や地域の中だけで収まることはない、という大きな流れは変わりません。この場にいるみなさんは、この流れの中に進んで身を投じたと言えます。
しかし、流れに乗ることと、身を任せることは違います。流れに乗れば、みなさん自身の手で人生を切り開いていけるでしょう。時代の先頭を切って、自分の手で自分の人生を作っていく、まさに人生の主役です。しかし、流れに身を任せているだけでは、自分自身の人生においてさえ主役になれません。時代に翻弄されて右往左往しているうちに、年を取ってしまいかねません。
では、どうすれば人生の主役を演じられるのかといえば、主体性を持つことです。主体性とは何かといえば、いくつかの選択肢の中から、自分の責任で最善のものを選び、それを実行に移すことです。最善のものを選ぶときには、多面的な物の見方が必要です。また、実行に移すには周囲の助けが必要なこともあります。この多面的な物の見方や周りも巻き込んで何かを成し遂げることを、この留学を通して経験してもらいたいのです。
みなさんは、これから10年どころか30年ぐらいは主役を演じていきます。時代の激流に流されるのではなく、流れを作るための基礎を身に付けていってください。私たち教職員一同は、そのためのお手伝いを喜んでいたします。
本日は、ご入学、本当におめでとうございました。
4月5日(金)
桜が散り、学校の前の外苑西通りの歩道に置かれたプランターにはチューリップが咲いています。鮮やかな赤や黄色の花を見ていると、心まで明るくなってきます。気温も20度を超え、いかにも春という1日でした。
しかし、明日からあさってにかけて発達した低気圧によって天気が大きく崩れるそうです。春の嵐が日本列島を駆け抜けるという予報が出ています。日本へ来たばかりの新入生はちょっとびっくりするかもしれません。でも、月曜日の入学式までには風も雨も収まりそうですから、青空が新入生を迎えてくれることでしょう。
その入学式は、在校生が活躍してくれることになっています。各クラブの活動や学校生活の紹介もしてくれるし、歌クラブは校歌・応援歌の斉唱をしてくれます。エレベーターには、いつの間にか、茶道部の新入部員勧誘ポスターが貼られていました。新しい仲間を暖かく迎える準備が進んでいます。
教師の側も新入生迎え入れ準備が進んでいて、今日は新学期の打ち合わせがありました。新たな企画や試みが紹介され、自分がその場に立つ姿を思い描きながら説明に耳を傾けました。今学期は学期末近くにEJUがあります。大学進学希望者は、それに向かって突き進みます。私たちはそれを全力でサポートしていくのが最大の責務です。
4月4日(木)
新入生のレベルテストがあり、新学期の準備が本格化してきました。どのレベルがどのくらいの人数になるのかがわかってきたので、クラス編成や授業の構想を練る作業も具体像を描きながらの作業となってきました。昨日までは理想論や抽象論が飛び交っていましたが、今日は現実の学生の名前を並べて今学期全体を通したカリキュラムが話し合われていました。理想論が現実の授業の段階に落とし込まれたというところでしょう。
毎学期、各レベルで同じ授業が繰り返せたら教師としては楽でいいのですが、実際にはそうはいきません。たとえば今学期は、初級の終わりぐらいのレベルからは学期末にあるEJUや7月初旬のJLPTを意識しないわけにはいきません。また、学期ごとに学生の気質がちょっとずつ違いますから、前学期からの申し送りに合わせて、内容を多少いじらなければなりません。そして、どの学期もそのレベルの学生にとってベストの授業になるように、カリキュラムを組み立てていくのです。
学校は工場ではありませんから、ある特徴を持った学生を画一的に生み出し続ければいいというものではありません。一人一人の学生に合わせて指導していく、オーダーメード的な性格が強いです。確かに1クラス20人は同じ授業を受けますが、教師はクラス全体ばかりを見ているのではなく、個々の学生から目を離すことはありません。
入学式が8日で、10日が始業日。新しいクラスの学生との顔合わせが待ち遠しいです。
4月3日(水)
毎学期、プレースメントテストが近づくと、下見を兼ねて学校を訪れる新入生がいます。カタコトの日本語で「ここはKCPですか」などと聞いてきます。学校の周りを不安そうな顔でキョロキョロしながら歩いている二十歳見当の若者は、だいたい新入生と見ていいでしょう。
今日も、明日のプレースメントテストに備えて、何名かの新入生が職員室をのぞいて行きました。日本語でちょっぴり挨拶をする学生もいれば、親御さんに連れられて学校を見に来た学生もいました。日本語教師は冷たいもので、そんな学生が話したひとことふたことから、「今の学生は初級だね」とか、「私の言ったこと、わかってたみたいだから、中級ぐらいかな」なんて勝手に判定してしまいます。外国人の日本語を聞いて瞬時にその人の日本語力を判定しようというのは、日本語教師の職業病のようなものです。瞬時に判定して、その人に合った話し方をするというのが私たちの毎日ですから、こうならないほうがどうかしています。
私もこの職業病の重症患者で、日本人が何か話していても全く興味も湧かないのですが、日本語を操る外国人と見るや、聞き耳を立ててしまいます。「この人は私のクラスのGさんと同じぐらいかな」とか、「あっ、この人、自動詞と他動詞を間違えた」とか、そんなことを考えてしまいます。電車の中で外国人が日本語で話していると、読書に集中できなくて困ります。
こういう「職業病」は、どんな仕事にも多かれ少なかれあるものです。昔、化学工場のエンジニアをしていたときは、ニュースやドラマ、雑誌や新聞などに煙突の映像や写真が出てくると、煙突の下にあるはずのプラントが気になってしようがありませんでした。ワインクーラーを見ると熱交換器を思い浮かべ、その性能を計算してみたくなりました。今でも工場で事故が起こると事故現場の写真をつぶさに見て、原因を私なりに想像してみたりします。
こんなことするの、ある種のオタクだと思われるかもしれませんが、職業病を持って初めてプロなんじゃないかと思っています。
4月2日(火)
私のパソコンがというか、ワープロソフトと表計算ソフトが不調です。起動させようとしても、さっぱり立ち上がりません。どうも気がつかないうちにバージョンが変わっていて、古いバージョンのソフトを受け付けなくなってしまったみたいなのです。特別な操作をしたつもりは全くないのですが、何かをしでかしてしまったのでしょう。
自宅のパソコンも、あるフリーソフトを導入したら、とたんに動作が不安定になり、慌ててアンインストールしたことがあります。そのソフトの何が原因かはわからないのですが、害をなしていることは明らかなので、とりあえずそのソフトを取り除いたというわけです。
私の知識や技術が不足しているのは確かですが、コンピューターには「何が原因かわからない」から「とりあえず」何かしておくということが多いように思います。かと言って原因を突き詰めるには時間がかかりそうですし、原因を突き詰めたところで根本的な問題解決ができるかどうかははなはだあやしいものです。
これはかつて自動車で感じたことでもあります。私が免許を取ったころは、故障した時にもボンネットを開ければ、どこが悪いのか、どう直せばいいのか見当がついたものです。しかし、AT車が普及するのに歩調を合わせて、いつの間にか車じゅうがコンピュータだらけになり、素人の目には何が何やらさっぱりわからなくなりました。調子が悪くなったら修理工場に持って行って部品を交換してもらうというのが、素人とクルマのお付き合いの基本となりました。
国際関係も同じようなところがあるように思えてなりません。かつては西側陣営と東側陣営というように、単純に2分割するだけで理解できました。先進国と発展途上国という図式でもよかったでしょう。でも、国際化とかグローバル化とかが進んだ結果、単純明快な区分ができなくなりました。そういう複雑極まりない世界を作り上げたのは、実はコンピュータなのかななどとも思っています。
3月29日(金)
今日は、午前中外出したついでに、ちょっと時間があったので、紀伊国屋に寄りました。受験講座の理科に使えそうな参考書や問題集を見てみました。受験講座で今使っている教科書は、字数があまり多くなくて要点を押さえ、練習問題もついているところはいいのですが、留学試験レベルにはちょっと非力な感じもします。もうちょっと掘り下げた解説や、ひとひねりした問題もほしいのです。
EJU向けとうたっている参考書・問題集は、説明があっさりしすぎていて物足りません。そのわりには値段が張るので、選ぶことはできません。かと言って、日本人の高校生向けの参考書・問題集は字数が多すぎて留学生には荷が重いです。でも、W大学に入ったOさんや、R大学に受かったYさんなどは、日本人向けの参考書をかなり読み込んでいましたから、荷が重い何と言っててはいけないのかもしれません。
EJUの理科の各科目は、普通に勉強していれば60点は取れます。それを70点、80点と伸ばしていくには、確かな基礎知識とそれを応用して論理的に答えを引き出す力が不可欠です。こうした力を学生たちに身に付けさせるには、授業も通り一遍ではいけません。学生が国で学んできたことを日本語でまとめなおすことが必要となります。そのためには、教材も学生の思考を助け伸ばすようなものでなければなりません。
…という観点で参考書や問題集を探していますが、「これっ!」と思えるものが、まだ見つけられません。理科を単なる暗期の科目にはしたくありません。知識や公式を詰め込むだけでは、大学に進んでから伸びません。知識と知識を有機的に結びつけて、あるいは、知識を具体的な現象に引きつけて考える力を育んでいけば、大学で有意義な勉強ができることでしょう。
3月28日(木)
ここ数日の肌寒さを脱し、今日は春らしい陽気の1日でした。学校にやってきたGさんは、半袖姿でした。お昼を食べに新宿御苑の近くまで行くと、かなりにぎわっているようでした。人の心を浮き立たせますよね、桜は。満開になってからだいぶ頑張ってきましたが、今度の週末が花見のラストチャンスだということは確かです。
学校は、束の間の平穏に包まれています。昨日は追試でしたが、今日は特に大きな行事もなく、Gさんのように勉強に来た学生が数名いただけでした。Gさんのほかにも、HさんやSさんは聴解のCDを聞きに来ていました。TOEFL担当の先生から高得点を期待されているHさんは、かなりレベルの高い大学を狙っています。SさんはO大学に跳ね返されたリベンジを果たそうと真剣です。こういう本気に勉強しようという学生だけが来ていたのが、今日のKCPです。
勉強の意欲にあふれている学生ばかりなら教師は非常に楽なのですが、そうは問屋が卸さないところが悲しいところです。期末テストの採点がだいたい終わり、合格点が取れなかった学生の名前が挙がり始めたのも今日でした。来週は、新入生の受け入れ準備と並行して、そういう学生との戦いが始まります。辛く厳しい日々が続きそうです。だからこそ、「束の間の」平穏なのです。
街を歩いていると、街路樹が芽吹きつつあるのがわかります。Gさん、Hさん、Sさんをはじめ、KCPの新芽も早く若葉を出してもらいたいですね。
3月27日(水)
来年大学院進学を考えている学生3名と面接しました。応用数学、材料科学、ITが専攻という理科系の学生たちですから、私のところにお鉢がまわてきたわけです。
3人に共通しているのは、大学院は勉強を教えてくれるところだという認識です。これじゃあ大学院には進めません。「教えてもらう」という受身の姿勢ではなく、問題を自分で見つけてそれを自分が先頭になって解決していくという精神が必要です。大学院とは、問題を見つける力、その問題の解決方法を考え出す力、そしてそれを実行に移していく力を磨いていくところです。
勉強を教えてくれるところという発想ですから、「大学院で何を研究しますか」という問いに対しても、応用数学、材料科学、ITという国の大学の専攻をそのまま答えるだけでした。これは、「あなたはどこに住んでいますか」という質問に「日本」と答えるのに等しいほど範囲の広すぎる答えです。大学でそういう勉強をした結果、その分野の特に何について深く究めようとしているのか、それが大学院で求められるのです。
大学院とは、疑問を解決する、あるいは、新しい何かを生み出す舞台だと思います。舞台装置は借りるけれども、演じるのは役者である学生自身です。演じたくても舞台がないから演じられない、そんな人たちのためにあるのが大学院です。演じ方によっては拍手喝采、スタンディングオベーションが得られるかもしれません。素晴らしい研究だと賞賛され、世界に羽ばたくきっかけにもなります。
今日の3人には、あと1か月以内に大学院で研究する分野を絞り込むようにと伝えました。それが大学院進学の第一歩であり、日本留学の価値を決めるのだというくらいの意気込みで、決断を下してもらいたいものです。
3月26日(火)
私が毎日使っている地下鉄丸ノ内線の新宿御苑前駅の地上出口に、桜の花びらが吹きだまりを作っていました。新宿御苑から飛んできたのでしょう。今朝は冷え込みがかなりきつく、思わずコートを着てマフラーまで巻いて家を出ましたが、まだ散ってそんなに時間が経っていない新鮮な花びらを見たら、気のせいか体がポカポカしてきました。学校の周りにも花びらが飛んできていましたが、こちらは花園小学校の校庭のものでしょう。そういえば、土曜日は校庭の隅っこでお花見をしているグループもいましたっけ。
さて、今日は期末テスト。校内では、もう、来学期の準備も始まっています。そのひとつが入学式のプランニングです。在校生を呼んでクラブ活動や学校生活の一端を新入生に紹介しようと企画しています。その、新入生に学校を紹介する在校生を誰にするかゆうべ話し合い、テスト終了後、名前が出た学生に声をかけました。
私が監督に入ったクラスでは、LさんとSさん。Lさんは4月から茶道部の最上級生なので、肩をたたいて「部長、頼む」で解決。責任感が強い学生ですから、新入生が一人でも多く茶道部に入るよう、お茶の魅力を満載した紹介をしてくれるに違いありません。
Sさんには学校生活の紹介を頼みました。「日本語が上手でステージ映えがする人っていうことで選んだんだよ」と言ったら、二つ返事でOKでした。おだてている面もありますが、8割ぐらいは事実です。Sさんは去年のスピーチコンテスト出場者ですから、ステージで慣れしています。新入生に学校生活の楽しさを伝えてくれるとともに、流暢な日本語は新入生たちの目標となることでしょう。
LさんにしてもSさんにしても、選ばれたことを光栄に思ってくれました。私たちもこの学生なら任せられると思って選んでいます。その期待を素直に受け取ってもらえたところがうれしいですね。そして、学校のために何かをしようという気持ちになってくれるまでに学生が育ってきたことにも喜びを感じています。
入学式の頃は桜はもう散っているでしょうが、明るい緑の若葉が新入生を迎えてくれるでしょう。