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KCP校長ブログ

  KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。

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地方はいいよ

2月23日(木)
 お昼過ぎ、去年福島大学に進学したCさんが来ました。もうすっかり福島の人間になり、自分の国を自慢するかのように福島をアピールしていました。「赤べこ」と「三春駒」という福島の民芸品をお土産に持ってきてくれました。
 去年、あのような災害に見舞われた福島には、以前にもまして県民こぞって福島をよくしていこうという意気込みを感じていました。半年ぶりに訪れてくれたCさんを見て、まさにそのとおりだと思いました。また、福島の人たちや、大学の同級生や先輩・先生方にかわいがられていることもよくわかりました。それから、国の言葉を使うことがほとんどないため、日本語が驚くほど上達しています。Cさんは心の底から福島大学に進学してよかったと思っているようです。このままいくと、就職も福島でとなるかもしれません。
 去年の3月11日以降の状況で、福島に住むというのは勇気のいることだったと思います。大きな決断を要したことでしょう。しかし、福島での1年間の生活は、Cさんの勇断を歓迎するかのごとく、中身の濃い日々だったようです。大学の内外で、充実した得がたい経験をしていることがCさんの顔に書いてありました。震災の後だったからこそ送ることのできた生活だったとも言えるでしょう。
 東京を離れたことで、Cさんは何物にも代えがたいすばらしい経験を手にしました。同時に、東京を客観的に見る目も持つようになったと思います。それは、日本という国を立体的に捕らえることにつながります。そういう視点を持てば、Cさん自身の国を同じ目で見ることができるようになるということです。やはり東京を離れることが決まっているSさんが、うらやましそうに見ていました。
 KCPの学生は多くが東京を離れたがりませんが、東京を離れればこそ得られる収穫もあるのだということに気付いてもらいたいです。

  • 2012年02月23日(木)18時28分

夜中の道路工事

2月22日(水)
 最近、よく道路工事に出会います。昨日の夜から今朝にかけては、KCPのすぐ近くの道路を通行止めにして、水道工事か何かをやっていました。先週は学校の前の道路をほじくり返して、下水工事をしていました。私の家の近くでも、舗装のやりかえやら橋の塗り直しやら、あっちこっちでドタバタやっています。工事に携わっている方々は、この寒空の下、さぞかし大変なことでしょう。
 これらの工事が、よく言われるような年度末の予算消化のためだとしたら、腹立たしい限りです。どの自治体も財政難の折、予算を余すことは、美徳にこそなれ、決して責められるような行為ではないはずです。
 予算消化の工事をしないと建設会社にお金が回らず、困る人が出てくる――のだとしたら、この国の形がどこかおかしいのだと思います。不必要な消費、無駄遣いを前提としてこの国の経済が成り立っているのだとしたら、それを改めない限りこの国の再生はないでしょう。もちろん、全国民が一銭も無駄遣いをしなかったら、この国は実に味気ない国になってしまうでしょう。だから、無駄遣いを全面的に否定するつもりはありません。
 昨年末、KCPの学生のHさんから学校にお歳暮が届きました。アルバイト先のコンビニの全従業員に課せられた、お歳暮のノルマをこなすために、苦肉の策として学校にお歳暮を送ったようです。そのコンビには業績がいいとされています。日本に知り合いが多いとは思えない外国人アルバイトにまでお歳暮のノルマを負わせた上での好業績だとしたら、それはいびつなものだと思います。無駄遣いを強要しているようなものです。いや、アルバイトの給料を強制的に取り上げているようなものです。
 こういう社会のあり方、国の形を根本から改めることこそが、今、この国に課せられた喫緊の課題です。しかし、官も民もそれに真正面から取り組もうとはしません。日本語学校もそうだったかもしれません。しかし、去年の地震と原発事故で留学生が激減し、課題を突きつけられました。麻酔なしの手術を受けない限り生き延びられないことに気づき、渋々とかもしれませんがようやく覚悟を決めました。
 KCPもその例外ではなく、新たな飛躍のために手を打ちつつあるところです。ご期待ください。

  • 2012年02月22日(水)17時55分

穏やかな日の光

2月21日(火)
 今日は気温が平年を2度ほど上回り、風も穏やかで、暖かさを感じる1日でした。2月になってから最高気温が平年を上回ったのが、今日で4日目です。正直言って、今までに3日もあったのかというくらい、今年の2月は寒く感じています。
 日中、ちょっと学校の外に出ましたが、コートなしで歩けました。快晴の青空からは陽光が降り注いできて、まぶしいくらいでした。昨日のこの稿では寒いとぼやいていたのですが、今日は光の春を存分に味わうことができました。
 新宿御苑まで行けば春を感じさせてくれる花や木の芽などに出会えるのでしょうが、至近距離にいながらそういう機会はなかなかありません。季節を感じると言えば、たまに外に出た時の風のぬくもりや冷たさ、見上げた空の色や輝きぐらいでしょうか。
 以前は通勤電車から見える木々の色で春を感じたものですが、今は地下鉄通勤ですから、それもかないません。日本語教師を始める前は、瀬戸内沿岸の町に住んでいましたので、海の色や島影がなんとなくぼやけてくると、春だなと感じたものです。
 ただ、食べ物では季節を感じています。私は柑橘類が好きですから、秋の入口ぐらいに真っ青なみかんが出ると、多少高くても真っ先に買います。年末になって八朔が出始めるとそれに乗り換え、甘夏が現れるとそれに飛びつきます。今年は、甘夏が店頭を飾り始めたのが、例年より遅いように思います。寒さの峠が高くそびえていたからなのでしょうか。
 来週の金曜日はバス旅行です。今日から各クラスで準備を始めました。今日のような穏やかな日和になってくれたらいいですね。

  • 2012年02月21日(火)19時04分

認定試験に向けて

2月20日(月)
 2月も下旬になろうというのに、寒い日が続いています。日没は冬至のころと比べて1時間ほど遅くなりましたが、いっこうに暖かくなる気配がありません。今年は春の歩みがとりわけ遅いようです。
 そうは言っても、学校のほうは卒業式に向けて、着々と進んでいます。先週木曜日が中間テストで、卒業生には卒業認定試験の一部を兼ねており、今日はその追試日でした。私のクラスでは、Oさん、Zさん、Mさんが追試を受けなければならなかったのですが、Zさんは欠席、Mさんは教室に顔を出しましたが、授業が終わるや姿を消してしまいました。結局、追試を受けたのはOさんだけ。そのOさんも、追試は明日じゃダメかなどとさんざんごねたあげくの受験です。大学に入ってからも試験は続くのに、たかが日本語学校の試験でこんなことでは、先が思いやられます。
 欠席のZさんは、これで自動的に「卒業」ではなく「修了」が確定しました。「卒業でも修了でも関係ない」と言っている学生に限って、いざ卒業式で「修了証書」をもらうと、友人の「卒業証書」と見比べて、大いに後悔するものなのです。中には逆ギレして、「なんで自分だけ修了証書なんだ」と食ってかかる学生もいました。KCPは卒業証書にはそれなり以上の重みを持たせています。努力の伴わない学生には、卒業証書は渡しません。
 卒業証書は、この学校に在籍した期間にある仕事を成し遂げたということを証明する書類、がんばってきた結果を表す書類ですから、いい加減には発行したくはありません。ですから、みんなに卒業証書をもらってもらいたいのはやまやまですが、基準は必要以上に緩めることはしません。
 卒業生にとっては運命の分かれ目(?)の卒業認定試験は今週金曜日です。私たちは全力で卒業できる授業をするのみです。

  • 2012年02月20日(月)18時33分

Pさんからの手紙

2月17日(金)
 受験講座と面接練習をして職員室に戻ってくると、机の上に手紙が置いてありました。封筒にはPさんの名前が。Pさんは、去年の4月期に初級で教えた学生です。その後、10月にお菓子の専門学校を受け、合格しています。そういうわけで、Pさんは来月KCPを卒業します。
 手紙には、4月から専門学校に進学するという報告と、受験の直前にした面接練習のお礼が書かれていました。きれいな便箋に丁寧な字で、しかも日本語の間違いがありませんでしたから、下書きをして推敲して、じっくり時間をかけて書いたことがうかがわれます。
 私のクラスでなくなってからも、廊下などで顔を合わせるたびに声をかけていましたから、Pさんとしては卒業前にひとこと言っておきたくなるような気分だったのでしょう。一度クラスで持つと、その学生が卒業するまでずっと気にかかるものです。特に初級の学生の場合は、学生の成長を横目で見ていくことになりますから、その成長が楽しみでもあります。Pさんは、カンが鋭い学生ではなく、授業の時に教師の話を真剣に聞き、一つずつ積み重ねていくタイプの学生でしたから、ちゃんと伸びていってくれるだろうかと気になる学生でした。そのPさんから手紙をもらい、卒業に値する学生に成長してくれたことが実感できました。
 昨日はOさんの不義理の話を書きましたが、今日はちょっといい話ができて、うれしいです。

  • 2012年02月17日(金)20時35分

受かったの?

2月16日(木)
 Oさんは、最近、K大学とN大学を受けました。受験日の直前に面接練習もしています。もう合格発表があったはずですが、受かったとも落ちたとも言ってきません。昨日はOさんのクラスの授業でしたから授業後に話を聞こうと思っていたところ、いつの間にか消えていました。今日は中間テストの試験監督でOさんのクラスに入ることになっていたので、今日こそ捕まえようと思っていました。ところが、最後のテストの答案用紙の枚数を確認している間にいなくなってしまいました。
 Oさんは、作文のテストを提出した後でK大学の書類を見ていたので、おそらくK大学には受かったのでしょう。N大学はK大学より入りやすいと言われていますから、こちらも受かっている可能性が高いです。しかし、Oさんは、担任のK先生にさえ報告した形跡がありません。恩着せがましいことを言うつもりはありませんが、さんざん心配をかけたのですから、結果はどうであれ、報告があってしかるべきだと思います。
 困っている時に利用するだけという態度は、人間として信用されません。Oさんの母国でも同じだと思うのですが、どうなのでしょう。でも、最近はOさんのような学生が増えているような気もします。Fさんも、願書を書くときに手取り足取り指導したのに、こちらが問い詰めるまで合格したことを知らせてくれませんでした。
 私は、学生たちは日本語学校を踏み台にして、日本留学で人生の成功へのきっかけをつかんでくれれば、それでいいと思っています。日本語学校の教職員はそのために存在すると言ってもいいでしょう。でも、利用しっぱなしというのは、人間性に欠けているところがあるんじゃないんですか、とも言いたいのです。それを教えるのも、私たちの役割なんでしょうかね。

  • 2012年02月16日(木)18時51分

充実した留学生活

2月15日(水)
 明日の中間テストの準備をしているところに、去年の卒業生のHさんとLさんが来ました。Hさんは千葉から、Lさんははるばる神戸からです。2人とも元気そうで、大学生活を楽しんでいるのがよくわかりました。
 神戸の大学に進学したLさんは、言葉の端々に関西ことばが混じるようになり、地元に定着していることがうかがわれました。芸術系の大学なので制作に追われているのですが、それが楽しいのだそうです。スタジオで日本人の学生と一緒におしゃべりしながら課題に取り組んでいると、時間を忘れてしまうみたいです。作品の写真をいくつか見せてもらいましたが、思わずうなってしまうようなすばらしさでした。また、ちょっぴり自慢げに作品を見せるLさんの表情が、実に生き生きとしていました。行きたくて行った大学で、したくてたまらなかった勉強をしていることがよくわかりました。
 自分の作品について日本語で説明しようとする時に、日本語力が足りないことを感じさせられると言っていました。確かに、それは単に文法や語彙を知っていればいいという問題ではなく、自分の思いを相手に伝える表現力であり、コミュニケーション力であるのですから、JLPTのN1レベルなどというのとは別の次元の話です。
 そういうLさんの話を聞いて、私は芸術系志望の学生に対して行ってきた指導が決して間違っていなかったと確信できました。自分の作品のモチーフ、それを作るのに苦労したところや工夫したところ、それに込めた思いなどを語ることが、芸術系の学生には求められるのです。
 そんなふうにして鍛えられたからでしょうか、Lさんの日本語は1年前に比べて格段に進歩していました。芸術上の議論ができるからこそ日本人学生と友達になれるのです。コミュニケーションが取れるからこそ、関西ことばを覚え、神戸の中心部でアルバイトができるのです。今年は夏休みも制作に励むと言っていました。本当に充実した学生生活を送っているのでしょうね。
 今年の卒業生の1年後はどうなのでしょうか。Lさんのように全身で留学生活をエンジョイしているような学生になっていてもらいたいです。

  • 2012年02月15日(水)20時23分

チョコに想う

2月14日(火)
 今日はバレンタインデー。ご多分に漏れず、KCPでも校内にチョコレートが飛び交っていました。私のところにもいくつかチョコレートが飛び込んできました。義理チョコ、絆チョコとわかっていながら、やっぱりうれしいものですね。
 バレンタインデーが一般化したのは、私が中学のころからでしょうか。そのころは義理チョコの類いは一切なく、本命チョコだけでした。もちろん、私には縁はなく、きれいに飾られたチョコレートをもらっている友達を、うらやましそうに眺めていただけでした。
 就職してからは義理チョコをもらうようになりましたが、今どきの職場では、義理チョコもかつての勢いがないそうです。友チョコとか自分へのご褒美チョコとかが最新流行なんだそうです。義理チョコ華やかなりしころは、バレンタインのチョコが形を変えたお歳暮になるんだろうかと思っていました。でも、その予測は外れだったようです。わけわからんオッサンなんかにあげるより、仲間内で盛り上がってるほうがいいんでしょうね。
 仲間内で盛り上がること自体悪いことだとは思いませんが、それが日本人の内向き思考につながっているとしたら、「最近の若者は…」と言いたくなってしまいます。フェイスブックなどで多くの友達の中で生きているように見えても、実はごく親しい人たちだけでコミュニティーを作っているのではないでしょうか。私も友人が多いほうではありませんが、私のような偏屈者が日本人の標準になっていくのだとしたら、日本の将来は明るくないですね。
 それはともかく、いただいたチョコレートは、大事に食べていきます。くださった人の顔を思い浮かべながら、味わっていきます。

  • 2012年02月14日(火)18時08分

願書を買います

2月13日(月)
 今日から、EJUの願書購入の申し込みが始まりました。受験講座に参加している学生は意識が高く、大半が今日クラスで購入申し込みをしました。
 今日の受験講座は、願書購入申し込みの確認と、6月の願書を出したらもうやり直しは利かないんだよという話をしました。もうやり直しが利かないとは、理系から文系、文系から理系の方向転換が非常に難しくなるということです。
 毎年、何人かの学生が、6月のEJUの手ごたえや結果から、方向転換を図ろうとします。しかし、ほぼ全員が失敗に終わっています。どこの大学にも受からなかったり、不本意な大学進学を余儀なくされたりしています。
 なぜかというと、まず、時間が全然足りません。6月のEJUが終わった時点で方向転換しても、残された時間は5か月を切っています。6月の結果をもらってからとなると、3か月少々です。そのころには、11月の出願が始まります。そこから新たな勉強を始めても、すでに半年余り勉強している学生にかないっこありません。
 それから、この時点で方針がぶれているということは、自分自身の中に将来の進路に関する確固たる信念がないということです。そういう学生は、最後まで自分の進路はこれでいいんだろうかと悩み続けるものです。それゆえ、勉強に集中できず、成績が伸びず、なおのこと悩みだすという悪循環に陥りがちです。
 つまり、3月早々に6月のEJUの出願をする時点で、進学についてはかなりのところまで決めておかねばならないのです。確かに大学に入学するのは1年以上先の話ですが、今、将来を決めないと何も手にすることはできなくなってしまうのです。
 こんな話をしたら、教室の中が静まり返ってしまいましたが、これが現実です。学生たちがこの現実に打ち勝つための力を与えるのが、私たちの仕事です。

  • 2012年02月13日(月)17時35分

試験問題作り

2月10日(金)
 早いもので、来週の木曜日が中間テストです。昨日、試験範囲を発表しました。そして、早速、試験問題作りに取り掛かっています。この先、中間テストに引き続いて、卒業認定試験、バス旅行、卒業式と、行事が目白押しなのに加えて、進路の決まっていない学生や国立大学を目指す学生への崖っぷちの指導がありますから、バタバタヒヤヒヤします。だから、早手回しに仕事をしているわけです。
 今日は文法の問題を作りました。中間テストと卒業認定試験は範囲が違いますが、重なる部分も多いですから、中間テストの問題は卒業認定試験を意識しながら作ります。試験を受ける面々を思い浮かべながら、その学生たちが合格点を取ることができ、なおかつ卒業という名にふさわしい実力かどうか測れる問題を考えるとなると、毎年のことながら、頭が痛くなります。中間テストだけを受ける、卒業には直接関係しない学生には誠に申し訳ないのですが、中間テストで難易度の瀬踏みをさせてもらい、彼らの結果をもとに認定試験の問題を作り直すこともあります。
 文法の問題を作り終えて一息ついていると、だいぶ昔に卒業したBさんがやって来ました。日本でコンピューターソフトの会社を作り、今回、KCPの学生や卒業生を採用しようと思っているそうです。母校を信用し、後輩に道をつけてくれるというのは、ありがたいこと極まりないです。会社の経営に苦労しているのでしょうか、頭はいくぶん薄くなっていましたが、それが社長らしい貫禄をかもし出していました。この不景気な時期に社員を採用しようというほどの成長株の会社の社長さんになったんですから、立派なもんです。
 そういえば、Bさんも認定試験で苦しんだ口だったよな…なんていうことも思い出しました。それを乗り越えて手にした卒業証書には、やっぱり価値があるものです。

  • 2012年02月10日(金)17時48分

JLPTの成績

2月9日(木)
 12月のJLPTの結果が届き、学生たちに配りました。今日の私のクラスでは、SさんはN2に合格、OさんとJさんはN1に不合格でした。Oさんは総合点では合格点を上回っていたのですが、読解が基準点を下回り、残念な結果になりました。Oさんはなんとなく不満げな顔でした。
 合計点がある基準以上なら合格でいいじゃないか、というOさんの考えもわからないでもありませんが、私は各試験科目に穴がない人を合格にするというJLPTの考え方のほうを支持します。いい方向に制度が変わったと思っています。
 語学は、コミュニケーションのツールです。KCPでは読む・書く・聞く・話すの四技能の力がバランスよく伸びるように指導をしています。これはどの日本語学校でも同じでしょう。だから、たとえば聞く力が極端に弱いのに、無条件で上級というのはおかしいと思います。「読み書きの力は上級だけど、聞いたり話したりする力はまだ中級だね」、という評価なら妥当だと思います。JLPTの考え方はこれだと思います。
 だから、いずれは、「読み書きの勉強はもう十分だから、聞いたり話したりする力を伸ばして、全体として上級レベルになりたい」なんていう要望に応えていくようなカリキュラムも必要になってくるでしょう。四技能セットじゃなくて、ばら売りを望むような学生も表れてくるのではないでしょうか。そうなると、授業のあり方も今とはかなり違ったものにしていく必要があります。
 Oさんは、授業をしていても読解の力が弱いと思います。確かに今は上級のクラスに在籍していますが、その壁を越えない限りだれもが認める「上級」とは言えないでしょう。Oさんは大学進学が決まっています。大学に進学しても、真の上級を目指して、日本語の勉強に力を入れていってもらいたいところです。

  • 2012年02月09日(木)19時48分

Lさんのおすし

2月8日(水)
 教室に入ると、Lさんがクラスの学生に何か配っていました。授業が終わると、「先生、これいかがですか」と言いながら、かばんからおすしを出してきました。Lさんはコンビニでアルバイトをしています。今日は夜勤明けで、朝に賞味期限が切れた商品を持って来たのです。本来なら廃棄処分にしなければならない品物ですが、もったいないと思ったのでしょう。
 コンビニの商品棚に少しだけ多めに品物があるからこそ、コンビニへ行けばいつでもほしいものが手に入るという利便性を享受しています。私たちの生活は、コンビニの廃棄処分の品物の上に成り立っています。コンビニも工夫はしているでしょうが、廃棄の品物をゼロにすることはできないでしょうし、ゼロにしたら私たちの利便性が失われてしまいます。
 経営学やマーケティングの世界で、この廃棄処分の品物をどのようにとらえているかはわかりませんが、現代社会の必要悪のようなものかもしれません。ハンバーガーショップでも、来店客に注文後すぐ渡せるよう予め調理しておいたハンバーガーなどは、ある決まった時間が経つと捨てられるそうです。こうして捨てられる食品の量は、日本全体で見ると、決してバカにはできない量になることでしょう。
 これを無駄だとしてすべて省いてしまうと、生活の利便性が失われるのと同時に、変化に対応できる弾力性もなくなってしまうでしょう。何年か前に、とあるローカル線で東京でも滅多にお目にかかれないような満員電車に乗るはめに陥りました。急にまとまった数のお客が来たのに、予備の車両が全くなく、ぎゅう詰めにせざるを得なかったのです。廃棄処分がゼロということは、こういう危うさも内蔵しているのです。
 どんなに精鋭を集めても、集団の中に必ず働かなくなる人が出てくると言います。それは、コンビニにあるちょっと余計目の品物に当たるのだろうなと、Lさんからもらったおすしを食べながら考えました。

  • 2012年02月08日(水)19時47分

予報がはずれた

2月7日(火)
 朝の天気予報では、東京は17度まで気温が上がると言っていましたが、日中は10度まで届かず、冷たい雨の1日となりました。しかし、横浜や千葉は、朝、17度前後まで上がりました。その横浜も千葉も、日中は7度台から9度台でした。
 これはすべて寒冷前線のなせる業で、朝は寒冷前線が横浜・千葉と東京の間にあり、日中は南下して横浜・千葉も冷たい気団に覆われたというわけです。千葉が17度ちょっとあったころ、そのわずかに北にある船橋では8度台でした。千葉から船橋まで快速で3駅、わずかに15分です。
 南北方向の前線の動きを予報するのは、かなり難しいです。天気が東から西へ移り変わっていく場合、遅かれ早かれ天気の変化は起こります。しかし、南北方向の場合、気団の北上あるいは南下が途中で止まってしまうことがあり、その場合、その先の天気の変化は起こりません。そして、気団が南北方向にどこまで動くかは、非常に微妙な力関係によって支配されています。これを正確に言い当てることは、最新の気象予報技術をもってしても、たやすいことではありません。
 ですから、気象庁の肩を持った言い方をすれば、今日の予報ははずれてもしょうがない場合でした。今日は寒い思いをしたからといっても、気象庁を責めるのはちょっと酷です。移動性高気圧の予報と同列に扱ってはいけません。
 薄ら寒い思いをしていたお昼過ぎ、先月A大学を受験したZさんが、合格の報告に来てくれました。Zさんの合格は、本当に努力の賜物です。私もずいぶん厳しいことを言いましたが、努力は必ず報われるというすばらしい例です。こう言ってはZさんに失礼ですが、入学時に提出された資料を見る限り、Zさんは決してすばらしい学力を持ち合わせていたわけではありません。しかし、Zさんには努力を惜しまないという貴重な才能がありました。その才能を遺憾なく発揮し、自分自身を磨き続け、ついに光り輝く存在となったのです。入学以来、ずっと「国立」といい続けて、それを実現させたのですから、有言実行の最たるものです。
 さて、明日の予報は晴れときどき曇り。寒冷前線は南の海上にあって、関東地方まで北上しそうもありませんから、たぶん予報どおりになるでしょう。

  • 2012年02月07日(火)21時41分

「みんなの日本語」が変わります

2月6日(月)
 この7月に「みんなの日本語」が改訂されるそうで、改訂版で追加または削除される語彙が発表されました。広辞苑などの辞書に掲載される語彙が世の中の流れを反映していると言いますが、外国人が学び日本語教科書の語彙のほうが、使われるようになった言葉と使われなくなった言葉をより如実に表しているように思います。
 今回削除された語彙の中には、テレホンカード、フィルムのように携帯電話やデジタルカメラなど新しい技術を使った製品に取って代わられたものがあります。コダックもつい先日倒産してしまいました。ファクスも、今はeメールの添付文書に置き換わったと言っていいでしょう。ワープロはパソコンの一機能としてのみ生き残り、外国人登録証は間もなく廃止されます。
 エンジニアも削除されたというのは、元エンジニアとして寂しいというか納得できないというか、何か割り切れないものがあります。まあ、もっとも今までも「エンジニアじゃありません」という登場のしかたですから、削られたところで大勢に影響がないのかもしれません。
 削られる単語からすると、現金の引き出し方を教えてもらう場面の会話が丸ごとなくなるようです。振り込め詐欺の頻発に関係があるのでしょうか。また、サラリーマンが消えたというのは、非正規雇用が増えているからなのでしょうか。
 追加される単語には、ケータイ、電子辞書、インターネット、メールといった、どうして今までなかったのと問いたいくらいのものもあります。また、アニメ、ロボットといった日本の得意分野が追加されています。「おひとり」が加えられているのは、個人で行動するようになった日本人を象徴しているようにも思えます。
 「みんなの日本語」の初版は1998年の発行です。私が日本語教師を始めた年ですから、かなり昔です。前世紀の遺物といってもいいでしょう。それから14年にして初めての改訂ですから、遅きに失した感も否めません。しかし、この教科書が広く支持を集めていることは確かですし、私自身この改訂でさらに使い勝手がよくなることを切に願っています。
 同時に、訳本も各国版が出ていることから、この教科書で日本を知る外国人も少なからずいることでしょう。日本のファンを増やせる教科書になっていることを期待してやみません。

  • 2012年02月06日(月)16時00分

日枝神社へ

2月3日(金)
 今日は節分。KCPは、毎年、赤坂の日枝神社の豆まきを見に行きます。今日も行ってきました。幸いにも風が弱く、日なたではほのかな暖かさを感じました。地下鉄の赤坂見附駅を出ると、まぶしいほどの日の光が射していました。2月は「光の春」と言われますが、まさにその通りだと思いました。
 外堀通りを渡り、日枝神社の入口まで行くと、早咲きの桜が、ほんの数輪ですが、小さな花を咲かせていました。神社のある丘を登る稲荷参道には、朱塗りの小さな鳥居がすき間もないほど立ち並んでいます。学生たちは桜や鳥居にカメラを向けていました。
 神社の境内には舞台がしつらえられており、社殿の中では豆まきをする人たちへの神事が行われている最中でした。待つこと15分ほど、紋付袴姿の大相撲の力士が舞台に出てきて、鬼の面をかぶった神社の人に豆をぶつけ、豆まきが始まりました。舞台の上から観衆に向かって豆の入った袋をまきます。神社でお払いを受けた神聖な豆ですから、霊験あらたかなはずです。そのままいただいてもいいし、家での豆まきに使ってもいいし、みんな争うように取ります。その中には景品がもらえる当たりくじが入っているものもありますから、なおのこと真剣になります。
 毎年、学生たちも豆を取ろうと舞台に近づいていきます。でも、今年の学生はいつもよりおとなしいような気がしました。舞台から離れた境内の隅にある縁台に腰掛けている学生や、豆の奪い合いを見ているだけ、カメラに収めているだけの学生が多かったように思いました。「いい若いもんがジジイやババアみたいに腰掛けてんじゃねえよ」とけしかけても、にたにた笑っているだけ。覇気をなくしているんだとしたら、ちょっといけませんね。
 豆まきは20分くらいで終わりました。何名かの学生は、景品をもらっていました。景品はもらえなくても、豆の袋をいくつもゲットしてコートのポケットを膨らませている学生もいました。これまた毎年のことですが、私はそういう学生から豆をもらいました。
 日枝神社へ行く時に、赤坂見附駅の新しい出口を見つけました。帰りはそこから駅に入りました。すると、今までの出口よりもずっと近く、しかも外堀通りを横断する必要もなく、非常に便利で安全なことがわかりました。赤坂見附は毎日通勤で乗り換えているのですが、改札の外に出ることはなく、この出口ができたことに気がつきませんでした。目を外に向けてなきゃ、世の中からおいてかれちゃいますね。
 今日の仕事は、これでおしまい。さて、うちへ帰って、恵方巻きでも食べますかね。

  • 2012年02月03日(金)20時20分

Nさんの一歩

2月2日(木)
 上級の各クラスでは、クラスごとの卒業制作に取り組んでいます。私が入っているクラスでは、各人がそれぞれ決められたクラスメートについて語り、それを撮影・編集してひとまとまりのストーリーにしようと考えています。誰が誰について語るかはくじ引きで決めました。撮影は、そういうのが慣れている先生がしてくださいます。問題は編集です。みんなが好き勝手に語りだすと、全体で決められた時間内に収められなくなります。個々の語り手の話の要点、面白いところや泣かせるところを選び出し、それをつなぎ合わせて全体で1つのストーリーにするのです。半端な仕事じゃありません。
 この仕事に手を挙げてくれたのが、Nさんです。Nさんは映像の勉強がしたくて日本へきました。そういう関係の大学を何校か受験しましたが、残念ながら、結果が出せませんでした。専門学校に行こうかどうしようか悩んでいる最中です。私はNさんが編集の仕事の最適任者だと思っていましたが、あえて黙っていました。誰が編集をするかでもめて、多数決で決めようかという雰囲気になりかけたとき、「編集は私がやります」と、Nさんが引き受けてくれたのです。
 私が「Nさん、編集をしてくれませんか」と声をかけてもよかったのですが、やっぱり仕事は自分でとってこなきゃいけません。Nさんに足りないのは、自分から前に出る気持ちだと思っていました。これが大学受験に失敗し続けている原因の一つだと持っています。いい物を持っていても、それを他人に示さない限り、だれも認めてはくれません。今回、自分から立候補し、みんなに拍手で迎えられたことで、一皮むけたNさんに成長してくれることを期待しています。大学にはもう間に合わないかもしれませんが、次につながる経験になればいいと思っています。

  • 2012年02月02日(木)18時29分

口頭試問

2月1日(水)
 今日も面接練習が3人。いずれも理科系の大学を目指すため、私が担当しました。そのうちの2人は受ける大学は、面接の時に口頭試問があるので、その練習もしました。先月、A大学の口頭試問を受けた学生からの情報を踏まえて、今日は数学でよく使う用語について質問をしてみました。
 「順列」と「組み合わせ」の違いを説明してください――ときくと、Lさんは半ばパニック状態に。いつもはしっかりした日本語を話すLさんが、しどろもどろの状態でした。同じ質問をCさんにすると、やはり意味不明の答えに。A大学では微分の定義を言えという質問が出たそうです。それに比べれば、今日の私の質問のほうが易しいと思いますが、それでも2人ともうまく答えられませんでした。
 もちろん、順列・組み合わせがわからないわけではありません。数学の問題を解く時には、ごく普通に使っています。でも、改めてその2つの違いを述べよと言われると、どこから手をつけたらいいのかわからなくなってしまうのでしょう。要するに、頭で理解していることを日本語で説明するとなると、言葉が出てこないのです。日本語力では校内最優秀の部類に入るLさんとCさんをもってしてもこのありまさまなのですから、他の学生が自分の頭の中を日本語で表現しようと思ってもそう簡単にはいかないことは想像に難くありません。
 大学での議論は、抽象概念の応酬です。順列・組合せを説明するなどとう生易しいレベルのものではありません。自分の考えを言語によって明確化する、それに形を与えるという仕事の連続です。これにたえうる頭脳と語学力を兼ね備えていてはじめて、大学で学ぶ資格があるといえます。LさんもCさんも入試まで1週間ほどです。最後の踏ん張りで栄冠をつかみとってもらいたいです。

  • 2012年02月01日(水)22時44分

1月の終わりに

1月31日(火)
 毎学期おなじみの、バザーがありました。今回のバザーが今までのと違う点は、KCPのボランティアクラブの学生たちがお手伝いしている点です。バザーを主催しているグループには、お年を召している方が多く、品物を運んだり展示したり後片付けしたりというのが大変です。そこで、若さとパワーが有り余っているボランティアクラブの登場となったのです。
 残念ながら、仕事の都合でボランティアクラブの面々が働いているところを直接見ることはできませんでしたが、バザーの雰囲気ががらっと変わったとのことです。このバザーの売り上げは恵まれない子どもたちの施設に寄付されるので、学生たちの働きが売り上げ向上につながれば、寄付の金額も大きくなるのです。今回はどのくらいになったかはわかりませんが、期待できるのではないでしょうか。
 今日、面接練習をしたOさんも、国でボランティアをした経験を語り、進学したらボランティアをするサークルに入りたいと言っていました。ボランティアとは、損得勘定抜きに誰かのために働く精神を言います。1度ボランティアをしたことがある人は、自然に誰かに手を差し伸べられるようになると聞いたことがあります。そこにはもはや誰かのためにという考えはなく、困っている人を助けるという義心があるだけです。人間が持っている最も美しい心の一つです。
 KCPの学生も、1人でも多くがボランティアクラブの活動を通してこの義心に目覚めてもらいたいものです。今年の1月はかなり寒かったですが、最後の日は心温まる話に出会えました。

  • 2012年01月31日(火)22時15分

ガツンと

1月30日(月)
 受験講座は、すでに2013年入学希望者向けのが始まっています。アンケートなどを見ても、まだまだ考えが甘っちょろいと言うか現実を知らないと言うか、要するに何もわかっていないので、今日は受講生全員を集めて、脅しをかけました。
 まず、国立C大学経済学科の入試データ。日本語で全国最高点を取っても落ちていること、文系であっても数学で高得点をあげねば合格できないこと、不合格者の平均点ですら一朝一夕には手が届かない点数だということを訴えました。かなりの高得点を挙げても、併願校をきちんと選ばないと、浪人と言う道が待ち構えていることも強調しました。
 すでにこの時点で声も上がりませんでしたが、それに追い討ちをかけるように、ある大学の日本語の入試問題をやらせました。EJUの日本語はすべて選択式ですが、大学の2次試験の日本語は、記述式の問題も出されます。この大学の問題には、選択式も記述式も、漢字の読み書きもあります。本番は大問が3つか4つですが、今日はその中から1つだけ。
 問題を配り、学生が解いているところを見ると、やはり記述式は大苦戦のようでした。設問の意味をきちんとつかんでおらず、方向違いの答えを書いている学生もけっこういました。漢字の読み書きもかなりあやふやで、ほとんどの学生ができなかった問題が2つほど。
 時間が来たところで、「この問題、どのくらいのレベルだと思う?」ときくと、上級の学生が最上級レベルといいます。ところが、今日の問題は、学生たちが全く知らない、滑り止めにも考えないような大学の問題でした。大学の名前を言い、そのレベルを教えると、C大学のデータの時以上に静まり返ってしまいました。
 今日の話でがっくりきて挫折するような学生は、そもそも受験する資格などありません。そんな精神力じゃ、これから1年、やっていけませんよ。「なにくそ」と反発するくらいの気概が必須ですね。そして、今日の屈辱(?)をバネに、必死に勉強し、高いところに到達してもらいたいと思っています。

  • 2012年01月30日(月)17時47分

発表会

1月27日(金)
 上級クラスは、おととい、グループに分かれて都心にあるアンテナショップへ行き、それぞれ決められた県について調べてきました。昨日はその結果をまとめ、今日は各県の観光案内ということで、グループごとにプレゼンテーションをしました。
 話しかけるようなドラマ仕立てのプレゼンテーションをしたグループ、レジメを配って発表したグループなど、それぞれが工夫を凝らしていました。聞いている学生を引き付けたという点ではドラマ仕立てのグループが一番でした。その県全体をとらえて、内容的には高いレベルの発表していたグループは、原稿の棒読みがたたり、発表自体の面白みという点では今ひとつでした。
 プレゼンテーションは聞いてもらってなんぼというところがあります。内容がよくても聞かせる工夫が足りないと、その内容が伝わりません。いい品物なんだけど宣伝が下手だから売れないっていう感じでしょうか。原稿棒読みグループは真面目な人たちで、ひたすら内容を高めることに走ってしまったのでしょう。
 その点、ドラマ仕立てグループは、プレゼンテーションの何たるかを理解していたと言えます。発表を見ているだけで楽しかったですし、内容もよくわかりました。でも、観光案内という点から見ると、その県の重要な観光スポットを落としていましたから、満点というわけにはいきません。
 さて、どちらの発表を高く評価すべきでしょうか。語学の教師としては聴衆を引き付けたグループを高く評価すべきでしょうが、今日はあえて内容で選びました。上級ですから内容を考えなきゃね。発表のテクニックはこれから磨いてくれよという激励の意味も込めて。このグループの学生たちは、間違いなく自分たちのプレゼンテーションのしかたは決して高いレベルではないということに気づいているでしょう。そして、次こそ聞かせるプレゼンテーションをしてくれることを期待しています。
 このクラスは上級ですが、3月で卒業する学生ばかりではなく、来学期以降もKCPで勉強を続ける学生もたくさんいます。何か月か後に、学生たちの成長の跡を見てみたいものです。

  • 2012年01月27日(金)20時35分
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