KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
6月20日(月)
昨日は、日本留学試験(EJU)がありました。
Sさんは、数学のできに自信が持てず、心配顔で私のところへ来ました。数学の試験のあと、試験会場で隣の席だった同じクラスのJさんにできたかどうか聞いたら易しかったという答えが返ってきて、イマイチという感触だったSさんは心配を募らせたようです。
私は、学生のころは終わったテストのことは一切気にかけないようにしていました。テストのあとで心配な問題の答えを確かめると、だいたい「ダメ」という結論に至ります。もう少し正確に言うと、間違えた問題の印象ばかりが頭に残るものです。確かめただけですぐ頭の切り替えができればまだいいのですが、失敗したという印象は尾を引くものです。そうすると、次のテストに悪影響を及ぼしかねません。それに、終わったテストについてあれこれ議論しても点数は増えません。そんなことをする暇があったら、次のテストの勉強をしたほうがずっと効果的です。単語を覚えたり、公式を確認したりノートや教科書をチェックしたりしておけば、次のテストでそれが出るかもしれないではありませんか。テストの振り返りは、テストが全部終わってからでも遅くはないのです。
昨日はEJU、明日は期末テストで、今日は試験の谷間になるため、気が抜けてしまった顔つきの学生もいました。本当は少し休ませてあげたいところですし、学生たちも休みたいでしょうが、期末テストが終わったら、進学コースの学生には面接をします。11月のEJUに向けてすぐに第一歩を踏み出すよう指導するとともに、夢やあこがれではなく現実的な志望校を決めていかなければなりません。一部の有名私立大学の願書締め切りは、7月です。のんびりしている暇などありません。心を鬼にして勉強に駆り立てることが、教師の役回りです。
6月18日(土)
今日は土曜日ですが、特別に授業がありました。私が入った中級クラスでは、発表会がありました。社会問題に関するテーマを4~5名のグループごとに選び、メンバーが手分けして調べ、グループ全体としてまとまりのある内容になるよう調整し、みんなに見せる図表を作り、誰が何について発表するかを決め、発表練習をして、今日の発表会本番を迎えたのです。中級ともなれば、社会問題を発表するにふさわしい硬い表現や抽象的な語彙なども勉強しますから、この発表会は一学期の総決算として位置づけられています。
昨日、学生たちが取り上げたテーマだけを見せられたのですが、学生たちの文法や語彙で扱いきれるのか心配になりました。そんなわけで、一抹の不安を抱きながら今日の発表会に臨みました。さすがに、原稿を見ないで発表できた学生は少なかったですが、グループ全体としては一つのまとまりのある発表になっていました。かなり難しいことを発表していたのですが、みんな真面目に聞いていて、質疑応答も議論がきちんとかみ合った形で行われ、私の想像をはるかに上回る出来栄えでした。事前に抱いていた不安は全くの杞憂となり、中級でもこんな難しいことができるんだと感心させられました。学生たちも、おそらく有意義な発表会だったと感じたことでしょう。
もちろん、すべてが満点だったわけではありません。原稿を見て発表していたということは聴衆を見ずにいたということであり、そのせいでどのグループも伝えたいことが伝え切れていないところがありました。ですから、質問に対して「発表の中でも言いましたが…」と始める答えが目立ちました。聞いている人に訴えかけるような話し方ができるようになること、これが上級に向けての課題です。また、発表するときにグループのメンバー間のつながりをもう少しはっきりさせるとよかったと思いました。全体を通してのつながりが見えにくい発表になっていました。
授業後、Lさんが、自分たちのグループの発表はどうだったかとコメントを求めてきました。全体への講評では飽き足らず、自分たちのグループに対する詳細な評価が聞きたかったようです。Lさんのように自分の力を伸ばそうとしている学生には、こちらも援助は惜しみません。
先学期末の震災の影響で、今学期は落ち着かない雰囲気でのスタートでした。震災以降の授業が抜けてしまったことと、一時帰国して日本語と離れていた学生が多かったことから、各レベルの水準と質が保てるだろうかという声もありました。今日の発表を見る限り、また、Lさんのような学生がいたと言うことからも、中級として恥ずかしくないところにまでは到達できたようです。学生たちはよくがんばったと思います。ほめてあげたいです。
6月17日(金)
星がとてもきれいですから、明日はきっと( )でしょう。
空欄にどんな言葉を入れますか。日本人なら「晴れる」「お天気」など、いい天気になるという意味の言葉を入れる人がほとんどだと思います。しかし、私のクラスのCさんは、星がよく見えることから翌日の天気を推測するなど、ロジカルではないし、したこともないから、そういう発想は全くできないと言います。日本人の発想を押し付けるようなテスト問題は不公平だとクレームを付けてきました。
でも、いい天気という意味の言葉を入れた学生も多かったです。百歩譲ってこれが日本人独特の発想だとしても、日本人はお天気を気にするという、ある種の文化も感じ取ってほしいものです。教科書にも、宿題のプリントにも、授業で先生が持ち出す話題にも、お天気に関することは幾度となく出てきています。また、テレビを見れば番組と番組の合間によく天気予報が流れているし、新宿を始め町の中の超大型テレビや電光掲示板にも5分に1回くらい天気予報が映し出されています。わざわざ日本まで来て日本語を勉強しているのですから、言葉の周辺事項も学んでほしいのです。
そして、自分の論理に合わないからといってその論理を排除してしまうのはよくないと思います。問題の文にしても、“星がきれいだ(今は夜だ)⇒空に雲がなく空気が澄んでいる⇒明日は晴れる(あと数時間はこの状態が続いてもおかしくない)”という論理が働いています。自分とは違う考え方を認めるだけの心の余裕がほしいところです。期末テストが近く、Cさんも心にゆとりが持てなかったのかもしれません。
じゃあ、私が日本人としてこの問題にどう答えるかと言われれば、晴れる系の言葉を入れさせたい出題者の意図が感じられるだけに、何か一ひねり加えた言葉を入れたくなります。例えば「冷え込む」「富士山がよく見える」「運動会日和」なんてあたりはどうでしょう。
こんな初級のテスト問題を改めて上級で取り上げて、上級らしい言葉で答えさせたり、発想のユニークさを競わせたりしたら、意外と面白い授業になるかもしれません。Cさんとのやりとりを終えてから、そんなことを考えて見ました。
6月16日(木)
地震の後に一時帰国していたBさんが学校に戻ってきました。顔がちょっぴりふっくらしていたところを見ると、国でおいしいものをたっぷり食べてきたのでしょう。学校に戻ってきてくれたことはとてもうれしいのですが、Bさんの日本語は崩壊していました。
Bさんは地震の後に起きた原発事故のニュースを見て、取るものもとりあえず、ほとんど着の身着のままで国へ避難しました。教科書すら持って行かなかったと言いますから、パニック状態に近かったのでしょう。国へ帰ったら、日本に戻ろうと思ってもご両親に強く引きとめられたそうです。
ご両親にしたら自分の大事な子供を危険だと報じられているところへなんか行かせたくはないでしょう。でも、Bさんは自分の人生を日本語にかけているのです。日本に戻らないわけにはいきません。教科書すら持って来なかったので、勉強が遅れてしまうのではないかという焦りもあったことでしょう。そして、留学試験の直前になってようやく、ご両親の許しも得て、日本に戻ってきたというわけです。
しかし、3か月のブランクはとても大きいです。Bさん自身も気がついていますが、今度の日曜日にある6月の留学試験では、高得点は望めないでしょう。6月にしかるべき点を取って、秋にどこかの大学に合格して…という計画を立てていたかもしれませんが、それも白紙に戻された状態です。11月の留学試験でBさんが考えているような点数が取れたらいいのですが、そこまでに遅れを挽回できなければ、Bさんの人生全体に狂いが生じかねません。
原発による直接の被害や風評被害に対して、東京電力に損害賠償を求める動きがあります。日本語学校の団体も、学生が減ってしまったのだから損害賠償を求めようと考えています。しかし、本当に損害を被ったのは、Bさんのような学生たちです。それでもBさんは日本に戻れましたが、日本留学をあきらめた学生も少なくないと聞いています。東京電力は、日本は、そういう学生こそを救うべきだと思います。日本語学校も自分たちの被害を訴えるだけではなく、Bさんのような人の気持ちを代弁するくらいの心意気がほしいものです。
6月15日(水)
昼休みに学生からの理科の質問に答えていると、M先生が「先生、ちょっとちょっと。402教室へ行って」と呼ぶではありませんか。口調も軽く、笑顔だったので、嫌な話ではないだろうと思いながらM先生に言われるまま402教室に向かいました。教室に入ると、Lさんが「いらっしゃいませ」といいながら椅子を勧めます。椅子に腰掛けると、マッサージが始まりました。肩と腕をもんでくれて、最後は背中全体をたたいてくれました。ボランティアクラブでマッサージのボランティアをすることになり、その練習台として駆り出されたのです。思わず「あ~」とか言ってしまうくらい気持ちよかったです。あの腕前なら、マッサージしてもらった人にきっと喜ばれることでしょう。私も、こういう練習台なら毎日でも大歓迎です。
私は、父も母も肩こり持ちで、その遺伝子をたっぷり引き継いだのでしょう、20代後半から慢性の肩こりです。マッサージ屋さんに行くたびに、「お客さん、ずいぶんこってますね」と言われます。1時間くらいマッサージしてもらってやっと肩の筋肉がほぐれます。でも、すぐまたこってしまいます。病院で診てもらい、姿勢をよくすれば肩こりも収まると言われ、正しい姿勢をアドバイスしてもらったのですが、長続きしません。パソコンに向かう時も背筋を伸ばせばひどい肩こりにならずにすむはずなのですが、それができないのです。長年の悪い癖を直すのは、非常に難しいです。
そういう自分は、伸び悩みの学生と全く同じだなと思います。伸びが止まってしまった学生は、どこかに我流の悪い癖を持っているものです。それを正すことはちょっとやそっとじゃできません。直すほうも直されるほうも、半端じゃない努力が求められます。最初が肝心なのですが、最初の段階はそれになかなか気づかないものなのです。
…いつの間にか仕事の話になってしまいましたね。こんなことを考えているから肩がこってしまうのでしょう。気持ちよかったら素直に「気持ちいい」って言うのが、肩こりには一番いいんだと思います。
6月14日(火)
昼休みに会話力テストを兼ねて、上級クラスのMさんの面接をしました。Mさんは去年の7月からKCPで勉強を始めて、今学期で帰国します。7月3日のJLPTは日本で受けていくそうです。「1年間で何が進歩したと思いますか」と聞いたところ、「自分の意見が、日本人にも理解してもらえる日本語で話せるようになったことです」という答えが返ってきました。
Mさんがこの1年勉強した中級から上級にかけてのレベルは、自分の日本語が上達したことをなかなか実感できないレベルです。そういう語学学習で一番苦しいレベルを通過したMさんが、確かな手ごたえを持ってくれたことがとてもうれしかったです。
Mさんは日本人の友達と政治の話もできるくらいになったそうです。友達の意見も十分に尊重しながら主張すべきことはきちんと主張する――そういう上級らしいやり取りができるようになるまでには、相当な苦労もあったことでしょう。Mさんの顔には、苦労を乗り越えてきた自信が光っていました。
学生たちは、よく、会話の勉強がしたいと言います。会話の時間に自分の意見や考えを発表してもらおうとすると、何も言おうとしない学生が目立ちます。私たちは、Mさんのように自分の意見がきちんと言えるようになることを会話の1つの目標にしています。自分の意見を言うには相手の意見をしっかり聞かなければなりません。単語だけで物を言うのではなく、論理的に考え、相手の心をおもんぱかって発言して初めて、相手の心が動かせるのです。これが会話であって、好きなことを言って笑っているだけというのは、単なるおしゃべりに過ぎません。
6月までの学生は、学校の規則上「卒業」にはなりませんが、Mさんは私たちが考えている上級のレベルに立派に到達しています。ですから、私は心の中でMさんに卒業証書を送ります。
6月13日(月)
授業が終わって机の中の忘れ物を確認していたら、Kさんの作文が出てきました。作文担当の先生に直していただいたものです。本人は悪気はなかったのでしょうが、これは作文担当の先生に対して非常に失礼な話です。作文の添削・採点は非常に時間がかかります。作文を担当すると、土日のうちのどちらか一方は、必ず添削・採点のためにつぶれます。学生全員が作文が上手なら添削に対して時間はかかりませんが、何を言いたいのかをくみ取って、そういうことを言いたいのならこう書いたほうがいいと学生のレベルに合った表現で直し、さらにコメントを書くのです。場合によっては、1人の作文の添削・採点に2時間かかることもあります。それだけ力を込めて添削しコメントを書いた作文を、あっさり机の中に置きっぱなしにされてしまうと、添削した身にはがっくりしてしまいます。
どんな忘れ物でもしてはいけませんが、特に誰かの心が込められたものは、絶対にいけません。以前、上級のクラスで同じことを注意したことがあります。かなりきつい口調で言ったのですが、あまり効き目はありませんでした。「近ごろの若い者は…」とは言いたくありませんが、やはり私たちの世代とは価値観が違う人が多いようです。日本で就職したいという学生は多いですが、こういうことをしていては先行きが暗いです。相手の心を思いやる力をもっともっとつけなければなりません。
学生たちが日本語を使って幸せに人生を送っていけるように導いていく、そのすべてが私たちに課せられた任務なのです。
6月10日(金)
留学試験まであと9日、今日は2回目の理科の模擬試験をしました。理科の模擬試験は先月もしましたが、直前にもう一度やりたいという学生が10名ほどいたので、急遽やることにしました。
テストが終わってから、Jさんが泣きそうな顔で私のところへやってきました。物理の問題が時間内に解けなくて、どうしたらいいか困っていると言います。そう思っているのはJさんだけではありません。みんな、テストの時間配分には頭を悩ませています。
留学試験では、理科は3科目の中から2科目選んで答えます。どの2科目にするかを悩む人はいないでしょうが、ただ漫然と順番どおりに問題を解くだけでは、その2科目で高得点をあげることは難しいでしょう。例えば物理と化学を選んだ場合、まず、80分の時間をどう割り振るかを考えなければなりません。留学試験の問題は決して難しくないのですが、量が多く範囲も広範にわたっている点が厳しいところです。物理が苦手なら、最初の20分間で化学を解けるところまで解き、残りの60分で腰をすえて物理を解く――などという作戦と立てておく必要があります。
それから、物理は問題を見た瞬間にどの公式を使うかが思い浮かべられるかどうかが勝敗の分かれ目だと思います。言い換えると、解き方の道筋が描けたら八分通り解けたと思っていいでしょう。留学試験では、そういう反射神経的な力が求められているように思えます。広く浅くの知識を試すのが留学試験のような気がします。深く考える力は、各大学の2次試験に委ねられているのでしょう。
Jさんは、本当に誠実に問題に取り組んでいるようです。でも、残念ながら、留学試験は誠実さだけでは突破できません。抜群の力がある本の一握りの学生は別として、大部分の普通の学生が高得点をあげるには、ある種のずるがしこさが必要です。私のアドバイスも必然的にそういう方面の話になってしまい、なんとなく気がとがめました。
Jさんは留学試験よりも2次試験で力を発揮するタイプだと思います。たとえ6月の留学試験が振るわなくても、気落ちすることなく努力を続けてもらいたいものです。
6月8日(水)
今日は代講で進学コースの特別授業をしました。発音練習をしたところ、みんな上手でちょっとびっくりしました。発音練習を始めて2か月ほどなのですが、私が発音したとおりにイントネーションまでまねすることができていたのです。学生の出身国のなまりがかなり抜けてきています。もちろん、細かいところまで見ればいろいろと注文したくもなりますが、日本語の勉強を始めてわずかな期間なのですから、十分合格点があげられると思います。
それに対して、毎日私のところへ来ているSさんは、同じく2か月ぐらい発音の練習をしていますが、あまり進歩の跡が見られません。母語のなまりを引きずっています。Sさん自身もそれに気づいてはいますが、なかなか直せないでいます。どうしてこんなに差がついてしまったのでしょうか。
一つには、進学コースの学生は半分ぐらいがまだ十代なのに対して、Sさんは30歳だという点です。Sさんには気の毒ですが、やはり、語学は早く始めるほど上達のスピードが速いのです。
それから、Sさんは日本語を国で少し勉強してきたのに対して、進学コースの学生たちは実質的にここで始めたという点です。確かに、文法の知識はSさんのほうが数段上ですが、その知識があるために言葉を頭で考えてしまって、母語の発音に引っ張られてしまうのでしょう。ここで始めた学生は、もしかすると何もわかってはいないのかもしれませんが、純粋に聞いたとおりに言葉を返しているうちに日本語のリズムが身についてきたのではないでしょうか。
Sさんは、おそらく、国で読んだり書いたりする勉強だけさせられてきたのでしょう。国の人が先生だったので、発音指導までは十分にしてもらえなかったのだと思います。KCPは話すことにも力を入れていますから、国での勉強が足りなかったことがあらわになってしまったのでしょう。逆に言えば、Sさんの発話力をどこまで伸ばせるかによって教師の腕が試されているということにもなりますが…。
6月7日(火)
私のマンションの前の道に出ると、東京スカイツリーが見えます。直線距離で3キロ弱ですから、よほど視界の悪い日でない限り、毎日見えます。最近は空気中の水蒸気が多いせいでややかすんでいますが、冬は青空に向かって突き刺さるようなスカイツリーがくっきりと見えました。先月から、工事で使ったクレーンを解体しながら下ろしていく作業が始まり、てっぺん近くにあったのはいつの間にか消えてしまいました。
その東京スカイツリーですが、ニュースによると、来年の5月22日に開業するとのことです。世界一高い634mのタワーですから、当然展望台がどんな具合になるかが気にかかります。350mの第一展望台の入場料金が2000円、450mの第二展望台まで上ると3000円になるそうです。東京タワーは250mの特別展望台まで行って1420円ですから、倍以上です。
私は高いところが大好きですから450mの展望台には是非行きたいのですが、3000円と聞いてちょっと引いてしまいました。でも、東京タワーの先端より高いところまで上れるのですから、オープン直後のほとぼりが冷めたら、上って東京、いや、関東を見下ろしてみたいですね。
さて、その東京スカイツリーがオープンする来年の5月22日ですが、今日と同じ火曜日です。週の初めの月曜日とか、週末の金曜日とかではなく、火曜日などという中途半端な曜日から開業するのはどうしてでしょうか。調べてみると、この日は大安なのです。大安は何をするにもよいとされる日で、近代的な東京スカイツリーも縁起をかつぐのかと思うと、ちょっと笑ってしまいました。
でも、東京スカイツリーだけではありません。東京ディズニーランド(1983年4月15日)、東京ディズニーシー(2001年9月4日)も開業日は大安でした。1983年4月15日は金曜日でしたが、2001年9月4日は、スカイツリーと同じく火曜日でした。ランドは偶然だったかもしれませんが、シーは大安を狙ったとしか思えません。大安とか仏滅とかとは対極にありそうなディズニーリゾートが縁起をかつぐなんてと思いましたが、そういう日本の古めかしい部分を持っているところが、日本人が安心できる雰囲気をかもし出しているのかもしれません。
去年の今ごろは、スカイツリーはやっと根元ができ始めたころではなかったかと思います。立派に立ち上がったスカイツリーを頼もしく眺めながら、展望台からの景色を今から楽しみにしています。
6月6日(月)
今日から私もクールビズにしました。朝は半袖では少し肌寒かったのですが、午前の授業が始まるころには半袖でちょうどいい感じになりました。日の一番高い時間は、半袖でもうっすらと汗をかきました。今日の東京の最高気温は28.6度、半袖日和でしたね。
クールビズは涼しくていいのですが、困ることが1つあります。それは、ポケットが少ないことです。私はスーツの上着のポケットに筆記用具や教室の鍵、ハンカチに靴べら、定期券、エアコンのリモコンなど、小物をみんな入れていましたから、それの行き場がなくなってしまいました。エアコンのリモコンは省エネですから当面いらないとして、その他のものをいかに効率よく分散するかに頭を悩ませています。今日のところは筆記用具を半そでシャツの胸ポケットに定期券と一緒に入れ、ハンカチと家の鍵、教室の鍵をズボンのポケットに入れ、他のものはとりあえず鞄に移動してもらいました。これから試行錯誤を重ね、それぞれのベストポジションを探していきます。
スーツの上着のポケットを膨らませるのは決してかっこいいことではありませんから、上着のシルエットを壊さないように仕事に必要な物を突っ込んできました。小物入れを別に持ち歩けばいいのかもしれませんが、それはどうも好きになれません。何とかシャツとズボンのポケットだけで機能的な物の持ち方を築き上げたいのです。
省エネのため8時で仕事を終わりにするため、仕事のやり方も見直しています。ポケットの持ち物配分も考え直さなければなりません。今年の夏は公私ともに生活のあり方を作り直す大変革(?)の季節になりそうです。この機会を上手に利用して、今までの無駄を省いて行きたいです。
6月3日(金)
クールビズ解禁になって3日目、今日は青空も広がり、最高気温も25度近くまで上がりました。しかし、校舎内はわりと涼しく、結局今週はスーツにネクタイで通してしまいました。週間予報によると来週は25度前後の日が続き、クールビズのし甲斐がある日になりそうです。
今日の特別講座の目玉は就職活動応援講座でした。KCPから日本のホテルに直接就職したSさんをお招きして、就活の体験談を聞きました。20名あまりの学生が集まり、Sさんの話に耳を傾けました。
話を聞いて感じたことは、まず、Sさんはとても自然な日本語を話すということです。去年の4月に就職し、1年ちょっとホテルのフロントなどでお客様の対応をしてきたのですから、当然といえば当然です。わからない言葉があったら徹底的に調べる、先輩の話し方をまねして自分のもにするなど、隠れた努力もしたそうです。ただ、お客様との一対一の会話には慣れていても、20名からの大勢の人間に話すことには慣れていないようで、言葉を詰まらせる場面もありました。あんなに上手な人でも緊張すると言いたいことが言えなくなるんだなあと、別の意味で感心しました。
そして、Sさんはとても前向きな人だと思いました。日本で就職できなければ国でも就職できるわけがないと自分を追い込み、履歴書が送り返されてきてどん底に落ち込んでも必ず立ち直り、決してあきらめずに努力を続け、希望の業種への就職に結び付けました。Sさんは集まった学生に、「今は日本人学生でも就職は厳しいけれども、私たち留学生には日本人にはない語学という武器がありますから、こういう状況は有利に働くはずです」と言っていました。こういう発想ができるからこそ、就職に成功したのでしょう。
Sさんの話は教師である私が聞いても参考になるくらいすばらしいものでしたが、残念だったのはそれを聞いている学生たちの態度でした。みんな真剣に話を聞いていたのはよかったのですが、メモを取っていたのは上級クラスのWさんだけでした。メモを取らなかったら、どんなにいい話を聞いても時がたつにつれて忘れてしまいます。今日Sさんの話を聞いた学生たちが実際に就活を始める時に、Sさんの話が頭の中に残っていなかったとしたら、なんともったいないことでしょう。
Sさんなら、この先ずっと日本で働き続けても、きっとうまくやっていけるでしょう。日本に溶け込みつつも自分のアイデンティティーは絶対忘れない、そんなSさんの魅力的な姿が目に浮かびます。
6月1日(水)
今日から6月、KCPでは節電対策の一環として、6月から9月までクールビズを認めています。しかし、今日の最高気温は18.5℃で、4月中旬並みでした。朝はひんやりしていたと思っていたら、最低気温は12.1度でした。とてもじゃないけど半袖など着られる気温ではなく、私はいつもどおりスーツにネクタイという姿で出勤しました。職員室のハンガーには、春物のコートが掛かっていました。週末にかけて気温は徐々に上がっていくという予報が出ていますが、クールビズは来週までお預けかもしれません。まさに梅雨寒です。
夕方、M大学に進学したJさんが来ました。留学ビザの延長に必要な書類を申し込みに来て、そのついでに職員室に顔を出してくれたのです。最初は友達ができなかったけど、クラスで飲み会をしたら親しい友達ができたとうれしそうに言っていました。英語の授業が大変で、KCPに入ったばかりの先生の言葉がさっぱりわからなかったころを思い出しているとか。でも、KCPで2年間勉強した経験が生きていると言ってくれました。留学生向けの日本語の授業はKCPの上級の授業より簡単で、他の留学生より一歩先んじている感じがするとも。教えた立場として、ちょっと鼻が高いですね。
地震の後は一時帰国したそうですが、自分の人生を考えたら日本での留学はあきらめられず、戻ってきたそうです。国では日本がつぶれてなくなりそうだという報道ばかりで心配だったけど、実際の日本は普通の生活をしていて安心したと言っていました。Jさん自身、大学もアルバイトもごく普通にこなしているみたいです。勉強の忙しさを楽しんでいるJさんを見ていて、私も安心しました。
4月20日(水)
受験講座の後、進学コースに所属するUさんの面接をしました。志望校を聞こうとすると、Uさんは「私、KCPが終わったら帰国します」と言うではありませんか。帰国して親類の店を手伝おうかと考えているようです。理由を尋ねると、やはり震災でした。
Uさんは先月の震災後、一時帰国しました。その時、ご家族から日本に住み続けるのはまだ心配だからということで、日本での進学を反対されたそうです。それなら、一時帰国したまま日本に戻らないという手もあったのでは、と聞いてみると、「でも、私は日本が好きですから」と答えてくれました。KCPで勉強できる来年の3月まで日本に留学することを何とか認めてもらったそうです。
Uさんの心の中は、80%は来年3月で帰国ですが、残りの20%は日本での進学の夢を持ち続けています。だから、受験講座もきちんと受けて、20%の可能性が大きくなった時に備えておくのだということでした。
震災によって日本での留学の夢をあきらめた学生、あきらめさせられた学生は数多くいましたから、たとえUさんが「完全帰国」と言っても驚きはしなかったでしょう。でも、20%の可能性のために受験勉強をやめないでおくという心意気には感動させられるものがありました。日本が好きだから、と親を説得して1年の留学を勝ち得てきたという話も、うれしいじゃありませんか。そういうUさんの期待に応えられるように、私たち教師も精一杯日本留学の醍醐味を味わわせてあげねばなりません。
東京中を探せば、Uさんのような留学生がまだまだいると思います。そういう留学生に何とか救いの手を差し伸べられないものでしょうか。一刻も早く、Uさんの国元のご家族に安心していただけるような日本を作り上げていきたいものです。
4月18日(月)
夕方、S大学に進学したPさんがひょっこり現れました。まだ講義が始まったばかりですが、大学での勉強が面白くてしょうがないと言っていました。授業を目一杯受けて、教職の単位まで取ろうと考えているそうです。「外国人が日本の教職を取ってどうすんの?」と聞いたところ、「韓国人の学校もたくさんあるから、そこで教えることも考えてます」とのことでした。そこに至るまでにはいろいろな障害があり、決して平坦な道ではないでしょうが、自分の進路をそこまで考えていることに驚くとともに感心しました。
はっきり言って、KCPにいたときのPさんは、どこか投げやりなところがあり、自分の人生をしっかりと見つめている感じはしませんでした。去年KCPを卒業した時は、生活も乱れていて、どこの大学にも入れませでした。その同じPさんが、教職という日本人の学生でもかなり勉強熱心でないと取らない単位に挑戦しようというところまで積極的になったのです。将来についてもしっかり考えているのです。1年間苦労したことがPさんをここまで進歩させたのかと、感心したわけです。
人は失敗しないと自分を成長させられないものかもしれません。でも、失敗してきちんと成長できる人は、成功する要素があるというものではないでしょうか。失敗から学ぶものがない人は、同じ失敗を繰り返し、いつまでたっても成長できません。Pさんはそういう人ではなく、失敗を足がかりにしてステップアップできる人だったのです。今のPさんは夢と希望に燃えていますが、大学生活に疲れて落ち込むこともあるでしょう。単位を落として将来を投げ出したくなることもあるでしょう。でも、Pさんならそれを乗り越えて、きっと自分の夢をかなえていくことでしょう。今日のPさんの目を見ていたら、そんなことを感じさせられました。
4月15日(金)
最近、街の明かりがまた少しずつ明るくなってきたような気がします。地震直後、電力不足を少しでも解消するため、計画停電を避けるため、照明は必要最低限にまで落とされました。その明かりが、以前のようにとはいかないまでも、復活してきているように思えます。例えば、地下鉄の駅です。私が毎日乗り換えるG駅は、地心直後はホームを照らす蛍光灯を1つおきにしていましたが、今は全部つけています。線名の書かれた案内板の中の蛍光灯も、今は復活しています。U駅のホームもずいぶん薄暗かったのですが、最近は薄暗いという感じがしません。M駅はエスカレーターを全面的に止めていましたが、先週ぐらいから朝夕のラッシュ時は動かすようになりました。
こうした1つ1つのこと自体は、文字通り明るい話題ではあるのであるが、震災以前の東京が明るすぎたり便利すぎたりしていただけであり、その状態に戻ることが復興だと思われているのだとしたら、ちょっと違うように思います。2、3週間前の薄暗さに、どことなく落ちつきを感じたのも事実ですし、エスカレーターの利用者は大半が健常者でした。M駅の場合、本当に足腰の悪い方は、改札からちょっと奥まったところにあるエレベーターを利用しています。
今でも東京タワーはライトアップされていません。夜景に寂しさがあることは否めません。でも、以前の東京をそのまま復元したら、私達は震災から何も得なかったことになります。エネルギーを使わなくても夜景が楽しめたり体の不自由な方も困難を感じずに生活できたりする街を作ってこそ、真の意味での震災からの復興だと思います。原発が壊れて電力不足になった――それなら電力を使わなくても便利で楽しくて不自由のない街にしていこうじゃないか、電気に頼らない生活を築いていこうじゃないか、1人1人が、自治体が、こういう意識で生活や街づくりを見直していきなさいという、日本の現代人への天啓のような気がします。
4月14日(木)
私が毎日見ている四ッ谷駅の桜は、盛りが過ぎて散り始めています。昨日はそうでもなかったのですが、今朝は若葉が少し見え始め、今日のこの暖かさだと、明日の朝は緑がかなり目立っていることでしょう。今日咲くか明日咲くかと気をもんでいた時期から考えると2週間あまり、十分楽しませてもらいました。
桜の木は、1年のうちで、花の季節の2週間か3週間だけ、もっと言ってしまえば花の盛りの数日間だけ、人々の話題を独占するものの、残りの三百何十日かはだれも気に止めてくれません。桜の木は公園や学校にもあれば、並木になっているところもたくさんあります。夏になれば葉を茂らせて、涼しい木陰を作ってくれます。その木陰で憩う人たちも多いでしょうが、自分たちが寄り添っている木が桜だと意識している人はほとんどいません。そういうふうに考えると、桜って寂しい木だという感じがしますが、同時に心の広い木だという感じもします。花の盛りにしか目を向けない冷たい人たちにも木陰を提供しているのですから。
今日から受験講座が始まりました。先学期は地震の影響で授業が2~3回つぶれてしまいましたから、受験講座の先生は6月の留学試験までに何とか範囲全体を終わらせようと、スピードを上げています。受験講座を受けている学生の皆さんには、そのスピードについていけるくらい、必死に勉強してもらいたいものです。それぐらいやれば、明るい光も見えてくると思います。
普段はいるのかいないのかわからなくても、いざというとき力を発揮し、学生たちに頼りにされる、桜のような教師になりたいものです。
4月13日(水)
夕方、新入生のオリエンテーションを終えて職員室に戻ってくると、3月に卒業したSさんとYさんが来ていました。Sさんは大学の履修届けの書き方を、Yさんは奨学金の申請書に書くべき理由の相談をしに。卒業生に頼りにされるのはうれしい反面、もう少ししっかりしてくれよと言いたくもなります。
奨学金を申請する理由は、普通、親の負担を軽くしたいとか、アルバイトせずに学業に専念したいとかですが、それだけではありきたりすぎます。もう一つ、何か気の利いた理由を付け加えたいところです。Yさんも、それをどう書いたらいいか相談したかったようです。やはり、お金をもらう限りは、それをどう使うかを述べるべきでしょう。そこにそれぞれの学生の特徴が表れるものです。
大学生時代は、将来の自分自身を形作る時期です。お金をかけるべきところにしっかりお金をかけて、自分を磨き上げていくことが肝心だと思います。そういうことをした人が就活で生き残るのだろうし、会社に入ってからも伸びていくのではないでしょうか。10年後の自分を思い描いて奨学金を使っていくのが、奨学金の有効な使い方だと思います。
親の負担を軽くしたい――親孝行な子供でけっこうなことです。アルバイトせずに学業に専念したい――学生の本分を忘れぬいい学生です。でも、それ以上じゃないですね。これでは奨学金を生活費に回すだけで、文字通り、学問を進めるまでには至りませんね。
ですから、Yさんにもそういうアドバイスをしました。奨学金を学問のためにどう使うのか、どういう形で自己投資するのか、それが書ければ申請書を読む人に訴えるものがあるのではないかと思います。Yさん、奨学金がもらえるといいですね。
4月12日(火)
今日から日本語教師養成講座が始まりました。理論が3か月、演習が3か月のコースですが、もともとは1年でやっていた内容ですから、かなり濃縮された日程と言えましょう。今期の受講生は若い方たちですから、日程的には厳しくても、体力と頭脳の柔軟さで乗り切ってくれることと思います。
私は毎期、開講日の講義を任されますが、そのときに言っていることは次の2つに要約されます。1つは、この講座は答えを見つけ方は教えますが、答えまでは一々教えないので、自分で問題が解決できるようになってもらいたいということです。教師が教壇に立つ時は、1人きりです。そばで助けてくれる人はいません。教室で発生した問題は、みんな自分で何とかしなければなりません。また、授業の準備をするときも、一から十まで周りの先生に助けてもらうわけには行きません。そんな手のかかる教師は、遅かれ早かれお役御免になってしまうことでしょう。それゆえ、自分で問題が解決できる教師になってもらいたいのです。
それから、もう1つは、自分自身のウリは何なのかを見つけてほしいということです。日本語教師としての自分の特徴は何なのか、日本語を教えるほかに何ができるのか、どんな付加価値のある日本語教師なのか、と言っても構いません。日本語がきちんと教えられるのは、日本語教師としては当たり前です。商品価値として最低限の基準といえます。言ってみれば、パンフレットに載せられるような自分の商品価値って何ですか、それを探してください、見つけてください、気づいてください、ということです。場合によっては、それを作り上げてくださいということになるかもしれません。
今日受講を始めた皆さんは、半年後にどんな顔をして修了式を迎えるのでしょうか。
4月11日(月)
今日から新学期が始まりました。ちょうど1か月前の地震で多くの学生が一時帰国したり退学したりしました。どれくらいの学生が学校に戻ってくるだろうかと心配な反面、久しぶりに学生たちに会えるうれしさもありました。学生たちも、お互い久しぶりに顔を合わせたので、会えなかった期間の話をしあって、話が弾んでいたようでした。
…学校へ来なかった学生への連絡をしていたら、またちょっと大きな地震がありました。ちょうど1か月後にまた地震があるという噂が流れていましたが、それが実現してしまいました。偶然の一致でしょうが、地震を恐がっている学生には、相当なショックだったことでしょう。
原発には、今のところ、ひどい悪影響は出ていないようなので、一安心しています。こういう余震が今後もしばらくは続くでしょうから、ある程度は神経が図太くならないと、生き抜いてはいけないかもしれません。
本当は、今日のこのブログには、満開の桜について書こうと思っていました。でも、それどころではなくなってしまいました。明日はそういう穏やかな話題について書きたいですね。