KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
7月18日(水)
先日、学校のパソコンのワープロソフトを新しくしました。その際、1つだけ不安がありました。それまで使っていたワープロソフトの辞書がうまく引き継がれるかどうかです。
私は、一応日本語教師が本業ですが、理数系の科目も担当しているため、文書内で使う言葉が他の先生とは少々異なります。ワープロの辞書には載っていない専門用語を登録していました。例えば、等黄卵、炎色反応、偶力などという言葉は、普通の日本語の先生、いや、一般の日本人は一生使わないでしょう。ですから、こんな言葉は「とうおうらん」と打って変換したところで出てきません。ですから、そんな言葉を地道に登録してきたのです。使う言葉も違いますから、私の辞書では、「はっこう」変換で最初に出てくるのが「発酵」、「へいこう」では「平衡」でした。
また、中国や韓国の学生の名前に出てくる漢字も、可能な限り登録しました。「ちょん」で出てくるのが「鄭」「全」、「ちょう」では「趙」「張」が「超」や「長」より先に出てきました。
こうやって鍛えてきた辞書が消えてしまったら、商売に差し支えます。それを心配していたのです。
新しくなったあとのワープロを使ってみると、辞書登録は生き残っていました。「とうおうらん」で「等黄卵」が出てきます。でも、「はっこう」は「発行」になり、「へいこう」は「並行」になってしまいます。これからまた私の癖を覚えこませていかねばなりません。
”一応日本語教師”の名誉にかけて言わせてもらうと、前の辞書では「ふくし」で「副詞」でしたが、新しい辞書の使い始めは「福祉」でした。最近、「副詞」が復活しつつあります。
7月17日(火)
昨日あたりから狂ったように暑くなったと思ったら、梅雨明けだそうです。梅雨前線が北陸から東北のあたりまで北上しており、きれいな形で夏になったと言えるでしょう。太平洋高気圧から蒸し暑い空気が送り込まれ、どこからも文句のつけようがない夏です。今日の東京の最高気温は34.4℃、猛暑日直前まで迫りました。
ここまで暑いと、夕方には上昇気流が生じ、夕立に見舞われることもあるのですが、今日はどうやら無事に過ぎていきそうです。でも、夕立はいかにも夏らしくて、建物の中から見ている分には、私は好きですね。夕立のにおいというのでしょうか、コンクリートとアスファルトに覆われていてもどこからともなく匂い立つような土の香りがたまらないのです。KCPは近くに狭いながらも公園や学校の校庭がありますから、そういう香りもいっそう強いような感じがします。新宿駅みたいに、土には縁遠いと思われるところでもそんな香りがするのが不思議です。
夏になったのはいいのですが、暑さに負けたり、暑さをしのぐためのエアコンに負けたりして、体調を崩す学生が毎年後を絶ちません。東京の夏は学生たちのふるさとの夏よりも蒸し暑くて過ごしにくいのはよくわかりますが、同じ条件でも元気に学校に通い続ける同級生もいるのですから、いろんな手を使って体調をしっかり管理して勉学に打ち込んでもらいたいところです。
昨夜も熱帯夜、今晩も熱帯夜になりそうです。その名の通り、温帯に属する街の夜とは思えないような夜がこれから続いていきます。学生たちだけでなく、先生方にもしっかり頑張って学生を指導していってもらいたいものです。
7月13日(金)
今日から受験講座の授業が始まりました。
物理に出たYさんは、先学期から受験講座を受け始めました。受け始めた頃は授業についていくことすらままならず、授業中もポカンとしていることもよくありました。中級の入口ぐらいの日本語力では、理科や総合科目の専門的な話を理解しろという方が無理かもしれません。
今日はEJUの過去問をしましたが、Yさんは黙々と取り組んでいました。その一方で、今学期から受け始めたHさんは、問題を読み取ることもできない様子で、ほとんどお手上げ状態でした。3か月前のYさんを見るようでした。先学期は、Yさんは、「わからない」ということでずいぶん悩みました。でも、今日のYさんは、それが全部解決したとは言えませんが、曲がりなりにも問題に取り組み、Yさんよりも上のレベルの学生たちと同じくらいのスピードで答えを出していたのです。本人がどう感じているかはわかりませんが、私はそういうYさんを見て、3か月で力をつけたなと思いました。
中級の学生は、よく、自分の力が伸びていることが実感できないと言います。確かに、初級のように昨日まで出来なかったことが今日はできるようになった、というような感激は味わえません。しかし、ある程度の長い目で見ると、努力した人は確実に力を伸ばしているのです。Yさんも、日本語の力が伸びたからこそ、物理の問題が解けるようになったのです。これに気がついてくれると、他の面でもグッと自信が湧いてくるんじゃないのでしょうか。
Hさんも今は苦しいでしょうが、ここを何とか乗り切ってほしいものです。
7月12日(木)
昨日の夕方から今朝にかけては、気温が25℃以下に下がらず、昨夜は実質的に今シーズン初の熱帯夜となりました(厳密には、今日の24時までの最低気温が25℃以上の場合、7月12日は熱帯夜だったとなります)。でも、寝苦しさはあまり感じませんでした。まあ、ゆうべは遅くまで学生のスピーチコンテスト原稿を直していましたから、疲れ果てていて気温の高さなど関係なかったのかもしれません。
西日本はかなりの大雨で、梅雨末期の豪雨と言ってもいいでしょう。被害が出ているのが気になります。東京はあんまり雨が降っていないと思っていたら、6月は平年を10%ほど上回る降水量でした。7月も平年並みの降水量をキープしているようです。ほどほどの雨が降ったのですから、そろそろ梅雨が明けないかなあ…というのは虫が良すぎるでしょうか。
ゆうべ読んだ学生のスピーチコンテストの原稿の中に、韓国の梅雨は10日ぐらいだというのがありました。読んだ直後は、「あ、そうなんだ」と感心しました。でもよく考えてみると、韓国は日本より北にあり、梅雨前線の影響は受けにくいです。また、ソウルの年間降水料は東京の半分ほどですから、梅雨が10日だったとしても決して不思議ではありません。でも、韓国の梅雨は10日ぐらいというのは、私にとっては盲点でした。なんだか新しい世界が広がったようで、読んだあと、とても気持ちがよかったです。
この年になってさらに知識を詰め込んでもしょうがないんですが、私は知るということに喜びを感じます。ただ仕事に追われるだけでそういう刺激がない日々は、とても退屈です。忙しくても脳みそに刺激が与えられると、体は疲れていても気分は爽快です。だから、熱帯夜でも寝苦しくなかったんでしょうかね。
7月11日(水)
新学期2日目ですが、今日はほとんどのクラスで、来月2日に予定されている校内スピーチコンテストの原稿を書きました。各クラスの教師がその原稿を直し、学生はそれを清書して、クラス内予選に臨みます。
私の担当は中級のクラスです。昨日の先生が、スピーチの内容を考えてくることを宿題にしておいてくれたおかげで、原稿を書く時間になると学生たちは黙々と机に向かっていました。こういう時間の教師は辞書代わりで、表現に悩んだ学生からの質問に的確に答えるのが最大の仕事です。辞書を引いてもわからない言葉の選び方や文法の使い方などをサッと示してあげるのです。今日のクラスは初めて入るクラスで、顔と名前が一致する学生はほとんどいませんでした。こういうクラスで信頼関係を築くには、困っている時に助けるに限ります。今日はだいぶ助けましたから、初回にしてなんとか信頼を勝ち得たんじゃないでしょうか。
学生の原稿を集めてチェックすると、やはり表現の未熟さが目立ちます。中級になったばかりですから、使える単語も文法も限りがあります。それらを使い回したところで、表現の幅は知れたものです。学生の言わんとしているところをくみ取り、ほんのちょっぴりスパイスを利かせた表現に直します。それをただ単に直されたと思うだけの学生は、あまり伸びません。こういう言い方もあるんだと感じ、自分も使ってみようとする学生は伸びます。今日はどの原稿にもそういう香りをふりかけましたが、何人の学生がそれを嗅ぎとるでしょうか。
クラス内予選で選ばれた学生の原稿は、構成段階から手を入れます。印象的に訴えるにはどんな話の進め方が最適かというところから、学生と話し合いながら直していきます。そして、スピーチそのものの指導もしていって、本番を迎えるのです。さて、今年はどんな原稿を指導していくことになるのでしょうか。
7月10日(火)
新学期が始まりました。一時帰国してきた学生が、職員室にお土産を持ってきてくれました。学期初めの恒例の風景です。このお土産、もらっておいてこんなことを言うのは失礼千万なんですが、時に口に合わないものがあります。そういうお菓子は、職員室の机の上からなかなかなくなりません。私たち日本語教師は、海外の文物に対して割と抵抗なく受け入れられる方なのですが、その我々をもってしてもなおかつ敬遠してしまうというのは、お土産の中でも相当な強者だと言えるでしょう。
日本人が海外へ行った時は、珍しい物と言いつつも日本人受けするもの、日本人の味覚の守備範囲内のものを選んで買ってくるものです。しかし、学生たちはそんなことお構いなく、自分のふるさとの銘品や自分が一番おいしいと思うものを選んできます。そこに味覚のギャップがあるのです。
私が初めて中国へ行った時、2週間のツアーに参加したので、その間ずっと一緒に行動した中国人のガイドさんがいました。そのガイドさんは、当然ツアーのメンバーと親しくなり、日本人たちはそのガイドさんにおせんべいを勧めました。ガイドさんはにっこり笑って受け取りましたが、決してそれを食べることはありませんでした。他のお菓子や中国で買った果物などは口にしていたので、明らかにおせんべいは苦手だったのです。このガイドさんの例だけで中国人はおせんべいが嫌いだと決め付けることは危険ですが、自分が好きなものは他人も好きだと思い込むことのほうがもっと危険だと思います。納豆に限らず、外国人の味覚にフィットしない日本の食べ物はたくさんあることでしょう。日本の中だって、ある地方の名産品が他の地方の人たちに喜ばれるとは限らないのですから。
これと同じことを学生たちにもわからせてあげたいのですが、お土産を目の前にすると、ついついにこやかに微笑んでありがとうと言ってしまいます。「それは、日本人にとってはあんまりおいしくないんだよね」とは、なかなか言えるものではありません。でも、勇気を奮って言ってあげるのが、本当の親切なんでしょうね。
7月9日(月)
KCPは始業日前日であれやこれやと忙しかったのですが、日本語学校全体から見ると、今日の最大のニュースは、何といっても新在留カードの制度がスタートしたことでしょう。報道によると、申請の外国人が集中して、システム障害が発生したとか。しばらくはこんな騒動が続くんじゃないでしょうか。
在留カードは、きちんと手続きをして日本に住んでいる外国人にとってはいろいろとメリットがある制度です。だから、基本的には日本語学校の学生にとっては有利な制度になるはずです。過渡的には多少の混乱もあるでしょうか、それが落ち着けばスムーズに流れていくんじゃないかと思います。
ただ、どうして7月9日から始めたのか、疑問が残ります。どうして7月2日じゃいけなかったんでしょうか。2日からなら、今学期の新入生はほとんどが新在留カードの対象となったのに、スタートが1週間遅れたがために、惜しいところで旧制度での入国になってしまいました。そうすると、在留カードをもらうためにひと手間増えてしまいます。2日は第2四半期のスタートの日で、キリがいいと思うんですが、そういう日はいろんな業務が重なって、役所としては都合が悪いのでしょうか。
そんな愚痴をこぼしても始まりませんから、新しい制度を在校生も含めて定着させていくにはどうしたらいいか知恵を絞っていくつもりです。きちんと手続きをしている外国人にはありがたい制度ですが、手続きをし忘れると痛い目にあいかねないようです。なあなあの部分がなくなっているので、学生が今までのつもりでいたら、罰金取られる羽目に陥ってしまうかもしれません。そんなことにならないように、学期が始まったら学生たちに制度を徹底していきます。
こういうことも含めて、新学期の準備に励んだ1日でした。
皆さん、ご入学おめでとうございます。今学期も世界中の多くの国々から多くの学生が入学してきたことをうれしく思います。
皆さんはこの留学を自分の人生の中でどのように位置づけているでしょうか。「アニメの生まれる国が見たくて」とか「大学の単位を取るために来ただけだよ」という人もいれば、「他の学生との差別化を図るためにどうしても留学は必要なんだ」あるいは「石にかじりついてでも日本で就職するぞ」という人もいるでしょう。軽い気持ちで来た人でも、日本で勉強しているうちに留学の位置づけがどんどん高まっていったという例は、今までにも数多くあります。どのように考えていても、外国を生で体験すること、自分の国を外から客観的に見つめることは、若い皆さんにとってかけがえのない経験となることは疑いありません。
この留学をより価値あるものにするために、皆さんには、是非、日本でしかできないことに挑戦してもらいたいです。テレビやインターネットの画像ではなく、手でさわれる、においもする、さらには心に直接響く日本を実感してください。1つでも多くのことに挑戦するには、より強く日本を感じ取るには、日本語の力が欠かせません。また、皆さんの挑戦の結果や感じ取った何かを、クラスメートや先生と共有してみてください。そうすることで、皆さんの得た成果がさらに生き生きとした形で皆さん自身の脳裏に強く焼き付けられることでしょう。
留学において大切なことは、このように、学校や日常生活から1つでも多くのことを学んだり感じ取ったりすることです。でも、それが一番大事なことではありません。何より大事なことは、無事に国へ帰ることです。多くのことを学んでも、日本で病を得たり、はなはだしくは命を落としてしまったりしては、留学の成果を生かす道を失うだけでなく、ご家族や皆さんの周りの方々を大いに悲しませることになります。皆さんのミッションは、何かを得ることだけにとどまらず、何かを得て一回り大きな人間になった皆さん自身の姿を、ご家族をはじめ皆さんを応援してくださっている方々や皆さんに期待を寄せている方々にお見せするところまでなのです。ことに、東京の夏は間違っても過ごしやすいとは言えません。蒸し暑さに負けたり、エアコンに当たりすぎて体調を崩したりする学生が今までにもたくさんいました。暑さを吹き飛ばせとばかりに食べ過ぎたり飲みすぎたりするのもよくないことです。また、数々の悪魔のささやきからも身を守ってください。
こういったことに十分気をつけて、充実した留学生活を送ってください。本日は、ご入学本当におめでとうございます。
7月5日(木)
アメリカの大学のプログラムできている学生たちは、今日は書道に挑戦しました。好きな漢字を1文字、墨と筆で書きます。私が担当しているクラスは日本語がゼロの学生たちばかりですから、そもそも漢字とはなんぞやということがわかりません。学生が好みそうな、いい意味で画数があまり多くない漢字をいくつか紹介しました。「愛」は、書きたいけどtoo complicatedだからあきらめました。「一」は簡単だけどnot challengingだから選びません。ここまでは予想通りの反応。いろいろな漢字の中から、Nさんは空、Sさんは星、Cさんは明、Hさんは花、Bさんは光、この5人は私が紹介した字の名から決めました。ところが、Vさんは突然"rabbit"と言い出しました。全く予想外でしたが、「兎」という漢字を教えました。
自分が書く漢字をメモし、名前も縦書きですから改めてメモし、ムードが盛り上がったところで書道をする教室へ。書道の指導は、賞状の名前書きなどをいつもお願いしているA先生。学生が書こうとしている漢字を見て、朱墨で鮮やかにお手本にします。筆を持つ手付きが若干怪しい学生たちですが、お手本を見ながら、文字通り黙々と練習しました。だれも言葉を発することなく、自分の選んだ漢字を書くことにひたすら集中していました。
30分あまり練習して、きれいな半紙に清書を。真剣に取り組んだ甲斐があって、6人とも日本語を倣い始めて1週間目とは思えないような立派な字を書きました。Vさんの「兎」は、払いもはねも力強く、私よりよっぽどうまい感じがしました。Vさんはひらがなもカタカナもまだ覚えきっていないのですが、「兎」は完璧です。
作品を教室へ持ち帰ると、学生たちは精根尽き果てたような顔になっていました。そうでしょうね、勉強の時には見せたことのないほどの集中力を長時間にわたって発揮したのですから。学生たちは、昨日は大学訪問でキャンパスを歩き回って肉体的に疲れ、今日は書道に集中して精神的に疲れ、はたで見ていても大変なプログラムをこなしていると思います。でも、多くの学生が、この密度の濃さがたまらないと感想を述べてくれます。そう言ってくれると、運営する側は本当に救われますよね。
7月4日(水)
受験科目の理科系担当として、数学と理科のEJUの問題は毎回解いています。去年の11月の問題は、理科は4月期が始まる直前に解きましたが、数学までは手が回りませんでした。ちょっと遅くなってしまったのですが、ようやく数学にとりかかれる時間ができたので、月曜日から少しずつやっています。
コース1の問題は大きなつまずきもなくできましたが、コース2となると仕事の合間というわけにはいかなくなります。今日は、朝、他の先生方がまだお見えにならない時間に集中して取り組みました。それでも途中でプラスとマイナスを間違えて答えが出なくなり、最初からやり直す羽目に陥ってしまいました。「最近、数学の授業は担当していないので…」と言い訳をしたところで、「早く正確に計算する力が求められるんだ」と発破をかけている身としてはお恥ずかしい限りです。
今日の問題は、悪い問題じゃないとは思いますが、マークシート方式だと自然に解けてしまうという点で、いい問題とも言いかねます。現に、私が間違いに気づいたのも、マークシートのおかげです。一流どころの試験だったら、EJUのような誘導はなく、自分で答案を作っていく形で出されるしょう。
私は、学生たちがマークシートの問題に慣れてしまうことが怖いです。受験のテクニックとしてはマークシートに慣れるようにもっていくべきですが、慣れすぎてしまうと大学に入ってから本当の学問をするときに困ります。本当の学問をするために大学に入ってから頭の中を改造するくらいなら、最初からマークシートなどと付き合うべきではないと思います。
以上のようなことは、二度と大学受験などすることのない50過ぎのおじさんだから言えることであり、目の前の1点によって合否どころか人生が左右されるかもしれない留学生は、そんな悠長なことは言っていられないでしょう。受験のテクニックを教えつつも、テクニックの向こう側に本当の学問のおもしろさがあるの妥当ことも伝えていきたいです。
7月3日(火)
学校で私が使っているパソコンは、A新聞とN新聞の登録会員になっていて、普通の人が読めない記事も読めるようになっています。教材で使ったり授業の参考にしたり、いろいろと活用させてもらっています。
この2つの新聞の名前を聞いたら、日本人なら100人が100人ともN新聞のほうが硬いと言うでしょう。でも、毎日のように記事を読んでみると、決してそんなことはありません。むしろ、N新聞のほうが一般庶民の日常生活に深く食い込んだ記事を載せているように思えます。タイトルだけ見ると、N新聞のほうが読みたくなる記事が多いです。実際に読んでみても感心させられることが多く、N新聞のインターネット版を読むようになって、N新聞を見る目が変わりました。もし、もう少し時間に余裕ができたなら、家でN新聞を取ってじっくり読みたいくらいです。
私とN新聞との間には垣根があるように感じていて、N新聞は必要に迫られた時にしか読んでいませんでした。しかし、今年の冬、ある言葉に関することを調べていくうちにN新聞の記事に行き当たりました。その記事は、内容からしてN新聞にとってはメインの記事ではなかったと思いますが、読み手の私にとってはなかなか秀逸でした。私が欲することを過不足なくまとめていました。それ以降N新聞のサイトをたびたび訪れ、ついには登録会員になってしまったのです。
私が若いころとN新聞の紙面の作り方や体質が変わったのか、私の仕事内容や思考回路がいつの間にかN新聞に合うようになったのか、このごろはN新聞のサイトを開くのが楽しみです。今になってみれば、N新聞との間にあると思っていた垣根は、私が勝手に作ったものでした。新学期は上級を担当することになりそうですから、N新聞の力もお借りしていい授業をばんばん作り上げていきたいです。
7月2日(月)
蒸し暑い1日でした。ゆうべからの雨が上がって青空も見えしたが、肌にまとわり付くような空気はそのままでした。アメリカの大学からの学生たちは特別プログラムに取り組んでいますが、ちょっと疲れ気味のようです。
一番下のクラスの、日本語が完全にゼロの状態で入ってきた学生たちは、インタビュータスクに取り組みました。簡単な自己紹介をした後、「おなまえは」「趣味は何ですか」といったことを聞くタスクです。午前中はそのインタビューのための練習をしました。自己紹介文と質問文を暗記するまで練習しましたが、本番のインタビューではそれがスムーズに出てきませんでした。やっぱり緊張していたのでしょうか。インタビューの相手役は教師が務めましたが、教師の言葉を書き取るのも一苦労。音はつかめても、それがひらがなとは結びつきません。私の名前の「きんばら」など、特殊音の「ん」もあるし、濁音もあるし、しかも4音と長いです。アメリカの学生をずっと見てきているY先生によると、彼らは「たなか」「すずき」「かとう」など3音なら何とかなるものの、「たかはし」「さいとう」のような4音になると、とたんに認識率が下がるのだそうです。
私のところに来たNさんは、タスクシートのインタビューが終わっても、それ以外にもうちょっと聞きたいことがあるということで、一生懸命それを日本語にしようとしていました。でも、ひらがなの読み書きがやっとというNさんの日本語力では無理な話で、英語での問いかけになってしまいました。難しいことに挑戦しようという気持ちはとても尊いと思います。上を見る心を忘れなければ、きっと上手になります。Nさん、私はあなたをずっと見ていますからね。
6月29日(金)
アメリカの大学のプログラムできている学生たちは、今日は旅行に出かけています。信州へ行きましたが、今日の信州は東京より暑かったようです。でも、湿度は東京よりだいぶ低く、青空も東京より広がったみたいですから、いい旅行ができたんじゃないでしょうか。信州への道すがら、富士山が見えたら学生たちは大喜びだったでしょう。どんなようすだったか、来週月曜日にクラスに入ったときに聞いてみましょう。
現代の日本を代表するものはアニメやオタクだということになっていますが、富士山が見えると外国人は国籍を問わずみんな喜びます。KCPではないところで教えていた時も、富士山が見える場所に連れて行ってあげると、全員カメラを持ち出して撮影会になったものです。2年前のバス旅行はお天気に恵まれてずっと富士山が見えましたが、学生の評判は抜群でした。
富士山はどこから見ても美しい山だと思いますが、私は東京などから思いがけなく見える富士山が好きです。好きと言うよりは、見えたときの喜びが大きいと言うべきでしょう。非常にラッキーな感じがして、何かいいことがありそうな気がしてくるのです。東北新幹線の車窓からチラッと見えたときは、感激してしまいました。
一度だけ、飛行機で富士山の火口の真上を飛んだときがありました。これもまた、感激物でした。また、全国各地にある○○富士と呼ばれている山を見るのもいいものです。私は薩摩富士こと開聞岳が一番だと思います。
気が付けば、今年も前半が終わってしまおうとしています。のんびり富士山の話なんかしていると、あっという間に年末になっちゃいそうです。
6月28日(木)
学期休み中ですが、今度の日曜日に行われるJLPTのN1の直前対策講座を開いています。時間を決めて練習問題をやらせるのですが、この練習問題が日本人にとってもけっこう難しいものです。集中して問題文を読まないと、答えが見つかりません。きわどい選択肢があって、どちらにするか迷います。日本人の大学受験生でも、全問正解には至らないのではないでしょうか。読解の問題文の出典を見ると、硬い内容の本を出すことで有名な出版社が名を連ねています。外国人にとってはかなり厳しい問題ではありますが、これが解けたら胸を張って日本語力は日本人並みだと言えるでしょう。
学生たちは苦しみながらも必死に問題に食らい付いていました。答え合わせをすると渋い顔が目立ちましたが、解説には納得したみたいです。最上級クラスの学生からは、微妙な選択肢についての質問が出てきました。さすがだなと思わされました。「そういう質問ができるなら、あんた合格だよ」と言ってあげたいところですが、喜ばせすぎると油断してしまうかもしれませんから、ぐっとこらえました。
その一方で、期末テストの出来が思わしくなかった学生の呼び出しもしています。私のクラスではSさんとFさんが呼び出し対象です。文法の点数がちょっと足りませんでした。この週末に十分に復習してもらい、来週の月曜日にその成果を見るテストをします。Sさんは電話口で明るい声でがんばりますと答え、Fさんはメールの返信にがんばりますと書いてきました。がんばるだけじゃなくて結果を出してもらわなきゃなりませんからね。
そのSさんやFさんたちが進級したら使う教科書も作っています。この文章ではこんなことを勉強してほしい、この問題ではこんな力をつけてもらいたい…あれやこれや考えながら、学生たちの顔を思い浮かべながら、いろんな思いを込めて教科書を作ります。でも、授業を始めると、その思いが届かないもどかしさのほうが強く感じられちゃうんですよね。
6月27日(水)
アメリカの大学の特別なプログラムで来日した学生たちの入学式がありました。全員が英語話者ということで、いつもは日本語で話して通訳をお願いしている私の祝辞も、英語でしてくれということになってしまいました。英語とは、ここのところとんとご無沙汰していますから、スピーチなんて言われても英語がすぐには浮かび上がってきません。ゆうべから必死で考えて、何とか1分か2分の話をまとめました。
私の英語力はせいぜい中級レベルです。自分の考えをどうにかこうにか言葉にできるっていうくらいです。今学期、私は中級クラスの会話授業を受け持ちましたが、いきなりスピーチをさせたりなど、けっこう無茶なことをさせたんだなあと、別の角度から考えさせられました。学生にしてみると、そうやってやっとつむぎ出した言葉に対して、やれ発音が悪いだの、文法がおかしいだの、さんざん文句を付けまくる教師というのは、鬼のような存在だったかもしれません。
でも、私にはその鬼のような存在がいなかったおかげで、学生たちより30も年上なのに英語をものにすることができないままです。私のような中途半端な外国語話者にならないように、重箱の隅をつつくみたいなことを言っているんだ…というのは、単なる言い訳ですかね。
そんなことを思っていたら、今年3月に卒業したWさんがやってきました。家の事情で、あさって帰国するそうです。そして、国で大学に入り、2年後か3年後に交換留学生としてまた日本へ来るつもりだと言っています。交換留学生で来たら、後輩の前で体験談を語ってもらいたいです。もうすっかり荷造りも終わり、着の身着のまま状態のようです。秋葉原でオタクっぽいお土産をたくさん買ったらしいです。
大学では、選択授業で日本語を取るそうです。Wさんが入ることになっている大学は国の中でも屈指の有名大学ですが、Wさんの日本語力ならその大学の中でベスト5ぐらいには入れることでしょう。国での活躍を祈らずにはいられません。そして、2、3年後の再会が今から楽しみです。国の大学でも日本語を磨いていけば、KCPへ来た時に私よりずっと立派なスピーチができると思います。
6月26日(火)
今日は梅雨とは思えないさわやかな日でした。最高気温が23.6℃、最小湿度が36%と、秋を思わせるような数字です。空もクリアに青く、富士山が拝めそうでした。
そんな中、新入生のSさんが進学の相談にやってきました。来年の4月に東京か東京近郊の大学に入りたいと言います。6月のEJUは受けていませんから、普通の学生なら「難しいんじゃないの」と言ってしまうところですが、TOEFLが95点とのことなので、「英語で勝負できる大学を選びなさい」とアドバイスしました。私と対等に話ができるのですから、日本語力はまあまあ以上あります。英語力も、SさんはTOEFL95点では不満のようですが、日本の大学なら他の受験生に差をつけることができます。C大学のように日本語と英語で受験できるところなら、十分可能性があります。
ただ不安な点は、大学で何を学ぶか、卒業後どのような将来設計を持っているのか、そのあたりがはっきりしていないところです。面接でこういったことが答えられなかったら、TOEFLの高得点も帳消しになってしまいます。その点を指摘したら、「大丈夫です。秘密の答えがあります」と言っていました。本当に大丈夫でしょうか。
でも、何よりもSさんの話し方がとてもさわやかでした。発音やイントネーションには少し不自然なところがありましたが、気持ちよく会話ができるのです。話していて、この人のためなら一肌脱いでもいいなという気になってくるのです。よくしゃべりますが聞き手の心をざらつかせるような言葉づかいをするZさんあたりに聞かせてやりたいです。口数が多ければ、自分の思ったことが言葉になればそれでいいと思っているようでは、まだまだですね。
6月25日(月)
今日のKCPは、つかの間の静寂といったところでしょうか。期末テストの追試がありましたが、受験者は数名止まりでしたし、成績の問い合わせもなく、卒業生が突如訪ねてくることもなく、教師だけが黙々と今学期の後処理や来学期の準備にふけっていました。明日はアメリカから学生がやって来て、また喧騒の渦の中に巻き込まれそうです。あさってからは、その学生たちへの授業が始まります。そうなったら、学期中とあまり変わりません。
というわけで、今学期を振り返るのは今日をおいてありそうもありません。今学期は、選択授業を大幅に取り入れたのが特筆されます。学生のアンケートを見るとおおむね好評のようですが、教師の思いと学生たちの思いとが完全に一致しなかった面もあります。
例えば「会話」です。教師側は、自分の気持ちや考えが正しく伝わるように、相手を不快にさせないように、ということまで考えた話し方や聞き方まで含めた授業を考えました。しかし、学生からは日本人のゲストと話したかったという声もあがりました。
「聴解」でも、学生はドラマを見ることを想像したようですが、目からの情報に頼っていては耳の訓練にはなりません。確かにテレビドラマを見て楽しむだけならそれでいいでしょう。しかし、せりふのやり取りからより深いところまでつかみ取ろうとすると、出演者の言葉を正確に聞き取る力やそこから背後関係を想像する力が物を言います。
つまり、学生たちが自分ひとりでできることではなく、それ以上のことを知っている人(教師)がより高いところへと引き上げるところに会話や聴解の授業のエッセンスがあったのです。そういう教師側の思いが空回りしてしまったのではないか、というのが反省事項です。
反省するのは簡単ですが、それをどのように次に生かしていくかが難しいところです。明日からは、そんな仕事が待ち受けています。
6月22日(金)
亡くなった学生の葬儀がありました。日本のお葬式のような読経などはなく、お棺の中に花や故人が大切にしていたものを入れて荼毘に付すという、むしろお別れ会といった感じでした。
まさに涙雨の降る中、故人と親しかったいろいろな国の学生数十名が集まりました。それに先生方や卒業生も加わり、故人の交際の広さとともに、いかに多くの人々に愛されていたかがよくわかりました。声もなく式場にたたずみ、故人と最後のお別れをするための心の準備をしていました。
葬式に参列するのが初めてという学生もたくさんました。そういう学生は、お棺に入った遺体を見るのも初めてだったでしょう。ついこの前まで親しく付き合っていた友達と永久に別れることに加えて、そういう意味のショックも強かったと思います。ほとんどの学生が花をお棺に入れると、涙ぐんでいました。涙をこらえようとする者、涙があふれるままにさせる者、どちらの心も同じです。
参列者全員がお別れをし、お棺にふたがかぶせられると、あちこちからすすり泣く声が聞こえました。そのお棺が窯の中に送り込まれようとすると、悲鳴に変わりました。窯の扉が閉じられ、足取り重く控室に引き上げました。学生たちは放心状態というか、足腰が立たないというか、座り込み黙り込み、自分が今目にしてきたことの重大さを、改めてかみしめているようでした。
亡くなった学生の親御さんも、最初は参列者に向かって御礼の挨拶をしたり自分の子どもに対する好意への感謝を述べたりしていました。しかし、お棺が窯に送り込まれると、腰が抜けて立てなくなってしまいました。子どもが親より先に亡くなるという逆縁がどれほど親を悲しませるか、学生たちの心に強く焼きついたと思います。
葬儀が終わり、式場を出るころには雨も上がっていました。故人の涙が収まり、天国への旅路を歩み始めたと解釈したいです。
6月21日(木)
学生が、亡くなりました。今日、期末テスト終了後、亡くなった学生と付き合いの深い学生のいるクラスを回って、学生たちにこのことを伝えました。学生たちは一様に信じられないという顔をしました。当たり前です。20歳前後といえば「死」から最も遠い位置にいるのですから。自分や周りの友人が死ぬなんて、一度も考えたことがないでしょう。亡くなった学生も、先週の今ごろはEJUのプレッシャーを感じながらもぴんぴんしていたのです。
中には泣き崩れる学生もいました。でも、クラス全体でこの大きなショックを受け止め、お互いに支えあっていこうという空気を感じました。信じたくないけど歯を食いしばって親しい友達の死を受け入れ、その心の痛手に耐えようという姿には、いじらしいものを感じました。
もちろん、だれよりも悲しんでいらっしゃるのは親御さんです。手塩に掛けて育ててきた子どもを、異国の地で突然失ったのですから。亡くなった学生の親御さんは気丈でした。友人たちから自分の子どもがどんな留学生活を送ってきたかを聞かせてもらいたいとおっしゃり、そのために集まった学生たちを前に、「無事に留学を終えて元気な姿を親に見せることが何より大事だ」と、親友を失って気落ちしている学生たちを励ましたのです。親御さんの言葉が通じない国の学生もいましたが、気持ちだけは十二分に伝わったようです。
学生たちには、この親御さんの言葉を肝に銘じて、充実した留学生活を送り、亡くなった学生の分までしっかり勉強してもらいたいと思います。
6月20日(水)
予報どおり台風は夜中のうちに通り過ぎました。台風が南から夏の蒸し暑い空気を呼び込み、今日の東京は今シーズン初めての真夏日となりました。30℃をほんのちょっと超えたくらいの暑さで音を上げるわけにはいきませんが、お疲れ気味の学生もちらほらいました。
先日、授業で、去年の夏を経験したHさんに「東京の夏は過ごしやすいですか」と聞いたところ、Hさんは即座に「いいえ」と答えました。こちらの思惑通りでした。「こういうときに『東京の夏は過ごしやすいもんですか』と言うんですよ」ということで、「~もん(です)か」の導入をしました。Hさんとのやり取りがよっぽど印象強かったのでしょうか、学生たちに書かせた例文にもほとんど間違いがありませんでした。今学期で一番うまくいった文法の授業かもしれません。今日は、そんなことを思い出させる蒸し暑さでした。
早いもので、明日は期末テストです。入学式のころはコートを着ないのが伊達の薄着だったのが、今日なんかは半袖でもじとっと汗ばんでくるほどでした。これだけの気候の差があるのですから、学生たちの力も伸びたかというと、そういう学生もいればそうでもなかった学生もいます。「このレベルでがんばった学生が、次のレベルに上がれます」と、学生たちに強調しています。それでも、「次の学期、がんばりますからレベルを上げてください」と言ってくる学生が後を絶ちません。無理して上がっても自分が苦しいだけなのに。
今年の夏はどんな夏でしょうか。夏にみっちり鍛えた人が、実りの秋を迎えられます…。