KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
6月19日(火)
東京は台風が近づきつつあり、お昼ごろから雨が降っています。夕方5時ごろ、和歌山県の潮岬に上陸し、史上7番目に早い時期の上陸台風となりました。梅雨ですから雨が降るのは当然だとしても、6月の半ばに台風に見舞われるのはちょっとありがたくないですねえ。だからといって、これを軽々しく異常気象と呼んだり地球温暖化と結び付けたりすることにはくみしたくないです。
台風が近づき、暖かく湿った空気が入り込んだ影響で、学校内は蒸し暑かったです。雨が降り込んできますから窓を開けるわけにもいかず、今シーズン初めて冷房を使用した教室もあったようです。省エネも大切ですが、暑さで健康を害してしまっては本末転倒です。特に、午後の初級のクラスは、文字通りの熱気がすごいのです。勉強にかける情熱といった比喩的な意味ではなく、学生の体から温度の高い気体が発せられているとしか思えません。去年はスピーチコンテストでKCPオリジナルうちわを配りましたが、今日なんかはそのうちわがほしかったですね。
あさってが期末テストのため、今日は追試や再試を受けたり、宿題で間違えたところを訂正したりする学生が大勢残ってもおかしくない日なのですが、みんな早めに帰ってもらいました。また、上陸した4号の後を追いかけるように5号も日本列島をうかがっています。週末に来襲するとなると、期末テスト後に一時帰国しようとしている学生の足が奪われかねません。日本は台風銀座です。それもまた日本文化の1つです。日本を知るとは、こういうことまで含まれているのだと鷹揚に構えることは、当事者となったらやっぱりできないかな。
6月18日(月)
昨日はEJUがありました。Yさんは、この試験で高得点を挙げ、一流大学への道を確かなものにしようと思っていました。去年の4月に入学したYさんにとって、この試験は今までの総決算になるはずでした。しかし、Yさんは午後の試験を放棄してしまいました。Yさんが言うには、会場の放送設備が悪いのか、音源が悪いのか、聴解・聴読解の試験でまともに問題が聞き取れたのは27問中3問しかなかったそうです。Yさんは毎日聴解・聴読解の問題に取り組んでいましたから、多少緊張したとしても全問題中の1割しか理解できないなどということは考えられません。会場で音が聞き取りにくいということをアピールしたのですが、無視されたそうです。もし、このようなひどい環境で試験が行われたことが事実だとしたら、EJUを主催しているJASSOは何をしているのでしょう。
学生たちはなみなみならぬ決意で日本への留学を決意しています。20歳になるかならないかのうちに、人生の中でもかなり大きな決断を下して来日しているのです。いかなることであっても、そういう学生たちの夢や将来設計をぶち壊すようなことは許せません。Yさんは日本に裏切られたという気持ちが強く、今すぐ国へ帰ると言っています。本当に帰国してしまったとしたら、Yさんは日本のファンには絶対になってくれないでしょう。ずっと日本への恨みつらみを言い続けたとしてもおかしくありません。JASSOは、もしかすると、日本にとって力になってくれたであろう人物を、敵に回してしまったかもしれないのです。
もちろん、Yさんの言い分が100%正しいとは限りません。実際どうだったかは今の私にはわかりません。ただ、言えることは、1年余りの付き合いで十分に信頼の置ける学生が、EJUに対してクレームを付けるとともに、日本に対して落胆し、帰国しようとしていることです。Yさんの教室にはかなり大勢の受験生がいたそうです。Yさんと同じような気持ちになっている学生が、ほかにも少なからずいるのではないかと案じています。ただでさえ少なくなってしまった日本への留学生がさらに減ってしまうきっかけになってしまうのではないかという懸念を消し去ることができません。
6月15日(金)
21日の期末テストで今学期は終わりですが、その翌週に、7月1日に行われるJLPTのN1の直前対策講座を計画しています。受講したい学生は私のところへ来るようにとアナウンスしていますが、来た学生の様子を見ていると、なかなかおもしろいものがあります。
まず、堂々と名乗って申し込むタイプ。クラスと名前を告げて、「N1の対策講座を受けたいです」と言ってきます。こういう申し込み方なら全く申し分ありません。こちらも気持ちよく「はい、わかりました。朝9時からですから、遅刻しないようにしてくださいね」と受けることができます。
次は、名乗らずに用件だけ告げるタイプ。「先生、N1の対策講座」という感じで申し込んできます。私が顔と名前を知っているからこれで通じてしまうというところはありますが、こんな言い方を外ではしてほしくありません。していないと信じたいところです。
その下は、上のような申し込み方をした学生にくっついて来た学生です。前の学生が申し込んだ後、「私も…」と言ってお茶を濁そうとします。「私も、何ですか」と問い返したくなります。もちろん、言いたいことはわかりますからコミュニケーションのレベルでは通じているのですが、日本語学校の教師としてはきちんと正しい日本語で申し込んでもらいたいものです。
上級の学生がきちんとした申し込み方をするか、いい加減な申し込み方は下のレベルかというと、そうでもないところがおもしろいところです。だから、N1を取ってもさっぱり話せない人がいるんですね。
まあ、そんなこともありましたが、休み中であるにもかかわらず、かなりの受講者が集まりました。あとは、学生の期待の応えるいい授業をするだけ、いい点数を取ってもらうだけ…。
6月14日(木)
昨年に引き続き、各分野の専門学校の留学生担当の方をお呼びして、専門学校フェアを開催しました。会場には、専門学校に入るために来日している学生から冷やかしの学生まで、多くの学生がやってきました。6月の時点で専門学校進学と言っている学生は、国にいた時から志望校を決めているケースも多いのですが、こういう機会を利用して最新の情報を入手するよう指導しています。自分の目や耳で、バイアスの掛からない生の情報に触れることこそが重要なのです。
大学か専門学校か迷っている学生もいます。それぞれに長所短所があるので、専門学校の話も聞き、来週月曜日に予定されているC大学の進学説明会などで大学とはどんなところなのかを知り、立体的に自分の置かれた状況を把握し、判断していくことが必要です。学生たちは若いですから多少の寄り道は許されるでしょうし、それが人生の肥やしになることもあります。でも、最終的に悔いの残らない判断を下すためには、あらゆる方向から考えを及ぼすことが求められます。
学生たちは、すでに、母国の外で勉強するという大きな決断をしています。それに比べたら、行った先での進学先選びなど、1ケタ小さい問題かもしれません。しかし、学生たちには、日本に留学してよかった、日本で勉強したからこそいい人生が送れた、と思ってもらいたいです。そのための支援の一環として、専門学校フェアやら大学の説明会やら、ひいては受験講座があるのです。日本語学校そのものも、そういうために存在するのだと思います。
専門学校フェアに参加した学生たちは、刷り上ったばかりの最新版のパンフレットや募集要項をもらっていました。その、今、手にしている資料が人生を決めるかもしれないんですよ。心して読んでくださいね。
6月13日(水)
今日、Gさんのクラスでは漢字のテストがありました。1問5点で全部で20問のテストです。Gさんは順調に問題を解いていって解き終わりました。でも、1問だけ書き取りで自信のない問題がありました。なまじ時間が余っていたのがよくなかったのでしょう、Gさんは携帯に手を伸ばしてしまいました。ひらがなを打ち込んだところで、今日の担当のU先生に見つかってしまいました。
授業後、GさんはU先生に呼び出され、こってりと絞られました。「あなたはたった5点のために私たちから得ていた信用をすべて失ってしまったのですよ」とU先生にさとされたGさんは、ずっとうつむいていました。
私が見てもGさんは真面目な学生で、字なんか私よりはるかにきれいで、先週の運動会ではクラス対抗リレーで俊足ぶりを見せていました。Gさんとカンニングというのは最も結びつかない組み合わせでした。でも、そういうGさん像は崩れ去ってしまいました。これからは、どこかに疑いの目を持ってGさんを見なければなりません。
Gさんにしてみれば魔が差したとしか言いようがないのでしょう。KCPの学校内のテストでしたからU先生の説教ぐらいで済みましたが、もし、これが入学試験なんかだったら、一生を左右しかねません。Gさんの行為は、それぐらい重大な意味を持つのです。Gさん自身、それをきちんと感じ取り、同じ過ちを二度と繰り返すことがないようにしてほしいものです。
Gさんの漢字テストは、Gさんが携帯で調べようとした問題を含めて、全問正解でした。100点のはずが0点にされ、私たちからは前科者の烙印を押されてしまいました。大きな犠牲を払ったのですから、それを補って余りある教訓を得てもらいたいです。ある意味、学校なんて失敗を経験するためにあるようなものですから、これを踏み台にして人生の大きな舞台で成功がつかめれば、それでいいのです。
6月12日(火)
今日は日中でも17℃前後で、むしろ夜中より気温が下がりました。最近は開け放たれることの多かった教室の窓も、今日は閉まっていました。お昼に暖かいものを食べに行った先生方も多く、半袖シャツでジャケットも着ないで学校へ来てしまった私は、大いに後悔しました。
そんな梅雨寒の中、EJUまであと5日と迫ってきましたから、学生たちは最後の追い込みに精を出しています。午前の授業直後は自習室が満杯となり、あわてて別の教室を開けたほどです。私が担当している受験講座の理科では、先々週あたりから過去問シリーズとなっており、今日は前回の復習と新しい問題に挑戦しました。学生たちは、いくらかは問題に慣れてきたようで、初めてのときに比べると問題を解く時間が2/3ぐらいになりました。でも、急ぎすぎたHさんはケアレスミスをしたようで、答え合わせの時に勘違いに気づき、盛んに残念がっていました。練習の時には、いくら残念な気持ちになってもいいんですよ。本番で同じ失敗を繰り返さなければ。
今年のEJUは、去年より出願者が2割ほど少なくなっています。これが留学生にとって広き門につながればありがたいのですが、少なくとも上位校ではそうはならないでしょう。去年より出願日を早める大学もいくつか見受けられ、他大学よりも早く留学生を確保しようという大学の考えが見えてきています。そうなると、必然的に6月のEJUの重要性が増してきて、学生たちにはより大きなプレッシャーとなって覆いかぶさってきます。その重圧をはねのけようと、必死で勉強しているわけです。
心を持った人間ですから、上がりもするしミスもします。でも、学生たちのこれからの人生には、このような修羅場がいくらでも待ち受けています。大学で学問を身に付け、大きな仕事をしようと思えば、その仕事の大きさに比例したプレッシャーを受けるものです。今回のEJUなんか、ほんの序の口に過ぎません。むしろ、これを糧に将来の大勝負に備えてもらいたいところです。
6月11日(月)
私がときどき利用する地下鉄M駅の出口の真正面に、5階建てぐらいのビルがあります。その1階がパチンコ屋で、最上階にはデジタル時計が地下鉄駅の出口に向けて設置されています。その時計は、いつ見ても30秒ぐらい狂っています。駅から出てくる人たちに、これ見よがしに時刻を表示しているので、よけいに狂いが目立つのです。私の腕時計は、電波時計ではありませんが、3秒と狂ってはいませんから、何秒狂っているかはすぐわかります。
かつて、といっても30年ぐらい昔のことですが、ヨーロッパを旅行しました。就職する直前で、今で言うところの卒業旅行です。ヨーロッパのいろいろな街を回りましたが、どの街でもビルなどの掲げられている時計が数分狂っていることがとても気になりました。その当時は、まだデジタル時計の数も少なく、街中の時計の数は今に比べたら数分の一でしょう。でも、そのどの時計も正確な時刻を表示しており、ヨーロッパは時計が狂っているから経済がイマイチなんだなんて、まだまだ経済が元気だった日本国民のひとりとして思ったものです。
その後、就職して間もないころ、当時東京駅の構内にあったK証券の店頭にあったデジタル時計がいつも2分遅れていました。この証券会社は信用できないなと思っていたら、バブルがはじけた直後ぐらいにこの支店は消えてしまいました。K証券自体も、業界再編の荒波に飲まれ、M証券の一部になっているようです。
90年代以降、日本経済が衰えるにつれて、街中に狂ったデジタル時計が増えてきたような気がします。冒頭にM駅正面のパチンコ屋の例を挙げましたが、今では、むしろ正確な時計を探すほうが難しいような気がします。街中の時計の正確さとその国の経済の強さは比例する……のかどうかわかりませんが、少なくとも日本はそうであるように思えます。
確かに、デジタル時計が一般化するとともに、時刻を合わせるのが面倒に思う人まで街中に時計を掲示するようになりました。だから、狂った時計が増えるのは当然のことかもしれません。でも、かつての日本は、良くも悪くも1分1秒を惜しんでいました。それはゆとりのない暮らしだったかもしれませんが、伸びゆく社会の活力のようなものがありました。現在の日本は、ゆとりは生まれたもののどこか投げやりなところがあるのではないでしょうか。
昨日は時の記念日でした。M駅前のパチンコ屋の時計は、37秒進んでいました。私は正午の時報で秒針まで合わせました。
6月8日(金)
綱引きのせいかどうか知りませんが、太ももの内側が痛いです。一晩寝たくらいじゃ、体中の疲れが抜け切りません。派手に飲んだ学生もいたようですが、午前の授業も出席はいつもとあまり変わらなかったようです。
運動会は運動会として、受験生はEJUまであと9日です。そっちのほうに全神経を集中してもらわねばなりません。今日は物理と化学の受験講座がありました。先週行った理科の模擬試験のフィードバックと、過去問のタイムトライアルをしました。理科の場合、80分で2科目をしなければなりません。ですから、それぞれの科目に何分時間を割くかが大きな問題です。その感覚を養ってもらおうと思っています。
毎週金曜日の受験講座の終了時に、W大学に進学したOさんに来てもらっていますが、ここのところ質問の学生が多くて、大繁盛です。Oさんは受験講座の教科書をボロボロになるまで読み込み、過去問にも何度も挑戦し、努力でW大学合格を勝ち得たのです。そういうOさんから直接受験勉強の体験談も聞けるのですから、学生たちが寄って来るわけです。今の学生に、Oさんの努力の跡を少しでも感じ取ってもらおうと思っています。そして、この努力の跡を後輩に伝えていくのがKCPの伝統になれば、勉強したい学生が集う学校に成長していけると信じています。
運動会は運動会として、日ごろの鬱憤を思い切り発散し、それが終わったら大きな目標に向かって邁進する――そういうメリハリのある生活ができることも、受験戦争で勝利するために必要な条件だと思います。
6月7日(木)
今日は運動会。去年は行いませんでしたから、2年ぶりの開催となります。前回は屋外のグラウンドでしたが、今回は、新木場駅から徒歩数分の夢の島公園内にあるBumB東京スポーツ文化館です。
新木場駅から北に向かって歩き、湾岸道路の高架橋をくぐると、スカイツリーが見えました。直線距離で約7kmですから見えて当たり前なのですが、意外なところから見えちゃってラッキー、という感じがしました。
開会式の後、ラジオ体操で準備運動。おととい・昨日の2日間、授業の最後に練習しているのですが、学生の動きはどこかぎこちないものがあります。学生たちの国にはこのようなものはないのでしょうね。こういう、体をほぐす国民的体操があるのも日本ならではなのかもしれません。昨日入ったクラスでは、ラジオ体操しているところを写真に撮られたほどです。
教室では冷ややかな目で見ていた学生も、競技が始まるとかなり熱くなっていました。全力で走り、顔を真っ赤にして綱を引き、「チーム」をどれだけ意識していたかはわかりませんが、「勝ちたい」という意識だけはひしひしと感じられました。私は1日中主審をしていましたが、学生たちの熱気に押されっぱなしでした。
体育館ということでバスケットのリングがあり、昼休みにドリブル&シュートコンテストをしました。男子は40名近くがエントリーし、予選上位5名が決勝に進みました。いやぁ、この5名はみんなすばらしかったですね。4つのリングにシュートを決めながら体育館を1周する時間を競ったのですが、コンマ何秒かの争いでした。文字通り手に汗握る戦いでした。
今回は、最後の最後にサプライズがありました。教師が赤白に別れての綱引きでした。ずいぶん長い間引っ張り続けたような気がしましたが、実際には30秒ほどなんでしょうね。私のチームが勝つには勝ちましたが、両チームとも、余力は全く残っていませんでした。学生たちは3回戦までやったのですから、いや、大したものです。感心しますよ。
無事全競技を終え、後片付けも済ませて体育館の外に出ましたが、新木場駅までの足取りはとても重かったです。これから打ち上げに繰り出すという学生たちは、やっぱり若いんですね。
6月6日(水)
明日の運動会の準備でばたばたしているころ、この3月に卒業したCさんとHさんがひょっこり現れました。ビザを更新するのに必要な書類を申請に来たそうです。6月末までのビザを持っている学生が多いので、この時期は書類申請に来る卒業生が目立ちます。
CさんはA大学、HさんはT大学に進学しています。3か月目に突入した大学生活の様子を聞いてみると、けっこう大変なようです。A大学もT大学も名の知れた大学ですから、授業だってレポートだっていい加減なもんじゃありません。授業は教授の日本語を聞き取りノートを取るのが一苦労で、それをまとめ、考察を加えてレポートにするのがさらに大問題だそうです。だから、必死で日本人の友達を作ったという、喜んでいいのか悪いのかよくわからない状況に立ち至っています。
日本の大学に留学するということは、日本人の学生に伍して勉強していくということです。入学するまでに身に付けた日本語力が物を言う世界です。CさんもHさんも、私の目から見れば、KCPにいるうちにもっともっと日本語の力を伸ばせたと思います。そこそこ有名なA大学やT大学に受かったことで安心してしまった面がなかったとは言えません。でも、大学に受かることが日本語学習のゴールではないのです。進学先で不自由しないだけの日本語力をつけることが、日本語学校で最低限やっておくべきことです。大学の教科書を読むこと、教授の講義を聞いて理解すること、しっかりした意見を持って発言すること、そういったことを総合してレポートという形でまとめること、つまりは、読む・聞く・話す・書くの四技能すべてに磨きをかける時間が、日本語学校での学生生活なのです。
EJUまで1週間ちょっとですから、今の学生たちにはそれどころではないかもしれません。でも、留学生活全体を俯瞰して、今の自分の立ち位置を確認しながら前進してもらいたいと思います。
6月5日(火)
Jさんは先週1週間ずっと学校を休みました。授業後に学校から電話をかけても出ませんでした。一体どうなってしまったのかと思って、先週末にJさんの家を訪問しました。
Jさんは体調を崩して寝込んでいました。私たちは昼間からずっとアルバイトをしているのではないか、それどころか悪い仲間に捕まって学校に行こうにも行けなくなってしまったのではないかなど、いろいろと心配しましたが、そういうことではありませんでした。
「来週からは必ず学校に出てくること」と約束して、先週末は別れました。そして、昨日。Jさんは朝から教室にいました。出席を取ると、ごく普通に返事をしました。授業中も指名すれば答えるし、友達とも以前のように話していました。授業が終わると、これまた普通に帰っていきました。今日も、昨日と同じように授業を受けて帰っていったそうです。
以前のJさんに戻ってくれたのはありがたいし、そういうJさんを何事もなかったかのように受け入れてくれたクラスの学生たちも暖かく広い心を持っていると思います。でも、ちょっと違うんじゃないでしょうか。あまりにも何もなさ過ぎます。
Jさんは、家にまで学校の職員に押しかけられるほど心配されていることはわかっているはずです。それにもかかわらず一言の挨拶もなしに帰っていくのは、明らかにおかしいです。Jさんには照れくさい気持ちがあったことでしょう。こっぴどくしかられると思ったのかもしれません。それでも、そういう気持ちを抑えて心配を掛けたことに対して、一言挨拶があってしかるべきだと思います。
これを、単に文化や国民性の違いで片付けたくはありません。もっと根本的なところでの教育をしなければならないと思います。周りの人を忖度する力がないのだとしたら、コミュニケーション力において重大な問題をはらんでいると言っていいでしょう。このままでは日本社会では相手にされないに違いありません。
Jさんのような学生が増えているような気がしてなりません。「根本的なところでの教育」をどんな形でしていくのか、真剣に考えねばなりません。
6月4日(月)
今日は虫歯予防デー。食後に歯を磨き、デンタルフロスで歯と歯の間の汚れを取っているのですが、つい先日、口の中のできものを見てもらったときに、虫歯も見つかりました。口の中のできものは、たぶん良性のポリープだろうということですが、念のため大学病院で見てもらったほうがいいとのことでした。虫歯は、かつて治療したところの脇がやられしまいました。
わたしの母方はみんな歯がガタガタで、母も総入れ歯だし、伯父伯母祖父母もそうでした。私にはそういう歯が弱い血が流れています。ですから、歯には特別の注意を払っています。3か月ごとに歯科検診を受け、フッ素を塗ってもらっていますが、それでもやっぱり虫歯を防ぐのは難しいです。歯周病も進んでいるので注意したほうがいいと言われてしまいました。
総入れ歯になった母方の親戚は、みんな異口同音に、食べられるものの範囲が狭まると食事の楽しみが減ると言っています。私はグルメではありませんが、普通の食べ物を普通に味わいたいと思っています。だから、総入れ歯になるきらいのある遺伝子に打ち勝つべく、歯は大切にしていきたいです。80歳になっても自分の歯を20本以上維持しようという「8020」を実現したいです。80歳までにはあと30年近くありますから、今から虫歯だ歯周病だなどとは言っていられません。
虫歯はしばらく治療を続けることになりましたが、ポリープは虫歯の治療が一段落したら手を付けようかと思っています。このできものは冬頃からありましたから、大したことないと思っていました。でも「ポリープ」などと言われると、何だか大げさなことのように思えてしまいます。
年をとるということは、こういう体のあちこちのガタと上手に付き合っていくことなのだと思います。去年指摘された緑内障とこのポリープと、8020が実現するまで仲良く共生していきます。
6月1日(金)
6月に入った今日から、大阪府泉佐野市の市名の命名権(ネーミングライツ)購入受付が始まりました。「泉佐野」という市の名前を売って、財政赤字解消の一助にしようというものです。各方面からの情報を総合すると、数十億円規模の商談になるようです。私はどうも好きになれませんね。
味の素スタジアムや京セラドームなど、私有の施設やハコモノだったら許せる範囲だと思います。しかし、市の名前は極めて公的なものです。そういったものに名を自分の名を冠したその機関の良識も疑いたくなります。確かに、愛知県挙母(ころも)市が豊田市になったのはトヨタ自動車の影響が強いです。でも、そこはまさにトヨタ自動車の企業城下町であり、その名を冠したとしても「名は体を表す」と言えないことはありません。そうなると、百歩譲って泉佐野に許されるのは関西空港だけでしょう。そんなのとは全然関係ない「大阪府KCP市」なんてなったら、大阪のどこにあるのかもわからなくなるし、地域とのつながりも切れてしまうし、その土地の歴史からも浮いた存在になると思います。
ネーミングライツ以前に、いわゆる平成の大合併で生まれた自治体のなまえにも変なのがあります。私が一番好きになれないのは、愛媛県「四国中央市」です。四国を東西に貫く高速道と南北を結ぶ高速道の交点になっているから「四国中央」なのだそうです。私は「川之江」「伊予三島」という合併前の市名のほうが好きですし、採集候補にも残っていたというこの地方全体を指す宇摩(うま)のほうが市名としてはふさわしいと思います。
それでも、四国中央なら長い年月のうちにその土地に根付いて親しみを感じるなまえになる可能性は残されているともいます。土佐市、加賀市など旧国名に由来する市名が定着しているのと同様に考えることができます。しかし、「大阪府KCP市」は無理でしょうね。
そもそも、市が関空に過大な期待を抱き、お金を使いすぎたことが今回の命名権売却の発端です。その穴埋めを、こんな一発勝負のようなことでするのは、やっぱりどうかしていると思います。
5月31日(木)
漢字の時間に「天然」という言葉が出てきました。これに鋭く反応したのがZさん。「テレビで使ってる天然って、バカっていう意味ですよね」と聞いてきました。
バカとも少し違うんですよね。T大生でも天然の人ってたくさんいますから。要するに自分のペースで生きてる人、他人(一般人)の基準とずれていても気にしない人、そういうことを全く感じていない人のことをいいます。
そういう意味では、Zさんも十分に天然です。自分のことしか見えていないから、授業の流れとは関係ない質問もしてきます。こちらの都合はお構いなしに、いろんな相談やら質問やらをしにくることもよくあります。中級なんですから、「先生、お時間よろしいですか」ぐらい言えて当然です。
しかし、今学期はそういう天然はZさんだけではありません。WさんもJさんもPさんもみんな、突然私のところへやってきては長い時間を奪い去ったり、20分の約束が1時間20分になってもあんまり悪びれた感じでなかったり、言いたいことだけ言ってこっちの言うことには耳を貸さなかったり、自分の聞きたいアドバイスを耳にするまで動かなかったりなどなど、ありとあらゆる方向から、さまざまな形で襲い掛かってきます。おかげでどうも今学期は仕事の進みが遅いです。
学生の気持ちがわからないわけではありません。でも、明らかに他の学生と話している最中に無理やり割り込んできたり、「悪いけど今日はここまで」といってきりのいいところで話を切り上げてもさらに粘ったりといった学生を目の当たりにすると、本当に自分のことしか考えていないんだなあと思わせられます。
今日のZさんの場合も、要するに、自分は教科書に載っている以外の「天然」を知っているんだぞ、というある種の自己顕示欲からの反応です。まあ、3回に1回ぐらいなら付き合ってあげてもいいでしょう。でも、今学期は会話の時間に周りの人を不愉快にさせない会話術を取り上げているのですが、そちらの定着がまだまだという点は、教師として反省させられます。
5月30日(水)
このところ、毎日のように学生の進路に関する面接をしています。WさんのようにD大学で社会学を勉強するという明確な目標を持っている人もいれば、Yさんのようにとにかく大学進学という目標が定かでない人もいれば、Gさんのように音楽大学に行きたいけど年間200万円からの学費の心配をしている人もいれば、Zさんのように2年計画の人もいれば、…という具合に、まさに千差万別です。
今日面接したTさんは、K大学に進学したいといっています。K大学はいわゆる超有名校・難関校ではありません。6月のEJUの前は、とかく学生たちは夢を見がちですが、K大学はTさんの実力からすると順当な目標だと思います。今のTさんの力のまま受けたら確実に受かりませんが、かといってこれからどんなに努力しても手が届かないような大学でもありません。これから計画的にきちんと勉強していけば十分可能性があります。そういう意味で、Tさんはいい大学に目をつけたと思います。
Tさんと一緒にネットで調べたら、K大学は今週末にオープンキャンパスを開くことがわかりました。必ず行って、大学の詳しい話を聞いたり入試の資料をもらったりしてくるように指示しました。TさんのEJUの受験会場もK大学ですから、その下見も兼ねて、行ってみることにしたようです。
受験生全員がTさんのような堅実な選択をしてくれれば教師はだいぶ楽なのですが、夢しか見ようとしない学生に毎年悩まされます。6月のEJUの成績が出るまでは荒唐無稽な志望校でも「がんばれ」と言ってやりますが、成績が出たら現実的に対応します。夢しか見ていない学生には、「眼を覚ませ」とも、「バカじゃねーの」とも冷たく言います。引導を渡すのも教師の重要な仕事ですから。
好きで引導を渡すわけではありませんが、今年も何人かの学生を泣かすことになるのでしょうね。Tさんがそのメンバーじゃないことは確かだと思いますが…。
5月29日(火)
今年の3月に卒業したLさんが顔を見せてくれました。今年は志望校に入れなかったので、現在専門学校に通っていて、来年こそはと勉強に励んでいます。
Lさんはいい学生でしたが、中だるみがありました。初級で入学、し一生懸命勉強していましたが、中級の時に遊んでしまいました。多少遊んでも学校の授業にはついていけるくらいの力を持っていたことが、逆に災いしたと言えます。ゲーム三昧の日々を送り、気がついたら6月のEJUが目前に迫っていました。
上級に進級してから気を入れ換えて勉強し始めましたが、本気になるのがちょっと遅かったです。結局、残念ながら志望校には手が届かず、妥協もしたくないということで、専門学校に進学して捲土重来を狙っているのです。
Lさんのように、悪魔の誘いに負けて遊びに走ってしまう学生が毎年出てきます。私が若かったころは、東京という街が発散する誘惑に負ける人が多かったのですが、現在は街ではなくコンピューターが魔手の元になっています。ですから、東京のような大都会ではないところでも東京と変わらぬ刺激を感じ、初志貫徹が難しい環境になってしまいました。
Lさんは、たまたま職員室に来ていた同国人のGさんに国の言葉で自分の体験を語っていました。Gさんは中だるみというより自分自身に伸び悩みを感じている学生です。悩みの質はちょっと違いますが、2人はずいぶん長い時間話していました。成功した先輩の体験談よりも、志を遂げることのできなかった先輩の失敗談のほうが胸に響くのかもしれません。
LさんががんばりすぎるとKCPの学生が大学に入れなくなってしまうかもしれませんが、そんなせこい考えは捨てて、気分一新頭を丸めたLさんには夢をかなえてもらいたいと思っています。
5月28日(月)
3時ごろ、受験講座をしていたら、音を立てて雨が降り出しました。学生たちの注意もそっちへ行ってしまい、授業どころではありませんでした。かなりの雨量だと思ったのですが、降っていた時間が短かったこともあり、気象庁の記録ではせいぜい10ミリ程度でした。
雨が降り出したときに学生たちに聞いてみたところ、ほとんどの学生が傘を持って来ていませんでした。今日は天気予報でも一雨降ると言っていましたから、家を出る時に折り畳みぐらい手にするのが当然だと、典型的な日本人である私は思います。でも、学生はそもそも天気予報など見ないかもしれませんし、ザーッと来る雨の強さが実感できないのかもしれません。だから、突然降り出した強い雨に不安を感じ、ざわついたのでしょう。
私は、鞄の中にいつも折り畳み傘を入れています。天気予報によって入れたり出したりしません。朝から雨が降っていたら、折り畳み傘を差して通勤します。だから、いつ雨が降ってきても、少なくとも傘はありますから、ぬれねずみになることはありません。
東京は、一年に約100日雨が降ります。つまり、1週間に2日ぐらい雨の日があることになります。この計算から、私は、天気予報に合わせて傘を出し入れする手間を考えると、入れっぱなしにしておくほうが合理的だと思っています。もちろん、傘は軽くて丈夫なものを選んでいます。先日のバザーで買った傘も、そのライン上にあります。
学生の出身国の多くは、日本より雨が少ないです。それゆえ、雨に戸惑う気持ちもわからないでもありません。でも、日本は雨が多くて傘は必需品だということも、学生たちが知りたがっている日本の文化の一つだと思います。にわか雨、春雨、時雨、夕立、狐の嫁入り(今日の雨もやむ間際には狐の嫁入る状態になりました)、日本の雨にはいろいろななまえがあります。魚の名前の多さとともに、日本人の自然に対する姿勢を表すものだと思います。
5月25日(金)
6月7日の運動会の種目説明をしました。リレーや綱引きなどの運動会の定番競技に加えて、KCPオリジナルの種目もあります。種目の説明を聞き終わるとPさんが「先生、やることが子どもっぽいです」とストレートな感想を。それに同調したLさんが「先生、ドッジボールをしませんか」と提案。
まあ、お二人の気持ちはわからないでもありませんが、ドッジボールには苦い経験があります。選手たちが異常に熱くなるのです。「男性は左手(利き腕でない手)で投げること」なんていうルールもどっかへ吹っ飛んでしまいます。教師もコントロール不能で、無法地帯と化してしまいます。授業中一言もしゃべらないような学生に限って、ボールを握るや鬼のような形相になり、相手チームの選手に親の仇のごとくボールをぶつけまくるものなのです。そんなわけで、球技は鬼門です。
女の学生だって、競技となると底知れぬパワーを表に出し、こちらがようもしなかった展開に持ち込みます。用意した小道具をすべてぶっ壊され、競技続行不能に陥ったこともありました。その時は、女性の先生ですら「女って怖いね」とおっしゃっていました。
でも、そういうふうに普段はうかがい知ることのできない学生の側面が見えてくるのが、運動会のような行事のいいところです。今日のクラスでも、いつも不機嫌そうな顔をしているEさんが、運動会の説明の時には実に朗らかな笑顔をしていました。Eさんは運動会で活躍してくれるんじゃないかと密かに期待しています。いずれにしても、運動会までそんなに時間がありません。これからバリバリ盛り上げていかなければ。
5月24日(木)
夕方、私のクラスのHさんと一緒に住んでいるおばさんが学校にいらっしゃいました。おばとして預かっているHさんのことが心配で学校での様子を知ろうというのが第一の目的です。Hさんは大学進学を希望していますが、そのためには家でどんな生活を送らせればよいかという相談まで受けました。
Hさんは先週の中間テストの成績もよく、学業上は問題ないのですが、ときどき遅刻するのが気になっていました。そこで、「Hさんはちょっと遅刻が目立ちますね」と報告したら、おばさんは大変驚いていました。「一緒に住んでいらっしゃるのでしたら、Hさんの生活リズムを整えてあげてください」とお願いしました。
親戚と一緒に住んでいる学生は決して少なくはありませんが、Hさんのおばさんのように預かっている子どもを心配して学校まで来てくださる方はほとんどいません。よく言えばその学生を信じているのでしょうが、放任というのが実態に近いのではないかと思います。Hさんもそうですが、高校を出たばかりぐらいの若い人たちは、まだまだ大人になりきれていませんから、世間を知っている人がそばにいてくれると心強いです。「心強い」とは、本人もそうでしょうし、学校としてもそうなのです。Hさんのおばさんのようにしっかり監督していこうという親戚は、遊びたい盛りの学生本人にするとちょっとうるさく感じるかもしれませんが、手綱を引き締められるくらいでちょうどいいのです。それが後々のためです。
おばさんにいろいろとお願いをした手前、こちらもいい加減な指導はできません。おばさんからも期待を寄せられていますから。Hさんの豊かな才能をいかに伸ばしていくか、私も大きな宿題を背負いました。
5月23日(水)
Tさんはレベル1の学生です。入学の時のレベルテストでそう判定されたのですが、自分はJLPTのN3を持っているから一番下のレベルではないと言い張ります。正確には、そう言いたいのだろうと私は推測しています。私にはTさんの話している言葉が半分ぐらいしか理解できませんから、心の耳で推測するしかないのです。留学生の下手くそな日本語を聞き慣れている私ですら半分なのですから、普通の日本人なら全然わからないでしょう。私に言わせれば、Tさんは日本語でのコミュニケーションがほとんどできていません。Tさん自身も発話に問題があることは自覚しているようですが、その問題を軽く見ています。
Tさんは来年の4月に大学に進学しようと思っています。しかし、今のTさんの発話力では、面接試験は絶対に通りません。断言できます。確かにTさんは普通のレベル1の学生に比べて難しい文法を知っています。私がレベル1では勉強しない文法を使って話しかけてもそれを理解しています。しかし、Tさんの話す言葉はめちゃくちゃです。文法も発音もイントネーションも、こんなにひどくてクラスの授業についていけてるんだろうかと心配になるくらいです。だから、面接試験なんてとんでもないのです。EJUの成績だけで合否が決まる大学なら合格の目もあります。でも、Tさんが言ってきた志望校はそういう大学ではありません。
Tさんは上のレベルで難しい日本語を勉強すれば自分の日本語力は伸びると主張します。しかし、管見ながら、そんな学生に出会ったことはありませんし、基礎もないのにやぐらを組んだら崩れ去るに決まっています。あとで担任の先生にお聞きしたら、筆記試験の点数も80点ぐらいで、レベル1にしてはいいとは言いかねる成績です。早く大学に入学したい気持ちは理解できますが、どうして現実を知ろうとしないのでしょうか。どうして自分だけ特別だと思いたがるのでしょうか。
お預かりした学生は、可能な限り希望をかなえさせてあげたいです。それが私たちの責務です。でも、そのためには学生の協力も必要です。Tさんは担任の先生と授業前に発話練習をする約束をしたそうですが、いつの間にか来なくなってしまったとのことです。嫌なことは避けて通る――これでは夢は実現しません。大学進学に限らず、世の中そんなに甘くはありません。Tさんとは長い闘いになりそうです。