KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
2月22日(金)
学校の前の道を数分歩くと、韓国大使館があります。だから大使館員へのレッスンがあったり、去年の大統領選挙の時には投票に行ったという卒業生が顔を出してくれたりもしました。しかし、今日はちょっと騒々しい日でした。今日は竹島の日で、デモ行進や街宣車が韓国大使館に向かって学校の前の道を通っていったのです。
私も今日が竹島の日だなんていうことは全く失念していて、街宣車に掲げられている看板を見て「そういえば…」という感じでした。東京の住人はこんなもんじゃないでしょうか。いや、竹島の日だから何かしようという日本人は、ごく少数派だと思います。
非常にセンシティブな問題なので、教師は落ち着かない気持ちでしたが、学生はわりとあっけらかんとしていました。デモの様子をニコニコしながらケータイで撮っている学生もいました。マスコミで報じられる韓国人の竹島、いや、独島に対するこだわりようからすると、石を投げても不思議じゃないような気がしていたんですが、ヘアスタイルを変えて登校してきた友人に対するのとおんなじノリだったのは、大いに意外でした。
デモ隊をケータイで写していた学生が愛国心に欠けているとは思いません。ただ自分の国を相対的に見る目を持つようになったんじゃないでしょうか。ステレオタイプのもののとらえ方、反応をするのではなく、一段高いところから俯瞰することを覚えたのだと思います。「竹島」を認めることはないでしょうが、「独島」が全てではないことも理解しているに違いありません。
「竹島」か「独島」かは異文化という言葉で片付けてしまうには重すぎる問題です。そういう問題にも、むしろ教師よりも自然体で向き合える度量を身につけたのだとしたら、それこそが国際人の萌芽です。この芽をまっすぐに伸ばしていけば、大きな仕事ができる人物になると思います。
2月21日(木)
YさんがT大学に落ちてしまいました。日本語力的には合格しても全くおかしくないのですが、結果を出せませんでした。YさんはこれまでにA大学をはじめ数校受けていますが、吉報を手にすることができずにいます。
EJUでもそこそこの点数をとっていますから、学力で落とされているとは思えません。出席率がひどいわけでも、国の高校の成績が悪いわけでもありません。ですから、面接で失敗を繰り返しているとしか思えません。
Yさんは緊張しやすいタイプのようなのです。リラックスした場面では言いたいことが言えるのですが、フォーマルな場になると言葉が出てきません。これを克服するには面接練習を繰り返すしかないのですが、これまでの受験の直前にきちんと練習した形跡がありません。T大学の直前も、私と約束していたのですが、練習当日に体調が悪いといって取りやめてしまいました。そういうわけで、Yさんが面接にどんな準備をして臨んでいるのか、正確なところがつかめません。それゆえ、本番の面接でとんでもないことを言って落とされている可能性は否定できないのです。
もしかすると、面接練習でボコボコにされるのを嫌ったのかもしれません。今シーズンはいませんが、昨シーズンは面接練習で2名泣かせました。私の批評が厳しすぎたのか、自分のできなさ加減が情けなくなったのかまではわかりません。でもその2名は志望校に合格し、笑顔で報告に来てくれました。それぐらい耳が痛くなることも言いますが、それをバネにすることで、志望校のレベルまで飛躍できるのだと思います。
YさんはこれからC大学に出願すると言っています。ここもYさんの力なら十分に合格できるはずですが、果たしてどうでしょう。練習で血まみれになることで、本番で血を流すことが防げるのです。ラストチャンスを是非生かしてもらいたいです。
2月20日(水)
2月も下旬だというのに、一向に暖かくなる気配がありません。13日に最高気温12.3度を記録して以来、気温は10度を下回ったまま1週間が過ぎました。朝は外に出ると手袋をしていてもてが冷たくなります。日中も、ちょっと外出する時でさえコートを着込みます。
テレビのニュースでは、なんとかの花が咲いたとか、春の訪れを告げるなんとかが始まったとか、早春を物語る映像を流しています。また、天気予報を伝える気象予報士さんたちも春っぽい服装で登場してきます。でも、そういう服装で、眉をひそめながら申し訳なさそうに「真冬並みの寒気が来る」なんていう予報を語られると、なんだか痛々しくなります。
季節の移ろいが感じられるのは、今のところ日の長さだけです。朝は6時台前半に日が上り、既に昼の時間は11時間を超えています。早起きの私には、これが何よりの春の恵みです。
一昨日は二十四節気の雨水で、雪が降らずに雨が降るようになる時期ということです。昨日は一時的に雪がちらつきましたが、積もりはしませんでした。辛うじて地面が白くならないうちに雨に変わったあたりが、「雨水」なんだろうと思いました。
さて、3月1日のバス旅行が近づいてきました。この日は冗談でもいいですから、暖かくなってもらいたいです。何年か前のように、冷たい雨の中、かじかんだ手をこすりながら陽明門や三猿や鳴き龍などを拝むようなことは御免こうむりたいです。
これだけ派手に寒いのですから、今年の桜はきれいな花をつけてくれることでしょう。そう思って寒さに耐えています。
2月19日(火)
今日は中間テストでした。卒業予定者にとっては卒業認定試験を兼ねているので、私が受け持っている最上級レベルのクラスは全員出席でした。
もちろん、試験は受ければいいというものではなく、きちんと合格点を取らなければ意味がありません。卒業も認められません。今日のテストはどうだったかというと、みんな結構いい点数でした。問題を少し手加減したのが効いたのでしょうか。そうだとしても、こっそり設けたトラップに引っかからなかったところには、やっぱりそれなりの力をつけてるんだなと感じさせられました。
今回のテストでは、いろんなタイプの問題を出しました。例えば文法では例文を書く問題だけではなく、4択とか並べ替えとかも出題しました。そうすると、素晴らしい例文を書くのに並べ替えがさっぱりの学生とか、漢字の読み書きはよくできるのに言葉の使い方の問題がさっぱりだったというように、学生によって点の取り方に特徴がありました。同じ85点でもその内訳が大きく違うのです。授業で見ているだけでは気づかない学生ひとりひとりの個性がそこから感じさせられました。こういうテストをもっと早い時期にやていれば、学生の指導法も教材のつくり方も授業の進め方も違ってきたんじゃないかなと思いました。
私たちは日頃から学生の性格や特徴をつかもうとあれこれ試みていますが、灯台もと暗し、テストという教師が最も得意とする(?)道具で学生の一面が見えてくるのです。頭をひねって新しいタイプの問題にトライして、学生の力を伸ばし、学生に喜ばれる授業を作っていきたいものです。
2月18日(月)
先週購入申し込みをしたEJUの願書を配りました。授業後、受験講座をとっている学生を集めて願書の書き方を指導しました。去年受けている学生もいますが、間違えてはいけないと、みんな真剣に聞いていました。願書の締め切りが3月8日で、KCPは卒業式なので、この日に学生を指導することは実質的にできません。だから、前日の7日までに出願するように指導しました。受験に関しては、何事につけても早めに動くことはいいことですから、今日願書を仕上げたら明日にでも出しちゃってもらいたいですね。
願書の書き方指導とともに、年間の学習計画・受験計画についても話しました。志望校を選ぶにあたって、「英語ができないから、入試に英語のない大学」「数学は忘れてしまったので、数学なしでも入れる大学」などという発想はよくします。それを頭から否定するつもりはありません。しかし、それだけで志望校を選んでは悲しすぎます。自分の悪いところ、足りないところだけを見て自分の人生を左右する選択を行うのではなく、自分の強みを生かすことを考えてみるべきです。
例えば、英語・TOEFLのM先生は、Hさんは素晴らしい英語力の持ち主だと褒めています。だから、Hさんは英語で勝負できる大学を選ぶべきなのです。TOEFLのスコアや独自試験など、何らかの形で英語を評価してくれる大学なら、Hさんは有利に戦えます。こういう自分の強みを見てほしいと学生たちに言いました。しかし、学生たちは自分の強みが見えていません。EJUの試験対策よりも、強みを知るという意味での自己分析をしなければなりません。
強みは、「英語」というような教科でなくても構いません。時事問題に特に強い関心を持っている、他の学生にはない経験をしている、そういうことでもいいのです。それを受験にどう生かすか、そういう意味での作戦を立てられたら、勝利に一歩近づくと思います。
2月15日(金)
初級の進学コースの学生に向けて体験を語ってもらおうと、卒業生のPさんを呼びました。Pさんは4月からW大学の4年生で、卒論のテーマも決まったそうです。昨年末から就活を始めて、大手を中心にエントリーをしていると言っていました。今日も就活ルックで、会社説明会の後、KCPまで足を運んでくれました。スーツ姿のせいでしょうか、とても大人になったなと感じました。
Pさんは受験講座の理科系の授業を取り、まだ半袖を着ている頃に第一志望のW大学に受かりました。受かってからもいい気になることなく日本語の力を伸ばしていきました。W大学でも単位を確実に取り、卒業研究の単位を残すのみになっています。問題を先送りせず、きちんと片付けてから前に進もうとする姿勢は、受験講座の頃から感じていました。疑問点があると納得するまで質問していたPさんを思い出しました。
そういうことを、初級の進学希望の学生たちに伝えてほしかったのです。やはり、ただ漫然と勉強しているだけではうまくいかないんですよね。自分なりに工夫ができる学生が、モチベーションを維持できる学生が、最終的な勝者になり、より高いところに到達しているように思います。いわんや、楽な道を見つけてはそちらへ走ろうとする学生には、栄光が輝くはずがありません。まだ進学先が決まらず、2月の半ばになっても右往左往している学生は、入学以来テレテレやっていた学生ばかりです。
現在初級の学生も、来年の今頃には進学先が決まっていなければなりません。だからこそ、Pさんを見習って自分の夢を叶えてほしいのです。そして、卒業後、その経験を後輩たちに語り継いでいってもらいたいです。Pさんのように。
2月14日(木)
Gさんは来年の4月に大学進学を目指しています。でもGさんの第一志望の大学は、秋に出願・入試です。出願にはTOEFLのスコアが必要ですから、夏休み前には受験してしかるべき成績を上げておかなければなりません。決して頭の悪い学生ではないのですが、傍で見ていて真剣味が感じられません。本気で勉強すれば日本語力ももっとぐんぐん伸びるはずなのに、伸び悩んでいます。
そういう話が国のお母様に伝わり、お母様が来日されました。KCPにお越しになり、厳しく指導してくれとおっしゃいました。お母様のお墨付きをいただいたのですから、Gさんに対しては心おきなくビシバシできるようになりました。今までは、どこかひ弱な感じがしていたので、きつく接すると壊れてしまうのではないかと思い、ちょっと遠慮していた面もありましたが、これで思う存分指導できると思いました。同時に、Gさんが進学できた大学によってKCPを評価するともおっしゃいました。私たちに対しても厳しい要求をなされました。私たちは、Gさんを第一志望の大学に入れる責任を負ったことにもなります。
先日の連休に、Gさん親子は日本国内を旅行しました。お母様にしてみれば日本へなどそう頻繁には来られませんから、せっかくの機会にいろんなところを見物しようというのは理解できます。Gさんがそれに付き添うのもわかります。でも、旅行中は遊びっぱなしで全く勉強しなかったというのはいただけません。教科書を持って行って、寝る前に勉強するくらいのことをしても罰は当たらなかったと思います。お母様もあんなに厳しくしてくれとおっしゃったのですから、そして、私たちに責任を負わせたのですから、Gさんの勉強に対してもっと気を使ってもらいたかったですね。
私たちが学生の進学に対して責任を持つのは当然です。でも、親御さんをはじめご家族の協力なくしては責任が果たせません。私たちとは逆のベクトルを持たれてしまっては、責任の果たしようがありません。ご自分の子供を外国の大学に進学させるというのは、その家庭にとっての一大プロジェクトのはずです。そのプロジェクトの成否には、その家庭の繁栄がかかっていると言っても過言ではありません。ですから、成功に向けてあらゆる好条件を揃えるのが親の役割ではないでしょうか。Gさんのお母様の来日は、前半は大成功でしたが後半はいかがなものでしょうか。
いずれにしても、Gさんは厳しく指導していかないと第一志望には届きません。お母様も巻き込んでガンガンやらせてもらいます。
2月13日(水)
Wさんはとても勉強熱心な学生です。通学に要する時間は無駄になるからと、学校の近くに住んでいます。授業中はもちろん全力を集中していますが、授業後も受験講座、受験講座のあとは自ら課題を求めていろいろな先生のところへ行きます。
毎週水曜日は、数学の時間です。経済系の大学院を目指すWさんはの弱点は数学です。先週は複素数を勉強しました。国ではやって来なかったとのことです。自宅学習もかなりやっているようで、先週は宿題を出したら翌日にしっかりやってきました。それも全問正解でしたから、数学のカンがいいのかもしれません。今日は図形と方程式について。Wさんの最終目標は微分積分のマスターですから、先はまだまだ長いです。しかし、Wさんならやってくれるんじゃないかと期待しています。
そのWさんの相手をする直前、R大学に受かったJさんが相談に来ました。理系の名門・R大学は、留学生の新入生に対して3月下旬に事前教育をします。数学と物理・化学の、日本の高校で習っている範囲のおさらいをしてくれます。それをどのように選択したらいいかという相談です。これだけの事前教育をしたら、さぞかし大学に入ってからの数学や物理、化学は厳しい講義と演習なんだろうなと思いました。それと同時に、至れり尽せりだとも思いました。R大学の事前教育の授業には微分積分もありましたから、Wさんの進学先もこういう事前教育をしてくれたら助かるんですけどね。でも、それをしないところが大学と大学院の差なのでしょう。
今学期、年も改まり、多くの学生が気分も新たに勉強に取り組みました。それから1か月、中間テストにも至らぬ時期に、早くもリタイヤ気味の学生がいます。年頭の誓いはどこへやら、もう遊びぐせと怠けぐせに翻弄されている学生がいます。Wさんはそんなことなく初志を貫徹し、きっと微分積分までマスターしてくれると信じています。JさんもR大学の事前教育で弾みをつけて、大学での学問をしっかりと進めてもらいたいです。
2月12日(火)
国立大学の結果が出てきました。HさんとLさんは受かりましたが、Sさんはだめでした。受かったHさんとLさんは本当によくやったと思います。Hさんは既に合格した大学がありましたが、Lさんは何校か落ちていて、実質的にこれが最後の勝負でした。いろんな意味でプレッシャーがかかったと思いますが、それをはねのけてよく合格してくれました。
Sさんにもチャンスはあったと思います。面接練習でこちらが質問したことも出てきたそうです。普段のSさんならきちんと答えられたんじゃないかと思いますが、力を十分に発揮できなかったようです。Sさんも既に合格した大学があり、あるいは油断があったのかもしれません。ご両親に報告したら、かなり厳しく叱られたそうです。さぞかし悔しい旧正月だったことでしょう。Sさんは明日も合格発表です。明日こそはいい知らせを聞かせてもらいたいです。
Sさんは、国立大学に落ちたことは残念ですが、行き先をキープしていますから救われます。しかし、Rさん、Tさんはまだ行き先が決まっていないのにダメでした。こちらはこれから先が正念場となってしまいました。でも、冷たい言い方ですが、この2人の入学以来の行状を見ていれば、当然の結果だとも言えます。世の中をなめてかかっちゃいけません。留学生が減って全体的に広き門になったとはいえ、大学は大学です。誰でも入れるほど甘くはありません。これからどうするのかは、担任の先生や進路指導の先生との相談になりますが、今までの不行跡を悔い改めない限り、新たな道は開けてきません。
Rさん、Tさんは、入学したときはどんな留学生活を思い描いていたんでしょう。今までは、先生に叱られることはあっても、「楽しい」留学生活だったんじゃないでしょうか。好き勝手なことをやってきたんですから。でも、もう年貢の納め時です。日本留学を続けたかったら、これからの1か月で自分の道を探さなければなりません。もう選択の余地はあまりありません。これもまた人生です。「若い時の苦労」っていうやつです。甘んじて受け止め、最善の道を歩んでもらいたいものです。
2月8日(金)
今学期、金曜日は受験講座の理科系数学の授業をしています。大学院入試を受ける学生もいるので、微分積分から始めています。今日は積分計算のテクニックの練習でした。やり方を解説し、練習問題をさせると、みんな黙々と取り組みます。通常クラスの日本語の授業ではそうはいきません。文法やら読解やらの問題をさせても、クラスに1人ぐらいは落ち着きのないのがいるものです。
鉛筆を滑らせる音だけが微かに響いている、水を打ったように静まり返った教室の中にいると、こちらの気持ちも引き締まってきます。永平寺あたりで座禅を組んでいる人たちを見学すると、こんな厳かな気持ちになるんじゃないかなと思えてきます。何かを追求しよう、極めようという気持ちは共通しているんじゃないでしょうか。
Jさんはその中でも数学力が特に優れていて、私の解説を聞くまでもなく練習問題を始めます。そしてあっという間に正解を導き出します。数学的センスはかなりのものだと思います。今学期はこのJさんをうならせる授業をすることが目標です。いつもやすやすと解ける問題ばかりやっていたら、Jさんにしてもつまらないでしょうしね。
今日は、プリントに1題だけJさんもできないだろうなというひねった問題を加えました。ちょっと見ではどう解いたらいいのかわからないのですが、ある工夫をすれば今日の授業内容そのものになる問題です。予想通り、Jさんは腕を組んで考え込んでしまいました。そして、ついにギブアップ。その工夫を説明すると、感心したようにノートを取っていました。
Jさんに限らず手応えを感じる学生がたくさんいます。それだけに責任も重大です。この受験講座を通して、数学の楽しさも伝えていければと思っています。
2月7日(木)
立春を過ぎると、心なしか街の中が春めいてきたような気がします。でも、私はほかの人には感じられない現象で冬が過ぎ去りつつあることを感じています。
今の私の職員室での席は、朝日が入ってきます。朝日といっても日の出と同時に日が差し込むわけではなく、太陽が筋向いのマンションの上に出た時からです。これがついこの前までは9時過ぎで授業中だったため、特に影響はありませんでした。しかし、ここに来て9時少し前から日が差し込んでくるため、その時間帯はまぶしくてパソコンに画面が見られません。学生への連絡事項を確認したりする時間のため、ものの10分か15分ですが、ちょっと痛いです。この時間帯がだんだん早まり、また太陽がマンションの屋上から顔を出す位置も次第に北に回り込むでしょうから、1週間か10日でまぶしい時間帯がだいぶ変わると思います。
来年の今頃は、もしかすると新校舎に移転した後かもしれませんから、こういう不便さも今年の秋に太陽が同じような位置から上るときだけでしょう。せっかく春を感じる術を手に入れたのに、またすぐ放棄しなければならないのが、ちょっと残念です。でも、新校舎は新校舎で新しい春の見つけ方がありますよね。
昨日は雪が降りましたが、東京の雪は春の訪れを知らせる雪です。冬型が崩れれて低気圧が太平洋の絶妙のコースを通過した時に雪になるのです。だから東京の雪は1日こっきりです。昨日は日中の気温が2~3℃程度でしたが、今日は12.7℃とまあまあの暖かさに戻りました。三寒四温を地で行くような春の歩みです。
2月6日(水)
3月1日のバス旅行の行き先が発表されました。いちご狩りと日光東照宮です。私のクラスでコースの概略を発表すると、みんないちご狩りに注目。「日光の近くのイチゴ農園となると、とちおとめを期待していいんじゃないかな」なんて言うと、興奮は最高潮に。
いちご狩りは3回目か4回目ですが、毎回いちごでお腹がパンパンに膨れるまで食べます。根が卑しいからそういうことをするのかもしれませんが、摘みたてのいちごがおいしいことは動かしがたい事実です。2年分ぐらいのいちごを食べ放題の30分かそこらの時間内に食べちゃう感じでしょうか。ハウスの中でいちごをほおばること自体に、美味しさを倍加する要素があるような気もします。
最近、日本の農産物は安全性とおいしさから、海外で人気が出てきています。かなりの高級品として通っているそうです。国ではなかなか口にできない果物を死ぬほど食べられるという贅沢ができるのです。気合を入れて狩ってもらいたいですね。
とはいえ、日光も忘れちゃいけません。なんてったって世界文化遺産ですからね。陽明門は、まもなく修理に入り、6年ほど見られなくなるとのことですから、今の学生が大学進学して卒業するくらいまでは拝めなくなるということです。修理前の貴重な姿を目に焼き付けておくということでもあり、今後当分は学校のバス旅行で日光へは行かないということでもあります。
日光は、アジアの学生よりも欧米の学生に人気があるようです。アジアの国々には同じような装飾の建物がありますが、欧米にはそういうものがなく、物珍しいのです。自分の国に見た目は同じようなものがあったとしても、その意味付は違うはずです。そういうあたりに日本文化を感じ取って欲しいと思っています。
2月5日(火)
T先生が初級の学生に発話指導をしています。教科書に書いてある文の意味は理解できても、それを上手に発話することができない学生たちが相手です。どうやら問題は「っ」のようです。「いっしゅうかん」がなかなかうまく発音できなくて、何回も練習しています。この学生たちも、今年の秋には入学試験が待ち受けていて、面接試験は避けて通れません。そこであまりにも汚い発音をしていると、はねられかねません。入学試験にとどまらず、日本人とコミュニケーションをとるには、相手にわかる発音をする必要があります。
この学生たち、おそらくペーパーテストはできるのだと思います。でも発話が苦手なのです。学生の中には、その逆に発話によるコミュニケーションは上手に取れるけど、ペーパーテストはさっぱりというのもいます。人それぞれと言ってしまえばそれまでですが、KCPでは読んで理解することも上手に話すことも追求しています。
今日来ていた学生たちは、とても熱心だと思います。初級の頃に発音練習をろくにしないまま、ただ中間テストや期末テストの点数が合格点に達していたからというだけで進級を重ねてきたのがLさんでした。もともと口が重いLさんは、教科書の音読すら満足にしなかったようです。そのため、確かに現在上級クラスに在籍していますが、発音・発話の実力は初級のままです。
そのLさんも大学入試を迎えました。先週末、M先生にさんざん叱られながら面接練習をしていました。入学以来今まで発音を練習してこなかったツケを一気に払おうとしたのですから、半べそ状態になったのも致し方ないところです。昨日が入試で本人は自信満々だったようですが、果たして実際はどうだったんでしょう。
2月4日(月)
今学期は、日本語の授業の他に受験講座理科系4科目、受験講座受講生への特別授業(HR)があり、選択授業で「身近な科学」なる不可解な授業を担当しています。授業の種類がやたら多いため、空き時間は常に何かの授業の準備をしている感じです。1週間の時間割に合わせて授業準備も計画的に進めていかないと、本番の授業で泣きを見ることになりかねません。私が泣くのは私の勝手ですが、わけのわからない授業をされて学生が泣くことだけは避けなければなりません。
今日はHRと生物がありました。HRは時事問題に関心を持つことという内容で話をしました。「アベノミクス」を始め12の言葉を取り上げましたが、知っている学生は10知っていて、知らない学生は2つしか知りませんでした。生物は減数分裂がメインテーマです。先週体細胞分裂を勉強していますから、それとの関係も含めて授業を進めました。
こうした授業内容に関してのことは、先週末のうちに準備しておきました。もちろん、プリントの印刷も済ませておきました。授業が終わったら、明日の準備です。明日は物理で、先週の続きの「波」についてです。音波に入るつもりで準備します。
今学期は物理・化学・生物の教科書を変え、久しぶりに数学をやることになったので、準備に負担がかかるのです。学生の理解の助けになるプリントも作り直さねばなりませんから、頭の痛いところです。
それに加えて、「身近な科学」が曲者です。こちらは選択授業のため、普段科学とは縁遠い学生も受けています。そういう学生にも楽しんでもらえるように内容を考えていきます。これがなかなかなものなのです。私のように科学の世界にどっぷり浸かってきた者にとっては、普通の人達が科学についてどこまでしっているのかをつかむのが難しいのです。妙に易しくしすぎたり、常識と思っていたことが常識じゃなかったりと、さじ加減が合わないことがよくあります。
今週の構想は先週のうちに立ててありますから、それを具体化していくのが毎日の仕事です。私が頑張らなきゃ、学生がついてきませんからね。
2月1日(金)
今日から2月、受験シーズンも終盤を迎えると、一発必中で志望校に受かった学生、何校も合格を重ねる学生、滑り止めをキープした上でチャレンジ校の入試に臨む学生、第一志望はダメだったけど行き場はなんとか確保した学生、そして、連敗中の学生…。
Yさんは連敗中です。すでに3校失敗しています。Yさんはこちらから声をかけてもなかなか振り向いてくれませんでした。何でも自分で解決しようとし、結局自滅しているようです。願書も志望理由書もその他の書類も、全て自分で揃えて書き上げて出願してきました。それはそれで立派なことです。何かというと教師におんぶにだっこという学生に比べれば、ずっと大人です。でも、自己流には限界があることを、もう少し早く気づいてほしかったです。尾羽打ち枯らした状態で教師を頼ってきても、手遅れになってしまうことだってあるんですから。
そのYさんは、今日、R先生と面接練習をしました。最初の受験から数か月にして初めての面接練習でした。R先生によると、まるっきり面接になっていなかったとのことです。これじゃあ、落ち続けるわけです。Yさんには「聞くはいっときの恥」という考えがなかったのでしょうか。それとも悪いところを指摘されて血まみれになるのが嫌だったのでしょうか。Yさんの周りの学生も、志望理由書は真っ赤に直され、面接練習では涙顔になり、という茨の道を経て合格にたどり着いているのです。
日本語力やEJUの成績ではYさんよりだいぶ劣るLさんやDさんが既に合格を決めて、あとは卒業を待つばかりとなっているのは、去年の今頃から私たちに相談を持ちかけてき続けたからです。ボコボコにされながらも、何度でも立ち上がって向かってきたからこそ、今の余裕があるのです。
Yさんは、大学入試では苦杯をなめましたが、これを糧に人生の次のステージでは成功をつかみ取ってもらいたいです。それができれば、わざわざ日本に留学した甲斐があったというものです。
1月31日(木)
19日に亡くなった元横綱大鵬に国民栄誉賞を贈ることを政府が検討し始めました。追贈となりますが、大鵬の現役時代に国民栄誉賞があったら当然もらっていたでしょう。
大鵬が活躍したのは私が小学生の頃でした。「柏鵬時代」とも言われましたが、優勝回数は大鵬の32回に対して柏戸はわずかに5回、実際には大鵬時代でした。「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が生まれたように、単なる一力士にとどまらず、当時の日本を代表する人物でした。
本当に負けない横綱で、判官贔屓の私はどうも好きになれませんでした。でも、子供心にもその偉大さは十分認識でき、大鵬が引退したときは非常に大きなものが失われたような気がして、妙に心臓がドキドキしたことを今でも覚えています。
大鵬は、その当時の安定の代表だったと思います。同時期の首相は佐藤栄作で、これまたどっしりとした長期政権でした。大鵬引退後しばらくは群雄割拠のような時代が続き、佐藤栄作辞任後は「三角大福中」と呼ばれる群雄割拠状況が10年ほど続きました(昨今の1年交代の政権に比べればずっと安心感がありましたが…)。国民栄誉賞はその三角大福中の「福」である福田赳夫内閣の時に創設されました。大鵬引退の6年後、初の受賞者が大鵬と同い年の王貞治というのは、相撲と野球の現役時代の長さの差を表しています。
国民栄誉賞は内閣が人気取りに授与するなどと言われることもありますが、大鵬の受賞は、少なくとも私と同年代以上の人なら、誰もが賛成すると思います。あの頃の日本の勢いを取り戻したい、全国民が納得する国の代表を持ちたい、強さの象徴を仰ぎたい、安倍さんもそんな気持ちから検討を始めたのでしょうか。
1月30日(水)
外部の団体から来ていた奨学生募集に学校から推薦する学生を決める面接をしました。まず、自薦で候補者を募ったところ、数十名の応募がありました。一次選考で8名に絞って、今日の受験講座終了後に最終選考として面接を行いました。
一次選考を通り、また、1年近くKCPでみっちり仕込まれてきただけあって、どの学生も素晴らしい受け答えをします。学校への貢献度も甲乙つけ難く、選ぶ方にとって非常に厳しい選考となりました。以前話しをした時に比べて、日本語が格段に進歩していることを感じさせられた学生もいました。
学生の経済状況も聞きました。家賃に光熱費と食費を加えると、アルバイト収入がほぼ飛んでいくというのが学生たちの平均的な姿でした。親の負担を少しでも軽くしたい――奨学金が欲しい理由に新鮮味はありませんでしたが、だからこそ、そこに学生の本音があるように思いました。最近の気になったニュースは何かと聞いたら、ある学生は円安と答えました。為替レートが幾分改善したので、両親が多少なりとも楽になったと言っていました。
学生たちは、国にいた時からこんなに親思いだったのでしょうか。親元を離れたからこそ、為替レートを気にするようになったのではないかと思います。アルバイト収入がほとんど残らず、貯金することの難しさを実感したからこそ、与えられたチャンスを生かそうと奨学生募集に応募したのに違いありません。最終選考に残った学生をはじめ、応募した学生は出席率が100%に近い学生ばかりです。お金のありがたみを痛感すれば、授業用を無駄にはできないはずです。
面接終了後、四苦八苦の末、推薦する学生を決定しました。推薦されなかった学生も、推薦枠さえあれば全員推薦してもいいくらいのほれぼれするような学生たちでした。推薦されなかったからといって落ち込むのではなく、次のチャンスに向かっていってほしいです。
1月29日(火)
お子さんがインフルエンザの疑いだとかで、今日はS先生はお休み。その代講をしました。火曜日は選択授業の日なので、S先生が担当なさっている選択授業のクラスでも授業をしました。このクラス、私が去年の春から秋にかけて教えた学生がごちゃっと入っていて、旧交を温めるというか、力が伸びなかった責任を取るというか、不思議な感じのクラスでした。
クラス設定は、上級の入口ぐらいの学生をターゲットにしていましたが、メンバーの中には“?”が付いてしまう学生もいました。語彙の問題でLさんを指名すると、全く選択肢が選べません。「先生、難しいです」投げてしまおうとします。「Lさん、あなたは指定校推薦で大学が決まったんだから、難しいですからわかりませんなんていうことが許されると思ってるんですか」と怒ってしまいました。Yさんも中級で習った文法を使う問題で間違えましたし、Jさんは漢字が読めません。何ヶ月か前に中級クラスでやったような説明を繰り返しているうち、取りこぼしが結構あるんだなあと感じさせられました。
でも、こうしてできなかったことを痛感し、以前の教科書やノートを開いて復習をすれば、文法も語彙もきちんと身につくのだと思います。ここでしっかり中級で勉強したことを定着させるのだと考えれば、Lさん、Jさん、Yさんあたりの学生がこの選択授業を取るのは妥当なところなのかもしれません。
新しいことを学ぶことも大切ですが、是非とも今までに勉強した事柄を脳みそに刻み込むことも忘れないでもらいたいと思います。
1月25日(金)
年度末の3月まで在職すると退職金が下がるからと、1月いっぱいで退職する公務員が出てきているそうです。学校の教員や警察官など、急に辞めてもらっては困る人たちがやめてしまうと報じられています。
最後まできちんと勤めないで仕事を投げ出すのは無責任だと、文科相や警察幹部は述べています。学級担任という仕事を放り出して高い退職金を得ようというのは、不見識だと非難されてもしかたがない面もあると思います。しかし、年度の途中で退職金制度をいじって、もらう人たちに不利な形に変更するのはどうなんでしょう。年度途中でやめたほうが多くもらえるとあれば、そういう人が出てくるのも当然でしょう。その点を棚に上げたまま辞める人を非難するのは、片落ちのように思えます。私が知らない特別な事情があれば別ですが。
国や地方自治体はどこも財政難ですから、みんなで痛みを分かち合うべきだという理屈は理解できます。でも、退職金は給料の後払いという性格もあります。若い頃から組織の中核を担う頃まで給料分以上に働き、もらっていなかった分を退職金としてもらうという暗黙の了解に基づいて働いていたのではないでしょうか。民間企業はもっと厳しいと言ってしまえばそれまでですが、いずれにしても真面目に働いてきた人にしわ寄せが来ていることには変わりありません。働く人の心が荒廃してきているように思えてなりません。
日本は財政難と不景気でピーピー言っていますが、先進国は多かれ少なかれ国の勢いが鈍っています。新興国は景気のいい人と悪い人と両極端のように見えます。貧困から抜け出せない国はそのままの状態が続いています。これがグローバル化の結果だとしたら、何のためのグローバル化だったのでしょうか。日本一国の仕組みではなく、それこそグローバルな視点で新たな規範を作っていかないと、地球温暖化などよりもはるかに早く人類は不幸に陥っていくのではないかと危惧しています。
1月24日(木)
国立大学の入試が近づき、今日は3名の学生の面接練習をしました。EJUの成績から判断すると、面接の出来が明暗を分けそうです。
3名に共通していることは、いいことを言っているのにそれが目立たないことです。自分からアピールポイントを流しちゃうような話し方では、面接官の耳には届かず、心を動かすこともありません。
面接は、単に面接官から質問されてそれに答えるだけではありません。自分の得意分野に面接官を誘導し、そこで勝負するように面接全体を組み立てていくことが重要です。突っ込まれたくないとことを突っ込まれたり、不得手な分野を話題にされたりしたら、面接官に自分の力が発揮できる面を見てもらう前にタイムアウトになってしまいます。ですから、自分が突っ込んでしほいところを面接官に突っ込ませるように、自分自身で面接を作り上げていくことが、合格を勝ち取るためには必要なのです。今日の3名は、その工夫が足りませんでした。
面接官が突っ込まずにはいられないような答えを用意し、面接官を自分のペースに引き込むことも、コミュニケーションの一形態です。受身の姿勢だけではコミュニケーションにならないことは、いまさら私が言うまでもないことです。今日の3名は本番までもうちょっと時間があります。今日はいろんなことを言いましたから、それを咀嚼・消化してもう一度練習させるつもりです。