11月20日(水)
初級クラスのKさんが、昨日の宿題となっていた今学期の目標訂正版を提出しました。中間テストが過ぎ、学期初めに書いた目標を見直して、改めてスタートを切ってもらおうという発想です。
Kさんは目標そのものを変えたというより、目標の文言を直しました。私たちは学生からもらった今学期の目標を、一字一句直さずそのまま保管しておきました。それを、学期の半ばで読み直してもらい、変更すべきところは変更してもらおうというわけです。だから、Kさんのように、目標の軌道修正はせずに、その表現方法を変える場合もありうるのです。
学期初めのKさんの目標は、日本語になっていませんでした。Kさんは、昨日一時的に返却された今学期の目標を見て、愕然としたのかもしれません。“つい1か月半ほど前の私って、こんなに日本語が下手だったの?”なんて思ったかもしれません。再提出された目標は、だいぶまともになりました。Kさんは翻訳ソフトの手を借りるようなことはしませんから、自分で間違いに気づき、自分で直したのだと思います。
自分で書いた文章の誤文訂正は、できそうでできません。例えば、作文の時間に、自分で書いた文章を読み返して変なところは直して提出しろと言っても、そんなことをする学生はまずいません。読んでも間違いに気がつかないのです。思い込みが激しいので、誤用も正しく見えてしまうのです。
ところが、数週間時間が経つと、自分の文章でも自分の文章も相対化して見られるようになります。そうすると、目を曇らせていた思い込みもありませんから、間違いが見えてきます。これに加え、Kさんは、自身の日本語力の向上も、“あ、変な文を書いていたもんだ”という気付きにつながっているに違いありません。この進歩の実感が大切なのです。
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